強風坂

高黄森哉

強風坂


 なぜ、学生時代、この坂を、強風坂とあだ名していたか、久しぶりに思い出した。この坂は、なぜか、いつも強風が吹きすさんでいて、だから、みんな、この坂を強風坂と呼ぶのだ。卒業して早五年、こんな大切なことまで忘れていたようだ。


 しかし、なぜ、この坂は、こんなにも風が吹くのだろう。左手は擁壁があり、右手には国道へ合流する道路がある。右手のさらに奥には、大きな陸橋があって、車がすさまじい速度で走っている。

 もしかしたら、車が風を押すから、強風が吹くのかもしれない。ただ、私が歩くこの坂は、左車線に面しているから、向かい風というのは、どうも変なのだけど。もしかしたら、右車線で押された風が、下手な具合に、こちらへ誘導されるのかもしれない。


 ごうごうと耳元で風切り音がする。


 それはもう猛烈な突風で、体が押されるほどの暴風。見た目は二十メートルしかないのに、風にあらがう必要があるので、通り抜けるに三十分かかる。口を開けていると、空気を吐き出すことができず、呼吸困難になるので、まるでクロールの息衝きのように斜め右を向くのが、ここでのルールだ。


 過去との今の隔たりが、この風に押されて接近し、私に昔の記憶を呼び覚まし始めた。


 耳元に囁き声がする。その声は、後ろへと移動した。振り返るが誰もいない。不思議だ。ただ、吹き飛ばされた枯れ草が下り坂を転がっていくのみだ。あの枯れ草の転がる音だろうか。いや違う。耳を澄ますと、ちゃんと人間の声だと判る。どうやら、ずっと前にいる二人組の会話が風に乗って、ここまで飛ばされてきたらしい。


「大勝くん」


 どきっとする。大勝君で思い出すのは、私が昔、好きだった同級生だ。そうだったと思い出す。高校の二年生に同じクラスになった優しい顔の男子生徒。馬が合うので、すぐに友達になった。家が同じ方向にあって、通学路が同じだった。それで、その通学路は、この坂を経由する。


「引………越し………………ちゃう、………ね」


 また風が新しい会話を運んできた。引っ越し。そうだ、例の彼は引っ越してしまったのだった。伝えたいことがあったのに、最後まで伝えることができないで、それで、死ぬほど後悔したのだった。大勝君、それで引っ越し、なんという偶然だろう。いや待て。私は、はっとした。



 この会話は五年前の会話、そのものだ。



 じゃあきっと、この強風は循環している。この風は、どういう理屈か、同じ場所をぐるぐると回っているのだ。だから、過去の風も囚われている。また、風が強いのもそのためかもしれない。幾重にも風が巻いてを繰り返して、このような爆風に成長したのではないか。


「……………… ううん、な……………でも………………い」

「           !!」


 私は醜くも叫んでいた。過去の悔しさの渦巻きが、また戻ってくる。それは、口の中に飛び込み、呼吸を困難にした。そうだった、ここでは、息継ぎをしなければならないのだった。風で呼吸が妨げられるから。


「……………… なにか、………………のか」


 伝えなければ。でなければ、私は、ぐるぐるとずっと、苦しむことになるのだ。過去にとらわれて、自分を憎み、ついには大切なことを、心の底にしまってしまうのだ。だが、ここからは遠すぎる。彼らのいるであろう場所へたどり着くには、この激流を泳がなくてはならない。かまうものか。

 クロールを思い出す。空気の壁に指先を突き立てて、腕をぐるぐると回転させながら進む。私は金槌であるが、幸い、泳ぐのは水じゃない、空気だ。でももちろん、息継ぎも忘れてはならない。


「             !!!!!」


 風はさらに激しく、私の言葉は、生まれた端から、後方へぶっ飛ばされてしまう。私が思いを伝えるには、過去の自分を追い越さなくてはならないのかもしれない。今よりももっと速く。私は、バタフライを始めた。


「……………… で、だから、………………」


 もどかしくなる。どうしてもこんなに、遠いのだろう。悔しくて涙が出てきた。涙が頬を斜めに伝って、うなじへ向かい、ポタっと後ろへ落下する。私が、彼らに叫ぶたびに、言葉が届かなくて、息が詰まりそうになる。言葉にした瞬間に、思いが消えてしまって、涙は置いてかれる。


「さよなら」


 急にはっきりと彼の声が耳に届いた瞬間、風が止んで、私は地面へとたたきつけられた。うえ、と間抜けな声を上げる。そこは坂の頂上だった。車の走行音が響いていて、ここが奇跡のない現実だと笑いかける。私は泣きながら笑った。

 声は届かなくて当然じゃないか。だって、あれは過去の声なんだから。もう、過ぎたことなんだから。届くわけがないのだ。届かないから、ずっと、私の中で閉じ込めて、忘れていたんじゃないのか。あの風のように、ぐるぐると囚われてしまうのが怖くて。過去へ叫んでも届かない思いは、記憶の端から消えてしまうのだ。


「なあおいって、大丈夫か。って、山川じゃないか」

「って、大勝君。なんでここに」


 彼が冬の太陽越しに顔を覗き込んでいた。こんな風に歩道に倒れていたら、だれだって心配するか。


「だって、今日は、昔会うって約束してた日だろう」

「へ。そ、そうだっけ」

「お前がまた会いたいって言い出したんじゃないか」

「……………… へえ」


 私は彼の腕を借りて立ち上がり、膝頭の土埃を払った。彼は釈然としない、といった風に、過去にあったことを語り始めた。


「お前、急に泣きながら会いたいって、叫びだしたから、会う日を決めたんだろ。そういえば、その時、全力で否定したよな。言ってないってムキになって。風が吹いてるから聞こえてないと思って叫んだんだろう。でも、がっつり聞こえてたぜ。覚えてないのか」


 覚えてないも何も、私はそんなことを言った覚えはない。証拠に、あの風の中で、そんな声は聴かなかった。それを言ったのは他でもない、今、現在の私じゃないか。


「あの坂ってなんで、いつもあんなに風が吹いてるんだろうな」

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強風坂 高黄森哉 @kamikawa2001

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