第十話 浄土への道を拓け 中編

 ヒンジは木こりの仕事と鍛冶の仕事の両方に追われていた。毎日それこそ時間が足りないと感じる程、一日がすぐに終わってしまうという忙しさだった。

 タスクとテグスも大分仕事に慣れて戦力となっていたが、それでも手が足りなかった。


 そんなある日、例のハンチングの二人がやってきた。

「今日は護摩の日じゃないよ。」

 タスクが言った。今忙しいので二人の対応はできないとも伝えた。

 すると二人は「お構いなく。」と言って勝手に作業着に着替えた。

「お前ら、何やってんだ。」

 タスクの言葉に、何でもいいからお手伝いがしたい。何か仕事をさせて欲しいと言ってきた。

「さっきも言ったようにお前らを構っている暇はないんだよ。」

 やや不機嫌そうにタスクが突き放した。

「給金が欲しいわけではありません。下働きでも何でもいいんです。何でもやります。草むしりだって大丈夫です。お願いです。何か手伝わせてください。」

 二人は丁重に頭を下げた。

「さっきから何をごちゃごちゃやってる。」

 ヒンジがやって来た。二人はヒンジにも同じことを言って頭を下げた。

「君たちは懲りないねぇ。でも気持ちは有り難いと思うよ。折角来たんだから、何か頼もうか。」

 二人は飛び上がらんばかりに喜んだ。

 とりあえず作業場の外に草がはびこってきているので本当にその草むしりでもいいのかと聞くと、全く問題ありませんとの返事。

「ではそれをお願いするよ。」

 との言葉が終わらないうちに二人は作業場の外に行ってしまった。

「あの二人、本当に面白い奴らだなぁ。」

 ヒンジはまたそう言って作業に戻った。


 お昼になった。

 妻が昼飯を運んできた。

「あらまぁ、ハンチングのお二人さんも来てたのね。」

 成り行きを聞いた妻は「それはご苦労様。」と二人を労った。

 すぐ二人の分のお昼を用意すると伝えると、自分たちは持ってきているのでいらないと断った。妻はお茶をさして二人に渡した。二人は感激したように妻にお礼を言った。

「二人は平日なのにこんなところに来て仕事をさせてくれと言ったり、しかも給金もいらないと言うし、不断あんたらは一体何してるの。」

 テグスが二人の顔を覗き込むようして言った。

 しかし二人はその問いになかなか答えようとしない。

「答えられないような訳でもあるんか。」

 タスクが問い詰めた。とヒンジはそれを制しながらこう言った。

「この二人もお前さんらと同じ、多分何処かのボンボンだよ。着ているものを見ればわかる。」

 確かに安物ではない。

 そもそもハンチングをかぶっているなど、そうそう庶民にはいない。

「名前だけでも聞いておこうか。」

 ヒンジの言葉に二人は名乗った。

「自分はバンと言います。こいつは弟分のタグです。」

 実の兄弟ではないという。

 でも小さい時から兄弟のようにして育ったらしい。

 親のしつけは相当厳しかったという。特に悪いことをした時は反省するまで絶対に許してもらえなかった。その教育が今も身に染みていると言った。

 そんな訳で、ヒンジの噂を聞いた時、神様をだしにした詐欺と思い込み、殴り込みをかけてしまったと吐露した。

 そしてあの時の雷は本当に恐ろしくて腰を抜かしたとも語った。

 話の内容はとても素直だった。

 この二人を受け入れてもいいのではないかとの思いがヒンジ達の胸の内に沸き始めた。

「確かに否定していたことが、あることをきっかけに全く反対の立場になることがあるんだな。

 この状況が起こると、これ迄否定していたことを全く否定するようになるらしい。」

 ヒンジはタスクとテグスにそう言って聞かせた。

「自分達は多分それだと思います。タスクさんとテグスさんの下に置いてもらえたら嬉しいです。」

 バンが言った。

 ヒンジは鼻毛を疎んじ、それを八幡神にたしなめられた話をした。

 だからここの仲間であるなら役割の差はあっても、どっちが上でどっちが下という考えは持つものではないと言った。

 しかしお互いに建て方を欠いてはいけないとも言い添えた。

 特に本尊に対しての礼建ては絶対だと。


 ヒンジはここでハッとした。

 ここのところの忙しさにかまけて本尊との約束が後回しになっている。これは礼を欠いていることになると感じた。

「二人との会話で気が付いた。ありがとう。」

 ヒンジは二人にお礼を言った。二人はきょとんとした顔で唖然とした。


 午後の作業が始まった。今日の分の仕事はきっちりとこなした。

「お疲れさん。外もきれいになったね。ありがとう。皆で夕飯でも食うか。遠慮はいらないよ。」

 ヒンジが誘った。二人はすごすごとヒンジの後に付いて行った。


 母屋に戻るとタクトが来ていた。ヒンジが戻って来るのを待っていたという。

「今朝方、変な夢を見たんだ。その話を聞いて欲しくて来たんだけど。」

 そう切り出した。

 ヒンジはバンとタグが仲間内となったとタクトに言った。

 タクトはいずれそうなるんじゃないかと思っていたと言って二人に向けてにっこりした。

 ただヒンジは弟子という言葉は使わなかった。


 タクトが夢の内容を語り出した。

 場所は何処だか分からないが大きな底なしの真っ暗な穴が開いていて、その穴に人型をした人形のような得体のしれないものが飛び込んで行くような、吸い込まれて行くような、そんな夢だったと言った。

 大根に通じる何かがあるかとヒンジに聞いた。

 ヒンジはしばらく考え込んでいた。

 結果としてよく分からないと答えたが、何かのヒントになるかも知れないと思えた。


 タクトの「吸い込まれて行く。」との言葉が引っかかった。

 薬師如来は「毛根に吸収。」という言い方をした。吸収とはつまり吸い込むことだ。

 大きな黒い底なしの穴。

 吸収。

 これが大きな二つのキーワードになると思った。

「タクト、でかしたかもしれないぞ。」

 ヒンジは何かに考えが及んだようだった。

 タクトは嬉しそうだった。


 妻が夕餉を運んできた。全員の分が用意されていた。

「今日は大したものがないけど、我慢してね。」

 妻が言った。

 美味しそうな天ぷらが大皿に山盛りになっている。揚げたてのようだ。

 いい匂いがして食欲を誘った。

 バンとタグの腹の虫が同時に鳴った。

「二人は仲がいいんだな。一緒に鳴かせてやがる。」

 ヒンジが構った。

 皆が笑った。


 この夜ヒンジはなかなか寝付けなかった。

 いつもは目一杯働いて、それこそくたくたになっているので寝床に入れば直ぐに寝付くのだが、この日は違った。

 すると千手観音の声が聞こえだした。


「薬師如来が言う血流は身体健康が為の第一です。」


 確かに血流が滞れば体調が不良になる。栄養分を運べず抗体も不活性になる。

 実際に血液が働く部位は殆どが毛細血管内だ。


「血流を正常に保つのは薬師如来の役と考えることが出来ます。」


 体を健康に保つには血の巡りをよくするという話には同感だ。

 それが健康を司る薬師如来の役目であることも理解できる。


「とにかく血流を滞らせないことで全身の臓器全てが正常に働いて、連携ができて、調和して健康は保たれるのです。

 このことを考慮して大根を考えるとよろしいでしょう。」


 千手観音も体に例えての説明だった。

 初めて八幡神が話してきた時も体の話だった。やはり体の成り立ちと宇宙の成り立ちは同じなのだと改めて思った。


「薬師さんが言った本体とは阿弥陀如来さんだ。

 だから大根は阿弥陀如来さんのおひざ元に設けるのがいいんだろうな。

 そこから毛根を伸ばす。

 体の各部位に行き渡る毛細血管のように。

 そしてその各部位との協調とはそれらを正常に働かせるという役を担っている沢山の本尊とも協調しないと結果は出せないということなんだろうな。

 どのような本尊がいるのかな。」

 益々眠気が遠ざかってしまった。

 あえて目を閉じてみた。

 すると善光寺の本堂が浮かんできた。でもその本堂が透けて見える。

本堂の左側に阿弥陀如来の御影が見えた。


「阿弥陀如来さん。」

 思わず声が出た。

 阿弥陀如来が右手をゆるりと上げた。するとヒンジの体が浮き上がり本堂の上を飛んだ。


「俺が空を飛んでいる。」

 びっくりした。

 勿論初めての体験だった。何だかとても気持ちがいい。

 振り向いてみた。長野の夜景が見える。とても奇麗な夜景だ。


 飛んだ先はまだ行ったことがない雲上殿の前庭だった。その前庭には大きな底の見えない真っ暗な穴が開いていた。

 タクトが夢に見た穴がこれかと思った。

「ここに大根を設けよとお示しされたのでしょうか。」

 阿弥陀如来に問いてみたが返事はなかった。八幡神も返事をしてくれないことが度々あった。やっぱり自分で考えろと言うことなのだろうと思った。

 そんなことをいろいろ考えているつもりだったが、知らないうちに深い眠りに落ちていた。


 七の月一の日になった。

 この日も結構観衆が集まった。

 新しい顔も散見される。噂は更に広まっているのだろう。家の中に入れない人もいた。窓や障子も明け開いたままとした。

 今回から身体健康祈願の札木も新たに案内した。

 これを書いた人は多かった。やはり健康は多くの人が願っていることなのだと思った。

 札木は一枚一枚護摩壇に入れた。観衆は皆手を合わせていた。

 祭儀は厳かに進んだ。


「阿弥陀経」

 読経が始まった。

 先祖供養の札木を護摩壇に入れ始めた。炎が紫色に見えた。

 すると正面に祀った御幣の上に黒い穴のようなものが見え始めた。

 先祖供養の札木を焚いた煙がその黒い穴に吸い込まれて行くように見える。


「まさかここに毛根が出来たのか。」

 ヒンジはそう思った。

 大根はまだ設けていない。吸い込まれたものは何処に行ってしまうのだろうと、やや不安になった。


「地を均しています。心配はいりません。」


 千手観音の声だった。

 2種が動き出しているということかと思った。

「7種の陰として2種が作用する。」

 両刃の剣を作成している時に八幡神から言われた言葉を思い出した。

「今日は七の月の護摩だ。」

 均すとは整えと考えることが出来ると思った。

 善光寺に行くのは九の月だ。

 その時に雲上殿に行って大根を設ける祭儀をするのがいいと考えた。


「その地に自縛する私念が吸い込まれまいと渦巻くと心得て在れ。」


 千手観音は警告ともとれる言い方をした。


 一月ほどが過ぎた。

 妻は臨月で腹がはち切れそうなほど大きくなっていた。ヒンジはそのお腹を見ながら別府の旅館で見た夢を思いだした。

 白い雲にのってニコニコとしていた男の子の顔を忘れていない。

「あの子かな。そういえば牙が生えていたっけな。」

 そんなことを思い出していた時、急に妻がうなり出した。

「ヒンジ、産婆さん呼んでおいで。」

 母親が指示を出した。

 こういう時の母親の存在は有り難いものだ。そう思いながらヒンジは急いで産婆を呼びに行った。


 産婆が到着した時にはもう生まれる寸前だった。

「ヒンジはたらいにお湯を張っておけ。」

 また母親の指示が出た。

 たらいとおけが駄洒落にも聞こえて笑いそうになったが、流石にそこはこらえた。ヒンジはとにかく言われるが儘だった。


 お湯を張っていると元気な赤ん坊の泣き声が聞こえた。

「生まれたか。」

 母親が赤ん坊を抱きかかえてヒンジの所にやって来た。

「男の子だ。コウも無事だよ。」

 母親の言葉にヒンジは胸をなでおろした。

 たらいの中の赤ん坊を覗き込んだ。

「男の子で間違いなかったけど、あの夢の子に似てるかどうか分からんな。」

 ヒンジの素直な感想だった。

 それはともかくこの子は八幡神からのご褒美との認識を持っていた。ヒンジはすぐさま八幡神にお礼の言葉を述べた。


「八幡戦士の血を引き継ぐ子です。」


 八幡神の声が聞こえた。

 久しぶりだった。大切に育てることを約束した。

 その為には「浄土へとつながる新しい道」にしっかりと取り組むことが大事と思いを新たにした。


 八の月十五の日。十五夜である。

 月見だんごとススキの穂を縁側に供えた。ご近所から柿と栗を頂いた。

「これもお供えしよう。」

 ヒンジが言った。

 柿は「果喜」、栗は「九理」とも書ける。つまり結果が歓びに、理が九に整うことにつながる、つまり十五夜は豊穣に感謝するということだと説明した。

 皆がなるほどと頷いた。

「今日息子を命名する。」そう言って、ヒンジが奉書紙に名前を書き三宝の上に置いた。


「命名 キッショウ」


 めでたい名だと誰かが言った。

 護摩には相変わらず結構な人数が集まって来る。

 次の九の月一の日の護摩を終えるといよいよ善光寺の参拝である。その為なのか参拝に申し込んだ人たちも殆どが来ていた。

 護摩の前のヒンジの話が始まった。

「阿弥陀如来さまから新たに浄土へとつながる道を開きたいとの託宣がありました。」

 ヒンジはこの話をし出した。

 私念の話になった。

 特に残留する私念が淀むことで災いが生じること。この淀みを清浄とするためには祭儀で解脱を促さなければならないこと。

 宇佐と出雲に出向いたのもそのためだったと話した。

 そして今回の善光寺参拝でこの道を開くための祭儀を計画していることも打ち明けた。良い結果につながるよう最善を尽くすと言った。

 ただこの祭儀は普段自分と祭儀に携わっている者だけで行うこと。皆さんの参加はできないと話した。

 当然何故かとの質問が出た。

 ヒンジは雷に打たれて亡くなった神官の話をした。治めのための祭儀とは本来そういうものだと付け加えた。するとハンチングの一人バンが口をはさんだ。

「自分は先般祭儀ではないけど腰を抜かす怖い思いをしました。想像ですが今回先生が行う祭儀はそんなものでは済まないほどの凄さというか激しさがあると思うのですが。」

 観衆からそんなもんかとの声が聞こえた。ヒンジは理解して欲しいと訴えた。

「ヒンジさんがそう言うなら、それでいいんじゃないかい。ヒンジさん、頑張っておくれね。」

 参拝したいと最初に言ってきた老婦人が言った。皆も概ね納得した雰囲気だった。


 護摩が終了しヒンジが真詞を書き始めた。


「起の年も 8種満願

 これに至るは 三輝一動不動が故 成り

 戦士が役の 成就を願う

 こが為 大根は必須

 あらがう動きは クサナギて良し」

 書き終えたヒンジは大きく息を吐いた。この真詞を読んだタクトが言った。

「何らかの戦法を立てないといけないかもしれないね。」

 しかし戦法といってもどんな戦法があるのか。

 以前の治めは相手が神としての立場やそこに通じる私念や霊体であった。つまり理を通すことが出来る相手であった。

 しかし善光寺の治めは相手が違う。

 浮世に於いて覇権の欲や怨念にとり憑かれて執着し羅動となった私念や霊体なのだ。

 極めて不穏で出方が予測できない相手だ。

 人類は有史の前から殺し合いがある。

 ある日それまで平穏に暮らしていた部族が突然にして滅ぼされてしまう事例は多発していた。

 その原因の多くは専制の保守や領土の拡大、技術や金品の強奪のためである。

 負けた方は無残に殺され又は奴隷となってその生活は家畜以下で、無念の思いから恨み辛みの塊となって死んでいく。

 もはやこの私念などは容易たやすく理を受け入れるとは思えないのだ。


 ヒンジは両刃の剣の制作に取り掛かっていた。刃渡りは一尺二寸の小振りで携帯できるサイズである。

 五振り作るという。ヒンジは瞬く間に作り上げた。

 タクトが百八玉の数珠を持ってきた。

 この数珠は盾の役を果たす所謂いわゆるお守りとなる。

 雲上殿の祭儀に臨むに当たり全員の分の剣と数珠を揃えたのだった。


 護摩の日ではなかったが、弟子全員が集まった。

 一人一人に剣と数珠を手渡した。

「これから皆に天照クサナギと波切を伝授する。」

 ヒンジが皆に向けて言った。

 天照クサナギは護摩の度に行っているいわゆる袈裟切の作法である。

 波切は初めてであった。

 ヒンジはこの前の護摩から今日までの間に千手観音から伝授されたのだという。

 剣の切っ先を左に構え右に切り開く際に三度波を打つように薙ぎ払うという作法であった。

 これを三度繰り返す。波が九に整うことになる。

 剣はいわゆる法剣である。

 理を受け入れないものに対しても強い力でそれを切り払うことができるという。

「波切は恐怖を感じたからといってすぐ切るんじゃないぞ。

 あくまでも慎重でないとね。

 何故って切る必要がないものまで切ったらまずいだろ。」

 ヒンジが強い口調で言った。

 相手をよく見極めろという。どうにも手に負えないときだけだと念を押した。


 更に祭儀の初めのほうで行う天地四方と天地四方八方、そして光切りも剣を持って法儀すると言った。

 初めてヒンジが八幡神から教示されたときのこれらの意を皆に話した。そして皆で動きを練習した。

 一つ一つの動作は丁寧にその意をよく心して邪心などを持たぬことが肝心だと強調した。


「雲上殿の祭儀では自分のことは自分で守る、これが鉄則だ。」

 ヒンジは皆を守ってやれないだろうと言った。それぞれが生きるか死ぬかの勝負なんだとも言った。

 もし同動を辞退したいのならそれは構わない。咎めたりしないと付け加えた。

 辞退したものは誰もいなかった。


「アーンク・ソワカ」


 千手観音が突然ヒンジに伝えた。

 大日如来の真言で除障の加護を賜るのだという。いざという時にこの真言を唱えよとのことだった。

 全員に伝えた。

 それほど今回の祭儀は何があるか分からない危険を伴うものなんだということだ。

 九の月一の日までにしっかりとそれぞれが身につけておくようにと指示した。


 護摩の前の日の夜、ヒンジの夢枕に祖父が立った。

「ヒンジ、剣を持つ構えだが。」

 ヒンジは覚醒した。

「わしが熊を倒した時は利き腕に斧、左に鉈を持った。

 バランスの悪い斧だったがわしの手には馴染んでいた。

 しかし何度も何度も動きを練習しないと思うようには振れなかった。」


 子ザルの敵討ちに行った時の体験談を語り始めた。熊の動きを読んだこと。それに合わせた自分の動きを何度も何度もシミュレーションしたことなどを伝えた。

 最後に臨機応変に斧と鉈を左右持ち替えたことが勝ちにつながったこと。

 これらをヒンジに伝えに来たという。

「おじいちゃん、ありがとう。しっかり役を果たせるように頑張るよ。」

 ヒンジは手を合わせて祖父に礼を言った。


「右手に七枝の剣、左手に両刃の剣を持ってみよう。」

 ヒンジも右利きだった。

 祭壇の所に行って二振りの剣を手にしてみた。

 やはり七枝の剣は重い。

 今までは両手で持って振っていた。だからそれほど重さを感じてはいなかった。だが今回は片手で振る。出来るのか。

「天照クサナギ 七種正護妙法真勝」

 振ってみた。

 切っ先が流れてしまう。

「おじいちゃんの言ったとおりだ。」

 波切をしてもやはり思うようにはいかなかった。

 ただヒンジは鍛冶や山の仕事で十分に体を鍛え筋力はそれなりにあった。

 何度も何度も振っているうちに段々と切っ先と七支の刃先に気が入るようになってきた。

「両刃の方はどう使えばいいんだ。」

 ふと気が付いた。左手は振っていない。


「受け流しを基本とせよ。」


 千手観音が手本を見せた。

 なるほどと頷いた。更に薙ぎ払いや突きも有りだと言った。


「ただ法剣を使うとは、切った相手を縛したり封じ込めたり、あるいは抹殺・抹消が目的ではない。

 基本はやはり「生」である。

 このこと決して忘れまいぞ。」


 草を薙ぎ払っても根こそぎ薙ぎ払うのではない。

 残った根から新芽が出てくる。

 薙ぎ払われた葉は朽ちても新芽の肥やしとなる。

 これが「生」だと言った。

 気が付いたら朝になっていた。ヒンジは徹夜で剣を振っていたのだった。


 九の月一の日 

 弟子たちの集まりは早かった。ヒンジは昨夜の出来事を皆に話した。

「おじいちゃんの姿が目に浮かぶね。」

 タクトが言った。

 勿論タクトにとっても祖父なのだ。父親が早く亡くなって、自分たちが今あるのは祖父のお陰が何より大きいと自覚しているのだ。

「タクト、感傷にふけっている余裕はないぞ。」

 その言葉にタクトは我に返ったようだった。

「頑張んなくっちゃね。」

 タクトの言葉にヒンジは頷いた。


 善光寺参拝を目前にして観衆は多かった。ヒンジは参拝のための心得としての話をした。

「皆さんにお願いです。観光旅行との認識は持たないでください。あくまでも法要に行くということです。」

 阿弥陀如来と、我々の先祖と、これまでご縁をいただいて来た多くの諸霊位に対しての感謝と礼建てのための参拝であるということを力説した。

 美味しい地酒も般若湯との名目で出されるけれど酔うほどは出ないし、お代わりはないと付け加えた。

 「残念だ。」との声と「当たり前だ。」の双方の声が聞こえた。


 護摩が始まった。

 ヒンジと弟子はいつもに増して緊張感を持っていた。

 天地四方や天地四方八方切りは五人の息がぴったり合っていた。

 四方拝の口上も腹から声が出るようになり、力まずともその声は外までしっかり届いていた。

 七枝の剣で七切りを施法した。

 祭壇に祀った御幣の少し上の辺りにまた黒いもやもやした影のような穴が見え始めた。

「この穴を吸い込み口とする。」

 ヒンジがその穴に向けて散華した。

 五色の花はその穴に吸い込まれるように祭壇の上を舞った。


「阿弥陀真言『オンアミリタテイゼイカラウン』と21遍唱え、最後に『ソワカ』と付け加えよ。」


 千手観音の声が聞こえた。

 この声はヒンジにしか聞こえない。勿論黒い穴もヒンジにしか見えていない。

 ヒンジは千手観音の教示に従い真言を唱えた。

 黒い穴の中に光明が見えた。

 だんだんその光明が大きくなる。

 その光明の中には蓮の花が咲いていた。ただの暗い底なしの穴ではなかったのだ。ヒンジの心が震えた。


「阿弥陀経」

 観衆の中には一緒に読経するものも現れた。

 先祖供養の札木が護摩壇に入いると炎はにわかに紫を帯びた。これは観衆にも見えた。

「どうしたんだ。炎の色が紫色に見えた。」

 御十念を唱え、光切をして護摩は終了した。


「護摩壇を受けていた水鉢の中の水を聖水として皆にふるまうがよい。」


 薬師如来の声だった。

 ヒンジは薬師如来に感謝した。

「薬師如来さんが皆さんにと、そう申されました。」

 そう言って水を観衆にふるまった。

 水はちょっと暖かめの白湯になっていた。口にすると体中に聖水がみ渡っていくような感覚を覚えた。

「おお、沁みるな。」

 誰かが言った。


 ヒンジはこの聖水を善光寺に持っていこうと考えた。

 ヒンジは宇佐の元宮での祭儀を思い出していたのだ。

 あの時、祭儀の最中に激しい雨が降った。阿弥陀如来にいただいたお花がその雨に打たれて地に落ちたが、その雨水がお花の力を地に沁みこませ御霊を八幡神の下に返すことが出来たのだ。

「これは薬師如来さんのお力を頂けることになる。

 活けるかもしれないな。」

 ヒンジはそう思った。

 ヒンジが思い描いた形は次のようなものだった。


 まず五色のお花で吸い込み穴の縁取りを設ける。

 枚数は30枚がいい。つまり三重ということだ。お花は5枚で一組。従って組数で数えれば六組になる。正縁につなげるということだ。

 その中央に五色のお花で蓮の花を形作る。

 その中央に塩を盛る。ご縁につなげるための塩ということだ。

 その塩と蓮としたお花に今回薬師如来から賜った聖水をかける。

 聖水は塩を溶かし蓮の花であるお花の力も吸収して地に沁み込んでいく。つまりは巡りの良い血流がそこにあるということなると思えたのだ。

 その行き着く先が大根だ。

 そこまで行ければ阿弥陀如来の膝元に行けたということだ。

 後は阿弥陀如来の眷属がそれなりの役を果たすだろうと考えたのだ。


 ただ吸い込まれることを恐れる羅動と化した私念などは、その前に相当の抵抗をしてくるだろうことは想像できた。

 いや、それよりもっと前から来るかもしれないとも思った。それに対してもしっかりと備えをしておかなければいけないと気を引き締めた。

 特に普段の生活は丸腰の状態だ。

「アーンク・ソワカ」

 大日如来真言は絶対に心しておくべきだと改めて肝に銘じた。

 弟子の皆にも心しておくように何度も言って聞かせた。

 善光寺参拝はもう直ぐである。



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