第八話 四人の弟子と第二戦の點布

 宇佐から戻ってまだ幾日も経たない夜、黒い長髪を背側に垂らし、薄い青色の着物に銀色の帯を締め、純白の打掛を纏った色白いろじろのこれまでに見たこともないような、いわゆる絶世の美女が夢枕に立った。


「ヒンジ、聞こえてますか。」


 優しい澄んだ声が聞こえた。

「どちら様でしょう。」

 ヒンジは夢の中であるが、そうとは思わず問い返した。


「八幡です。初めて姿を見せます。」


 ヒンジは緊張して体が硬直した。どうしていいか分からない程動揺している。でもどうにか問いかけることはできた。

「八幡さんは女性だったのですか。これまでの話ぶりではとても想像ができない。本当なのですか。」

 もうこの後は何を続けて話したらいいのか分からない。


「ヒンジの気持ちは理解します。

 場に応じて使い分けします。でもこれが本来の私の姿なのです。

 私はそなたたちの母としての立場なのです。ですからこの星の全ての命あるものは私の子供との立場となるのです。」


 確かに自分はこの地球という星で生まれた。妻もそしてこれから生まれてくる子供もみんなそうだ。それは間違いない。

 しかしそうは言われても自分には両親がいてその両親にも両親がいて、そう熊を倒した祖父も自分の先祖だ。その祖父がいなければ今の俺はいない。

 さらにその先の先祖をたどってみてもみんな代々両親がいる。それがそれぞれの親ではないのかと思った。


「今ヒンジが思った全てが皆私の子供なのです。もっと違った言い方をすれば皆は私の一部と言っていいのです。」


 飛躍しているように思えた。


「例えて言いましょう。

 私の体の一部として私には皮膚があります。この皮膚は私の一部として私の体から生まれてきます。

 皮膚は新陳代謝します。古い皮膚は垢となって剥がれ落ちますがその下には新しい皮膚が形成されています。

 これは世代の交代です。

 今私のここにある皮膚が今を生きる皮膚なのです。

 剥がれ落ちた皮膚は垢と呼ばれますが、私の皮膚であったことは揺るぎません。

 これまで私を支えてくれたことに感謝する対象なのです。

 汚いなどと罵ってはいけません。

 つまりそなたが今をここに生きていて、剥がれ落ちた皮膚はそなたの先祖ということでしょう。」


 体に例えての話は確かに理解しやすい。そういえば初めて八幡神の声が聞こえてきた時も体の話だった。

 そうするとやっぱりこの絶世の美女は八幡神で間違いないのかと思った。

 それにしても八幡神がこんなに美しい女性だったとは、ヒンジはどうにも何とも言えない思いだった。


「これからはそれぞれの役を担う神仏がそなたを指南し、また補佐することでしょう。」


 そう言い残して八幡神は姿を消してしまった。

 今の八幡神の言葉を顧みると、もう八幡神の声掛けがなくなるということなのかと辛い思いがした。

 ヒンジは奇麗な八幡神もいいが、あの男みたいな物言いの八幡神が大好きだったのである。

「そうはいっても八幡さんは私の母親なんですよね。このことは永遠に変わらないってことですよね。」

 ヒンジは自分に言い聞かせるように力を込めてそう語りかけた。


「そなたは我が子。これからも頼っていいのです。そなたは八幡子はちまんしであることに誇りと自信を持ちなさい。」


 声だけが聞こえた。

 ヒンジは嬉しかった。また何かの折に八幡神と話ができるだろうと思えたからである。

「しまった。子ができたことのお礼を言うのを忘れた。」

 つい大きな声を出して独り言を言った。妻はそれを聞いた。

「どうしたの。」

 妻に事の次第を話した。

「そうですか。それなら今から二人でうちの神棚の所で八幡さんにお礼を言いましょうよ。」

「そうだね。それがいいね。」

 ヒンジは「八幡さんはきっと聞いてくれている。」と思い、すぐさま二人でお礼を言った。

 そのあと二人は八幡神について何やらごちゃごちゃ会話していたが、妻は最後にヒンジの尻をつねった。

 果たして二人は何を話していたのだろう。


 ヒンジにはタクトという弟がいた。

 以前は家業の鍛冶を手伝っていた時期もあったが村からの誘いがかかり今は村役場に勤めている。

 そのようになってからは住むところが別になり、顔を合わせることも少なくなっていた。

 そのタクトがひょっこりヒンジを訪ねてきた。正月に帰って来て以来であった。


「兄貴よ、何か俺に手伝えることはないかな。」

 タクトはヒンジが最近忙しそうにあちこちに出かけていることを噂に聞いていた。やはり実家のことが気になっているのである。

「気にかけてくれてありがとう。」

 ヒンジは弟の気持ちが嬉しかった。

「タクト、ちょっとこれ見てみろよ。」

 正月に来たときには見せなかったが、この時は二振りの剣を弟に見せた。

「これ、兄貴が作ったのか。」

 タクトは目を見張った。剣に吸い込まれるのではないかと思うほど食い入るように見入った。

「こんなの、これまで見たこともない。まるで神秘の力が宿っているようだ。」

 タクトは剣に得体のしれない力を感じたようだった。

「お前に分かるんか。この剣の本質が。」

 分かるはずもなかった。ただ妖刀というか、ただならぬ何かを感じ取っているようではあった。

「なんでこの二振りの剣を作ったんだ。両方共神事なんかで使う剣だろうけど、特にこっちのは七枝刀っていうんだよね。めったに見かけるもんじゃない。確か刀剣の本で見たことがあるよ。」

 タクトは七枝の剣のことを知っていた。それが神事に関わる祭儀で使われることも知っていた。

 でもまさか八幡神のことまで打ち明けても、それは信じてはもらえないだろうと思った。

「夢を見てさ。作ってみたくなったんだよ。」

 はぐらかした。

「触ってみてもいいかい。」

 タクトは七枝の剣に手を伸ばしかけた。

「駄目だ!」

 ヒンジは強い口調でタクトを止めた。タクトはびっくりして手を引っ込めた。

「あっ、わりいな。びっくりさせたな。一寸今はこれには触れないほうがいい。」

 ヒンジはそんな言い方をした。

 あの日以来ここに安置してから自分自身も手にすることが出来ないでいたのだ。

「何かありそうだね。」

 タクトも鍛冶をしていたことがあったし、今日は自分を気遣って訪ねてくれた。だからと一寸軽い気持ちで見せてしまって、まずかったかなと思った。

 でも少しだけ話してみてもと考え、まず問いかけをしてみることとした。

「お前さ、神って、いるって信じられるか。」

 タクトはきょとんとした顔をしたが、この問いを否定しなかった。

「じゃあもう一つ、お前は、自分は一人だけの力で生きていると思っているか。」

 タクトは首を振って、そりゃ無理だといった。

「もしさ、もしだけど八幡戦士になってみるかって聞かれたらどうする。」

 突然何を言い出すやらと、タクトは戸惑った。

「何だい、その八幡戦士って。」

 タクトが興味ありそうな反応を示した。その反応を見て初めて八幡神が語り掛けてきた時のことを話してみてもいいかと思い、話しをし始めた。

「そりゃ凄いね。俺も聞いてみたい。」

 まったく疑う風もなく話に乗ってきた。

 そんなタクトを見てヒンジは七枝の剣を作った経緯や善光寺での出来事、宇佐八幡宮での治めの話を聞かせた。この話を聞かせるのは妻以外では初めてだった。するとタクトは言った。

「俺も一緒に仕事がしたい。俺も八幡戦士ってやつに成ってみたいな。俺を兄貴の弟子にしてくれないか。」

 思いもよらぬこのタクトの申し出に、ヒンジは黙って頷きにっこりと笑みを浮かべた。


 ここでヒンジの家系と家族状況について一寸触れておく。

 ヒンジの家系は代々徳川幕府の家臣でそれなりの役職を務めていた。

 したがってヒンジの祖父の父は武士だった。

 しかし明治維新の頃、まだ若かったヒンジの祖父の父は仲間内の権力争いに嫌気がさし、人里離れた地に疎開した。

 武家としての職を離れたそこでの生活は決して楽ではなかった。

 やがてこの地でヒンジの祖父は生まれるが、当然武家の一門としてではなく一村民として生まれたのだった。

 このような流れもあってかヒンジの祖父は教育に理解があった。

 このため祖父の子、つまりヒンジの父親は学校に通っており、卒業後は教師になっていた。しかし二人がまだ子供のうちに病を患い亡くなってしまった。

 ヒンジが初めて八幡神と会話をした時「健康第一」と言った理由がここにあった。

 夫を失ったヒンジの母親は二人の子を育てるため懸命に働いた。

 祖父の作った刃物をあちこちに行商して売り歩いた。しかし祖父が亡くなったのちは行商をやめた。

 母親は今も健在でヒンジ達が住む本宅のすぐそばに離れを建てそこで暮らしている。時折タクトの所に出かけては寝泊まりするなど元気に過ごしている。

 ヒンジといえば、母親が行商に汗水流しているころ、その姿を見てこれから一家を養うのは自分だとの強い思いを抱き祖父に弟子入りして鍛冶を学んだ。

 木こりの作業も学んだ。ヒンジも母に負けず懸命に働いた。

 弟のタクトはそのヒンジの姿をよく見ていた。

 このためヒンジに対しては我が家の守護神のようだとの思いを抱き、絶対の信頼と尊敬の念を持っていた。

 だからヒンジがありえないようなことを言い出しても、ヒンジを疑うようなことはなかった。

 したがって今回の話も素直に受け止めて、むしろすこぶる心が揺り動かされたのだった。

 ヒンジの妻は名をコウという。

 ヒンジの母が行商しているときに包丁を購入してくれた一寸裕福そうな民家の娘で、ヒンジの母が惚れ込んで是非うちの息子の嫁になって欲しいと、それは何度も頼み込んで嫁に来てもらったという経緯いきさつがある。

 したがってヒンジは母親に頭が上がらないところがある。

 一方これが因果でヒンジの母親は嫁に頭が上がらない。


 さて、話を戻す。

 春が近づいて来た。屋敷内の梅が花を咲かせた。

 しかしまだこの時期には木こりの仕事は殆どない。なのでヒンジは鍛冶の仕事に精を出していた。

「御免下さい。」

 二人の若者が訪ねてきた。

「いらっしゃい。何の御用でしょうか。」

 ヒンジが問うと若者は何やらもじもじしている。

「何の御用でしょう。」

 問い直した。

「我々を弟子にしていただけませんか。」

 突然の申し出にヒンジは身を乗り出し二人を見つめた。

 弟子にと言われてもと思った。

 そもそも自分の何に対しての弟子入り希望なのかが分からない。木こりなのか、それとも鍛冶なのか、まさか八幡戦士ではあるまい。そんなことを思いながら二人を覗き込んだ。

「善光寺の宿坊のご住職様にお話を伺いまして。」

 まさかの内容に驚いた。

 木こりのことは言っていなかったからこれは排除するとして、では剣を作った鍛冶の腕を見込まれてか、それともお花を頂いたいきさつでも聞いて、それでなのか、二つに一つだと思った。

「どのようなお話でしょう。」 

 ヒンジは鎌をかけた。

「先生はご立派な剣を作られたと伺いました。」

 いきなり先生と呼ばれてびっくりはしたが、こっちだったかと一寸安心した。

 鍛冶なら教えることが出来るだろうと思った。注文もたくさんあるし一人くらいお手伝いのような存在がいてもいいかなとも思った。しかし続きがあった。

「如来さまのお力を・・」

 まさかの展開になりそうだった。

「私たちも先生の下で鍛冶も含めていろいろ教えをいただきながら、先生のお力になりたいのです。そうなれる自分に鍛え上げたいのです。」

 二人はそれこそ土下座をしておでこを地面にこすりつけた。

「二人ともお立ちください。私はそんなたいそうなものではありませんよ。」

 ヒンジは二人の肩に手を置いてそう促した。ヒンジの顔を見つめる二人の目は真剣そのものだった。

 ヒンジの心が揺れた。

「今ここで決めることはできないよ。少し時間をください。」

 ヒンジは妻と相談したかった。二人を雇うことになると給金のこともある。だから一人だけという選択肢もあると思い、悩んだ。とりあえず明日出直してくれるよう話して二人を帰した。


 妻に相談すると妻は面白いと答えた。

 給金はざっくばらんに話してそれでもいいという事であればいいんじゃないかと。

 また八幡神の関係では弟も弟子になったことだし合わせて三人まとめて面倒見たらいいとまで言った。

 ヒンジは妻の肝っ玉は「でかい」と思った。


 翌日二人の若者がやって来た。

 今度は妻も立ち会った。妻のお腹は少しだが出始めていた。二人の若者はその事に気付きお祝いを言ってきた。妻は笑顔でお礼を述べた。

 ヒンジは勤めるための条件を示した。

 二人はその条件を全く問題にしなかった。まるで給金などいらないような答えぶりであった。

 続けてヒンジは弟の時と同じように二人に質問を始めた。

「リンゴの木に実がなっている。どうする。」

 二人の若者は突然の変な質問に目を見合わせた。

 一人が答えた。

「どうしましょう。リンゴは好きですけど。」

 食べたいという気持ちがあったようだ。するともう一人が答えた。

「その質問ですと熟したリンゴかどうか分かりません。そもそも誰の木なのでしょうか。毒リンゴかもしれません。」

 ヒンジはなるほどと頷いた。次の質問は、

「人類が地球に生存する意義をどう思うか。」

 今度は二人が同時に同じ答えをした。

「それが知りたいのです。」

 二人の気持ちが分かったような気がした。

「なるほど。ではこれからここに勤められるがよい。」

 ヒンジは二人を受け入れた。妻もこの結果を大いに喜んだ。二人は作業着の作務衣を手渡された。


「そういえばまだ二人の名を聞いていなかったね。」

 この言葉に妻はずっこけた振りをした。二人は兄弟だという。兄はタスクで弟がテグスと名乗った。

 ヒンジは善光寺宿坊の住職にまた会いに行きたいと思った。


 二人が働き始めて幾日かすると、また一人の若者がヒンジを尋ねてやって来た。

 テグスの友達のようだ。

 この友達は二人の話を聞いて矢も楯もたまらず自分も仲間に入りたいと、その思いでやって来たらしい。

 仕事は自分で木工所を営んでいるので雇って欲しいというものではないと言った。ただ教えを受けたいのだという。

 テグスが口をはさんだ。

「先生、こいつも素直ないいやつなんです。きっと先生のお役に立ちます。」

 するとヒンジが答えた。

「私の役に立つとか立たないとか、そういう問題ではないのだよ。要はここで何を学んで何をしたいか、何をするかが大事なんだ。

 それが何のためなのか、何に対してなのか、その的が決められるか。

 そしてその姿勢は志孝義でなければ私がしようとしていることに、同動はできないのだよ。」

 ヒンジはするすると言葉が出てきた。

 自分の言葉に自分が教えを受けているような感じだった。

 これも面白いと感じた。

 ヒンジはその若者に問うた。

「君はまずここで何をしたい。」

 若者が答えた。

「まずそれを探したいと思っています。」

 ヒンジは思った。

 この若者も自分の的を探して迷っているのだろう。ただ金を稼ぐための仕事だけで自分の一生を費やすのは何かが違うと思っているのかも知れないと。

 それにしても弟子たちに教えを始めるにはそれこそ一からのスタートになるだろう。でもそれも八幡神から自分に課せられた役目なのかもしれないと思えた。

「君の気持ちは分かりました。ここに出入りすることは構わないでしょう。共に学びましょう。ところでお名前は。」

 また名前を聞くのが最後になってしまった。

「センショウと申します。ありがとうございます。」

 今度はタスクが口をはさんだ。

「先生、先ほど先生が言われた志孝義の意味を教えてください。」

 ヒンジには突然のようにして、四人の弟子ができた。


 ある日、八幡神の声とは違った声が聞こえた。


「ヒンジ、そなたの役として果たしてもらいたいことがあります。」


 ヒンジは声の主に問うた。

「あなた様はどなたでしょう。」

 ヒンジは用心していた。

 これまで時折変な誘惑のような声が聞こえてくることがあったのだ。

 この役を果たせば新たな力を授かるとか、富を得ることが出来るとか、思いが三つ叶えられるだとか、望みは何だとか、見返りがあるような話なのである。

 ヒンジはこれらをまやかしだと判断していた。

 八幡神が言うあくまでも志孝義でなければ自分の役ではないと思っていた。

 したがって話が聞こえてきてもまずは相手を疑ってかかるようになっていたのだ。


「我は千手。これから我が役の範囲でヒンジを守護します。」


 千手と言った。

 ではこの声の主は千手観音かと思った。

 とはいえヒンジはこれまで八幡神に守護を求めたことなど無かった。だからこれもまやかしかと思った。

「私は守護を求めません。」

 すると千手が答えた。


「承知しています。そなたが志孝義の姿勢で一貫とあることは。」


 ヒンジは今までのまやかしとは違うかなと思った。


「この我の守護はそなたが求めずして与わる果なのです。」


 まだ信じきれない。

 そこで八幡神にまやかしかどうかを尋ねてみた。やっぱり返事はなかった。自分で判断しろということなのだろうと思った。

「ではこの度の私の役についてお伺いします。」

 話だけでも聞いてみることとした。


「治めです。ただしこの治めを行うに当たり多くのことを事前に学ぶ必要があります。」


 宇佐の元宮での治めを思いだした。

 あの時は八幡神にその場でいろいろの教示をされながらの治めだった。それでもきちんと治まった。

 しかし今回は事前に学べという。何故と思った。


「そなたの四人の弟子もこの治めに同動の必要があります。

 意を一つにしておかなければなりません。千手の動きの補佐とするためです。」


 なるほどと思った。

「失礼しました。千手観音とお見受けいたしますがそれでよいでしょうか。また学びの方法について伺ってよいでしょうか。」


 その方法とは、旧暦の毎月一の日と十五の日に祭儀をせよとのことだった。この祭儀のことを護摩焚きという。

 護摩の内容は自らの志孝義の姿勢をそこに示し、三輝一動が揺るぎないことを仁義とすること。

 この在り様が本尊への礼建てにつながるという。

 そして自分が今ここに生きていることへの様々なるお陰に対し感謝の心を持って阿弥陀経を読経すること。

 このことを聞いた時、八幡神の皮膚の話を思いだした。

 善光寺でのあの体験も鮮明に思いだした。あのときのことを思い出すといまだに心が震える。

 そして護摩の毎にヒンジに真詞まことのり(宣託のようなもの)が託されるので、この真詞をさびわけて学びを深めよという。

「ありがとうございます。修行に励みます。」

 ヒンジはお礼を述べた。もう疑う心は全くなくなっていた。


 翌朝、ヒンジはまずこのことを妻に伝えた。妻は護摩のためのしつらえが必要だと言った。

 このことを早速四人の弟子に伝えた。

 全員が旧暦の一の日と十五の日に集まることとなった。

 そこで祭壇があったほうが良いだろうとの話が出た。

 皆で相談をした結果、祭壇は本宅の客間に設けることとした。センショウはその祭壇を自分が作ると申し出た。

 祭壇が出来上がってくると神社での設営に倣ってその上段の中央には御幣を祀った。その下の段に水玉を置き塩と米も供えた。左右に燈明も置いた。

 やがて護摩を行う場の準備がほぼ整った。


 ヒンジはどのように護摩を進めたらいいかを考えていた。

 八幡神に聞いてみたが答えはない。

 宇佐の元宮を治めた時の手順を思いだした。基本はこれだと思った。

 千手観音が伝えてきた治めは何時何処で行うのかまだ全く不明だったが、とにかくしっかりと月々の護摩を行おうと強く心に決めた。

「それにしても何故一の日と十五の日なんだ。」

 疑問が浮かんだ。

 数種が関係しているだろうことはすぐに考えついた。しかし八幡神から教示してもらっているのは0と1から10までだった。

 11以降についてはまだ何も分かっていなかったのだ。八幡神に聞いてみようと思ったがそれはやめた。自分なりに考えてみたかったのだ。


 一の日について考えた。

 1は起と教えを受けている。つまりその月の始まりということになる。

 旧暦が記載されている暦を見た。

 一の日は「朔月さくげつ」となっている。つまり新月のことだ。

 これは太陽と月と地球が一列になっていて、太陽の光が全く当たっていない部分を地球から見ている状態のことである。月が全く隠れている日と思ってよい。

 この日の次の日から月は徐々にその姿があらわになり明るさを増していく。

 十五の日は満月となる。

 日の光が全面に当たっている月を見ている状態である。

 これを数種に当てはめて考えた。

 この十五の日まで1種から10種をさらに11種から15種を経て積み上げてきたものが満杯になる。

 そしてこの日を境に月は細くなっていく。

 これを物事の成り立ちに当てはめてみようと考えた。

 すると前半が組み立てで後半が消化と考えることが出来ると思えた。

「千手観音が祭儀つまり護摩をする日を指定したのはこれかも知れない。」

 ヒンジは声に出した。


「よくそこまで思いが至りました。」


 千手観音の声が聞こえた。

「千手さん、ありがとうございます。11から15の意を考えてみます。」

 ヒンジは八幡神の時と同じように様ではなくさん付けで千手観音の名を言った。

 ヒンジは考えた。

 1年は12か月だと。

 するとこの繰り返しが1年で12回ある。

 毎月が同じことの繰り返しなのか。繰り返しもよいかもしれないが本当にそれだけなのか。

 また暦を見た。今月の暦は4月だった。

「今月は4種なんだ。」

 1年の成り立ちについて思いが至った。しかも八幡神は今年を「起の年」と言ったことも思いだした。

「これは末法を正法の世に建て直していくため年毎にその意味があって、その年の各月にまた意味があって、そしてそれを12で成り立たせるという趣旨があるのだろう。」

 複雑に数種が絡み合っていると思えた。

「これはなかなか難しいぞ。」

 ヒンジは考え込んでしまった。すると千手観音の声が聞こえた。


「各月の意が成完したらそれで終わりではありません。

 その月の意が次の月に生かされなければその月の成完は何の意味も持ちません。

 次に生かされる成完のことを正輪しょうりんと言います。

 正輪とは回り続ける輪なのです。

 成完された正輪は後世にずっと生かされ続けるのです。」


 ということは毎回毎回がそれこそ真剣勝負でなければいけないと思った。

「月々の護摩は大変重要と心得ました。」

 ヒンジは千手観音に敬意と感謝の気持ちを持って申し上げた。


 ヒンジは早速4人の弟子に阿弥陀経を毎日読経してしっかりと護摩の中で役を果たせるようにして欲しいと伝えた。

 護摩が上手くできる、出来ないではなく、そこに取り組む姿勢こそが大切だということに気が付いたのだった。


 暦は4月だったが旧暦の方の表示を見るとまだ2月だった。旧暦は西洋歴に対してほぼ一月以上遅れている。

「なるほど、初めて行う今度の護摩は三の月一の日ということになるんだな。」

 3種は始動である。ヒンジは絶妙なタイミングだと思った。

「これが本尊のなせる業っていうことか。」

 心底納得したようだった。そして11から15までの意も早く知りたいと思った。


 いよいよ最初の護摩だ。とうとうこの日を迎えた。

 ヒンジが護摩の次第などについて四人の弟子と妻に伝えた。

 ヒンジは神棚の正面に座る。皆はその後ろに並んで座る。

 一礼をして三・三・三と柏手を打つところまでは一緒にする。

 そのあとは一緒に同動しているとの気持ちで臨んでいればよいとした。

 護摩の中で「阿弥陀経」と言ったところで皆で揃って読経を始める。

 最後に光切りをする。

 そのあと全員が一緒に三・三・三・一と柏手を打ち一礼をして護摩を終了とする。

 以上であった。

 ヒンジは、最初はこれで臨んでみたいと思った。

 八幡神と千手観音に問うてみたが返事はなかった。

 もうこれでやるしかない。腹を決めた。


 いよいよ護摩を始める。

 開始は夜の八時からとした。

 祭壇に向かって全員が位置に着いた。

 柏手を打つため両の手を合わせた。皆もそれに従った。

 ところがここまで来てヒンジはハッとした。仁義を用意していないことに気が付いたのだ。

「なんと口上すればいい。」

 一瞬、頭の中が真っ白になった。

 しかし勝手に手が動いてしまった。三・三・三と柏手を打ち始めてしまったのだ。

「我、志孝義に在り。聖願せしは八幸聖願

 この意の下、建て直し起の年 三の月一の日の護摩を執り行うもの也。」

 自然と仁義が口を突いた。ヒンジは思った。

「そうか。この最初の切り出しは八幡宮での口上だ。この仁義は護摩に於いての基本中の基本なんだ。」

 神仏に対しては護摩の前の仁義がとても重要な意味を持つことに気が付いた。

 つまりは仁義に因って自分がここにいて何のために護摩を行うのかという名分となるからだ。

 ヒンジはこの仁義をしっかりと胸に刻んだ。

 続けて両刃の剣で天地四方など、元宮で教示されながら行った法儀をここでも行った。しかし最後まで七枝の剣の出番は思いつかなかった。

 ヒンジの思いは先祖に対する感謝の気持ちへと向いた。

 すると善光寺でのあの日の出来事が蘇り、阿弥陀如来への思いが心を占領した。阿弥陀如来に対する.感謝と敬いの心を持って唱えることが大事と思った。


「阿弥陀経。」


 弟子たちはヒンジの先導に倣って阿弥陀経を唱え始めた。

 練習はしてきたはずだが、いざ本番となると口がうまく回らない。皆つっかえつっかえで、バラバラで、テンポも乱れてしまっている。

 善光寺本堂で聞いた住職たちのあの洗練された読経とは程遠いものがあった。

 でも皆は、それぞれが一所懸命であった。上手くできたとかできなかったとかよりも、この一所懸命こそが第一なんだとの思いに至ったことを思いだした。

 これからもそれぞれがしっかり修行して、千手観音から言われた「皆が意を一とする」ことが出来るよう励みたいと考えた。

 ヒンジが光切りをして、皆で柏手を打って、深々と一礼をして護摩を終了した。


「反省会をしてみようか。」

 ヒンジが切り出した。皆もそれがいいと言った。妻がお茶を運んできた。

「一息入れながら振り返ってみましょう。」


 ヒンジは仁義について話し出した。

「今日、護摩が始まってすぐ口上した仁義は聞こえたか。」

 皆は聞こえたが何を言ったのかがよく分からないという。

 ヒンジは護摩の前に用意していなかったことを正直に話し、とっさに口を突いた仁義についてその経緯を説明した。

 皆はその内容に一様に驚いた。

 それもその筈、志孝義とか八幸聖願とか普段耳にする言葉ではないし説明を受けなければ意味も分からない言葉が突然と出てくるのだから。

 それにしても仁義は名分となる大事なものであることを強調した。そして皆にもこの仁義が口上できるようにしておくことが大事だと伝えた。

 するとヒンジが何やら書き出した。

 ヒンジは自分でも何を書いているのかが分からないような不思議な感覚であった。

 これが真詞かとヒンジは思った。


「集いし八幡子。この護摩にて建て直しは始動した。我と共に。」


 短い文であったが八幡神の思いとして皆が受け止めた。


 三の月十五の日となった。

 第二回目の護摩をする。

 これまでの間、弟子たちは何度も何度も阿弥陀経の練習を個々にしていた。皆は今日こそはもっと上手く阿弥陀経を唱えたいと思っていた。

 護摩が開始される前に兄のタスクが言った。

「阿弥陀経を唱えるに当たり先導するものを一人決めたらどうでしょう。他のものは必ずその先導に従って唱えるようにする。先生、如何でしょうか。」

 ヒンジはいい提案だと言った。

 そしてこのように皆で考え、よりよい護摩ができるように皆で作り上げていくことも大事だろうとも言った。


「せっかく四人いる。それぞれを東西南北に配置してそれぞれの大尊の役を担うのもいいだろう。

 阿弥陀経は西の大尊が担うことになる。」

 ヒンジは元宮で四方の大尊に敬いの塩を撒いたこと。そして四方拝を行ったことを思いだしていた。


「四方はそれぞれに役と的を持っています。

 また四方に柱が立つことは家と同じで屋根を支えその中のものを守ることに繋がるのです。」


 千手観音の声が聞こえてきた。

 するとヒンジがまた何かを書き始めた。真詞の様である。


 東「聖七光 正動真勝が的」

 南「五大正力 真勝が的」

 西「正大輪 水生勝正 紫徳に価値一動が的」

 北「真中 真不動 御中柱おんなかのはしら大尊 真勝が的」

 芯中「聖天聖點 真中一建 真芯等位が的」


 書いたものを皆に見せた。

 分かるような分からないような。

 初めて聞く言葉もあった。皆が一同に難しいと思った。

 そのうちこれが分かるときが必ず来る。今日はこのまま護摩を行い、以後修行に励んでいこうとヒンジが言った。


 早速四方を誰が務めるか決めようとの話になった。

 くじ引きがいいとか、早いもの順に希望をとるとか、先生が指定するとかの意見が出た。

 結局今日の所はくじ引きと決まった。


 東はテグス、南はタスク、西はセンショウ、北はタクトと決まった。

 芯は勿論ヒンジが務める。

 ヒンジの妻はヒンジの補佐役の位置づけとした。

 さて今日の阿弥陀経はこれでうまくいくのか。

 護摩が始まった。

 スタートは前回と同じであった。仁義も用意していた。両刃の剣の法儀を終えた。

 すると何故かヒンジは七枝の剣を手にした。

 ヒンジはその場にスックと立ち上がり柄を両の手で持ち正面に構えた。


「七種正護妙法真勝」


 ヒンジが唱えた。

 七枝の剣が七度七の字に倣って空を切った。

 動きはゆっくりであったがその場の空気が何か説明のできないような不思議な力でみなぎった。

 祭壇に祀られた御幣が揺れている。

 ヒンジが着座した。七枝の剣を納め深く一礼した。

「阿弥陀経」

 その声で西の役回りとなったセンショウが「仏説阿弥陀経」と発声し読経を始めた。周りの皆もそれに続いた。

 センショウは最後までいい調子だった。内心うまくいったと思った。

 前回に比べれば出来上がりは雲泥の差である。

 ヒンジが光切りをして皆で柏手を打って祭儀を終了した。ヒンジが言った。

「皆は何を思って阿弥陀経を唱えていたか。」

 皆はどきっとした。

 すっかり褒めてもらえるものだとばかり思っていたのだ。そのことに特にセンショウはがっくりした。

「今の阿弥陀経は失格だ。何故だか分かるか。」

 ヒンジの厳しい言葉が続いた。

「皆の努力は認める。しかし阿弥陀如来さんや先祖に対する感謝や敬いというものを全く感じなかった。それでは主旨が違う。」

 皆は返す言葉がなかった。

 ヒンジの感覚は大分研ぎ澄まされてきているようだった。

 ところで今日の護摩で七枝の剣を振った意は何か。


 ある日妻が畑に野菜の種をまいていた。

「種撒きか。」

「これでまたおいしい野菜が食べられるわね。この種、昨年の野菜が作った種なんですよ。毎年のことなんだけどね。知らなかった。」

 ヒンジはハッとした。

 千手観音は次につながらなければ成完しても何の意味も持たないと言ったことを思いだした。これかも知れないと思った。

 10種が成完。

 次は成完したその果の種を植え付ける。

これが11種だと思った。

 植種だ。

 12種は植えた種が芽を出し、花を咲かせまた種を作る。これが12種だろうか。

 つまり開華かいげだ。

 ヒンジはこの二つの数種に思いが至ったことを妻に感謝した。一方妻は何のことやらときょとんとしていた。


 残すは13種と14種と15種だ。

「いや待てよ。十五の日は満月で太陽の光が全面に当たるときのことで、満杯になったことだと思ったはずだ。15種はこれでいいのかもしれない。つまりは満願だ。」

 続けて考えた。

 頭が熱くなった。

 扇子を出して頭に向けパタパタとやった。涼しい。

 その効果かどうかわからないが、扇子の手元が目に入った。

 目釘が打たれている。この目釘が扇子にとってはとても大事で、これが抜けると扇子として役に立たなくなると思った。

 13種はこれかも知れない。要としての目釘を打つことだ。

 つまりはこれで成完した果が正輪と成るための不動の位置となるということかと思った。

 元宮で九字切りをした最後にその芯を突けと言われたことを思いだした。そのときもそれが要となると八幡神に教示されていたことを思いだした。


 14種はどうだ。

 これは陰の7種と陽の7種を合わせたものと考えてもいいのではないかと思った。

 七種は天照のお力だ。七枝の剣もこのお力が宿っている。

 15種までの陰の組み立てと16種からの陽の消化の動がこれで生かされるようにと14種の意があると思えた。


 やっと1種から15種に思いが至った。

10種までは八幡神に教示されてのものだが11種から15種は自分で考えたものだ。

 だから本来の主旨とは違っているかもしれないと思ったが、ここまで考えられたことに八幡神に感謝の言葉を述べた。


「よくそこまで考えました。

 そなたがこの前の護摩で振った七枝の剣の意がすぐ生かされることになるでしょう。」


 久しぶりに八幡神の声を聴いた。ヒンジは涙が出そうであった。


「八幡神の意を伝えます。

 八幡戦士としての役を願います。

 出雲の治めです。

 その前に二か所行って欲しいところがあります。

 一つ目は善光寺。

 二つ目は伊勢の神宮です。」


 待っていた千手観音からの話が来た。

 また善光寺に行けるのかとヒンジは嬉しかった。

 しかしその先に待ち受ける治めは相当厳しいものになることをまだヒンジは知らない。




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