世界を作る逆再生

しかし、そう簡単に学校に辿り着けはしないようだった。広々と、青々と広がっていた青空が急に濁り始めた。空を雲が覆い始め、たちまち真っ暗になった。


けれど、雲の合間からは太陽光よりも鋭いような光が割れるように漏れている。空がパキパキと割れているような見た目に変わってしまった。


「なんだか嫌な予感が…」


その予感は的中することになった。足がずぶずぶと沈み始めた。違和感を覚えて下を見ると床が溶け始めていた。と思ったのも束の間、急に目がくるりと回るような感覚に陥ったと思えば、天と地がひっくり返った。私の頭上にはさっきまで歩っていた床があって、天に真っ逆さまに落ちていた。


「えええええ!私、落ちてますぅぅぅう!」


そんな私の叫びも虚しく、どんどん落ちていく。落下しながら周囲を見ると、他の人間もどんどんと落下していた。人だけじゃない。地面に固定されていないものは軒並み落ちていった。


川の水、車、電車、トラック、自販機、マンション、家、道路…。ありとあらゆるものが自分と一緒に落ちていた。まるで世界を無邪気な子供がひっくり返してしまったみたいな感じがした。


10秒ほど落下したあたりだろうか、急に体がふわっとして体が落下することをやめた。無重力みたいな状態になっていた。体がどんどん流されていく。


「何か掴まるものは…あわわわわわわ!!」


咄嗟に手を伸ばして掴めたのは大型のトラックの端っこ。必死の思いで掴んだが、トラックも流されているので変わらなかった。


「本当に天変地異だ、世界が終わっちゃうんじゃないでしょうか」


次から次へとおかしなことが起こり、息を吐く暇もない。次は、ふわふわと漂っていた空気の流れが変化した。私たちはグルグルと空気中を回り始めた。流れるプールのように回転していて、私はトラックに掴まるのが精一杯だった。


地獄絵図だった。人々は泣き、叫び、また物体が衝突する轟音も、風を切る音も耳に入ってきた。さっきまでいつも通り学校に行っていたはずなのに。


万物がぶつかり合いながら空間中で混ぜられている様は、世界を作る逆再生を見ているかのようだった。


「誰か助けてくださいぃぃぃぃい!!!」


私も他の人のように泣き叫んでいた。このままでは本当に世界が終わってしまう…。早くなんとかしないと。今この現状を引き起こしている元凶を断たないと。私はその原因がいま回転している中心にあるんじゃないかと思った。


「どうせこのままじゃ何も変わらない…真ん中に向かおうッ」


私は私らしくない覚悟を決めて、中央に向かうことにした。本当に地上にあったありとあらゆるものが宙に浮かんで回転している。その勢いは、とても早いわけではない。徐々に勢いを増していると言う感じだった。


「飛び移っていくしかないよね、これは!」


思い切ってジャンプすると、思ったより飛距離が伸びた。今空間はどうなっているのか分からない。けれど、そんなことを考えられる余裕もなかった。


うまいことマンションに飛び移れたので、駆け上がっていく。運動はそんなに得意じゃないけど、ここが人生の正念場かもしれない、そう思ったら自然と力が沸いた。


飛び回ってる物体にぶつからないように神経を尖らせながら、マンションを駆け上がり、高速道路の破片に飛び移り、次に長い電車の上…とにかく無我夢中で中心へと向かった。


「うおおおおおおぉおおおお!!」


一体どれほど時間が経ったのか分からない。私はぜえぜえと息を切らせながら中心へと辿り着いた。中心に浮かんでいたのは人だった。


そんな気はしていた、けれど信じたくはなかった。…中央にいたのはミチルだった。ミチルは狂気とも思える形相で、大笑いしていた。胸には怪しく光る球体が埋まっていて、全身に紫に光るヒビが入っていた。


「アハハハハハハハ!!!ヒャハハハハハ!!!廻れ廻れェェェエ!!非日常!これだよ非日常ってのはさぁ!」


彼が手でかき混ぜるような動作をするたび、物体の回る速度は上昇していた。この天変地異の犯人はミチルだったのだ。やはり彼の欲望を止められなかった…!どうすればこの状況を打破できるのだろう。頭の中がこんがらがって何も思いつかない。そんな時だった。


「おいミチル!何やってんだよ!」


男の声が響いた。どうやら中心に向かってきた人間がもう1人いたらしい。緑の髪をしていて、ミチルと同じ制服を着ていた。


「アルムじゃないか…、どうだ見てくれよ、美しいだろ、興奮するだろォ!非日常は!」


「なにも面白くないよ、こんなの!世界をめちゃくちゃにして何をするつもりなんだよ!」


「何って、何も?ただただ俺の望んだ世界が眼前にある!それだけだァ!」


「そうか、非日常狂いはそこまでいっていたのか、ずいぶんと重症だな!世界まで巻き込んで!」


「なんだ、こんな世界嫌だってのか!そうかもしれないなぁ、この美しさを分かるやつはいないかもしれないなぁ。なんてもったいないんだ!かわいそうに!」


「一生わかる気がしないね。悪いがもうやめてくれないか、全人類お前に迷惑してるんだ」


「やめるつもりは無いぞ、アアアアあぁあ"ルルルルム"ゥウ、アガガギギェ"」


ミチルは壊れた機械のような声を発していた。彼はもう心ここに在らずと言った様子で、球体に根を張られ、目はうつろで紫色にぼんやりと発光していた。


「操られている?…胸の球体のせいか?」


「お前は俺の望む世界にはイ"ら"ナ"""い!!!アガガギギェ"ゲゲ!!!」


緑髪の青年はミチルに向かって飛びかかった。球体を抜き取ろうと思ったのだろう、彼が球体に触った瞬間、


「熱っっ、あつい!」


彼に電撃のようなものが流れて、あたり一面が焼けこげた。


「触るなよ、コレに!!」


ミチルが手で払うと、緑髪の青年は大きく吹っ飛ばされ、渦に飲まれていった。


「うわあああああああ!」


緑髪の青年は彼方へと飛ばされた。彼の声がだんだんと小さくなっていくのが分かった。一体誰だったんだろう。口ぶりからして、ミチルと友達とかだろうか。


「私以外にいたんですね、友達…。てっきり私だけだと思ってました」


ってそんなことを考えてる暇じゃなかった。もう私が止めるしかない。けれどただ飛びかかっても力の差がありすぎる…。どうすればいいだろう…。渦の流れもかなり速くなっていて、全て溶けて混ざるのは時間の問題だった。


私は出たとこ勝負といった気持ちでミチルの前に飛び出した。


「ミチル、何をやっているんですか!」


「おお、ナダラじゃないか!見たか、この世界を?素晴らしいだろ、美しいだろ、非日常だろ!わかってくれるよな、ナダラなら!」


「確かにどこか幻想的で、綺麗ですよね。神話をこの目で目撃しているようです」


「そうだろ?!そうだろう?!」


ミチルっぽいけれど、どこかリミットが外れていて、自我を失っている感じでとても悲しくなる。もう元の彼は戻ってこないのかもしれない。そんな悲しい可能性を考え、私はギリギリと拳を握る。


なんとか彼を止めないと。まだ少しだけ自我が残っているかもしれない。


「…でも。……でも、これからどうするんですかッ!!!…ミチルはバカです。この先のことを考えたのですか?!これからどうしてくのですか!」


「なんだよ、この先って。そんなことを考える必要はあるのか?こんなに楽しいのに!綺麗なのに!」


「考えるべきですよ!今は満たされているから良いかもしれませんね。けれど、分かっているのでしょう?!今までのことを振り返ってみてくださいよ」


「今まで…?」


「最初は夜の散歩とか、ファミレスとかでも楽しめていたじゃないですか。でも回数を重ねるごとに非日常へのハードルが上がって…。終いには法に触れることすら厭わなくなって。刺激に対する感覚がどんどん鈍くなってるんですよ、今」


「それは進化とも呼べるだろう?ナダラ。全てのことに通じる話じゃないか」


「そんなことないですよ!それの行き着く先はなんだと思います?空虚です。からっぽなんです。今は世界が混ざられていく様子に美しさを感じられるかもしれない。でもそれが終わったら?滅びた世界にミチルは1人残ります」


「実に楽しそうじゃないか、そんなの」


「最初はそうかもしれませんね。でもそこから何日も経つときっとミチルは飽きる。それが非日常ではなく日常に変わるんです」


心当たりはあったのだろう。ミチルは図星だと言わんばかりに表情を曇らせた。けれどそれを認めたら、自分の行為が全て否定されることになる。彼は否定の道しか選べない。


「…いや、そんなことはない。滅びた世界はきっと楽しいだろうな。今まで数えきれないほどいた人間がいない世界だ。そんなもの見たことがない。今からでも好奇心が止まらないさ!」


「本当にそうでしょうか。非日常、刺激、面白さと言うのは予測不可能性のことなんです。人間が、たくさんの人間がいるからこそ何が起こるかわからない。ただ1人の人間の脳みそでは全てのことを予測できない。だからこそ面白いんです。滅びた惑星で予測不可能なことがあると思いますか?地平線はずっと変わらないし、もう草も木も生えない。これを空虚と呼ばずしてなんと呼ぶんですか!」


「確かにナダラの言う通りかもしれない。この惑星はもう面白くなくなるかもしれない。だがな、飽きたらこのオーブの力を使えば良いじゃないか。このオーブの力を使って宇宙に行って欲望を満たせばいい」


「オーブって一体なんなんですか!そんなものに執着して、こんな惨状を引き起こして…」


「拾ったんだよ、ある洞窟でなぁ!このオーブは俺が言ったこと全てを実現する!どんなことでもなア!」


ミチルがバッと両手を広げ、声高らかに言い放つ。彼の胸に埋まったオーブから広がるヒビはどんどんと広がり、彼を蝕んでいた。


「操られてるんですよ、ミチルは!目もうつろだし、身体は浸食されているし!帰ってきてくださいよ、ミチル!」


私はミチルに向かって歩み寄る。迷いもなく、一歩ずつ前へ踏み出す。すると、ミチルが顔を手で押さえて、苦しそうに


「ガガ、グギギ、ぐ、ぐるなぁ"、ナ"ダラァ"…」


と私に向かって言った。彼のわずかばかり残っている自我で、私を助けようとしているのだろう。今にも体の主導権を取られそうなのを抵抗しているのが見てとれた。


「ご、このオーブを"、を使"ってがら、欲望が抑えれなぐ、グゲゲギェ」


彼はとても苦しそうだった。体を唸らせ、私にメッセージを伝えようとしていた。


「ミチル、大丈夫ですか!今行きますから!」


「ぐ、来るなぁ!死ぬぞ…、お前までェ」


「このままじゃどっちにしろ死んじゃいますから!今助けますからね」


ミチルは高速道路の破片の上で苦しんでいた。宙に浮いていて、角度がかなり急だった。なんとかして登ろうと思って、足場を探すために周囲を見渡した時、もう手遅れだと言うことに気がついた。万物が粉々になって、人が生き残れる回転速度をとっくに超えていた。


粉々になった破片が次々と落下していく。私たちがいる高速道路の破片群も例外ではなかった。どろどろの地球に落ちていく。


「うわあーー!落ちます!しにますぅぅう」


私が泣き喚いている時、


「お"い、命令だ、僕たちを安全に着地させろ」


とミチルはオーブに向かって命令した。そのおかげで、乗っていた高速道路の破片が落下寸前でふわりと浮いて、死なずに済んだ。ミチルがバタリと床に倒れる。


鉄骨とか、コンビニの看板とか、とにかく色んなものの破片が落ちていて、ゴミだらけの地球になってしまった。視界を遮るものは何一つなく、元文明の破片たちと、私たち2人だけが地球に静かに佇んでいた。


さっきまでは万物が回転し、風の音がごおごおと鳴っていたのに、今の地球は無音だった。地球は死んだのだ。


「す"、すまない、本当にすまない、ナダラ。僕のせいで地球が…」


「滅んじゃいましたね…。こうなってしまうと呆気ないというか…」


2人の会話が、無音の地球にぽつりと浮かぶ。


「こんなものに手を出した僕が悪かったんだ、地球にあっていいものじゃない。ナダラの言う通りだと思ったよ、さっきの。どこで間違えたんだろうな、俺は…」


ミチルは罪悪感のあまり涙を流していた。


「ミチル…」


「少し離れていてくれ、ナダラ。地球を元に戻す」


「…で、できるんですか?」


「あぁ」


彼は覚悟を決めたような、にこやかな顔をして言った。言われたとおり少し離れて彼を見守った。


すると、ミチルは立ち上がって自分の胸のオーブを掴み、引き抜こうとした。耳がおかしくなるほど大きな、バチバチという轟音をたてていた。


「うがあ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ」


ミチルは痛みに耐えながら、悲痛な叫びを響かせていた。


「ミチル?!何やってるんですか!」


叫びながらミチルがオーブを、がぽりと胸から引き抜くと


「命令だ、地球を1日前の状態にしろ」


と言い放った。たちまち、空の曇天が晴れ、元の地球に組み上がっていった。粉々の万物が、元の位置に戻っていく。私たちがいた場所は元々は路地裏だったようで、私たちの周りが路地裏として組み上がっていく。


「ミチル、なんて無茶を…」


ボロボロのミチルの頭を膝に乗せて、ミチルを横にした。


「僕が悪いんだ、このくらいの罰は受けるべきだったんだよ」


そう言いながら、咳き込む。咳は止まらなくて、口から多量の血を吐いた。当然と言えば当然だ、胸に穴が空いていて、ヒビも入っている。


「大丈夫ですか?!ミチル!どうしよう…近くの病院ってどこだったっけ…」


「いや、もうそう言うレベルじゃないだろう。人間の体かどうかすら分からないからな…。これに頼るしかあるまい…」


彼がオーブに向かって命令する。


「僕の体を治せ」


けれど、いつまで経っても治らなかった。よく見ると、オーブは輝きを失っていた。


「なぜだ、なぜダメなんだ!クソッ!オーブが光っていない?エネルギーが切れたのか?!」


「そ、そんな!どうしてこのタイミングで?!」


「きっと、エネルギーを使いすぎたんだ。ろくに実験もせずに力を使いまくったからな、無計画の僕が…」


「そんな!そんなぁ!嘘だと言ってください!やっぱり病院を探します!もしかしたら助かるかもしれないでしょ?もしかしたら…」


「いいや、無理だろうな。ははは、こんなになっても僕の体ではあるんだ。そのくらいわかるさ。それより、最後に聞いてくれないか…」


「最後だなんて言わないでください、ミチル…」


「ずっと楽しかったよ、ナダラといる時は。なんて退屈な世界なんだと思っていたけど、ナダラと会ってから、ほんとに楽しかった」


「私もですよ…。ミチルに会う前までずっと人生辛かった。けど、ミチルのその性格に救われたんです。ずーっと言いたかった、ありがとう」


もう涙で前が見えなかった。涙がミチルの顔にぼたぼたとぶつかるが、そんなことをかにする余裕はなかった。ただただ感情を曝け出しあっていた。


「その性格が世界を滅ぼしかけたんだけどな…、ははは。笑えないな…。

死にかけてやっと日常の面白さに気づくなんて…。もし次があるんだとしたら、そのときは…」


最後まで言い切る前に、ミチルはこときれた。ミチルであって、ミチルではないこの体が私の膝の上に残っている。




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