第九話 出雲戦

 ヒンジは妻と四人の弟子に千手観音からの話を伝えた。

 まず善光寺には全員で行くこととした。続けての伊勢神宮は日を改めて行く。その足で出雲に向かう、という計画を立てた。

 こちらは長旅となることから身重である妻は自宅で待機することにした。

 ヒンジは宿坊の住職あてに宿泊の申し込みと共に手紙を書いた。八幡宮の元宮のことにも触れ、詳しくは参ったときにと書き添えた。


 善光寺に参行する前に四の月一の日の護摩がある。

 事前に千手観音から教示があった。

 護摩壇を組みそれを焚けと言う。護摩焚きとはこのことだという。

 護摩壇の組み方は4種と3種を組み合わせてそれぞれ9種の王数となるようにすること。

 そして四方に四柱を建て最上部に真中一建の意を持って組み立て上げよという。

 どのようにこれを組めばいいのか、ヒンジはいろいろと考えた。それを絵に描いてみた。

「これならいけそうだな。」

 何とか条件を満たす形になった。

 そして護摩壇を組む組木は一分五厘角で長さは5寸としようと決めた。

 何しろ家の中で炊き上げるのだから、このくらいが丁度よいだろうと思った。

 数種的にもヒンジの思いと合致した。

 護摩壇は鉄鍋とその下に水桶が必要だと思った。火入れのための採火は線香か松明で行うこととした。

 組木はセンショウが、鉄鍋と水桶はタクトが手配したいと申し出た。


 護摩の日になった。

 ヒンジは自分の着座する場所の前に護摩壇を組み始める。護摩壇の絵を描いたことが功を奏しヒンジは迷うことなく組み上げることができた。皆はその様子をしっかりと見ていた。

「次回は自分に組ませてください。」

 タクトが言った。ヒンジは頷き続けて皆に言った。

「今日は四の月だ。四柱を建てることに同動との思いで護摩に臨むように。」

 護摩が始まった。

 ヒンジの動きには力みがなく自然体だった。

 しかし四人にはまだ力みが見える。まだ上手くやりたいという気持ちと敬いと感謝の気持ちを持たなくてはという気持ちが混在しているようだった。

 ヒンジは一連の法儀を終えると両の手に松明を持った。西と北に手渡す。二人が同時に松明に火をつけようとした。

「採火礼建」

 ヒンジがそう言って光切りを行った。

 松明を受け取り護摩壇に入れた。

 火は瞬く間にメラメラと燃え上がり、その炎は天井に届きそうなほどの勢いであった。


「火伏」


 ヒンジは千手観音の声を聞いた。

 そしてそこに千手観音の姿を見た。

 千手観音が印を結んでいる。ヒンジもそれに倣って印を結んだ。

 炎の上部が平たくなって押さえつけられている。燃え上がる炎の勢いも抑えられている。


「七枝の剣を構えよ。」


 ヒンジが構えた。


「切っ先を左下にし、そこから右上に二度切り上げよ。口上は『天照クサナギ正動』とせよ。」


 ヒンジが七枝の剣を振った。

 一瞬剣が朱色に輝いた。

 剣を正面に構え深く一礼をした。剣を置くと線香を48本とって護摩壇に投げ入れた。

「阿弥陀経」

 ヒンジが指示を出した。

 読経が始まった。今日の声は落ち着いている。はやる思いが抑えられたようだ。ヒンジは阿弥陀如来の姿を思い浮かべていた。


「この護摩と善光寺の参行で同行一同の先祖を供養するがよい。

 合わせてこれまで八幡神と共に生きたすべての諸霊位の供養も肝要である。」


 千手観音が言った。

 ヒンジは線香を手に取った。

「八幡神と共に生きた全ての諸霊位に。」

 そう口上すると線香を護摩壇に投げ入れた。続けて、

「ここに同動する一同の各家の先祖に。」

 線香を再び投げ入れた。阿弥陀経が終盤を迎えた。


「読経の後『南無阿弥陀仏』」と十遍唱えよ。」


 善光寺でお上人と住職が唱えていたあの御十念だと思った。読経が終わった。

「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 ・・・・・・」

 御十念を唱えた。

 皆も倣って唱えた。

 ヒンジは最後に塩を一握り投げ入れた。そう、元宮での祭儀で最後に行ったえんを縁と掛けて行ったあの時と同じ思いからであった。

 ヒンジは千手観音の指南に対し感謝の思いを述べ深々と一礼をした。

 光切りをして、皆で柏手を打ち護摩を終了した。

「ありがとう」

 ヒンジが皆に向けてお礼を言った。そして護摩の中での千手観音とのやり取りも話して聞かせた。


「千手さんて普段はとっても丁寧な物言いで伝えてくるんだけど今日は全く男言葉だったよ。一寸たまげたな。やっぱり祭儀をするときってこんなもんなんだな。八幡さんなんかもっと言い方が凄かった。でもそれが良かったんだけどね。」

 ヒンジはその時のやり取りを思いだしていた。


 善光寺へ向かう日になった。

 今回、剣は持たなかった。

 皆は正装した。先祖の供養を目的としたからだ。

 最初の時は列車の中で住職との出会いがあった。貴重な出会いであった。この出会いがなかったら今までの成り行きはなかっただろうと思えた。

「やっぱり八幡さんが引き合わせたんだよな。」

 ヒンジは顔が緩んだ。

 横川駅では皆の分の釜めしとお茶を買った。タクトは列車の連結作業に興味があったようで見学に行った。なかなか戻ってこない。発車のベルが鳴った。やっと戻ってきた。

「タクトさん、余り心配かけないでね。」

 妻が言った。

 タクトはぺこりと頭を下げた。列車が走り出すと今度はその音とトンネルと山間の景色を楽しんでいるようだった。やはり兄弟で趣味が似ているのだろう。そんな様子にヒンジはニンマリしていた。

 妻が用意していた玉子焼きと漬物を出した。釜めしが一段とうまくなったと感じた。

 皆は列車の旅を楽しんでいた。


 一行は宿坊に着いた。住職が迎えた。

「よくお越しになられた。心待ちにしていました。」

 住職は満面の笑みであった。ヒンジは一同をそれぞれ紹介した。

「タスクさんとテグスさんはヒンジさんの所でお世話になれてよかったですね。お薦めした甲斐があったというものです。励んでくださいね。」

 二人は丁重に住職にお礼を言った。一連の挨拶を終えるとヒンジは内仏殿に参った。

「ご住職にお話ししたいことが沢山あります。あとでお時間お取りいただけますか。」

 住職はヒンジ達の夕食後に部屋まで来ると言って奥へ消えた。やがて宿坊の執事が部屋にやって来た。

「ヒンジ様、お正月の時はお世話になりました。この度もお越しいただきありがとうございます。」

 明日の法要手続きの受付と日程についての説明があった。

 ヒンジが法要の申込用紙の書き方を皆に説明した。

 まず各家の名前を書きその下に続けて先祖代々之霊位と記入する。願い人の枠に自分の名前を書く。永代供養のところに丸を付ける。申込用紙の書き方はそんなに難しいものではなかった。後は供養料を入れ、それで終了だ。

 ヒンジはもう一つ書き始めた。

「陽乃本一族之霊位」と書いた。

 願い人はヒンジと同行の一同の名を連ねた。


 夕食の善が運ばれてきた。

 精進料理だ。

 如何にも手の込んだ煮物などがのっている。美味しそうだ。

 地元の生酒も付いていた。いわゆる般若湯である。口にすると舌に円やかにまとわりつく感じだ。やや辛口の風味がすこぶる爽やかだ。

「これはいいね。」

 酒好きのタクトが言った。皆は舌鼓を打った。精進料理はやはり美味かった。

 夕食も終わって一息ついていると住職が焼酎を持って部屋にやって来た。

「ヒンジさん、いいものが手に入ったんですよ。」

 住職はにこやかだった。執事がグラスと氷を運んできた。なんだか二次会が始まるような感じだった。

「これを頂く前に一つ伺ってよろしいでしょうか?」

 住職が言った。

「どのようなことでしょう?」

 住職は供養の申込書に陽乃本一族とあったことを尋ねてきた。

「この名称というか呼び方は別にして、千手観音さんに言われたんです。」

 ヒンジが陽乃本一族の供養を申し込んだ経緯を話し始めた。そして名称についてはさんざん考えた挙句、陽乃本一族としたと説明した。

「なるほど、これは善光寺が最も重きを置いていることです。

 ここは宗派など無いですからね。

 日本だけでなく外国も含めて、さらに人間だけでなくお日様の下で生きている全ての生き物も含めて、全ての御霊が対象なのです。」

 住職はヒンジが話した主旨をあの剣を持ってきた時と同じようにお上人が住職を務める大本願に伝えるという。

 善光寺の法要は願い人の主旨を大事に営まれるということなのだろう。


「ささ、ヒンジさん。とりあえず一杯。」

 住職が焼酎を勧めた。

「この焼酎、芋ですね。上手いですね。」

 言ったのはやっぱりタクトだった。

 ヒンジは元宮での出来事を話し出した。住職と同行の皆も真剣に耳を傾けていた。住職から手渡されたお花があったお陰でこの祭儀が成就し、今ここに来れていると伝えた。

「私はただお渡ししただけなのに、住職冥利に尽きますね。」

 住職が謙遜して言った。

 しかしこれがなければ雷に打たれていたかもしれない。実際にそれで亡くなった神官がいたらしいという話をした。皆静まり返った。

「でも私は思うんです。あの祭儀で雷に打たれた神官も、きっとお花の船に乗って八幡さんのところへ戻れたんだろうと。阿弥陀如来さまのお力のお陰様で。」

 ヒンジは善光寺の本堂がある方向に目を向けて、そのように言った。

「さあヒンジさん。どんどんやってください。」

 住職がまた焼酎を進めた。そのあとは皆が話に参加し盛り上がった。

「ところでタスクとテグスは何故ここに来てたんだ? それを聞いたことがなかったね。住職さんも何故私のところを推薦されたのでしょう?」

 ヒンジは素朴な疑問を抱いていたが、これまで面等向かって聞けないでいた。

「この二人、実は名家のボンボンでしてね。」

 住職が二人について語り始めた。

「この二人は立て続けに何度かここに来ましてね。こりゃ普通じゃないと思ってその理由を聞くと、道探しをしているって言うんですね。」

 住職は世話好きなのだ。だから二人のことをほおってはおけなかったのだという。

 ヒンジとの関係を持てたのもこの世話好きが講じてこそということなのだろう。

「なかなか自分たちの進路が見えないんだとか言ってましたので、この二人はヒンジさんのとろへ行けば何か見つかるのではないかと思ったんですよ。

 そこでヒンジさんとの出会いやお花をお渡しした経緯などを話して聞かせたって訳なんです。」

 二人がボンボンだとは初めて聞いた。

 そういえば給金の話をしたとき、まったく気にしていなかったのはこれだったからなんだと思った。

「へえ~ ボンボンだったんだ。」

 ヒンジが構った。

「やめてくださいよ。」

 タスクが照れ臭そうに言った。皆が笑った。


 夜も大分更けてきた。明日の朝は早い。焼酎の会をお開きとした。

 ヒンジは疲れもあってかすぐに寝付いた。

「ヒンジ、お前に話しておきたいことがある。」

 これは多分夢なんだろう。ヒンジは夢の中でそう思った。

「お前のおじいちゃんだ。」

 その呼びかけにヒンジは夢の中だけど覚醒した。

「おじいちゃん?」

 顔形にしてもしゃべり方にしても、これはまぎれもない祖父だと思った。

「俺に話したいことって何。おじいちゃんが熊を倒した時のことはずっと聞きたいと思っていたよ。」

 ヒンジは祖父の武勇伝が聞けるかと思った。

「いや、わしが話したいのは熊を倒した後のことじゃ。」

 しかしヒンジは熊を討ちに行ったその経緯を知りたかった。

「まず何でその熊を倒しに行ったの?」

 祖父は子ザルの敵討ちだったと言った。初めて聞く内容だった。

 そのことを知っていただろう祖父の母親は、ヒンジが生まれて間もなく他界していた。ヒンジの祖母や母親も余りそこには立ち入らなかった。だから詳しいことは誰も知らなかったのだ。

 祖父は言う。熊を倒すことはできたが、そこに喜びなど無く暫く悩み苦しんだこと。そして供養塔を建てても単なる自己満足のようなものだったとも言った。

 しかしそれらの辛い思いも、今ヒンジの八幡戦士としての働きで救われたという。

 あの日以来ずっと引きずってきた悩みなどが打ち消されたと言うのだ。

 何しろこの大事な役を担っているのが自分の子孫であるということが嬉しいと。「ヒンジは我らの誉れだ。」と言った。

 ヒンジは謙遜した。

「俺がこうして八幡戦士になれたのは、おじいちゃんたちが一生懸命に働いて命を今に繋いできてくれたお陰だし、おじいちゃんが熊を通して命の大切さに気が付いていっぱい悩んでくれたからなのかも知れないよ。

 だからむしろお礼を言いたいのはこっちの方だよ。」

 ヒンジは自分のこれまでに命をつないでくれた全ての先祖代々に感謝の気持ちがふつふつと沸いてきた。

 そしてこのご縁をつないでくださっているのが、ここ善光寺の阿弥陀如来さんなんだと心の底から思った。


「千手さんがまず善光寺に行くように言ってきたのは、この思いを自分たちに持たせることが目的だったんだろうな。」

 ヒンジはつぶやいた。いつの間にか祖父の姿は消えていた。

「明日の法要はしっかりとこの思いを持って臨むことが大事だな。」

 ヒンジは祖父の存在がとても大きく感じた。

「おじいちゃん、鍛冶で丹精を込めるとの意味がやっと分かったよ。ありがとう。」

 二振りの剣を作ることが出来たのは祖父が鍛冶をしていてくれたこと。そして自分にその鍛冶を仕込んでくれたからこそだと強く思った。

 ヒンジは改めて祖父に対し手を合わせ感謝した。


 朝の六時前には宿坊を出て善光寺の本堂に向かった。

 ここはさすがに信州、朝の空気はひんやりとしていた。そのひんやり感が気を引き締める。

 宿坊の執事が先導しながら縁起などいろいろ説明をしている。同行の一同は説明の度に頷いていた。

「今日は如来さんに感謝、陽乃本一族に感謝、そして自らの先祖に対して感謝だ。ここでの思いはそれ以外ない。」

 ヒンジは改めてその思いを強くした。

 本堂に入り内陣に着座した時、皆には昨夜のことと今回の法要に臨む心構えについて話した。

「先生と思いはひとつです。」

 テグスが言った。皆も頷いた。


 お朝事が終わると一行は瑠璃壇に誘導された。執事が「これから皆さんのための法要が始まる。」と伝えてきた。

 初めて来た時と同じだ。ヒンジは気持ちを落ち着かせた。

 おりんが鳴った。畳の擦れる音。住職たちの入場だ。最後にお上人が入場した。

 ヒンジは阿弥陀如来にお花を頂いたこと。そのお陰様で八幡宮の元宮での治めができたこと。何しろそこで羅動となっていた私念が心を開き解脱してくれたことなどを報告し感謝の思いを改めて伝えた。

 阿弥陀経が読経される中、お花が空を舞った。


「ヒンジよ。

 我が本願の成就に碧淳の人であるそなたの力が必要ぞ。

 浄土へとつながる道を新たに作らねばならぬ。」


 阿弥陀如来の声が聞こえた。ヒンジは心が震えた。

「全力を尽くします。これも八幡戦士としての大いなる役と心得ます。」

 ヒンジは全身が震えた。

 また阿弥陀如来の声を聞けたこと。まして自分を必要としてくれたことが最高の喜びと感じた。


 御十念が唱えられた。ヒンジも一行も倣って御十念を唱えた。

 法要が終了した。

 散華されたお花は拾って持って帰ることが出来る。皆が競ってお花を拾った。ちょっと楽しい時間だった。


 宿坊に戻ると朝食の膳が既に並んでいた。朝早かったので皆お腹を空かしていた。弟子たちはそろってお代わりをした。

 宿坊の住職があいさつに来た。

「昨日は伺わなかったのですが、またどこか治めに行かれるのですか?」

 どうも気になっているようであった。気になっているというより興味をもって知りたがっているような感じであった。

「出雲へ参ります。その前に伊勢の神宮に立ち寄ります。」

 ヒンジが答えた。

「そうですか。出雲は天照大神に大国主が国土奉還したという言い伝えがありますね。今回どのよう訳で治めに行かれるのか分かりませんが、また大変なお務めになりますかな。」

 そう言ってまたお花の束を手渡した。

「お気遣い、ありがとうございます。治めの結果が報告できたらな、と思います。」

「楽しみに待っています。くれぐれもお気を付けください。」

 住職は事前に伊勢の神宮に立ち寄ると言ったヒンジの言葉に、治めの深さというか難しさというか、そのようなことを何となく感じ取っているようであった。

 ヒンジは阿弥陀如来が伝えてきた事については最後まで触れなかった。まだここでは話さないほうが良いと思ったからである。

 そもそもどのようにしたら浄土へとつながる新しい道が作れるのか全く見当もつかないし、それこそ未知の世界だったのだから。

 宿坊の皆がヒンジ達を丁重に見送った。妻は子供が生まれたらまた来たいと言った。


 伊勢と出雲に出立する前に四の月十五の日の護摩焚きがある。

 護摩壇は前回承諾を貰ったタクトが組む。

 この護摩壇を組むに当たってヒンジが皆に数種についての説明を行った。

 まずは鉄鍋の中には何もないいわゆる0ぜろの状態でそこに護摩壇を組むという思いが起こる。これが點であるということから説明が始まった。

 次に井桁や三角形に組む意、それぞれの段数に数種の意があること。

 更に四方に柱を立てる意。

 天に一本の意などについて説明をした。

 そしてこの護摩壇が正しく組まれなかった場合は火伏が利かないとも言った。つまり火事になってしまうことは免れないということである。

 タクトは身が引き締まった。


 それにしてもこの護摩壇の組上げはなかなか理解するのは難しいと皆が感じた。

 しかしこれを理解しないと千手観音が言った「出雲の祭儀は皆の意が一つ」となれないと思った。

 各人はしっかりメモを取った。とにかく数種をしっかりと学びたいとの思いは皆一緒だった。


「護摩の中で皆の思いを八幡神に伝えるには、札木を炊き上げるという方法があります。」


 千手観音の声が聞こえた。

「札木とはどのようなものでしょう。」

 ヒンジが問うた。


「八幡神は皆の母です。

 母とは子の願いが気になるものです。

 その願いを叶えてあげたいとも思うものです。

 しかし必ずその願いを叶えるわけではありません。不相応な願いもあるからです。

 札木は母に自らの願いをお伝えする手段の一つです。見返りを求める事とは主旨が異なります。」


 札木の素材は檜が良いという。そしてその札木に願い事とその願い人の名を書く。


「願い事は何を書いてもよいのですが、基本は『宝生』です。」


 この宝生には三つの意があるという。

 一つ目は、自らが碧淳の人となりたいとの思い、つまり聖願である。

 二つ目は、本尊に対する感謝の思い、つまり礼建である。

 三つ目は、自らの志孝義の姿勢を示す思い、つまり仁義である。


 ヒンジは、宝生とは願い事としてこの上ない言葉と思えた。


「八幸聖願もよい願い事です。

 さらに陽乃本一族之霊位や各家の先祖代々之霊位もよい願い事でしょう。」


 ヒンジは札木の寸法はどうしたらよいかを考えた。やはり数種を当てはめる必要があると思えた。そして護摩壇とのバランスも考慮した。

 次の護摩までに札木を準備しなければならない。

 それについては「自分が用意します。」とセンショウが申し出た。


 護摩焚きの日になった。

 これが終わるといよいよ出雲に出向くことになる。そこではどのような祭儀になるのか。千手観音から言われた「皆の意が一つ」「千手の動きの補佐」これが叶うような祭儀ができるのか。

 祭儀の内容についてはこれまで全く教示がない。

 一抹の不安がある。今日の護摩次第かと思った。 


 ヒンジは四方天の的について、それぞれが担当するところだけでよいのでそらんじられるよう指示を出した。皆はメモを取り出し真剣に暗記した。

 護摩が始まった。

 一連の所作と両刃と七枝の剣の法儀を終えるとヒンジは再び両刃の剣を手にした。

「四天の守護に感謝し礼建致す。」

 そう唱えると剣で東の空を突いた。

「東位大尊が的 口上。」

 ヒンジが発声した。

「聖七光 正動真勝が的」

 テグスが発声した。

「ホー ホー」

 そう言いながらヒンジは剣で二度、東の空を突いた。

 続いて南、西、北の順に行った。役回りを担っているそれぞれは、どうにか的を口上することが出来た。最後はヒンジの芯中だ。

「聖天聖點 真中一建 真芯等位が的 ホー ホー」

 八幡神に元宮での祭儀の際に教示された四方拝の変形型であった。千手観音に各的を教示されていたので、それを示さない手はないと思ったのだ。


 次いでタクトが組み上げた護摩壇に火が入った。

 火伏をする。

 火が抑えられている。

 タクトは胸をなでおろした。


 札木が投入される。皆が一様に宝生と八幸聖願と陽乃本一族之霊位とそれぞれ各家の先祖代々之霊位を書いていた。

 千手観音から何を書いてもよいとは言われていたが、誰も諸願的な願い事を書く者はいなかった。

 ヒンジは最初に宝生を、次いで八幸請願を投入した。

 阿弥陀経の読経が始まる。陽乃本一族や各家之霊位の札木はこの読経の中で投入した。すると全員が炎の中に緑色の別の炎を見た。

 阿弥陀経はさらに前回よりその意が生かされていると感じられるようになった。

 この日の護摩が終了した。ヒンジは何とか皆の意が一となれるような気がして少々だが安堵した。

「先生、ホー ホーと言って空を突いたのは何ですか。」

 タスクが尋ねた。

「ホーとは法のことだよ。それを剣でそれを後ろから勢いづけて打ち上げるっていったところかな。弓を使うのも方法の一つだな。」

 ヒンジは誰に教示されたわけでもないのに、このような法儀を用いるようになってきていた。

「それにしても皆の口上はちと力がこもっていないな。もっと腹から声を出さないと。

 多分出雲でこれをやることになるだろう。そうすると波の音に打ち消されてしまうよな。」

 急な取り繕いで誰もが発声に自信がなかったことは言うまでもない。仁義やこの的をしっかり発声できるようにしなければいけないと一様に皆が思った。


 ヒンジが真詞を書き始めた。


「起の年の四柱は 建立せり 

 一同を 碧淳の人 と灌頂す

 緑の炎はここに集う者に 生・守・育 の三宝の風が吹くを意味する」 


 ヒンジは膝を叩いた。

「生・守・育。これも3種なんだ。」

 3種について追々教示すると言っていた八幡神の言葉を思い出したのだった。

 そして皆が宝生で願った聖願も一回で聞き入れてもらったと感謝の思いで胸が詰まった。


 いよいよ出雲へ向けて出立する日となった。まずは伊勢の神宮へ向かう。

「長旅です。皆さんくれぐれも体調に気を付けて。無事のお帰りを待っています。」

 妻の丁寧な見送りに一同は心休まる思いがした。

「俺も先生の奥さんのような嫁さんが欲しいな。」

 テグスが言った。

「そのうち見つかるよ。」

 ヒンジが慰め気味に言った。

 皆、伊勢に行くのは初めてだった。

 伊勢まで行くには列車の乗り換えも多く、ほぼ一日かかる。時間はたっぷりある。そのため列車の中ではそれぞれの身の上話も当然のように話題に上った。

 ヒンジとコウの成り染を聞きたいとテグスが言った。最初は何とかしらばっくれようとしたが、皆にはやされたので仕方なくヒンジが口を開いた。

「親父が死んでおふくろが行商をやっているとき、なぜか無理やり俺を連れ出したんだよ。鍛冶の仕事が忙しかったのに。

 その連れていかれた先にコウが居たんだ。

 そこでおふくろが突然『この子なんですけど、是非この子の嫁に』と、かなり強引に頼み込んだんだよ。」

「先生は奥さんを初めて見てどうだったんですか? 奥さんの反応はどうだったんですか?」

 センショウが興味深げに聞いた。

「そりゃー、一目惚れだったんですよね~」

 テグスがヒンジをちゃかした。

「まぁ、結果がこうなっているんだからね。」

 照れくさそうにヒンジが答えた。

 この話は盛り上がった。しかしそれ以外では盛り上がりを欠いた。やはり気持ちは伊勢のお参りのありかたと出雲の祭儀が第一に気になっているのだった。

「先生、伊勢での仁義はどのようにするのですか?」

 タスクが質問した。ヒンジは目を閉じ何か考えているようだった。

「基本は変えなくていいと思う。ただ何故千手さんが伊勢に寄るように言ったのか、その理由をまだ聞いていないんだよ。

 今も聞いてみたんだけど返事がないんだ。」

 観光で行くのとは訳が違う。つまりは命懸けの真剣勝負なのだから。

 でも世間一般で言われているところのまずは外宮に参って次に内宮に参ろうと考えていた。


 伊勢の駅に着いたのは夕刻だった。しかし日没までにまだ少し時間がある。

「外宮へお参りに行こうか。」

 ヒンジが言った。皆も賛同した。でも足が重い。

 列車の長旅はやはり疲れたのだ。足を引きずるような感じで歩いていた。ただ外宮は駅からさほど距離はない。

「もう一息だから頑張ろう。」

 タクトが言った。

 暫く行くと大きな森のように生い茂った樹木が見えた。そして鳥居が見えた。一行は鳥居をくぐる前に足を止めた。


「我ら志孝義が者なり。聖願せしは八幸聖願。

 八幡神の意を受け参り奉った。

 いざ聖地に入る。」

 ヒンジが仁義を口上した。

 皆そろって一礼をした。

 まずヒンジが左足から踏み入れた。皆もそれに倣い左足から踏み入った。

 以前八幡神から左は価値を意味するとの教示を受けていたからである。そして伊勢の神宮は7種を司るとの教示もされていた。

 つまり伊勢の主神は生かすことが主旨である。これは価値の動につながるものだと認識していた。

 従って左足からと考えたのだ。


 皆はこの時点で足の疲れを忘れていた。玉砂利の参道を歩く。

「ジャリ ジャリ ジャリ ジャリ」

 踏みしめた玉砂利の音が心地よく響く。何故か皆の歩調が揃っていたので音に乱れがない。

 皆はこの音を楽しんでいるようであった。暫く歩いていると別の足音が聞こえてきた。

「ジャリ ジャリ ジャリ ジャリ」

 別の音も一定のリズムであった。

 白い神官の衣装を纏った一行が歩いて来る。

 ヒンジ達が近づくとその一行は立ち止まり、参道の脇に一列に並んだ。ヒンジ達も立ち止まった。

 すると神官の一行がその場で深くお辞儀をした。先頭の神官が奥へ進むようにと手で促した。ヒンジ達も深く一礼をし、神官の促しに従った。

 ヒンジ達が通り過ぎるまで神官たちはお辞儀をしたままであった。

 神妙にその場を通り過ぎた。

 ヒンジが振り返るとなんてことだ、そこに神官の姿は全くなかったのだ。


「えっ!」

 思わずヒンジが大きな声を出した。皆がどうしたと聞くと、

「ほら、さっきの神官が誰もいない。」

 皆も振り返った。確かに一人もいない。十人くらいの神官がいた筈だった。

「一体、今のは何だったんでしょうね。」

 タスクが言った。


「外宮の主祭神が礼を建てたのです。」


 久しぶりに千手観音の声が聞こえた。

「これが伊勢なんだ。我々も絶対に粗相のないようにしなければいけないよな。」

 ヒンジが自分に言い聞かせるように言った。

 正宮の前まで来た。

 ヒンジを先頭にして四人はその後ろに整列した。静寂な空気に包まれている。

 まずは全員で深く一礼をした。正面を見据え柏手を打つ。三・三・三と打った。

 この柏手の打ち方は神宮が示す作法とは異なっていたが、ヒンジは八幡神の教示に従った。


「我ら八幡戦士。聖願せしは八幸聖願なり。

 この度八幡神の意を受け、出雲へ向かうに当たり礼建が為馳せ参った次第。先ほどは丁重なるお出迎え、傷み入ります。」

 ヒンジが仁義を口上した。

 するとそれまで垂れ下がっていたとばりが風に吹かれ大きく舞い上がった。

 ヒンジ達はその様をありがたく感じた。


「そなたたちの役が成就することを願っています。」


 声が聞こえた。

「我らが役に全力で当たります。今晩はこの伊勢の地にて過ごしたく、このご縁に感謝いたします。」

 ヒンジが口上した。三・三・三・一と柏手を打ち一礼をした。その間舞い上がった儘だった幌が垂れ下がり静寂が戻った。


 緊張の中にも清々すがすがしい思いが全身を満たしていた。その思いを抱いたまま外宮を後にした。

 誰もが足の疲れを完全に忘れていた。


 宿は古かったが料理は伊勢の特産が並んでいた。肉にしても魚にしても見るからに美味そうなものばかりだ。しかし皆腹を減らしていたので一気に食べつくしてしまった。

「もっと味わって食えよ。外宮の本尊さんが出してくれたものなんだから。」

 ヒンジはそう言ったが、そのヒンジも既に食べ終えていた。

 酒も多少入ったこともあるのだろうが、寝付くのは皆早かった。


「内宮では神楽を拝見するのがよいでしょう。参考になりましょう。」


 千手観音が伝えてきた。

「ありがとうございます。そうします。」

 その夜の教示はこれだけだった。


 善光寺の朝はお朝事への参列があって早かったが、伊勢の神宮には参拝者が参加するこのような行事はない。

 このため比較的ゆっくりと朝を過ごしてもよいのだが、ヒンジ達はこの日の午後には出雲に向かわなければならない。そんなにのんびりはしていられないのだ。早朝食を済ませると早々に内宮へ向かった。

「今日もいい天気だ。」

 誰かが言った。梅雨に入る前の好天が続いていた。

 内宮まではバスに乗って行く。さほど時間はかからない。

 内宮に着いた。

 五十鈴川に架かった宇治橋のところまでやって来た。鳥居の前に立つと何故だか身も心も清浄になるような気がした。

「やはりここは聖地だな。」

 ヒンジは外宮と同じ仁義を口上した。そして左足から一歩踏み入れる。すると光の粒が舞ったように見えた。

「天照大神さまが受け入れてくれている。」

 ヒンジはそう感じた。

 一歩一歩踏みしめるようにゆっくり橋を渡る。何となく無心になっていくような感覚だ。五十鈴川の水面がまばゆかった。

 橋を渡り切ると右手に曲がって五十鈴川の水で手を清めた。

「正宮へ向かうぞ。」

 気を入れ直した。

 途中神楽殿で神楽拝観の申し込みをし、正宮へ向かう。わくわく感と緊張感が入り交ざる。

 正宮の前の石の階段を上る。

 ヒンジは正面に立つと剣のケースを置いた。柏手を打って仁義を口上した。幌が舞い上がった。

 その奥からそれは眩い光が広がった。

 その中に人の影のような姿がうっすらと見えた。


「アマテラスです。

 碧淳の人であるそなたが来るのを待っていました。

 我が願いを叶えるのはそなたをもって他にいないのです。」


 この声は聞いたことがなかった。

 アマテラスと言った。ということは、

「天照大神さまか。」

 ヒンジは緊張した。

「アマテラスさまの願いとは何でしょうか?」

 ヒンジが尋ねた。


「出雲の地に居る我が弟、スサノオを解き放って欲しいのです。」


 スサノオノミコトは出雲が大変気に入ってそこに定住されたとの神話がある。それを解き放てとはどういう事なのかが分からなかった。


「スサノオには他になすべき本来の役があるのです。

 その事を弟も察していますが、今身動きが取れないでいます。

 そなたの二振りの剣に我が力を授けましょう。」


 天照大神の姿が消えた。

 ヒンジは力の限りを尽くすと約束した。〆の挨拶をして正宮を後にした。

「千手さんはアマテラスさまからの願いを直接自分に聞かせるために伊勢に行けと言い、だからこれまで祭儀の内容については何も言わなかったんだ。」

ヒンジはこれまでの千手観音の対応を理解した。


 それにしてもさてどうしたものか。解き放つにはどうしたらいいのか、その戦略を立てなければならない。

 ヒンジの苦悩が既に始まっていた。


 神楽殿に向かった。順番待ちのため待合室に通された。ヒンジは無口になっていた。

「先生、どうしたんですか?」

 タスクが尋ねた。しかしなかなか返答できないでいた。

 係の人が来て神楽を行う会場に案内された。ヒンジの一行は5人と少なかったので、別の団体と一緒であった。服装などからして観光旅行の団体だろうと察しがついた。やや騒がしかった。

 二礼二拍手一礼を行った後、神楽が始まった。さすがに静かになった。


 まずはお祓いだった。次いで神饌がお供えされ祝詞が奏上された。やがて雅楽に合わせて舞が始まった。巫女の動きは清楚であった。

 続いて太刀を携えた男の舞があった。

 続いては赤系の衣装に面をつけての舞だった。

 ヒンジ達が申し込んだ神楽は一番舞の少ないものだったが、終わってみると一番上位に位置付けられたものだったようだ。

 あの団体が申し込んだものだったのだろう。ちょっと煩かったがお陰様でいいものを見させてもらったと思った。

 それにしてもこれが参考になると言った千手観音の言葉はしっくりこなかった。

 何が参考になるのかが分からなかったのだ。


 一行は内宮を出ておかげ横丁に立ち寄った。

「ここでお昼を食べて行こうか。」

 ヒンジが言った。

 見渡すとちょっと古そうな食堂を見つけた。カツオの手ごね寿司が献立にあった。迷わずそれを注文した。新鮮ないいカツオだった。

 皆が舌鼓を打った。満足だった。


 これから出雲へ向かう。

 ここからは宇治山田駅から大阪に出て、そこから出雲行の列車に乗る。どれも初めて乗るものばかりだ。とにかく迷子にならないようにしなければと思った。

 列車に乗った。一息ついたところでまたタスクが聞いてきた。

「先生、内宮では何があったのですか?」

 少し心の整理がついてきたのだろう、ヒンジは天照大神とのやり取りを皆に話して聞かせた。

「スサノオノミコトはヤマタノオロチを退治した後、出雲で暮らしていたクシナダヒメと夫婦になって、それで出雲が気に入ってその地に住んだんですよね。

 清々しいところだと言って須賀という地名までつけていて。

 また稲作を広めたり文化も振興したって話だよね。」

 タクトが言った。

「本人が気に入ってそこに永住したわけだから、どうなんですかね。解き放つと言うのは。」

 タスクの言葉にヒンジもそう思ったと答えた。

「惚れた弱みなんですかね。」

 テグスが何となく言った。

「それかも知れないな。

 スサノオは多くの業績をこの地にもたらした。

 従って地元の皆にも慕われた。

 その思いを大切にするが故にその地にいわゆる取り込まれてしまったということなのだろう。」

 ヒンジは思った。

 これはスサノオとのやり取りが主ではなく、この地域に執着している氏神や私念と相対さなくてはならないかも知れない。

 ということは正にスサノオを手放すまいと一同が軍団になって抵抗してくる可能性があると。

「こりゃ、一筋縄ではいかないな。」

 ヒンジがつぶやいた。

「札木は何枚持ってきたかな?」

「10枚です。」

 センショウが答えた。するとヒンジは何やらぶつぶつとつぶやき始めた。千手観音と遣り取りしているような感じだった。

 弟子の四人はただその様子を見守っているしかなかった。


 大阪に着いた。

 列車を乗り換える。この列車は夜行だ。弁当とお茶を買い込んで列車に乗り込んだ。

「一寸相談しよう。」

 ヒンジが切り出した。

「さっき千手さんが伝えてきたんだけど。」

 ヒンジが説明を始めた。

 出向くのは出雲大社ではなく、ヒノオツル宮だという。

 そういえば出雲へと言われたが出雲大社とは言われていない。

 この宮は大社から北西の方向に行った海岸沿いにあるという。

 この宮にアマテラスがお祀りされていて、まずはそこに「行かれたし。」だった。

 次いでカミノ宮に向かえと言う。

 そこにスサノオがお祀りされているというのだ。

 地図を開いた。大社の北西方向に千手観音が言った宮の記載はなかった。

 ただ日御碕ひのみさき神社という記載があった。島根半島の西の端であった。

「これでヒノオツル宮なんだな。多分この神社の中に二つの宮があるのだろう。」

 詳しいことは不明であった。でもここに行くしかないと思った。

 ヒンジは南無察した。

「アマテラスさまはどのような祭儀をお望みなのか。」

 二振りの剣に力を授けると言っていたが、それがどのような力なのか分からない。

 とにかく八幡神の教示では天照大神は7種を司っていて生かすことが基本だと言っていた。だから降伏させればそれでいいという訳ではないだろう。

 ただ7種には2種が伴うとも言っていた。整えや薙ぎ払いもありうるということだ。

「タクト、両刃の剣で九字切りをしてもらうかもしれない。

 後で作法を教える。練習しておいてくれ。」

 ヒンジは形が見えてきたようだ。

 更に全員に光切りの作法を教えるという。祭儀の最後に本尊方々に感謝の意を示す法儀である。

 心を乱すことなく専心の思いで全員一致して法儀することが肝要と言った。

「おそらくこの日御碕神社に参ることになる。

 ただここでは祭儀はしない。

 まずアマテラスさまが祀られているヒノオツル宮に行って仁義を口上する。

 次いでスサノオノミコトが祀られているカミノ宮に行って仁義を口上する。

 それを終え場所を移動し海岸の縁で祭儀を行うことになるだろう。

 ここでの祭儀は心してかからねばならない。」

 ヒンジはそれ相応の抵抗があるだろうと思ったようである。

「阿弥陀経を唱えているときは散華を三度行う。」

 それぞれがお花を準備しておくようにと指示した。そして九字切りと光切りの作法を伝授した。

「一息入れよう。弁当でも食おうや。」

 皆はこれまで腹が空いたのを忘れていた。ヒンジの言葉に腹が減っていたことに気が付いた。

「腹が減っては、と言いますからね。」

 張りつめていた緊張感がほぐれた。

 出雲到着は明日の朝である。


 出雲に到着した。

 いい天気である。乾燥した空気が爽やかにそよ風が吹いている。

「千手さん、ここで新たに用意するものはありますか?」

 宇佐に出向いた時と同じように尋ねた。


「榊と酒と米を用意されたい。」


 千手観音が答えた。

 しかし出雲の勝手が分からない。そこで駅員に尋ねると近くの店でその全てが揃うという。

 もう一つ聞いた。

 ヒノオツル宮に参るためには日御碕神社に行けばよいのかと。

 名称がやや違うような気もするが恐らくそこでいいのではないかという返事だった。

 ヒンジの勘は当たっていた。何と有難いことかと思った。


 買い物を終え、一行は日御碕神社を目指した。

 駅から神社行のバスが出ている。多少時間がかかるが参拝者が多いのかもしれない。

 何故ならバスの本数は思った以上に多かったのだ。

 何せ風光明媚で知られる地域だ。灯台も人気のスポットのようだ。


 バスの中にはやはり沢山の乗客がいた。でも座れない程ではなかった。

 暫く揺られてやがて神社前に着いた。

 やはり緊張感が走る。

 鳥居の前に来た。花崗岩で作られた立派な鳥居だ。

 ヒンジが仁義を口上した。

 一礼をして左足から踏み入る。参道はやや下り坂になっているようだ。

 それにしても静かだ。バスにはそれなりの乗客がいた筈だったが、今は他に人の気配がない。おかしな雰囲気だ。


 更に参道を進む。

 桜門の前に来た。檜皮葺ひわだぶきの屋根に朱色の柱が際立っている。

 石段を上がる。中には阿吽の獅子が鎮座していた。

 通り過ぎた。正面にヒノオツル宮が見えた。

 ここまでは何も変化がないとそう思った時である。桜門の右側からやや強めの風が吹いた。


「よう来られた。早う此方へ。」


「お待ちくだされ。順番で其方そちらに参る故。まずはアマテラスの大神に仁義奉る。」

 ヒンジがそう答えた。

 声をかけてきたのはスサノオノミコトであった。

 地が小刻みに揺れているのを感じた。


 ヒノオツル宮の前に立った。

 立札にはヒノオツル宮ではなくヒシズミノ宮と書かれてあった。

 ヒンジはなるほどと思った。でもヒンジは千手観音が伝えてきたヒノオツル宮で通そうと思った。

 それにしても大きなしめ縄が目を引く。

 ヒンジが中央に立ち四人がその後ろに整列する。一礼し三・三・三の柏手を打った。


「アマテラスの大神に申し上げる。

 やうやうここに参らせしむ。

 我ら天の清浄を願い、地の清浄を願い、天地が間に在りて六根清浄とあるを志するもの。

 聖願せし八幸聖願。

 大神の意の叶うべくに岸辺に出向きて祭儀奉る。」

 仁義を口上した。

 拝殿の奥からゴトンと大きな音がした。本殿に目を向けると、そこに祀られた御幣が朱色に光った。


 続けてカミノ宮に向かう。

 やや急な石段を上がっていく。

 また強い風が吹き絵馬がカラカラと音を立てて舞い上がった。拝殿の前に整列した。


「スサノオノミコトに申し上げる。

 我ら八幡戦士。

 アマテラスの大神が意を受けてここに参らせしむ。

 ミコトの意や如何に?」

 ヒンジはスサノオノミコトの思いを確認しなくてはならないと考えたのだ。


「この日を、待ちわびて、待ちわびて、千秋の思い。

 願わくは祭儀成就。」


 スサノオノミコトはここから解き離れたいのだと確信した。


「懸命の義を持って祭儀いたす。」

 ヒンジは答えを返した。

 絵馬がまた音を立てて舞い上がった。

「岸辺に移動するぞ。」

 一羽のウミネコが飛んで来て一行の上を旋回した。

「あのウミネコが先導してくれるようだ。」

 ヒンジが皆に伝えた。

 一行はウミネコが飛んでいく方向について行った。海岸縁べりに着いた。

 北の方向に経島ふみしまが見える絶好の場所だ。この島は最初に天照大神が鎮座したところとの言い伝えがある。


「ここで祭儀をしよう。」

 ヒンジはそう決めた。

 風は穏やかで海は凪いでいる。小さな波が周囲の岩に砕ける。長閑のどかだ。やがてウミネコはどこかへと飛んで行った。

 早速祭儀の設えを始めた。

 まずは護摩壇を組む場所を決めた。その北側に榊を立てる。その榊の正面に塩を盛った。その両の脇に酒と米を備える。

 タクトが護摩壇を組み始めた。

 いよいよヒンジが二振りの剣のケースを開けた。

 すると何ということか、先ほどまでの晴れ渡った穏やかな空に黒い雲が出現した。風も出てきた。しかしこんなことで設えは止めない。

 するとあと一息の所で組みあがる護摩壇が突風にあおられて、あっという間に吹き飛ばされてしまった。


「いよいよ来たか。」

 波も荒くなってきた。砕け散る波しぶきが据え付けた榊の所まで飛んでくる。先ほどまでとは打って変わった状況となった。

 経島の周囲に目を向けると、そこには鎧を付け、兜をかぶったやや金色の一団がいた。

 その体は一様に透けている。

 しかし姿形はしっかりと見える。

 槍を持つもの、剣を手にしたもの、纏いのようなものを持ったものもいた。


「この地におわす諸々の神に申し上げる。」

 ヒンジが口上を述べ始めた。

「我らアマテラスの大神の意を受けここに参った。このことに異議のあるや。」

 大義名分に風が止んだ。

「スサノオノミコトにはアマテラスの大神のもと、更なるその役を果たしたもうことが意なり。

 我らが祭儀はそれが叶うべくすることにあり。」

 こう切り出されてはこの地の神々も抵抗しずらい。しかしそう容易たやすくスサノオノミコトを手放すことなどできない。


「ミコトは自らが望みこの地の主と成るなり。なれば左様なことの聞き入れ叶わぬと思しめよ。」


 これも確かに言い分としては理屈が通っている。

「されどミコトの思いは如何にあるや、ご承知か。」

 スサノオノミコトの気持ちの確認は先ほど取ってある。


「それはミコトの勝手の言也。

 残されたもの並びにこの地の安寧は如何なるか。」


 ヒンジと地の神々とのやり取りは続いた。その間にタクトは護摩壇を組みなおしていた。

「神の役とは何ぞ。

 この地にあってその役を果たすもあれば、この空の全てにおいて役を果たすもあり。

 昼を司り、夜を司るもあり。

 ミコトにあっては生まれながらにして海原を治めよとの命あり。

 その役は勝とせねばならぬ。

 これ如何とするや。」

 問答が続いた。そしてヒンジは決定的な物言いをした。

「我らが仁義を受けずして撃のあるは信義にもとる。

 アマテラスの大神に礼の建たずと心得られよ。」

 地の神々が一歩引いた。


「ならば聞こう。

 そなたの仁義を。

 理に適わぬものなれば反撃致すを承知されよ。」


 ヒンジは弟子に所定の位置に着くよう指示した。東がテグス、南がタスク、西がセンショウ、北がタクトである。

 全員が榊の方を向き合掌し深く一礼をした。柏手を三・三・三と打った。ヒンジが仁義の口上を始めた。


「我ら八幡子也。

 故 天の清浄を願い、地の清浄を願い、自らは天地が間に立ちて六根清浄となるを志すもの也。

 聖願せしは八幸聖願。

 志孝義一貫とある也。」

 ヒンジの仁義は自信にあふれていた。宇佐の元宮の時とはまるで別人のようであった。

 仁義は長かった。それもその筈、天照大神の思い、スサノオノミコトの思い、神としての在り方などを説いたのである。

 そしてこの地の神々の役割の意義にも触れた。

 神々が尊い存在であること。故にスサノオノミコトにこよなく愛され大切にされてきたこと。そしてこれからもその思いは不変でありこの地の安寧はゆるぎないことなどを述べた。

 その約束として祭儀の中でのその意をしっかりと示すと口上した。

如何いかが?」

 口上の最後に問うた。


「承知。

 祭儀に入られるがよろしかろう。」


 ヒンジは天地四方、天地四方八方を切った。続いて四方拝を行う。東の天を突いた。テグスがすかさず東の的を発声した。

「聖七光 正動真勝が的」

 声が通った。

「ホー ホー」

 南、西、北、芯中においてもそれぞれ声が通った。


「各位大尊が札木に真勝宝生と2枚書きそれで護摩壇を井桁で囲むように2段組め。」


 千手観音の声が聞こえた。

 ヒンジが全員に指示を出す。皆が札木に真勝宝生と書いた。


「碧淳の人、四天守護を願い正井桁これに施すと口上して組み、各交点の四方に塩を盛れ。」


 続いて両刃の剣で九字を切り直後に七枝の剣で七切を行えと言う。

 ヒンジがタクトに両刃の剣を手渡した。自らは七枝の剣を構えた。

「九字切り法儀」

 ヒンジがタクトに指示した。

「リン・ピョウ・トウ・シャ・・・」

 タクトが九字を切った。

「七種正護妙法真勝」

 ヒンジが発声し七切を施した。剣が朱色に輝いた。

「採火礼建」

 護摩壇に火が入った。炎は一気に燃え上がった。

「ヒンジ、両刃の剣を持して我に倣って続け。」


 千手観音が言った。姿がはっきり見える。


「天地の清浄を願い

 我六根清浄

 八重垣の内 

 清しとする浄法門法これに印す。

 因縁宿縁は草薙て

 清浄と願いてかしこみ畏み申す。

 度。」


 八重垣の文言はスサノオの思いを反映したものであった。

 この文言一つ一つの発声と共に両刃の剣が空を切った。

 この動きは初めてのものであった。

 剣を納めた。


「続けて七枝の剣を構えよ。天照クサナギ施法。」


 四の月の護摩で千手観音から教示された法儀だ。

「天照クサナギ正動」

 二度切り上げた。

 何かが切れた音がした。

 ヒンジはその手応えをしっかりと感じた。天照大神の力かと思えた。


「切れたか!」


 スサノオノミコトが洋上に姿を現した。ヒンジの疑問は確信に変わった。


「札木に八幸聖願と記し護摩壇に入れよ。」


 札木は朱色の光を放ち燃え上がった。

「阿弥陀経」

 読経が始まった。

 波の音とウミネコの鳴き声とがコラボレーションしている。


「最後の一枚、陽之本一族之霊位と記し護摩壇に入れよ。」


 今度は紫色の炎で燃え上がった。

「散華」

 お花が空を舞った。三度舞った。

 陽の光を受けた五色のお花は輝きながら風に乗って経島の方へと吹かれて行く。

 どこからともなく鐘の音が聞こえた。すると笙や鼓の音が聞こえるような気がした。ヒンジは経島の方を見つめた。


「なんだ!」

 びっくりした。

 ヒンジは目を疑った。

 先ほどまで鎧姿でいたこの地の神々が鎧を脱ぎ捨て、煌めくアマテラスの大神の光を受けながら神楽を舞っているではないか。


 何と神々しいことか。


「これは伊勢の神宮で拝見した神楽と同じだ。千手さんはこのことを言っていたんだ。」

 ヒンジはそう思った。

「この地の神々は受け入れてくれたんだ。」

 ヒンジは胸をなでおろした。

「御十念」

 ヒンジに続いて全員で唱えた。

 お花がウミネコと戯れるように煌めきながらまだ空を舞っている。


「阿弥陀如来のお力を今回も頂いた。」

 もう全く暗雲など無い。

 これで浄土へ行けるものは迷いなくお花の船に乗れるだろうと思えた。


 青い空と経島と静かに波打つ海と、このコントラストはこれからも人々の心を惹きつけていくだろう。


「光切り」

 全員で揃って法儀した。勿論両刃の剣は一振りしかないのでヒンジ以外は手刀である。

 三・三・三・一と柏手を打ち深く一礼した。塩を一握り護摩壇に投げ入れた。


「ありがとう!」


 ヒンジが言った。

 これは皆に言ったのか、それともこの地の神々に言ったのか。


「感謝する!」


 スサノオノミコトの声がした。

 カミノ宮の方向を見た。社に陽が差している。社が一際輝いて見えた。


「終わりましたね。」

 タスクが近づきながらそう言った。

「腹減ったな。なんか食っていくか。」

 鳥居の近くに土産屋のような食堂のような店がある。サザエのつぼ焼きの品書きがあった。皆満面の笑顔になった。

 舌鼓を打った後、一行は日御碕神社に別れを告げた。

 海岸沿いに連なる松並木が絶好の景勝として目に入った。

「ヒノオツル松並木とでも言うのかな。」と勝手に思った。

 皆は満足感を噛みしめながら帰路についた。




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