第十話 浄土への道を拓け 後編

 善光寺に出立する二日ほど前、ハンチングのバンとタグが荷物をもってやって来た。

「これを先生に献上しろと父に言われたので持参しました。」

 包みを開けてみると左三つ巴の紋様の有る朱色の袈裟が5りょう入っていた。

 朱色は価値の動を意味する。いわゆる天照七種の動を執るものが着ける袈裟なのだとヒンジは理解している。

「何故これを我々に?」

 ヒンジが訪ねた。

 父親はこれを先生方に是非纏って欲しいとの強い思いがあるという。その訳を聞くと、バンが説明を始めた。

 最近の自分たちの行動を見ていた父親は、その変化に大きな喜びを感じていた。 

 その理由を二人に聞いたところヒンジの所に出入りを許されたことが要因と知った。

 これはその師に絶対的なお礼をしなければいけないと強く認識した。

 どうやってお礼をしようかと日々悩んでいたところ、ある日父親の夢枕に阿弥陀如来が立たれてこう申されたのだという。


「バンとタグの親として二人が師事する師に感謝を表するは良きこと。

 その思いを形として表すなら朱の袈裟を献上するがよい。

 この袈裟は師らの大きな助けとなろう。」


 父親はこのような経験は初めてで驚いて飛び起きたのだという。

 とにかく興奮して体の震えが止まらなかったらしい。

 わざわざ阿弥陀如来が夢枕に立たれるとは、その重要性をもの凄く感じ、父親は矢も楯もたまらず直ぐ知り合いの業者に袈裟を注文し作らせた。素材は最高級の正絹にした。

 以上がバンの説明だった。

 袈裟は一見して高価なものと直ぐわかる代物だった。

 近いうちに必ず父親本人が改めてお礼に来ると言っていたと付け加えた。

「お前の父親って一体何者なんだ?」

 バンはちょっと口ごもったが口を開いた。

「実は国の議員をしています。」

 皆は信じられないといった顔つきで互いを見た。自分達は百八玉の数珠を貰ったと言った。

「やっぱりとんでもないボンボンだったんだ。」

 ヒンジがにっこりした。

 タグの父親はバンの父親の秘書をしていて不慮の事故に遭い亡くなってしまったという。孤児になってしまうバンを不憫に思った父親はタグを引き取った。それ以来タグは弟分となって今に至るのだと言った。

「タグは大変な思いをしたんだね。」

 ヒンジが気遣った。

 タグは何一つ不自由を感じたことはないし、実の子のように接してくれているので十分幸せだと言った。

 そしてバンについては全く疑いようのない尊敬に値する兄だと言い切った。

「タグは自分より学校の成績がいいんです。」

 バンはタグを持ち上げた。タグは首を振った。


「この二人、雲上殿の祭儀でヒンジの剣持ちの脇侍とするがよい。

 ただし法を使うことはさせぬように。」


 千手観音だった。

 とはいえもう坊には宿泊できない。どうしようと思案していると、自分たちは祭儀後に帰るから大丈夫だと言った。

 帰ると言っても遅くなるし列車があるか分からないだろうというと、父親の車が迎えに来るので大丈夫だと言った。

 ヒンジ達はなるほどと頷いた。


 ヒンジは朱の袈裟の本来の意とは何か阿弥陀如来に尋ねた。すると千手観音が阿弥陀如来に代わって返答した。


「この袈裟を碧淳空へきじゅんくうの袈裟と言います。

 碧淳についてはご承知の通りです。

 これに続く空は、三輝一動にして成る正法が空のこと。

 本来空とは器の中との意です。

 器は小さなものから大きなものまでその容量は様々です。

 ここに言う空は無限に広がりゆく大きさの器です。

 この朱の袈裟はこの器の中にあって八幡子としての大役に勝するものへの瑞宝なのです。」


 瑞宝とは神からの賜りもののことである。

 ヒンジは雲上殿に於ける祭儀にこの袈裟を纏い全身全霊で臨む思いを新たにした。

「袈裟は有難く頂戴するよ。お父さんに宜しく言っておいてくれ。」

 ヒンジの言葉に二人は安堵したようだった。

「善光寺、よろしくお願いします。」

 二人は丁重に挨拶して帰って行った。


「驚いたね。代議士の息子だったんだ。」

 タクトが言った。するとタスクが、やっぱりあの二人はちょっと世間ずれしていると言った。

 何となくみんなが納得してしまった。


「和釘を35本作られたし。」


 善光寺に行く前の日の早朝、突然千手観音からの指示があった。吸い込みの枠取りをするお花を一枚ずつその和釘で止めるのだという。


「白菊を10本用意されたし。」


 次の指示が出た。

 それぞれの前に2本ずつ立てよと言う。菊は「喜九」と書ける。それが10種、つまり正輪と成る。この祭儀をそこにつなげるのだという。


 ヒンジは早速和釘の制作に取り掛かった。

 お花に打つ釘だからサイズは小さい。小さいものはそれなりに技術を要するのだった。

 しかも35本は結構な数だ。しかしこれは最優先でやらねばならないことと自認していた。

 休憩時間も取らず、にぎり飯をほおばりながらの作業だった。夕刻前にはどうにか完成させることが出来た。

 白菊も用意した。

 いよいよ明日善光寺に向けて出立する。


 一行は長野行の列車に乗った。

 前回と同じく横川の駅で釜めしとお茶を購入した。

「ババァ、そこは俺の席だ。さっさとどけや。」

 荒々しい怒鳴り声が聞こえた。角刈りで、いかり肩で、 風体のでかい見るからにやくざ風の中年男がそこにいた。

「ここは自由席のはずですが。」

 怒鳴られた夫人が震えた声で抵抗を見せた。

 しかしその男はこの列車に乗るときは必ずここに座っているんだと、誰が聞いても納得できないことを平然と言っている。

 夫人につかみかかり無理やり席から引きずり出そうとした。

 その席の周りにいた乗客は体をすぼめて見てない振りをしている。

 見かねたヒンジが立ち上がろうとした。すると誰かがヒンジの肩をおさえた。振り向くとそこにバンとタグがいた。

「先生は今大事が控えています。ここは我々が。」

 そう言って二人はやくざ風の男のそばにすたすたと近づいた。

 すると有無も言わさずバンが夫人を掴んだ男の腕を逆手に取った。男が後ろのめりに体勢を崩した。

「何するんだ、てめ-!」

 男が凄んだ。

 そしてバンに殴りかかろうとした。するとタグがその腕を瞬時に掴んだ。

「痛てて!」

 全く二人の動きは静かであった。

 ヒンジの作業場に殴り込んできたあの時の動きというか、言葉遣いというか、仕草は全く違っていた。

「場所を変えましょうか。」

 バンが男に語り掛け、まるで連行するような感じで男をその場から連れ出した。

 ヒンジの傍を通り過ぎようとしたときヒンジが二人に言った。

「鉄槌は本尊に任せろよ。」

 これは護衛をしたいと言った時にヒンジから言われた言葉だと思い出した。

「承知してます。ありがとうございます。」

 二人はヒンジに頭を下げた。

 その後どのように解決したのかその時は分からなかった。長野に着くまで二人はヒンジの所には戻って来なかったのである。


「あの二人、護衛を申し出たりしたし、やっぱり只者ではないみたいですね。」

 センショウがやや興奮気味に言った。

 政治の世界にはいろいろな解決方法があるだろうから、二人はその要領も知っているんだろうとヒンジが言った。

 言掛りをつけられた夫人がヒンジ達の所にやって来た。

「先ほど助けてくださったお二人はあなた様方のお連れの方ですか?」

 ヒンジが頷くと夫人は何度も丁寧に頭を下げお礼を言った。


「様子見だろうけど妨げが始まったのかもしれないね。」

 ヒンジがぽつんと言った。

 今回はあの二人の対応で事なきを得たが、これからどんなことが待ち受けているのか、気を引き締めないといけないと思いを新たにした。


 一行は宿坊に到着した。住職が満面の笑顔で迎えた。

「お子さんがお生まれになったとか、おめでとうございます。」

 住職からお祝いを言われた。ヒンジはお礼の言葉を返した。そして夕食後に雲上殿に出向き祭儀をすると伝えた。

 住職はちょっと驚いた風だったが、内容を聞くことはなかった。

「お花はご利用ですか?」

 ヒンジは頂戴したいと伝えた。

 雲上殿の前庭には明かりがないのでランタンを何個か持っていくといいと勧められた。

「ありがとうございます。お借りします。」

 住職の気遣いは有難かった。

「お帰りになったらお清めでも致しますか。」

 重ねての住職の心遣いが嬉しかった。

「無事にお務めを果たされますようお祈りします。」

 住職はヒンジ達が相当の思いを持ってその祭儀に臨むのだろうことを察したのだ。


 暫くすると参拝同行の人たちがぽつぽつと宿坊にやって来た。

「お疲れ様です。体調は大丈夫ですか?」

 年配の人が多いのでタクトは体調を気遣いながら名簿と照合した。その内バンとタグもやって来た。

「やあ、お疲れさんでした。対応してくれてありがとう。兄貴が部屋で待ってるよ。」

 タクトの言葉に二人はほほ笑んで頭を下げた。

「待っていたよ。お疲れさん。こっちに来てお茶でも飲んでくれ。」

 ヒンジが二人に声をかけた。

「先生、差し出がましい振舞いをして申し訳ございませんでした。」

 バンがヒンジに向かって頭を下げた。

「何を言ってるんだい。二人のお陰で助かったよ。ありがとう。」

 二人には鉄槌は本尊に任せろとか言ったけど、自分があそこに行ったら殴っていたかも知れないと冗談交じりに言った。

「あの後はどう処理したんだい?」

 そう尋ねるとバンは照れくさそうに言った。

「どこの組の親分さんですかって、そう聞いただけなんです。」

 それを聞いた相手は何故かビビってしまい、その後は全く大人しかったと。そして長野駅を降りた時、二度とあのようなことはしないと約束させたという。

「口約束なんですけどね。」

 バンとタグが畏まってはにかんだ。

「様になってたよ。」

 タスクが口をはさんだ。

「お恥ずかしいことです。」

 バンが返答した。

「今日、二人には大役がある。よろしく頼むよ。」

 ヒンジがそう言うと、

「命を懸けてお役を全うする覚悟です。」

 二人が同時に同じ言葉で返答した。

「そう硬くならなくても。」

 テグスが二人にそう言ったが、ヒンジはその覚悟は全員が持たなくてはいけないとたしなめた。


 夕刻には参拝者全員が揃った。

 内仏殿で住職のお着参りと称する法要があった。それが終わると住職が振り向いて説教をした。

「皆さん、本日はようこそお越しくだされました。ありがとうございます。」

 そう切り出した住職はヒンジとの出会いの経緯を話した。

「これがご縁というものなのですね。ありがたいことです。

 今晩はごゆっくりおくつろぎください。

 このご縁を頂けましたこと、阿弥陀如来さまに心から感謝いたしております。」

 住職はそう締めくくった。

 説教が終わると執事がやってきた。明日の日程の説明があった。

 朝六時には宿坊を出て本堂に向かうという。やはり善光寺の朝は早い。


 夕食が大広間に用意されていた。お膳の上には精進料理が所狭しと並んでいる。般若湯も出た。皆、にこやかに箸が進んだ。


「さて、出かけるか。」

 食事を終え一休みしたところで、ヒンジが号令をかけた。

 いよいよ雲上殿だ。

 宿坊を出ると雲行きが何か怪しい。遠くに稲光が見える。

「もう待ち構えているようだ。」

 ヒンジがつぶやいた。

 その途端に仁王門の方から突風が吹いた。大本願の大きくて太い松がその枝を揺らした。

「いきり立ってますね。」

 タスクがヒンジに向けて言った。するとヒンジの目つきが別人のように鋭くなっている事に気付いた。その様子を見ていたテグスが言った。

「先生は既に戦闘モードだ。」


 七人はまず本堂に向かった。勿論阿弥陀如来に仁義するためだ。

 参道を無言で進む。

 参道には既に人影が全くなかった。

 右手に安置されている六地蔵が一行を見守っているように感じた。全員で六地蔵に一礼をした。

 三門をくぐり本堂の前に立つ。

 ヒンジを先頭にして整列し深く一礼をした。

 ヒンジが仁義を口上する。

「我ら八幡戦士とその一行、弥陀聖尊に仁義奉る。

 聖尊が願う「浄土へとつながる新しき道」この後、雲上殿に向かいその前庭にてこの道に通ずる大根を作らん。

 こが為、本日一同をして参らせしむ。

 聖尊の意の叶うべく、

 一意専心、懸命の義をもって祭儀いたすと申し上げ奉る。

 聖願せし 八幸聖願

 いざ 出陣」

 全員で一礼した。


ドン ドン ドン ドン!

 何処からともなく太鼓をたたく音がした。まるで陣太鼓のように聞こえた。


「碧淳の人よ

 我が願いに応えたる姿勢に 感謝する

 我も共に戦えり

 祭儀成就を聖願す」


 阿弥陀如来の声だった。

 全員に伝えた。

「阿弥陀さまが共に戦うって、凄いね。」

 タクトが言った。

「それだけどうしようもない私念が沢山いるということなんですかね。」

 テグスが高ぶる気持ちを抑えながら言った。それを聞いたヒンジは阿弥陀如来の役について語った。

「阿弥陀さんは、慈悲が通じない厄介な相手であっても慈悲で対応するという戦い方をしている。

 御霊を安らぎにつなげる為に。それが正大輪の在り方だからね。

 だからここで俺たちと一緒に祭儀するという話ではないよ。

 阿弥陀さんと俺たちでは立場が違うんだ。」

 ヒンジの言葉に二人はなるほどと頷いた。

 一行は雲上殿に向う。


 雲上殿の入り口に着いた。

「雲上殿はこの上だ。」

 目の前にやや急な石の階段がそびえていた。辺りには明かりがなくほぼ真っ暗の状態だ。時折光る雷光が足元をわずかに照らした。

「やはり暗いな。住職さんにランタンを借りておいて良かった。」

 ランタンを灯した。足元がほんのりと明るくなった。

「この石階段を上がるぞ。」

 階段の上を照らしてみたが上りきったところが見えない程段数が多い。

 手摺もない。

 ランタンの明かりを頼りに一段一段しっかり踏みしめないと足を踏み外してしまいそうだ。

「気を付けないと一寸滑りやすいな。それにしてもなんでこんなに静かなんだ。」

 タクトがつぶやいた。そう口にしたくなるほど不気味に静まり返っていた。

「油断するなよ。」

 そうヒンジが言った瞬間、近くに雷が落ちた。メキメキと木が割れる音がした。焦げくさい臭いがする。

 遠くにあった雷雲がいつの間にかヒンジらの真上に来ていたのだ。

「また来るぞ!」

 しかし一行は階段を上がる歩を止めない。あと一息で登りきるところまで来た。そこに二発目の落雷が来た。

「おっと、危ない。」

 センショウがバランスを崩し、足を踏み外しそうになった。

「ビビるな。ビビったら負ける。」

 ヒンジが発した声に反応したかのように今度は風が渦を巻いた。

 枯葉を巻き上げている。

 その渦に巻き上げられた小石が体のあちこちに当たる。しかし誰も声を上げない。全員が階段を上り切った。

「祭儀する場所はあそこだ!」

 ヒンジが指差した。

 皆はヒンジの指示に手際よく準備を始めた。

 ここに来るに当たって事前に役割分担を決め、その動きをリハーサルしていたのだ。

 ましてやヒンジは阿弥陀如来に連れてきてもらっている。

 この前庭はその時見たそのままだった。だから何の迷いもなく指示を出せたのだった。


 ヒンジが住職から渡されたお花を置く。すかさずテグスが和釘を刺す。

 徐々に吸い込み口としての形が作られて行く。

 抵抗する私念などは当然ただそれを見ているだけではなかった。

 次の抵抗を仕掛けた。

 枯れ枝がヒンジ目掛けて飛んだ。

 それを瞬時に感じ取ったヒンジは大日如来真言を唱えた。

「アーンク・ソワカ」

 すると白い光が突如現れ、その枯れ枝を弾き飛ばした。

「今のは一体何だったんだ!」

 たまたまその光景を見たタクトが目を見張った。

「脇見するな! 自分の役をこなせ!!」

 ヒンジの檄が飛んだ。

 しつらえが終わった。全員が配置に着く。

「懸命の義をもって祭儀いたす。成就聖願」

 そう言ってまずはそれぞれが朱の袈裟を纏った。

 続けて右手に両刃の剣を左手に数珠を持った。

 バンは七枝の剣を、タグは両刃の剣をそれぞれ構えてヒンジの両脇に立った。

「確認だ。バンとタグは数珠を首にかけたか? 数珠がお前らを守ってくれる。」

「はい!」

「俺が手を伸ばしたら剣を渡せ。

 何があっても決してその場から動くな。

 不動の姿勢を貫け。

 それからくれぐれも言う。俺たちに真似て法など絶対に切るな。

 絶対だ。

 いいな!」

 ヒンジは厳しい口調で二人に言い渡した。これは千手観音との約束なのである。二人は「承知」と返事をした。


 五人が一礼をし、三・三・三と柏手を打った。

 頭上では様子見なのだろうか稲光を発する黒雲が渦を巻いている。

 ヒンジが改めて雲上殿にお祀りされている一光三尊に向けて仁義を口上した。


「三輝一動に基

 天の清浄を願い 地の清浄を願い

 我ら天地が間にありて 六根清浄となるを志す

 正大輪の正動は 正法正動成就が為の大事なり

 そこにおわされし本尊に南無察し

 淀み羅動と化した私念と諸霊の清浄転化が為 

 ここに大根 設けいたす」


 ヒンジが左手を伸ばし両刃の剣を手にした。

 五人は天地四方を切り、続けて天地四方八方を切った。

 右手を伸ばし七枝の剣を手にした。

「四方拝」

 片手で東の天を突いた。

「聖七光 正動真勝が的」

 テグスが発した。

「ホー ホー」

 ヒンジがそう発声して二度東の天を突いた。

 続けて南、西、北、芯中を突いた。

 突き終わったその時だ。


「受け流し、構えよ!」


 千手観音がヒンジに指示した。

 ヒンジはすかさず左手の両刃の剣で受け流しの構えを取った。

 キーン キーン

 二度金属音がした。剣に硬いものが当たったのだ。明らかに小石が当たった音だ。

 どこからかつぶてで狙われたのだろう。

 千手観音の指示がなかったら間違いなく頭を直撃されていた。


「両刃の剣を吸い込み中心の塩の所から地中に向けて刺せ!」


 千手観音の指示が続けて出た。


「七枝の剣の柄で両刃の剣の柄を六度打ち更に刺し込め!」


 ヒンジは指示されたとおりにした。すると、

「リン ピョウ トウ シャ ・・・」

 このタイミングでタクトが九字を切り始めた。

 タクトに千手観音が指示を出したのだ。

 続けてタスクが「天照クサナギ」を切った。やはり指示が出たのだ。


「剣の柄の端から聖水をしたたり流せ。」


「薬師如来正動」

 ヒンジがそう言って聖水を流し始めるとセンショウが阿弥陀経を唱え始めた。タスクとテグスとタクトもそれに倣った。


「ここに浮遊する諸霊位に申す。」

 ヒンジが口上をし始めた。

 するとその口を封じようとしたのか、また礫がヒンジを目掛け飛んできた。


「アーンク・ソワカ」

 ヒンジは七枝の剣を正面に構え再び真言を唱えた。

 白い光がまたそれを弾いた。

 しかし金属音がした。

 白い光が弾かなかった礫が七枝の剣に当たったのだ。音は三回した。

 礫の数を相当増やしたようだ。

 とにかく相手は聞く耳を待たない。


「我が思いの邪魔建てをするか!」

 抵抗する私念の声が聞こえた。


「我らは八幡子。

 そなたらも同じ八幡子。

 なれど、そなたらの今の在り様は我らが母なる八幡神を苦しめていることを承知か。」

 すると物申してきた私念が姿を現した。鎧兜を身に着け太刀を抜いている。

 その周囲には取り巻きが大勢いる。

 別の所には違った集団が点在している。良くは見えないがそれぞれ身に着けているものが異なっているようだ。

 年代や国柄も異なっているのかも知れないとヒンジは感じた。


「心を静め、魂の安らぐ所へ行きたいとは思われんか。」

 ヒンジが問いかけた。


「片腹痛いわ。」

 凄みの有る物言いで返答してきた。

 するとひょうが激しく振ってきた。

 落ちた時にバタバタと音がする。

 2センチ大はあろうか。みるみる雹は積もり始めた。


「恨み辛みで羅動と化し、その恨みを晴らさんとして望みは叶ったか。」

 ヒンジは問いかけを続けた。


「叶わぬ故このようにしておる。

 この思い、お主らに分かろう筈が無いわ。」

 私念が太刀を振りかざした。

 ヒンジはすかさず腰に差していた両刃の剣を抜いた。そして振り下ろしてきた太刀を振り払った。

 すると周りの取り巻の衆から矢が一斉に放たれた。


「結界!」


 そう千手観音の声が聞こえると、先ほどの白い光が七人の頭上を星形に飛んだ。

 その軌跡が残像している。

 放たれた矢はこの残像にことごとく跳ね返された。


「そなたらの思いを察しは致す。

 されどそれはやんごとなき。

 そなたらに勝ち目の無しは明らか。

 滅か点か、さあ、どちらを選ぶか。」

 ヒンジがまた問いかけた。

 この滅とは消滅を意味する。消えるということになる。

 点は火をともすとの意である。正大輪の中で再び命の火を点すことが叶うとの意があるのだ。


 ヒンジは七枝の剣を正面に構えた。左手には両刃の剣を持っている。

「如何に。」

 他の四人も両刃の剣を構えた。

 ヒンジは点と返答があれば七枝の剣で七切を施法して正大輪につなげようと考えていた。

 すると一つの赤い光を放つ球が遥か上空に現れ旋回し始めた。

 円は段々大きくなっていく。球もそれにつれて大きくなり始めた。


「襲ってくるぞ。大日如来真言」

 ヒンジが号令を出した。

 しかし間に合わなかった。

 既に赤い球から大量の赤い粒が雨のように降りだしていたのだ。

 その粒は地面をたたきつけ始めた。

 粒に打たれた地面は熱を持ったように赤い湯けむりを上げる。

 かろうじてヒンジたちの上には先ほどの結界がまだ力を保っていて粒を弾いてはいるが、結界は徐々に破られ始めている。

 とうとうヒンジの上にも降ってきた。

 ヒンジはそれを両刃の剣で弾いたが、そうそうは避けきれる状況ではなくなった。もう一度真言を唱えようと思った。


「七枝の剣で両刃の剣の柄を今一度強打せよ!」


 千手観音が咄嗟の指示を出した。

 ヒンジは柄を強打した。

 すると吸い込みの枠が上空に向かって三角漏斗さんかくろうとのように広がりながら上昇してくではないか。

 赤い粒がどんどんその中に吸い込まれて行く。


「七枝の剣であの赤玉を切れ!」


 続けざまに指示が出た。

「七種正護妙法真勝」

 ヒンジが天照クサナギを切った。

 赤玉が光を放って二つに割れた。

 私念の点を願ってのクサナギだった。

 しかし赤玉の中から黒い煙のような塊が出てきて、上空でまた旋回し始めた。


「如何様にもそなたらの言は聞かん。」

 黒い煙のような塊は憤怒の相となり大きく口を開けた。

 次の攻撃を仕掛けてくるのだろう。

 そう判断したヒンジは剣を左右持ち替えた。

 祖父の言葉を思い出していたのだ。


「波切」

 両刃の剣で波切をした。

 四人もそれに倣った。

 切っ先から白い光が放たれ、黒い煙のような塊を切り裂いた。

 煙が消滅していく。

 その塊はもうなす術がなかったようだ。

 この一連の在り様を伺っていたその他の集団は鳴りを潜めた。


「そなたらに負け申した。我らを縛されるがよい。」

 太刀を振ってきた私念が太刀を投げ捨てた。しかし無念の思いが激しいのだろう、表情は怒りに満ちている。


「そなたらは何故ここに居られたか。」

 ヒンジが尋ねた。


「我はこの地の国人なり。

 この地の安寧を願い宿縁の役を果たしてまいった。

 しかし甲州の策略にはまり無残に滅ぼされた。

 この恨み辛みは忘れようもない。

 何時しか仇を討たんが為ここに陣を張って居った。

 うぬらを甲州の手先と思うた。」

 そう言った。

 甲州の手先と思った理由は、無理やりともとれる吸い込みを設けて我らを抹殺するために来た輩と認知したからで、これを戦わずして如何なるかと弁明した。

 それを聞いたヒンジは祭儀の主旨を説明した。


「この地には善光寺がある。

 阿弥陀如来さまがおられる地。

 そなたらは如来さまの役を滞らせている。このこと承知か。」


 私念は怒りの表情が強くなった。

「滞らせるなどそのようなこと、あろう筈はない。我はこれまでずっと如来さまに帰依して参ったのだ。」

 私念は開き直った。


「たわけたことを言う。帰依とは如何なることか、答えられよ。」


 本堂が朽ちてくれば火災を起こして再建させた。

 そうすればその都度仏具や装備品なども新調されると言った。

 執事がこれまでに何度も本堂は火災に見舞われたと言ったことを思いだした。


「それが誠の帰依なのか。」


「そうだ。それが我が帰依の姿勢だ。」

 私念は敗北を認めながらも怒りと強気の姿勢を崩さなかった。


「それを自己満足という。

 まずは弥陀聖尊の役とは何か。

 それを心得ればそなたの所業は聖尊の心の内をもてあそんでいるに等しいと気づくだろう。

 如何なる理由があれ本堂に火を点けたそのことに弥陀聖尊が何を思われたか考えたことがおありか。」

 私念はその言葉に衝撃を受けた。流石に真面な返答ができなかった。


「喜んでおられると思っておったが・・」

 私念の怒りの表情が不安の表情に変わった。

「聖尊のお気持ちは如何なるものか教えていただきたい。」

 変化を見せた。

 受け入れる姿勢が見て取れた。


「聖尊の役を心得て初めて帰依することが叶う。

 帰依とは、南無察すること。

 聖尊のお心を知って、そのお心と共に自らが在ることが帰依なのであって、そなたらがやってきたことは如来さまへの造反である。」

 手厳しかった。


「我らこれより如何様に在ればよろしいかをお尋ね申す。」


「恨み辛みは力によって晴らすものに非ず。

 自らが清浄に転化し八幡子として正位と在れば正大輪正動を願う聖尊と一意になれる。

 これにより自らの価値を自認することが叶い、恨み辛みは過去のものとなる。」


 私念はうな垂れてしばし沈黙していた。

「清浄に転化したい。

 お力をお貸しいただけぬか。」

 私念はヒンジに頼った。


「ならば、武士の情けならぬ八幡子の情けとして一同面々に申す。

 刀を置かれてこれにお並びあれ。

 天照様の『生』の力を頂き点と叶うべく七枝の剣にて七切を致す。

 後はこの吸い込みに入り阿弥陀如来さまにおすがりなされよ。

 そこで転化の叶うかはそなたらの心持ち次第。」

「お願いいたす。」


 ヒンジの前に多くの私念が集まった。

「七種正護妙法真勝」

 ヒンジが七切を施法した。

 私念が纏っていた殻が切り裂かれた。

 私念たちは自ら吸い込みに入って行った。


「阿弥陀経」

 ヒンジが号令をかけた。

 ランタンの明かりがぼんやりと照らす雲上殿の前庭に読経する声が響いた。


「大根がここにできたな。」

 ヒンジがつぶやいた。


「我が願いの叶い足り。感謝する。」


 阿弥陀如来の声が聞こえた。

「光切り」

 今回の祭儀は多くの本尊の力が協働した。

 その本尊に対して感謝の思いが溢れそうになった。

 三・三・三・一と柏手を打って一礼し祭儀を終えた。


「あの白い光は誰だったんですかね。あの光に助けられた。ありがたかったね。」

 タクトが言った。

「あの時『タケル参上。』って声が聞こえたんだ。

 多分八幡さんの片腕の眷属だよ。

 大日如来さんと連携したんだよ。

 八幡さんと大日如来さんにお礼を言わなくちゃね。」

 ヒンジはにっこりした。


「バンとタグもよく頑張ったね。もう自由にしていいんだよ。」

 ヒンジは直立不動でその場に立ちっぱなしだった二人に声をかけた。それを聞いた二人は大きく息を吐いた。

「お疲れさまでした。同動させていただきありがとうございました。」

 二人はヒンジらに向かってお礼を言った。

 皆は帰り支度を開始した。

じきに迎えの車が来るはずです。先生と皆さんはその車で先に宿坊へお帰りください。」

 ただ乗車定員があって全員が一度に乗りきれないので、誰かひとりは自分たちとここで待ってもらわないといけないとバンが言った。

「それは有り難いね。助かるよ。

 で、誰が残る?」

 するとタスクが言った。

「自分が残ります。」

 やがて車が来た。ヒンジ達はタスクたちを残して先に宿坊へ向かった。


「タスクさん。

 先生にはまだ話していないんですけど、自分達は思うところがあって僧侶になる修行をしてきたいと思っているんです。

 もう修行先も決めたんです。」

 バンがそう言った。

「えっ! そうなんだ。

 びっくりだね。またどうして?」

 タスクが驚いて尋ねた。

 答えは単純で明快だった。

 ヒトの役に立ちたい。

 できれば本尊の役にも立てるようになりたいというものだった。

「暫く会えなくなるのは一寸寂しい気もするけど、応援するよ。」

 タスクの言葉に二人は喜びの笑みを浮かべた。

 迎えの車がやって来た。


 宿坊では既にお清めのお膳が用意されていた。住職もそこにいた。

「只今戻りました!」

 タスク一行が到着した。

「お疲れさまでした。さあ皆でお清めをしましょうか。」

 住職が待っていましたとばかりに声を上げた。

 住職は宿坊の名前の付いた地酒をふるまった。

 やや辛口で嫌味がなく口当たりの良い酒だった。

「ここの酒は本当に旨いですね~」

 タクトが味わいながらしみじみと言った。

「お前はほんとに酒好きだよな。」

 ヒンジがからかった。

 笑いがこぼれた。

 バンがタスクに話したことを切り出した。これには皆も驚いたがヒンジは二人を励ました。

「それは良かった。

 行く道が見えてきたようだね。

 修行を終えたらまたおいでな。

 歓迎するよ」

 ヒンジの言葉に二人は涙ぐんだ。

 住職も二人を励ました。

 皆が拍手した。

 二人は深く頭を下げ、別れを惜しみながら帰って行った。


 翌朝の出立時間になった。

 執事の先導で本堂に向かう。

 途中記念写真を撮ったりお上人のお数珠頂戴の儀を受けたりした。そして本堂に入る。

「戒壇巡りをされる方は右手にお進みください。」

 執事が案内した。

 右手を壁に当てた儘にして進むように言われた。

 階段を下りて一寸進むとそこは真っ暗で何も見えなくなった。

「失礼!」

 誰かが前の人に追突したようだ。

 ここは本当に一寸先も見えない世界だった。

 二回ほど右に折れ少し進むと丁度右手の高さの所に鍵があった。

 それを握ってガチャガチャと振る。

 この鍵は浄土につながる鍵だと執事の説明があった。

 皆ありがたいとの思いをもって鍵を握ったようだった。


 法要が始まった。

 阿弥陀経が読経される中、お花が宙を舞う。


「碧淳の人よ

 三輝一動こそが正法が世の正動の要

 既に大根から沢山の根が伸長いたした

 故 正大輪の正動 

 叶いたり

 改めて感謝する」


 阿弥陀如来の声がヒンジにしっかりと届いた。

「我らこそこの度のご縁を頂けましたことに感謝申し上げ奉る

 三輝一動と在るが至福の極み

 弥陀聖尊の本願成就聖願」

 ヒンジが深々と頭を下げた。

 周りの一行はヒンジの返答を知るよしもなかったがヒンジに倣った。


「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 ・・・」

 お上人が御十念を唱え始めた。

 一行もそれに続いた。

 そして法要が終わった。

 お上人と住職たちが退場する。

 皆で散華されたお花を拾った。

「素晴らしいお参りでした。ありがとうございました。」

 最初に善光寺に連れて行って欲しいと言ってきた夫人がヒンジの傍にやってきて頭を下げた。

 他の同行者もヒンジに向かって礼をした。ヒンジも礼を返した。


 一行は宿坊に戻って帰り支度をした。

「今度は是非、奥様とキッショウ君を連れてお越しください。

 楽しみに待っています。

 必ずですよ。」

 帰り際に住職がヒンジの手を握りしめ、力を込めて言った。

 ヒンジも何度もお礼を言って、次回は連れてくることを約束して宿坊を後にした。


 一行はその足で雲上殿に向かった。

 同行者は昨日その雲上殿でヒンジ達が祭儀をしたことは知っている。

 浄土へとつながる新しき道を作るための祭儀だったことも知っている。

 しかしどんな祭儀だったのかその在り様は全く知らない。

 とはいえヒンジはあえて熾烈を極めた祭儀だったなどとその内容を話そうとは思っていない。

 善光寺の参拝を終えて皆が満足してくれている。

 皆がにこやかなのだ。

 だからヒンジはそれでいいと思っている。それが八幡戦士の役だと思っているからである。


 雲上殿に着いた。

 ヒンジ達は前庭を覗いてみた。

 そこは何事もなかったように何ら変わった風はない。

 ただ五人が立っていたその位置には10本の菊がそのまま刺さっていた。

 喜九が正輪と成るために。

 あそこの地の中には大根が出来ている。

 その大根は目立たない存在。

 地味な存在。

 そう言われている存在なのだ。

 あとはしっかりその役を果たしてくれることを願うしかない。

 何故ならそこは神仏が担う領域だからなのである。


 雲上殿の内仏は一光三尊が見える形でお祀りされている。

 一行がそこに入ると香が焚かれていた。

 心休まる香りだ。

 阿弥陀経を唱えた。

 正面のドアの窓から眩いほどの日差しが差してきた。

 一光三尊がきらめいた。


 おわり


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八幡戦士 やまのでん ようふひと @0rk1504z7260d7t

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