パパは中二病かもしれねえ

染谷市太郎

もうそろ60歳のくせに

 パパが中二病かもしれない。

 私は思った。


 中二病といっても、パパは右眼が疼くとか、左腕の封印がとか、二重人格がとか、飲めもしないブラックコーヒーを買うとか、はしないけど。


 ただ、日常会話で『論理の飛躍』なんて言葉使う人は、学者か中二病患者ではないか、と私は思った。

 ちなみにパパはただの会社員。学者でもなんでもないよ。


 学者でもなんでもないので、論理論理と口にしてはいるが、その話はまったく論理立ってない。

 常にぐるぐると同じところを回る。回り過ぎてバターにでもなるんじゃないかってくらいに。堂々巡り。

 めぐってめぐって、結論のない話しかしない。

 楽しい会話に結論がないことはしばしば。けれどパパは、つまらない話を延々とする。


 この前だってそうだ。

 最初の議題は、私が祖父を虐めているという話だった。むしろ私は祖父の介護に身をやつしているのだけれど。なにもしていないのは、パパのほうだけれど。

 疑いの原因は、私が外食の誘いを断ったこと。外食を断る私は、祖父を閉じ込めているらしい。

 おいおい、論理が飛躍してるぜ。


 とはいえ、もちろん、虐めているという疑いはすぐに晴れた。

 祖父自身が否定し、祖母が証人となってくれたから。

 けれどパパは表面的に謝るだけ。

 その後は私の態度が紛らわしいこと、私が外食の誘いを断ることに議題はシフトした。

 申し訳ないが、態度を曲解するのはパパの目が腐っているからで、外食を断るのは私の胃腸が弱いからだ。

 ただパパは何を言おうと納得しない。パパが納得する答えはない。


 だってパパは教鞭をとっていたいのだ。

 パパが語る言葉を前肯定し、うんうんと頷いてくれて、否定の言葉を挟まない『生徒』が欲しいだけだ。

 教師でもないのに。

 というか、人に教えられる立場でもないのに。


 だのに、パパは人に話をしたがる。


 原因は理解している。

 パパは会話をする機会がほとんどないからだ。

 職場でずっと話しているわけにはいかないだろうし。車通勤だから飲み会にも参加できない(というか飲み会もあるのかないのか)。

 家庭では当然会話しない。

 パパは、会話の機会がない。

 だからここぞというばかりに、日々ため込んだ言葉を吐き出そうとする。


 たまったものじゃない。

 いつ終わるのかもわからないお話に付き合う暇はない。

 お前に裂く暇はない。


 会話をしたければ、日常的に話せばいいじゃないか。夕食で、なにか言えばいいじゃないか。

 話をしないのはパパで、そのストレスを私たちに向ける。

 はた迷惑もいいところ。


 この論理を理解していないのは、パパだけだ。

 自己中心的な行動を理解していないのは、パパだけだ。


 話を中二病に戻すと、中二病とは自己愛に満ちた行動を揶揄する言葉らしい(wiki調べ)。

 であれば、パパの行動はパパのための行動で、つまりは自己愛ゆえの行動で、それを中二病と揶揄してもいいのかもしれない。

 ついでに、論理とか身の丈に合わない言葉を使っているところも、中二病といって差し支えないのかもしれない。


 加えていえば、パパの行動は精神疾患ではない。ただの寂しい人間の奇行で、迷惑行為だ。

 病院に行っても、肺とかは悪いかもしれないけど、精神に病気は見つからないだろう。

 なので、パパの行動に、病気ではないけど『病』という文字を使う中二病という言葉をあててもいいのかもしれない。


 そんなわけで、私のパパは中二病かもしれない。


 決して愉快なことではないけれど。

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