満月散歩
ASA
満月散歩
ぽっかりと空に浮かぶ、まんまるのお月さま。その明るい光で夜空は柔らかな群青色だ。群青色って甘い感じ、と思ってからなんでそう思うんだろう、と自問した。
そうだ、この前コンビニで買った「夜空ゼリー」だ、と思い出す。群青のゼリーの中には白い雲を模したミルクプリンがマーブル模様に入っていて、甘くて美味しかったのだ。
満月の周りのふわんとした綿のような雲を眺めながら、あのゼリー結構再現度も高かったんだな、と感心した。遊歩道をゆっくり歩いて向かい側に見えるマンションを見上げると、ほとんどの窓から橙色の灯が漏れている。今みたいに夜道を歩いているときや、電車の窓から夜の街を眺めるとき。この灯の下それぞれに少なくとも一人のひとがいて、それぞれ別のことを考えて生きているなんて、途方もないことだなあ、と思う。こんなに、こんなにたくさん。
それとも。とわたしは、夫に言われた言葉を思い出す。わたしは数年前に、割と重大な手術を受けたのだけれど、手術痕の痛みも大分ましになって、甘いものがおいしいとか天気がいいなとか、そんな気持ちを取り戻した頃だ。ああ、生きててよかった、とわたしが言うと、夫が、でも本当はまだ手術中でこれは今見ている夢かもよ、と言ったのだった。
なかなかにひどい。でもわたしはひどい!とか怒るのではなく、なるほど、と思ってしまった。そういうこともあるかもね、と。誤解なきように言うと、別に夫は意地悪で言ったわけではなくて、ついそういうことを言ってしまうだけなのだ。わたしが退院して家に帰ってきたときには、わたしの好きな金木犀の木が庭に植えられていて、嬉しかった。そういうひとなのだ。
せっかく痛いのとか具合が悪いのを我慢して元気になったのに全部夢だったらいやだなあ、と思うのだけれど、こんなにたくさんの窓の灯を見ていると、なんだかやっぱり夢の中みたいな気もしてきてしまう。だって、こんなにたくさんのひとたちがそれぞれの人生を送ってるなんて、本当に途方もなくて、気が遠くなる。
だから、わたしはこっそりと祈るのだ。
夜風に流れる金木犀の匂いをかぐとき。
松虫、鈴虫、こおろぎ、馬追、虫たちの大合唱を聴いているとき。
大きな花火がどんどんぱらり、と空に上がって落ちていくのを見たとき。(小さな娘が隣で、ぱらり、のときに「ソーダの音がするね」と言ってかわいかった。)
それから、朝の青空に周りの雲と同じ色をした丸い月がいるのを見たとき。
そして、今みたいにまんまるの中秋の名月を見上げているとき。
そういうきれいなものを見ているとき、わたしは祈るのだ。
これが夢ではありませんように、と。
END
満月散歩 ASA @asa_pont
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