第十話 浄土への道を拓け 前編

「ヒンジ、最近のお前、どうしたんね。おコウにちょっと聞いたんだけど、私にも話を聞かせてもらえんかね。」

 ヒンジの母親がそう言ってきた。

 ここ最近の自分の動きからして母親も今迄とは何かが違うと気が付かない方がおかしいだろうと思った。

 妻からある程度話を聞いているならと、これまでの経緯をかいつまんで話した。

 母親は祭儀に参加することはできるかと聞いてきた。

「勿論構わないさ。」

 ヒンジは即答した。

 更に友達を誘ってもいいかという。

 母親は以前行商をしていたことで、知り合いや友達が結構多かった。その知人たちにそれとはなしにコウから聞いた話をしていたらしい。

 そしてその知人たちもヒンジのことはよく知っているし、ヒンジのやっていることなら信頼できると思っているという。

 そうまで言われてしまえば知人たちの参加を断るわけにはいかないと思った。

「何人くらい来るの。」

 一寸気落ち気味に聞いた。

「まぁ、10人くらいじゃないのかね。」

 軽く返事が返ってきた。

 うちの客間はそんなに広くないし全員が入れるのか気になったが、せっかくの母親の話なので了承した。

 何せコウを妻にできたのはこの母親のお陰という弱みがあったのだ。


 次回は五の月一の日の護摩があると伝えた。母親は早速皆に伝えると言って出て行った。


 護摩の日がやって来た。

 タクトは護摩壇を組んでいる。ほかの皆は会場の設えをしていた。

「お友達は10人位とおっしゃっていたけど、実際の所何人来るんですかね。座布団の用意も必要でしょうから。」

 センショウがタクトに話しかけた。

「おふくろの言っていることは余りあてにならないよ。もっと来るかもしれない。そんな気がする。」

 タクトが護摩壇を組みながら言った。

「今晩は。ちょっと早かったけどお邪魔しますよ。」

 お友達第一号がやって来た。と思ったらすぐ次のお友達もやって来た。あれよあれよという間にお友達は30人を超えた。

「どうしよう。こんなに入れないよ。」

 テグスが困惑して言った。止むを得ないので客間の続き間である居間を開放しようと妻が言った。タクトの勘が当たった。

「お母さん。」

 妻が母親に言い寄った。

 母親はちょこんと頭を下げて詫びた。

 折角来た人を追い返すわけにもいかない。

 それにしてもいきなりこんなに観客というか、つまりギャラリーがいるところで祭儀をするのは初めてだ。緊張しそうだ。ヒンジは皆を集めた。

「いつもと全く同じでいい。上手くやろうとするなよ。」

 自分にも言い聞かせるように言った。

 いよいよ護摩が始まる。その前にヒンジが挨拶をした。

「今晩は。ようこそお越しくださいました。

 これより五の月一の日の祭儀を執り行います。

 五は護りの意味があります。その意が生かされるようにとの思いで祭儀をいたします。

 途中護摩壇に火が入りますが皆さんあわてないでください。

 絶対に火事にはなりません。バケツで水など掛けないようにお願いします。」

 笑いが起こった。

 祭儀が始まった。一連の法儀を終え護摩壇に火が入った。炎は勢いよく燃え上がった。

「火伏」

 ヒンジが印を結んだ。

 炎の上部が平たく抑えられている。母親のお友達は一様に「凄い!」と声を上げ拍手が沸き起こった。

 札木を炊き上げる。

 炎の色が緑色になった。

「手品みたいだ。」

 とまた声が上がった。

「阿弥陀経」

 読経が始まった。

 さすがにこの時は皆が手を合わせた。炎が紫色になったことには気が付かなかったようだ。

「光切り」

 柏手を打って祭儀が終了した。お友達の一人が言った。

「ヒンジさん、天井から見えないようにガラスの板でも吊り下げているのかね。」

 疑いたくなる気持ちも分からないではない。あからさまに火伏を見たのだからとヒンジはそう思った。

「お気持ちは分かります。でも何にもないんですよ。近くに寄ってご覧になってもいいですよ。」

 ヒンジは丁寧な対応をした。言った本人が護摩壇のそばに来た。

「ホントだ。何もない。こりゃたまげたね。」

 ヒンジと弟子たちはニコニコするだけでその反応に何も言わなかった。

「ヒンジさん、あんたのお母さんから聞いたんだけど神様の声が聞こえるんだって。凄いね。」

 別の友達が言った。

 ヒンジはやっぱりこの話になったかと思った。

「当時妻から気がふれたんじゃないかと疑われましたよ。

 実言うと自分自身、面喰いましたね。

 初めて声が聞こえた時、何のことやらわからなかったんですよ。

 でも聞こえてくる声にだんだん惹かれていったんです。

 そしていろいろなことを教わりました。」

 変に取り繕うことはしなかった。素直にありのままを話した。

「その神様ってどこの神様なんだい。」

「八幡という神様です。」

 地元にも八幡神社がある。そこの神様かとの声が聞こえた。

「いえ違うんです。大分県の宇佐にある八幡宮の神様だったんです。」

 宇佐神宮のことは知らない人か多かったようだ。

「なんだか随分遠くの神様なんだね。」

 確かにそうだ。夜行列車に一晩揺られないと着かない場所にある。

 しかし宇佐であろうがヒンジ達が住む場所であろうがそれらは全て地球の一部分なのだ。

 八幡神が以前地球や宇宙のことをとてつもなく大きい対象なのでヒンジにはとらえようがないと言ったその言葉を思い出した。

 無理もないと思えた。今すぐ理解してもらおうと思わない方がいいのだろうとも思った。

「また来てもいいかね。」

 一寸高齢のお友達が訪ねた。

「勿論構いませんよ。そうだ。次の時は祭儀の前に少しお話でもしてみましょうか。」

「そりゃ、ありがたいね。」

 誰かが言った。そうこうしているうちにお友達はパラパラと帰って行った。


「質問に答えるのも大変ですね。これからは冷やかしや批判的なことを言ってくる人も居るでしょうし。」

 テグスが言った。ヒンジはそうだなと思った。

 でもこれも八幡戦士としての大事な役回りなんだろうとも思った。

 ヒトの目を避けて裏家業(稼業ではない)のようなやり方でやっていてもいずれ何処かで人目に付いてしまうだろうし、これは避けて通れないことだろうと思えた。

「それにしてもお母さん、いきなり随分多かったですね。」

 妻が母親に向けて言った。

「ごめんね。こんなに来るとは思っていなかったんだよ。ほんとだよ。」

 母親は妻には素直な対応をする。


 五の月十五の日の護摩の日になった。

 果たしてまたこの前のようにギャラリーは押し寄せてくるのだろうか。

「意外と少なくなったりして。」

 センショウの言葉にタクトが言った。

「いや分からないよ。おふくろのことだから更に何処かでまた話をしてるかも知れない。

 おしゃべり好きだし結構行動範囲が広いからね。

 なんだかそんな予感がするよ。」

 時期は梅雨になっていた。しとしとと雨が降り続いている。この日もそんな空模様だった。こんな時は余り外出などしたくないような、そんな気持ちになってしまう人は多い筈。

 しかしタクトの予感が当たった。

 傘を差した人がぞろぞろとやって来る。

「こりゃ、この前より多いぞ。」

 センショウが驚きの声を上げた。縁側も開放することとなった。それでも入りきるかどうか。

 だが母親はタクトの言ったことを否定した。前回迷惑をかけたからその後は誰にも話してないというのだ。

 多分嘘はついていないのだろう。結局口コミでうわさが広まったと考えざるを得なかった。

「札木の在庫はあるか。」

 ヒンジがセンショウに聞いた。

「200枚くらいならあります。」

 ヒンジは考えた。

 宝生と各家の先祖供養だけなら数が足りるかもしれない。

「コウ、皆さんに札木の説明をしてやってくれないか。

 希望する人に書いてもらえばいい。

 その思いが集まればそれだけ強いものになる筈だ。」

 希望する人が黒山の人だかりとなった。

「うわさ話を聞いて来ただけなんだけど、わしもその札木とやらを書いてもいいんかね。」

 一寸年老いた夫人が聞いて来た。口コミの確信が取れた。

「説明した趣旨にご賛同されるなら、勿論構いません。」

 妻が答えた。

 妻のお腹が大分目立ち始めていた。その夫人は「めでたい。」と言ってくれた。妻は丁寧にお礼を言った。

 すると代金はいくらかと聞かれたがそんなことは決めてない。だから無料だと言うと「そりゃいけない。」と言って勝手にお金を置いていった。

 妻は返そうとしたが受け取らない。止む無く有難く頂くこととした。すると他の人たちも皆それに倣った。


「ヒンジさんの話が聞けるんかね。」

 前回の護摩の時、ヒンジから言い出したことである。皆と約束したことなので話をしないわけにはいかない。

「今日は善光寺の如来さまのお話をしたいと思います。」

 ヒンジが大きな声で言った。そしてヒンジの話が始まった。

 八幡神に言われて作った二振りの剣を持って善光寺に行った話。

 そこでは偶然が一杯重なったこと。

 しかしそれは偶然などではなく必然だったと思えたことなどを話した。

 お花との出会いというか、その経緯についても話した。そのお陰で宇佐の治めがうまくいった話をして次のように締めくくった。

「この話を信じるかどうかは個々人の判断です。

 私は皆さんにだからどうこうしろとか、してくれとかは一切言いません。

 そんなこと言ったら八幡神に叱られます。叱られるくらいでは済まないかもしれません。八幡神はそういうところは結構厳しいのです。

 さて今日は五の月十五の日です。

 この日の意は五種、つまり護りの組み立てが満願となることを祭儀します。では始めます。」

 話を聞いた皆は興奮気味だった。

 

 護摩が始まった。

「こんな祭儀は始めて見た。凄いなぁ。」

 誰かが言った。

 ヒンジが行う祭儀は八幡神と千手観音の直伝である。そうそうあちこちでやっている祭儀ではないのだろう。

 護摩が終わった。


「わしも善光寺に連れて行ってくれんかな。そろそろお迎えが来るだろうし、その前に是非一度は行っておきたいんだが。」

 最初にお金を置いた夫人がヒンジの所に来て頼み込むように言った。

「そうですか。お気持ちは察します。考えてみます。」

 ヒンジはそう返事をした。


「浄土へとつながる新しい道。」

 阿弥陀如来から言われたその言葉を思い出した。

「何とかしたいな。」

 ヒンジは思いを強くした。



 ある日作業場にハンチングをかぶった二人ずれの男がやって来た。

「ヒンジというやからの家はここか。」

 一寸強い口調で言いながら一人の男が扉を開けた。ヒンジはその対応に出ようとした。

「ここは私が対応します。」

 タスクが割って入った。

「お前らのやっていることは、人心を惑わす不届き千万なる所業だ。警察に訴え出てやる。」

 いきなり高飛車な物言いでまくし立てた。

「何をもってそのようなことを言われるか。何時人心を惑わしたというか。その証拠をここに出されよ。」

 タスクが堂々と対応している。そんな証拠は出しようがないだろうと思っている。ましてや惑わされているなどと言った人がいるとは聞いたことがない。

「金を受け取っているという話ではないか。いくら要求している。」

 音も刃のない言掛りにタスクは冷静であった。

「要求などしていない。ましてや金額を決めてなど有ろうはずもない。

 要求したというなら、されたというその御人を連れてまいられよ。

 そもそもお金は相手が勝手に置いていったもの。いわゆる賽銭のようなものだ。」

 しかしなかなか相手は引き下がろうとしない。あーでもない、こーでもないといちゃもんをつけてくる。そこにヒンジがやって来た。

「あなた方がここに来た主旨は何ですか。金ですか。それとも世直しをしたいとかですか。」

 すると一人の男が言った。

「金なんか関係ねえ。困っている人を見たらほおっては置けないだろう。俺たちは悪いやつらを懲らしめるためにここに来ているんだ。そうだ。あんたが言う世直しってやつだ。」

 そう大見栄を切った。

「ではこれを見なされ。」

 そう言ってヒンジは両刃の剣を手に取った。

「この剣は陰と陽を切り分けます。

 善と悪をも切り分けます。

 あなた方はこの剣を使えこなせますか。もしあなた方に偽りの心があった場合は、この剣はあなた方の胸を容赦なく突き刺すことになります。

 これが神のなさる業なのです。

 この剣をお貸しします。如何に。」

 何を勝手なことをぬかすかと、一人の男が剣を手にしようとした。

 その時だった。

 いきなり雷がすぐそばに落ちた。もの凄い雷鳴がとどろいた。作業場が揺れた。作業場の外にはゴーゴーと音を立てて風が舞っている。

 ハンチングの二人は腰を抜かした。


「悪いことは言わない。ここには立ち入らない方が身のためだよ。」

 ヒンジは優しく言った。

 二人は這うようにして作業場から出て行った。

「タスクの対応はなかなかだったね。大したもんだったよ。」

 ヒンジがタスクを褒めた。するとタスクがこう言った。

「先生が治めの時にいろいろ相手と遣り取りをしているのを聞いて、今回はその手法を真似てみたんです。

 でもやっぱり先生のようにはいかなかった。まだまだ足らないですね。」

 ヒンジはそう言ったタスクを

「でもよくやった。」

 とまた褒めた。

 あの二人、もう二度とここに来ることはできないだろうとヒンジは思った。

 それにしてもさっきの雷は凄かった。元宮での祭儀を思いだしていた。

「本尊のやることは本当に凄いなぁ。」

 ヒンジがしみじみ言った。


「そなたが両刃の剣を出したりするから処置せざるを得なかったのです。

 ただ今回は我も楽しんだと思っています。」


 千手観音の声が聞こえた。

 ヒンジは「神さんにも楽しむという感覚があるのか。」と驚いた。でもそれがたまらなく嬉しかった。


 ハンチングの男らが来たあの日から何日も経たないある日、今度はやや裕福な感じの夫人が連れを一人伴ってヒンジの所にやって来た。

「ヒンジ様のお宅はここでよろしいでしょうか。」

 その連れが訪ねた。夫人はその後ろで何やら笑みを浮かべながら様子を窺がっていた。

「あいにく主人は作業場に出向いておりますが。どのようなご要件でしょうか。」

 妻が対応に出た。

 連れのものが後ろにいる夫人は東京に在住する有名な占い師だと言った。是非ヒンジに会いたのだという。仕方ないので妻は作業場に案内した。

「あなた、ヒンジさんね。一目見ただけで分かるわ。」

 いきなり占い師だという夫人が知った風な物言いで言った。

「どういったご用件でしょう。」

 ヒンジが訪ねた。

「あなたのお噂を聞きました。神通力がただものではないと。

 私は東京で占い師をしております。

 是非あなたとタッグを組みたいと思ってやって来ましたのよ。

 これはあなたのためにも成りますことよ。ホッホッホッ。」

 話の内容は一方的だった。

 それにしても随分と噂が広まっているようだ。わざわざ東京から尋ね人が来るとは思ってもみなかった。

「タッグを組むとはどういうことでしょう。」

 ヒンジは単刀直入に尋ねた。

「私があなたのマネジメントを受け持つという話です。

 如何ですか。私が沢山の信者を連れてきましょう。

 そうすれば沢山のお布施を頂けます。収入は折半ということで如何でしょう。」

 余りにもヒンジにとっては嫌な話であった。

「私は金儲けを考えた途端にあなたの言う神通力とやらを完全に失うことになるでしょう。

 どうぞお引き取りください。」

 その夫人は信じられないという顔付をして言った。

「あなた、馬鹿じゃないの。

 折角この私がいい話を持ってきたのに。噂ほどの人物ではなかったわね。」

 後ろ足で砂をふっ掛けるような仕草をして怒ったように帰って行った。


「いろいろなのがいるな。

 俺たちは志孝義一貫だからね。甘い言葉に惑わされては我々が縛されてしまう。」

 今回は千手観音の出番はなかった。

 それにしても知らないところでとんでもない噂が広がっていることが衝撃だった。とにかくしっかり用心しなければいけないと強く思いを新たにした。


 梅雨が明けた。そのとたん暑い日が毎日続いた。セミの大合唱が聞こえる。その鳴き声が更に暑気を増しているようにも感じた。

「今日は山の仕事に行こうか。」

 ヒンジが二人に言った。枝打ちの作業を教えるという。

「高いところは大丈夫か。」

 そう尋ねるとテグスが言った。

「それは自分の得意なところです。」

 三人は妻の作った弁当をもって山へ向かった。

 道すがら、木渡りをしようとして失敗し八幡神に助けられた時の話をした。

 同じ過ちに二度目はないとの言葉が今も忘れられない。

 二人に安全第一の心構えを忘れないようにと念を押した。

 山に着いた。

 山の神に礼建する。清々しい気持ちになった。

 ヒンジは枝打ちの基本を教えた。しかしヒンジのような木渡りの作業は初心者には危険が多すぎる。これはまだ絶対に真似るなと厳しく言い渡した。


 ヒンジが作業を始めた。二人はしばらくヒンジの作業を見ていた。木渡りは見事だった。

「まるでサルみたいだ。」

 テグスが言った。

 テグスのヒンジを見つめる目が憧れの何かを見ているようなそんな感じになった。

 テグスが枝打ちの作業を始めた。一本目、二本目は基本通り下に降りて次の木の作業をしていた。

 テグスはヒンジの作業ぶりを横目で見ている。

「俺もやってみたい。」

 テグスはヒンジの言いつけを破ってしまった。木渡りはそんなに簡単にできるものではないと言われていたのに。

「バキバキ」

 枝の折れる音がした。

「やめろ!」

 ヒンジの大きな声が響いた。テグスは辛うじて幹にしがみついている。幹に回していたロープを外していなかったことが幸いした。命綱の代わりをしたようだ。

 ヒンジは急いでテグスが登っている木によじ登った。下からテグスを支えるようにして下におろした。

「ケガはないか。」

 テグスは大丈夫だと言った。しかし体が震えている。水を飲ませた。だんだんと呼吸が落ち着いてきたようだ。

「先生、ご迷惑を掛けました。すいません。私を首にしてください。」

 テグスが神妙に言った。

「何馬鹿言ってんだ。俺がもっと注意していればよかったんだ。

 俺の監督不行き届きだ。テグス、済まなかったな。」

 思いがけないヒンジの言葉にテグスは返す言葉もなくうな垂れた。

 この一部始終を見ていたタスクがつぶやいた。

「言ったこっちゃない。」

 テグスの行動にあきれ顔だった。

 テグスはいつも興味を持つと無茶ぶりを発揮するという。今回も正にこれだと言った。

「兄として先生に詫びます。」

 ヒンジはとにかく結果的に無事だったことが何よりと笑顔を見せた。

「弁当、食うか。」

 煮物や玉子焼き、漬物が所狭しと詰め込まれていた。

「奥さんの弁当は本当に美味い、っすね。」

 テグスがため息交じりにしんみりと言った。

 三人は一日の作業を終え、山の神に礼建てをして帰路についた。

 西の空が夕焼けで朱色に染まっている。いつ見ても奇麗という感覚を覚える。

「あの空の方向に善光寺があるんだよな。また皆で行きたいね。」

 ヒンジが言った。護摩の時に言われた「私を連れて行ってくれないか。」との言葉を思い出した。

「善光寺に行きたいと言う人を募ってみるか。」

 ヒンジは宿坊の住職に連絡してみることとした。


 住職の返事は大歓迎とのことだった。更に善光寺には本堂の北方向に雲上殿という納骨堂があるとも記されていた。分骨もできるという。これもいずれ必要な情報になるかも知れないと思った。


 ヒンジ達は希望者を伴って善光寺へ行くための計画を練っていた。次の護摩の時までに内容を決めたいと思った。

 何せ次の護摩は六の月となる。

 数種では正縁を結ぶ點布の護摩だ。阿弥陀如来とご縁をつなぐ話をするにはもってこいだと思ったのである。

 ただ行くには費用の問題がある。お金の話は余りしたくなかった。

 しかし参加者には善光寺や宿坊へのお礼もそれなりに負担してもらわなければならないだろうと、そう思わざるを得なかった。このことも単刀直入にお願いするしかないと思った。

「こういった話は自分が受け持ちます。」

 タスクが言った。ヒンジには言い出しにくい話だろうと考えたようである。

「それは助かるよ。」

 頼りになると思った。

 皆ヒンジにとってかけがいのない存在になってきたようである。

 日程は11月頃と決めた。ただ妻はその頃は出産直後になる。また留守番になる。


 六の月一の日になった。観客は前回より更に増えた。

 その中にハンチングをかぶった二人の男がいた。タスクが二人の前に立った。

「先生に立ち入らない方がよいと言われた筈だが。」

 二人は神妙であった。うつむいてかしこまっている。と、その場に突然土下座した。

「過日は大変申し訳ないことをいたしました。その後よくよく考えました。きちんと確認しないであのような所業に出たことを悔やんでいます。

 どうぞ先生にお目通りをお願いします。」

 周囲の人の目を気にすることなく、地面におでこをこすりつけた。

 それを見ていた周りの人たちは突然の状況に面食らっている。

 ヒンジがそばにやって来た。

「土下座などやめなさい。」

 二人はヒンジの声だと気が付いたようだが、おでこをこすり付けた儘言った。

「先だっては先生には大変ご無礼をいたしました。この腹をかっさばいて詫びたい気持ちであります。」

「いいから顔を上げなさいよ。話を聞いてあげるから。」

 二人はようやく顔を上げヒンジを見上げた。そこにはにこやかなヒンジが立っていた。

 二人は目に涙を浮かべ、またおでこを地面にこすりつけた。

 二人を別の場所に案内した。

 二人はそう簡単には許してもらえないだろうことは承知していると言った。本当は許されてここに出入りできるようになりたいが、それは余りにも図々しい。だから自分たちの出来ることをしたいという。

 その出来ることとは、祭儀の日の警護だという。

 以前の自分たちのような変な奴らが来たら自分たちが体を張って追い払うという内容だった。

 ヒンジは呆れもしたが気持ちは理解した。

「ありがとう。でもそれはいらないよ。

 鉄槌を下すのは本尊だからね。

 君たちは本尊ではない。だからそれをしてはいけないんだ。」

 確かにあの時雷を落としたのは本尊なんだろうと思った。二人はがっくりと肩を落とした。

「護摩に参列することは構わないよ。」

 そうヒンジが言うと、二人はまたその場に平伏ひれふした。

「あの二人はもうここに来ることはないだろうと思っていたが、こんなこともあるんだね。」

 ヒンジはタスクに向け言った。タスクも驚いたと言った。

「そうか、だから千手さんは楽しんだと言ったんだ。」

 千手観音の言葉の主旨が分かった気がした。

 それにしても千手観音の先を見通す眼力というか見極める力に感服した。


 護摩の前に善光寺参拝についての説明を行った。

 宿坊に夕方までに集合し一泊する。

 翌朝法要に参列する。

 その後希望者のみで雲上殿にお参りする。

 大まかな行程は以上だった。

 ただこの参拝はあくまでも阿弥陀如来に対する礼建と先祖の供養、陽乃本一族の霊位に対する感謝を表するための参行であることを承知して欲しいと説明した。

 すると服装についての質問が出た。一応黒などの礼服で臨んで欲しいと答えた。

 費用に関してはタスクが説明した。質問は出なかった。

 この日の護摩が終わった。

 観客の中の一人がハンチングの男の所に来て尋ねた。

「あんたら、何をやらかしたんだね。土下座までして。」

 単刀直入の質問だった。

 一人の男があの日の経緯を話した。周りは人だかりとなった。

「ほー、そんなことがあったんかね。」

 集まった中の誰かが言った。

 自分たちは腰を抜かしてそれこそ惨めだったと本音を漏らした。

「ヒンジさんはすげーなー。」

 誰ともなくそんな声が聞こえた。周りのみんなもその声に頷いた。


 翌日には善光寺参拝の申し込みがぽつぽつ来始めた。やはり年配者の申し込みが多いようだ。以前この要望をしてきた夫人も夫婦で行くと申し込んだ。

 宿坊の関係で60人くらいが限界だったが次の護摩の日の前にはその数に達してしまった。

「もうこれ以上は無理ですね。」

「そうだね。仕方ないね。住職さんにそんなに無理は言えないからね。」

 思った以上に参拝希望者の反応は早かった。

「皆には世話人という立ち位置で、参拝者のお世話をしてもらわないといけないな。」

 これは、自分のことは二の次になるということである。


 六の月十五の日になった。

 あのハンチングの二人もやって来た。そしてタスクに話しかけた。

「善光寺参拝の件なんですけど。」

 タスクは申込者が多くてもう受け付けられないと伝えた。すると一人がこう言った。

「自分たちが申し込むなんてお恐れ多いことです。

 私たちは宿坊に泊まれるとは思っていません。

 ただ付いて行きたいのです。そして宿坊の外で一晩、番をしたいのです。」

 タスクは何と滅茶苦茶な話だと思った。そんなこと認められる訳がない。先生も怒るだろうし、そもそも宿坊にとんでもない迷惑がかかると思った。

「そりゃ駄目ですね。やめてください。」

 そう突き放した。

「でもね、二人の気持ちは先生に伝えますよ。」

 せめてもの慰めと思ってそう言ったのだが、その言葉に二人は喜んだ。

「もしかしてこの二人は本当の馬鹿なのか、それとも極めて純粋なのか、分からん。」

 タスクはそうつぶやいた。そして最後に駄目押しをした。

「絶対に止めてくださいね。」

 タスクはヒンジに二人のことを伝えた。するとヒンジは笑った。

「あの二人、面白い奴らだな。」

 タスクに面倒を見てやったらどうだとも言った。それはできないとタスクは返した。ヒンジは「そうだよな。」と頷いた。


 護摩の始まる前に集まった観衆に善光寺参拝の申し込み状況の話をした。

 すると今日申し込みをする予定だったとの声が聞かれた。更にすぐ次の計画を立ててくれと要望する声も上がった。

 その声にはなかなか対応が難しいと謝罪する有様だった。

「こんなに希望者が多いとは驚いたな。やっぱり善光寺は人気があるというか、人々の関心が高いんだな。」

 阿弥陀如来に対する思いがあるのだろうと思えた。


「浄土へとつながる新しい道。」

 阿弥陀如来が自分に伝えてきたこの言葉が胸を突いた。

 この道を作るため真剣に取り組まなければいけないと強く思った。


 今日の護摩が終了した。

「ところであのハンチングの二人はどうした。」

 ヒンジはちょっと気になっているようだった。

「今日のところは何事もなく、おとなしく帰りました。」

 タスクが答えた。やはりタスクもそれとはなしに気にしていたようだった。


 ヒンジは真詞を書き始めた。


「正大輪 正動が我が役

 残留する私念は地に淀む

 淀みは正法正動の妨げ

 故そこに我が役は致らず

 散華したる花に役の在り

 花は流るる川に

 その川は正大輪の大根おおねに至るなり」


 書き終えてこれは阿弥陀如来が書かせたものだろうと思えた。

 「正大輪」という言葉は初めてだった。そして「大根」とは一体何だと、これも初めての言葉だし簡単には理解できないと思えた。

 ヒンジは千手観音に尋ねた。

 千手観音はこれこそが末法を正法に正す鍵となる。正大輪とは正法の要で、ようするに生命の営みが淀みなく正しく巡回することだと言った。

 これが八幡神の望んでいることの解決策だという。

 ヒンジは奮い立つ感覚を覚えた。

 善光寺参拝まであと二月ある。その間に何らかの道筋をつけたいと思った。


 ヒンジはその夜、夢を見た。

 誰かの体のようだ。それが自分なのか他人なのか分からない。首周りに大きなおできのようなものがある。膿が溜まっている。だからだろうか相当痛がっている。


「あれはおできではない。粉瘤ふんりゅうという。

 あの腫れの中には老廃物が溜まっている。代謝できなかった結果である。

 免疫がしっかり働けば防げたかもしれない。

 血流が滞っていなければ防げたかもしれない。

 他にも原因があるかも知れない。

 彼のものは今粉瘤の痛みで儘ならない状況になってしまった。

 ほおっておくと癌になることもある厄介な代物だ。

 粉瘤は残留した私念に通じるものがあると思えんかな。」


 聞いたことのない声だった。

「どちら様でしょうか。」


「薬師という。」


 薬師と名乗った。では薬師如来なのかと思った。


「そなたが八幡神との初めての会話の中で、第一に身体健康を望むと言ったことを覚えておるか。

 これこそが我の担う役、八幡神の健康を司ることが我が役なのだ。」


 自分と八幡神との会話を知っていた。

 何故知っているのか不思議だ。率直にそのことを尋ねてみた。


「互いの情報を受合うことが正法正動のための基本となるのだよ。」


 確かにお互いのことを知ることは、お互いの信頼につながると思った。

「大根について伺ってよろしいでしょうか。」

 ヒンジが訪ねた。

 その問いに薬師如来が答えた。

 根は栄養分などを吸い上げる役を担っている。その栄養分などは大根に集まり、地上部本体の成長につながる。 

 やがて本体は花を咲かせ、実を結び、種を作ることが出来ると。

 ヒンジは数種の成り立ちが脳裏に浮かんだ。

「大根は残留した私念を吸収できるということでしょうか。」

 薬師如来はそうだと言った。

 ただしその為には、大根から沢山の毛根を伸ばさなければならない。実際にはその毛根が吸収の作用をする。

 そして吸収した私念が本体、つまり阿弥陀如来の下に届くことで、正大輪の正動につながると言った。

 ただ大根や毛根は地の中に在って目立つことがない、極めて地味な存在なのだとも言った。

「ではこの大根をどのように設けるか、それを探れと言うことでしょうか。」


「これは八幡戦士の役と心得て在れ。」


 この夜から新たに薬師如来との関係が始まった。

 さて、ヒンジは如何にしたら大根を設けることが出来るのか。ヒンジは暫く思案に明け暮れることになる。




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