第2話 儚い美少女

 村人たちが、魔物と化していた。

 理由や因果関係は不明だが、身につけている衣服や装飾品から、私と東堂は判断した。

 この村の異様な静寂は、ゾンビと化した魔物によって引き起こされたのだ。


「生存者は絶望的だが、探してみるしかないか。当事者に聞くのが一番手っ取り早いからな」


 私たちに課された依頼は『異変の調査と原因の解明』。それなりの証拠や証人が必要だ。

 鍵のかかっている家屋ならば、生存者がいる可能性はある。そう信じて、私たちは道中の魔物を可能な限り倒しながら進む。


 一体、二体、三体……。

 倒すほどに、生存者の確率が減っていく。


 手を合わせて黙祷する余裕はなく、軽く心で成仏を願うだけだ。

 この異世界では、輪廻転生が信じられている。異世界という概念も、妖精や神の実在を疑わない彼らにとって常識のようなものなのだ。


 東堂が、四軒目の家屋を見つけた。

 その扉に手を掛け、開こうとして止まる。

 ガチャガチャとドアノブが鳴った。


「鍵だ、鍵がかかっている」


 窓を覗き見るが、カーテンが引かれているため、中を確認できない。

 気は引けるが、扉か窓を破壊しなければ生存者の有無は判明しないだろう。


「非常事態だ。ここは強引にいこう」


 私が鞄からバールを取り出すと、東堂は無言で唇を噛み締めた。

 扉の隙間にバールの先端を捩じ込み、無理やり押し込む。何度か繰り返せば、ミシミシと嫌な音を立てて、小洒落た扉を固定していた金具が壊れた。

 テコの原理で強引に開いた扉を踏み越えて、家屋の中に入る。


「無人、か?」

「いや、ついさきほどまで人がいたみたいだ」


 ここもやはり、先ほどまで人がいた気配があった。

 コーンポタージュは湯気を放ち、クロワッサンは少し焦げている。

 慌てたのか、食器が床に散乱していた。


「椅子が四つ、これはペットか? 床に皿が一つ……」

「部屋が多いな。それぞれ個室みたいだ。村長とかの家だったのか?」


 東堂が部屋を観察するなか、私は言葉にできない違和感を覚えていた。

 部屋干しされた洗濯物と部屋の数を照らし合わせた瞬間、その答えを得る。


(部屋の内装だけを見れば、男三人……なのに、洗濯物のなかに、明らかに小柄な女性ものがもう一種類ある。これはどういうこと?)


 湧き出た新たな疑問。

 好奇心が首をもたげるが、状況に余裕はない。生存者の方が優先度が高いと思い直し、部屋の探索を続ける。


「東堂、この床下収納が、変だ」


 私が指差した先、多くの家屋ではカーペットを敷いていたり、ラグで隠しているが、ここの家はそのままにしていた。

 頻繁に使うのか、何度も補強した形跡が見える。その周辺には、細かい傷も。

 まるで、人が爪を立てたかのような。


「開けてみるか」


 東堂は迷いなく床下収納を開けた。

 その下に広がっていたのは、長い階段。途中で踊り場まであるほどだ。土を削り固めた、荒い作りではあるが。


「進むか?」


 東堂が私に問いかける。

 私は込み上げる恐怖と不安を押し殺しながら、静かに頷いた。


 地下に続く階段を降りる。

 いくら耳を澄ましても人の気配はしない。物音もない。この先に、生存者はいるのだろうか。


 貴重な魔力を使って、即席の明かりを作って宙に浮かべる。

 階段を下りきった先に広がっていたのは、木の柵で区切られた空間だった。


 微かに鼻腔に届いたのは、排泄物などが発酵した独特の匂い。

 閉め切った空間には、あまりに不快な匂いに顔をしかめる。


 木の柵の向こうに、何かの塊が見えた。

 それは明かりに反応してもぞもぞと動き、ついに立ち上がる。


「あれ? パパの知り合い、ですか?」


 さらさらと流れるような銀髪。眠たげな顔をしていたが、整った顔立ちに色白な肌は美少女と呼ぶのに相応しい。

 頭部に巻きつけた紫色のバンダナと、村人たちと変わらない麻のシャツに革のズボンと古ぼけたブーツ。


「君、閉じ込められているの!? 待ってて、すぐにここから出してあげるから!」


 私は交易一般語で話しかけながら、反射的に柵の扉にかかった南京錠に飛びつく。少女は首を傾げながら、くすくすと笑った。


「閉じ込められてないですよ。鍵は私が持ってるので、いつでも外に出られます」


 少女はポケットから鍵を取り出すと、南京錠に差し込んでがちゃりと回す。

 どうやら本当に閉じ込められていたわけではないらしい。


「あ、そうだったんだね。早とちりしてごめん。いくつか話をする前に、まずは君の名前を聞いてもいいかな?」

「はい。私の名前はニクサラといいます。お兄さんとお姉さんは冒険者ですか?」


 私は頷いた。

 ニクサラと名乗った少女は、私よりも少し背が低い。見た感じ、十二歳ぐらいか。


「わあ、すごい。私も将来は冒険者になるのが夢だったんです。いつも冒険者のお話の本を読むのが大好きで!」


 ニクサラは、鞄をごそごそと漁り、古ぼけて角が折れたり千切れたりして丸くなった一冊の本を取り出す。

 『迷宮と冒険者』。迷宮に挑む冒険者たちの活躍を描いた御伽噺だ。


「冒険者学校には通っていたの?」

「ええ。あと三ヶ月ほどで卒業する予定でした」


 ニクサラは目を伏せる。

 幼い子に酷な状況が起こっている、その現実を突きつけるのは心が痛むが、こういうのは早い方がいい。


「私は桜木春香、後ろの彼は東堂隼斗。ニクサラさん、今から辛い話をするけど、落ち着いて最後まで聞いてほしい」


 私は村の様子とここに来た理由を簡潔に話した。生存者を探していることも伝える。


「ニクサラさん、家族と別れたのはいつ?」

「今日の朝です。村の様子が変だってパパが言ってて、『ここにいなさい』『何があっても外に出てはいけない』って言って扉を閉めてからは、それっきり……」


 村の異変に気がついた父が、娘を守る為に地下へ籠るように伝えたのか。

 竜巻や魔物の襲撃に備えて、地下に避難壕を作ることがあると聞いた。この地下牢もその一種なのだろうか。


「村の異変に何か心当たりはあるかな? 変な魔物が村の近くにいたとか、家畜が襲われたとか、行方不明になった人がいるとか……どんな些細なことでもいいんだ。何か覚えてない?」


 ニクサラは無言で首を振った。

 そもそも、異変の原因に心当たりがあれば、迂闊に外へ出て様子を見に行くようなことはしないだろう。これは愚問だったか。


「あ……でも、もしかしたら、村の中心にある『学校』にみんながいるかもしれません。あそこの建物は、避難施設でもあるんです。何かあった時は、そこに立て籠って、街からの救援を待つという訓練を過去に受けたことがあるんです」


 ニクサラの言葉に東堂が反応した。


「学校の他に、そういう建物はないのか? 避難経路の地図は?」

「ごめんなさい。その地図は学校に置いてきてしまいました」

「学校に置いてちゃいざという時に避難地図が使えないだろ」


 東堂の言葉にニクサラは目を伏せる。


「東堂、誰だってこんな事態は想定できない。あんまりニクサラさんを虐めないで」

「別に虐めたつもりは」

「いいんです、ハルカさん。私、分かってますから。冒険者を目指すなら、こういう事態も想定しておくべきだったんです」


 ニクサラは俯いて、唇を噛む。

 先に折れたのは東堂だった。


「悪かったよ、俺の配慮が足りなかった。ないもの強請りをしても始まらねえ。まずは学校で他に生存者がいないか探そうぜ」

「学校には、たぶんリリー……えっと、村長の娘がいると思います。リリーなら私よりも村に起きた異変について詳しいかも」


 その名前に心当たりがある私は、鞄からリストを取り出す。

 冒険者ギルドの団長が、出発前に渡してくれたものだ。


 大人二十人、子ども十五人。

 ちょっとした街に近いが、まだ村規模。

 世帯と住所、家族構成が簡潔に纏められている。


「あった。リリー、たしかに村長の娘だ」

「村長の家族なら何か知ってるかもな。探してみるか」


 ニクサラから得た情報を元に、私たちは今後の活動方針を定める。

 学校に向かい、リリーを探す。

 もちろん、道中にいる魔物を倒しながら。


「そうと決まれば、ニクサラさん、申し訳ないんだけど、安全が確保できるまでここで待っていてくれるかな?」

「えっ……」


 ニクサラは目を見開いた。

 それから、首を横にふるふると振る。


「わ、私も連れて行ってください。まだ学校は卒業していませんが、必ずお役に立てるはずです!」

「恥ずかしい話だがな、俺たちも余裕があるわけじゃないんだ。誰かを守る腕前もない。明日の朝になっても戻らなかったら、村の外に繋いだ馬車を使って街へ向かってくれ。そんで冒険者ギルドに伝言を頼む」

「だめです! 私も行きます!」


 ニクサラは引き下がらない。


「村の外を徘徊している魔物、あれを完全に倒すには体を粉々にするか、私の持っているこの聖なる短剣で胸を一突きするしかないんです。仮に村にいる私以外が全員、魔物だとして……三十四体もの魔物を粉砕して回るんですか」


 ニクサラの反論に、東堂は言葉に詰まる。

 図星を突かれ、視線が泳いでいた。そして、私に助けを求める。


 ちょいちょいと手招きをして、こっそりと日本語で耳打ちをした。


「東堂、ここは同行を許可しよう。あの様子だと何が何でもついてくるつもりだ。見えない場所で魔物に襲われたり、怪我をされるより、目の届く範囲に置いておいた方がいいかも」

「けどよお、俺たちだって余裕があるわけでもないんだぜ。戦闘を邪魔されたら、こっちが死ぬ可能性だってある」

「そこは私がどうにかする」


 作戦会議を終え、私はニクサラに振り返った。


「ニクサラさん、同行を許可する代わりに、絶対に守ってほしい約束があります。守れますか?」

「はい! どんな約束でも守ります! どんな命令にも従います! お望みなら、靴だって舐めますとも!」

「それは舐めなくていいかな。お腹壊したら大変だからね」


 ニクサラのボケにペースを乱されかけたが、慌てて元のレールに戻す。


「その①戦闘に絶対に割り込まない」


 ニクサラは真剣な顔で聞き入っていた。

 こくりと頷く。


「その②戦闘の間は隠れていて、合図があるまで音を出さないこと」


 聖なる短剣を胸にぎゅっと抱え込む。

 どこまで命令で縛れるか分からないが、それでも彼女を信じるしかない。


「その③たとえどんなに親しい人や知り合いの姿を見つけても、声をかけたり近寄らないこと。私たちが安全を確認するまで、決して油断しないで」


 ニクサラは深く頷いた。

 聞き分けはいいらしい。


「そして、最後にその④無理や無茶は絶対にしないこと。異変を感じたらすぐに教えてね」

「分かりました。学校で隠れる練習を何度かやったことがあるので、大丈夫だと思います」


 ひとまず、約束はさせた。

 あとは、なるようになれ、だ。


 ほんの少し休憩と準備の時間を設けた後、私たちは学校に向けて出発した。

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