氷女をご看病
「こほこほ……うぅ、これしきの風邪に倒れ伏すなんて……ふ、不覚です」
「氷女も風邪をひくんだね」
もはやセツカ専用になっていた布団ではなく、俺のベッドで仰向けに寝ているセツカのおでこに手のひらを乗せる。
いつもの彼女の体温よりもずっと熱い。
ただ、当の本人はちょっと幸せそうにしている。本来ならタオルか氷嚢を使って冷やすのがいいと思うのだが「零斗様の手の方がいいです」とねだられると断ることもできない。
「ふふっ……零斗様のお優しい手、気持ちいいです」
「あまり効果はないと思うけど」
「いえいえ、このぬくもりが何よりのお薬です。……あっ、音が鳴りましたね」
もぞもぞしながらセツカが体温計を取り出した瞬間、めくれた掛布団の向こうに彼女の白い肌がパジャマから見え隠れしたので反射的に顔を横に向ける。もう少しデリカシーについて学んで欲しいとは思うが、そもそもしょっちゅう人のベッドに潜り込んで肌を重ねようとしてくるのだ。その程度を気にかけるはずもなく……親しき仲にもなんとやらを理由に俺が見ないようにした方が圧倒的に早い。
……まあ、仮に舐めるように見たところでセツカは嫌がりはしないだろうが。
実行したが最後、きっと俺は欲という厄介なものに屈し易くなる。さすがに節操がなさすぎるのはどうかと(現在は)思うので、理性に頑張ってもらうのだ。
「触りますか?」
「うん。なんて言うと思うかい」
「零斗様の本能が強まっているのを感じますので。こうやって繰り返していけば、いずれ頷くのではないかなーと」
ほんと、心どころか俺の内面をよく理解してらっしゃる。
「そういう冗談が言えるぐらいには元気そうで良かったよ」
「零斗様が手厚く看病してくれる分だけ、良くなりますね♪」
「今は何かしてほしいことはある?」
「じゃ、じゃあ狂おしい程に熱い添い寝を……」
どんな添い寝だ。
「覚えてたら後でしてあげるから、今はこれで勘弁して」
「ひゃ!?」
さすがに仕事に行けなくなるので添い寝は出来ないが、代わりにセツカが大好きなハグを軽くしてあげた。驚きと嬉しさが合わさった声が彼女の口から発せられたのは、きっと予想外だったからだろう。
初めて上に立てたようで、ちょっとだけ優越感――――を感じている場合じゃない。こうしているのは気持ちいいけど、長くしてるのはマズイ。遅刻するレベルで離れがたくなってしまうから。
「遅くならないよう、帰ってくるから」
「は、はいぃ~……」
「何かあったら電話して。すぐに出る」
「…………お声が聞きたくなったらでも、いいですか?」
中々可愛らしくもすごい理由で尋ねてくるセツカだが、常識的に考えて無茶ぶりしているとわかっているのだろう。なんともしおらしい。
そんな彼女を無下に出来るはずもなく。
「大丈夫だよ」
快く了承して、俺は家を出た。
――ちなみに、電話を最初にかけたのはセツカではなく心配になった俺の方で。
枕元に置いた子機で出てくれた彼女に笑われたのは、内緒だ。
◆◆◆
「よお、零斗! 今日もお疲れさん!」
「青木先輩もお疲れ様です」
「お? 今日はもう帰る準備万端って感じだな。このあと何か用事でもあるのか?」
「ちょっと心配事がありまして」
「そーかそーか。今夜はこの前の雪花祭り成功を祝した飲みに連れて行こうと思ってたんだけどな」
青木先輩はとてもご機嫌そうにガハハと笑った。
先輩の言ったとおり、今回の雪花祭りは例年に比べても大成功したと言っていい成績を残したらしい。その事実はお祭り実行委員として頑張ったなんでも課の一員として誇らしい物であり、地元愛にあふれる青木先輩としては喜ばしい成果だった。
課長や影峰さんから聞かされてはいたが、雪像イベントもかなり好評だったようで次回以降でもやって欲しいと来場者アンケートにも希望が載っていたとか。
――その感想は、発案者としてはとても嬉しいものだった。
……で、俺の世話係でもあった青木先輩は祭りの後からイカツイ顔を綻ばせっぱなし。噂によれば課長を初めとした上役に褒められたからとなっているが。
きっと、奥さんや娘さんにたくさん楽しんで貰えたのだろう。
俺はそう思っている。
「せっかくのお誘いなのにすみません。また気軽に誘ってください」
「ああ、それはいいけどよ。……ふーん?」
「どうかしましたか」
「いんや、なんかお前さんがよ。前より雰囲気が明るくなったように見えてな」
「雰囲気が?」
「おう。なんつーか前はやけに無愛想だったのがな、今はあたたかみを感じるようになったというか。とっつきやすいオーラみたいなの? が出てる気がする」
「…………出てますオーラ?」
自分では分からない。
ただ、周りからとっつきづらくてしょうがないと思われていたであろう自分が、身近な人からそう言って貰えるのは嬉しくないはずがない。
そういえば児童館のケンジくん達からも、以前より仲良くしてもらえている気がしたものだったか。
この変化は、きっと悪い物ではないのだろう。
「うーん、やっぱ気のせいかもな」
「そこは打ち切らないで続けて欲しいんですが……」
「ガハハハ! あんま気にすんなって! ほらほら、心配事があるから早めに帰ろうとしてるんだろ。どーせ例の超美人ちゃん絡みだろ、うらやましいねぇー」
「……え?」
不意に間抜けな声が漏れ出た。
俺はセツカのことを青木先輩にしっかり話したことは無いはずなのだが、なんでこの人は確信を持って囃し立てているのか。
「うおっと、こりゃ失礼。コレはまだ内緒の話だったわな」
「ど、どこかで話しましたっけ?」
「見た事もないレベルですんごい可愛い子を最近見かけるって話があってな。そこまで小さくもないがデカくもない町の若者やおばちゃんの噂好き情報を舐めたらいかんぞ?」
「…………そ、そういうものですか」
「そうだよ。だから余計な野郎に割り込まれる前に、ちゃんとモノにした方がいいってな。先輩からのありがたいアドバイスだ、聞いといて損はないぞ」
「……覚えておきます」
ややからかい半分なのが気にはなるものの、コレはコレで青木先輩なりに応援してくれているのだろう。
そうとなれば、まずは急いでウチに帰ってその応援に報いるとしよう。
帰路の途中。
俺は風邪に効く薬や栄養のある食材を買い込み、何度も雪と氷の道に転びそうなりながらも家に着いた。
「ただいま」
暖房のよく効いた部屋の暖かさに気持ちよく一息を吐きながら、頭や肩に積もった雪の結晶を払う。そうしている内に、ドアの向こうから更にぬくもりに満ちた声が出迎えてくれた。
「お帰りなさい零斗様♪」
飼い主を待ち侘びた大型犬のように飛び込んでくるセツカを受け止める。元気がいいのは悪いことじゃないが、青白い顔色は心配だ。
「安静にしてなきゃダメだよ」
「私にとってはこうしてるのが一番の安静ですっ」
今度はゴロゴロと喉を鳴らす猫のようにすり寄ってこられて参ってしまう。彼女のコミュニケーションはとにかく距離が近い。
ちょうどよい位置にあったおでこに額をわずかにくっつけてみると、まだ熱い。気のせいでなければ今朝よりも上がっている。
「少しでも早く治るように色々買ってきたんだ。どれか効果があればいいんだけど」
「か、感激です!」
「うんうん、それじゃあベッドに戻ろうね」
「…………」
「無言でいやいやしても、ダメなものはダメだよ」
「で、では……百歩譲って運んでくだされば戻ります」
「う、うーん」
今のは決して困っているから出た声ではない。
俺だって運べるものなら「よいしょっと」と気楽にやってあげたいが、どちらかというと男にしては力がある方ではないため運べるだろうか? と思ってしまったのだ。
「セ、セツカは岩のように重くありませんよ!?」
「思ってない思ってない」
そこまではさすがに。
結局挑戦してみたところ、彼女の身体はとても軽かったので問題はなかった。
もしかしなくても痩せ過ぎなんじゃなかろうか。ここはやはり栄養満点の食事を用意しなければ、治るものも治らないだろうと気合が入る。
「えへ、えへへ♪ 零斗様に運んでもらっちゃいました」
「運んでしまいました」
「ウェディングロードもこうして欲しいです♡」
豪速球すぎる未来予想図に吹きだしてしまった俺を、誰も笑えはしないだろう。
風邪のせいか、普段よりもセツカの思考が突飛になっているのか。とはいえ、信頼して甘えきっている様子はとても心地よいもので、出来ることならずっと浸っていたいと感じてしまうものだ。
……まさか、俺も風邪を引いてたりしないよな。
そんな想像をしてしまうぐらいには、浮かれてしまっている。
こんなの、まるでバカップルではないか。
すっかり自分がセツカに参ってしまっているのを自覚しながら、この夜は中々寝付けないセツカがようやく眠りにつくまで傍につきっきりでいた。少しでも早く良くなって欲しいからだ。
――しかし、どうやらセツカの風邪はしつこいもののようで。
一日二日で彼女が元の状態に回復する事は無く、そのまま一週間が過ぎようとしていた。
◆◆◆
「けほっけほっ」
「……中々どうしてしつこいね」
「面目ないです……」
熱が上がりすぎるわけではないし、どこかが強く痛むわけでもない。
ただ風邪の症状だけが若干の波はあるにしても、体調が元に戻るように回復しない。こんな調子が続けばセツカだって億劫なはずなのだが、少なからず表面上は元気といえば元気な感じに見える。
もしかしなくても、人間と氷女では病に伏した時に違いがあるのではないかと数日前から思い始めてきていた。
「やっぱりお医者さんに診てもらったもらった方がいいんじゃないかな」
「うっ……」
セツカが露骨に嫌そうな顔をする。
実はこの提案は大分初期にしていたのだが、あまり気が進まないようだったので保留になっていた。数日もあれば回復するとタカをくくっていたのもあるが……、そもそも人間の医者に氷女を診てもらえるのか事情もある。
何より――。
「お医者さんは嫌いです」
などと言い放ってぷいっとそっぽを向く。あるいは布団の中に潜り込んでしまう。
医者嫌いな子供のような態度をとるセツカを連れ出すのは難儀だ。
「そんなに嫌?」
「嫌です」
「俺が昔から世話になっているお医者さんは優しい人だよ。きっとセツカだって気に入るはずさ」
「そんなのわからないじゃないですか」
「もしかして、何か嫌な思い出があるのかな」
「…………昔、すっっっっっごく苦い薬を飲まされたことがあります。しかも大して効果がなくて、むしろ悪くなりました」
それはまた……とんでもないヤブ医者がいたものだ。
もし自分がそんなのに当たってたら、確かに嫌いになっていただろう。
「分かった、もう少し様子を見よう。でも、あんまりにも良くならないようだったら無理矢理でも病院に連れていくからね?」
「……それまでには絶対治します」
セツカの返事はか細い物だった。
少し強引過ぎるかもしれないが、いまひとつ生気の無い彼女をこれ以上見続けると俺の方が先にダウンしてしまいそうだからなぁ。
「約束だよ」
「……はい」
「よし。そんなセツカに朗報――は言い過ぎかもしれないけど、今日はずっと一緒にいるよ。いつもより全力で看病するから何かして欲しいならいつでも言ってくれ」
「え? え? でも零斗様のお仕事は――」
「ちゃんと職場の皆には連絡済。ちょうど順番にお休みを取ろうって話が出てたタイミングでね、お祭りの準備で忙しくしてたからこの際ゆっくりしようってわけだ」
「それなら尚更……私のことは気にせずごゆっくりなさればいいのに」
「気にしてくれてありがとう。でも、それならセツカが良くならなきゃ気持ちよくゆっくりできないから」
「れ、零斗様ぁ……」
うりゅうりゅと瞳を潤ませるセツカを落ち着かせるように、いまだ熱の引かない頭を軽く撫でる。気持ちよさそうに目を細めてくれたので、しばらくそうし続けた。
「あの、零斗様。早速お願いしてもいいですか?」
「ん、なんだい」
「零斗様のカフェオレが、飲みたいです」
「分かった、少し待ってて」
冷蔵庫や棚から必要な物を揃えようとして、俺は自身のうっかりに気付いた。
カフェオレを作るための材料がほとんど残っていなかったのだ。
「ごめんセツカ。カフェオレの材料を切らしちゃってたみたいだ」
「あぅ、残念です」
「……近くのお店で買ってくるから、それまで待てる?」
「え! そこまでしてもらわなくても大丈夫ですよ」
「でも飲みたいんだろ?」
「そ、それは……はい」
「その返事だけで十分だよ。ちょっと行ってくる」
「あ、お待ちください。ん~~~~、えいっ!」
何やらセツカがハッ! と気合をひとつ入れると、その手から放たれた青白い光の奔流が俺の身体を覆った。
「これって、セツカがいつも使ってくれてる雪道が歩きやすくなるアレ?」
「お外は寒くて時折たくさん雪が降ると、天気予報で聞きましたので」
「……ありがとう。助かるよ」
セツカに力を分けてもらって、彼女の体調に影響が出ないのかは気になったがあえて口にはしない。せっかくの心遣いなのだからありがたく頂戴しよう。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃいませぇ」
最後は何やらぽわぽわとした感じで見送られた俺は、なるべく急いで近所の薬局へと向かう。セツカの力のおかげで、多少走ってもまったく転ぶ事もなく、風に乗ってぶつかってくる雪もへっちゃらだった。
◆◆◆
「さむ……」
薬局までは十五分も歩けば着くのだが、その道中はいつもより大分寒く感じた。
最近は比較的天気が良くて吹雪く日も少なかったから。そう最初は思ったけれども、違う理由があることにはすぐ気がついた。
最近は、セツカと一緒に居てばっかりだったからだ。
彼女はいつも身を寄せてきたり手を繋いだりしてくれたものだから、そのぬくもりにすっかり慣れてしまっていたのだろう。
もしかしたらこっそり氷女の力を使っていたのかもしれない。今もまた、その恩恵に預かっているから積もった雪道もあまり苦ではないのだ。
「もしかして」
セツカの体調不良の原因になっているのではないか。
そう考えてしまうと不安になる。誰だっていつも以上に頑張ろうとすれば疲れるわけで、セツカに至っては俺への恩返しと称して無理をしていたとしても不思議じゃない。
よし。
買い物が終わって家に帰ったら直接聞いてみよう。
などと考えながら、雪で真っ白になった生垣に挟まれた狭い道の十字路を曲がる。あとは大通りに出れば薬局はすぐそこだ。
そんなタイミングで、ゴゥッと一際強い風が吹き舞った雪で視界が塞がれる。
ごしごしと目元をこすってから改めて前方を見やると。
「こんにちは、お兄ちゃん。今日はいい天気ね」
「キミは……」
いつの間に姿を現したのか。
雪花祭りの日に遭遇した、氷女の小さな少女が目の前に立ちはだかっていた。
「…………どうしてここに」
「あら、質問する前に挨拶ぐらいしてもよくない?」
「そのとおりだね。こんにちは……ええと」
「呼び方なんて気にしないでいいよ。どうせ大した付き合いにもならないし」
「でも、何もないのもね。どうせならちゃんと自己紹介をさせてもらいたいな。……俺は拝山零斗って言います」
「会うのは二度目だね、お兄ちゃん。相手を敬える人間は嫌いじゃないから、特別にスイって呼んでもいいよ」
自分よりも年下にしか見えない、セツカよりもずっと小さな少女と話をしている。そのはずなのに、自分より遥かに年上の人と対面しているような感覚が強い。本来こうあるべき、そんな気持ちが湧いてくる。
「ありがとう、スイちゃん」
「ちゃん付け……? 随分可愛らしいわね」
ちょっと不服そうな反応ではあったが、割とどうでもいいのか彼女はそれ以上呼び方について言及はしない。だからコッチは話を進めさせてもらうことにした。
「改めて訊くけど、どうしてここに? もしかしなくてもセツカに会いに来てくれたのかな」
「会いに来たというより、たまたま通りかかった『ついで』ね。そろそろどうにかなっちゃったんじゃないかなーって」
オレにはスイちゃんの発した言葉の意図がわからなかった。
どうにかなっちゃったとは、一体何を示しているのか。もしかして具合が良くないのを察してくれたとか?
「お見舞いに来てくれたのかい?」
「ふーん……そう思うんだ?」
スイちゃんが怪訝そうな顔をしながら近づいてきたかと思えば、ふわりとその小柄な体躯が風に乗ったかのように浮かんだ。実際に浮かんだ訳ではないだろうがそう感じる程に、まったく重さを感じさせない動きで彼女の両手がオレの頬を挟む。
――まただ。
初めて会った時のように、オレの身体が凍ってしまったかのように動かなくなる。前回とは違って背筋が凍るような冷たさこそないが、あまり気持ちのいいものではなかった。
「……うーん? あなたは特別元気がありあまってる人間?」
「どういう意味かな」
「言葉通りの意味よ。でも、そんなに肉体や体力が優れているようには見えないわね。だったら、たま~にいる“熱”が多いタイプかしら。それなら案外あの子も見る目があったのかしらね」
じっと見つめてくるスイちゃんから目を離さずにいると、彼女の身体が離れていく。触れられていた頬は氷のように冷たかった。
ただそれを気にするよりも、オレには聞きたい事がいっぱいある。
セツカと同じ氷女に話を訊けるチャンスを逃すわけにはいかない。
「スイちゃんはこの後用事があったりするかい? もし時間があるのなら少し話しがあるんだ」
「少しなら」
ありがとうと礼を述べながら近くの喫茶店に誘ってみたが、断られた。寒い外よりも暖かい店内の方が良いだろうという判断だったのだが、考えてみれば氷女にとっては居心地は良くないか。
ならばと、その場で話を始めていく。
「セツカの体調が良くないんだ。多分風邪だとは思うんだけど、もし氷女の知恵か何かで効きそうな薬や対処法があったら教えて欲しい」
「……あはは♪ それはそれは、殊勝な心掛けだね」
スイちゃんは子供っぽくおかしそうに笑った。だがその笑みには、バカなことをしている者に対する嘲りのようなものが混じっている。
「対処法ならあるよ」
「それは、一体どうすれば」
「……本当に知らないのね。セツカは何にもあなたに伝えてないんだ」
その口ぶりは、セツカが対処法を知っていると受け取れるものだった。
でもそんなはずはないのではないか。
セツカが知っているのであれば、オレに伝えない理由がない――。
「あらあら、どうしよう。まさかこんな形でセツカを見直すとは思わなかった。随分と狡賢くやってるようで何よりだね」
「セツカは狡賢くなんてないよ」
「そんな淡々と言われても説得力がない。もっと怒るとか大声を出すとか色々あるよね? それが無いってことは、お兄ちゃんも信じられてないんじゃない?」
あからさまに小馬鹿にされているのに。
悔しい。
オレは胸の内側でこんなにも悔しいのに、導線がぷっつり途切れてしまっているかのように、その熱を表に出す事が出来なかった。
「ふふふっ、大分特異な状態みたいだね。こんな形も珍しいけど、かわいそうだから少しだけ教えてあげる」
「なにを」
「キミ、自覚してないかもしれないけど」
――――もう、半分死んでるよ。
スイちゃんの言葉に心がざわつく。
「さっき直接触れたからよりわかる。お兄ちゃんはたくさんの“熱”を奪われているの。生きるために必要な“命の熱”を」
「……」
「これまでセツカと何回触れ合った?」
「スイちゃんに話すようなことじゃない」
「別に身体を重ねたとかじゃなくて、抱きあったり、手を繋いだとか。まさか何一つとしてヤってないわけじゃないよね?」
脳裏にいくつもの該当する記憶が浮かんでくる。
セツカは人懐っこくてスキンシップを多く求める子だから、その数をすべて思い出すのは難しい。
「その一回一回が、あなたを殺してるよ」
「そんな馬鹿なことがあるものか」
「そんなものがあるのよ。だって私達は氷女。昔からこの地に伝わっているとおり、人間を食べちゃう妖怪だもの」
突然、地吹雪が走り、強い風が雪を巻き上げて視界を真っ白に染める。
雪を手で払おうとするが、まるで纏わりつくように離れることはない。
「帰ったらセツカに確認してみれば? そうすれば自分が都合よく飼いならされたペットだって気づくかもよ」
言い残された言葉がいやに耳に響く。
視界がようやく晴れた頃には、スイちゃんの姿はどこにもない。
「ッッ」
嫌な予感がして。
オレは、急いで来た道を全力で戻る。
出掛けにセツカがかけてくれた氷女のまじないは、ほとんど残っていなかった。
氷の女は、無表情青年の熱に溶けた ののあ@各書店で書籍発売中 @noanoa777
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