==零斗サイド


「氷女の女の子、ですか?」

「向こうはキミを知っているようだったし、妹さんだったりするんじゃない?」


 姿形はどこか似ていたから、妹ではなかろうか。

 そんな俺の予想は、セツカが首を振ることであっさり外れた。


「私に妹はいません。里のみんなは家族のようなものではありますが、私が末っ子みたいなところがありまして」

「セツカが末っ子……なら、他の氷女はお姉さんばかりになるってことかな」

 

 あの身長からして姉ってことはないか。

 とすれば、誰かの子供が妥当なところではあるまいか。


「何か特徴はありましたか?」

「うーん、小さな子だったよ。セツカが着ていた白い着物と同じような服装で、どことなくキミに似ていた気がする」

「私に……?」


「うん。でも、なんとなくそう感じたってだけだよ。向こうから話しかけてきたから少しだけ会話もしたけれど、その時には――」


 ぞっとするような冷たさを感じた。

 そう言いかけた口を紡ぐ。里のみんなが家族のようなものと説明してくれたセツカに対してその物言いは気持ちの良いものではないはずだからだ。


 だから俺は別の言葉に言い換えた。


「なんていうか、伝説に登場する氷女らしさがあったかな」

「そう……ですか」


「やっぱり知り合い?」

「どうでしょう。そもそも隠れ里に住む者が町に降りてくる機会はほとんど無いはずですし」


「そうか。なら無理にこれ以上考えることもないかな」


 などと言いつつも、俺には気がかりがあった。

 

 ひとつは影峰さんがいなくなった事件。

 彼女から聞いた話の中には、セツカのように思えるような少女の姿が出てきた。

 見間違いや何かの可能性があったので深くは考えなかったが、セツカ以外の氷女が町中で発見した今となってはなんとも言えない予想が頭をよぎってしまう。


 もしかして影峰さんの事件には、セツカ以外の氷女が何かしら関わっているのではないか。だとすれば、関わった氷女は影峰さんに対して悪意ある行動をしたことになるのでは……。そう考えるのは飛躍が過ぎるだろうか。


 そしてもうひとつ。

 コレは雪像修復を手伝い、口裏を合わせてくれた源蔵さんに対して事情を説明するために話をした時のことだ。


 可能な限り事情を説明するつもりで俺はいたのだが、源蔵さんは神妙な面持ちでいくつかの質問をしてきただけだった。

 大したことは答えなくていい。むしろ知りたくない。彼のそんな気持ちが伝わってくるようで、俺はそれ以上の言葉を継げなかった。


『拝山のあんちゃんよ。おそらく色々説明や弁解をしようとしてるんだろうが、そんなのは気にしなくてええ。こっちは深く探るつもりもねえって事だけはわかってくれ』


『……お前さんは、雪花祭りを盛り上げるために雪像イベントを計画した。ちゃんと許可を得て実行に移した。壊れた雪像を直そうとしたのも、祭りに参加するみんなを喜ばせるため。そうだな?』


 そこに間違いはない。

 だから俺は迷いなく頷いた。


『ならええ。儂は儂なりに手伝うだけのことよ。あの時見聞きしたことを言いふらすつもりもねぇ。どうせ誰も信じやしねえってのは、あんたも同意見だろ』


 一番気がかりだった点についてあっさり黙っていると明言してくれたのは、正直有り難かった。仮に源蔵さんが黙っているから何かを欲したり、セツカの存在を誰かに話そうとしていたとしたら困ったことになる可能性が高かったから。


 俺は大きく頭を下げて礼を言った。


『礼なんていらねぇ。儂は自分の仕事をやっただけだからな』


 すっぱりそう言い切った源蔵さん。

 だが、彼はどこか浮かない顔をしていた。


『…………事情はわからんが、あんたは縁を持っちまった側なんだな。色々気苦労も多いだろうが、凍りつく前に逃げ道は用意しとけよ』

『え、それはどういう――』


『あの可愛い氷の嬢ちゃんに伝えといてくれや。あなたのおかげで、儂らの頑張りが無駄にならずに済みました。大変感謝しております、ってな』


 氷の嬢ちゃん。

 その言い回しにどんな意味が込められているのかは、少なからずわかってしまう。

 雪道を去っていく源蔵さんの背中に引き留める声をかけたが、彼はそれ以上何も言わずに手をプラプラと振るだけだった。


『これ以上関わるのは御免だ』


 源蔵さんの後ろ姿がそう語っているように思えたのは気のせいだろうか。

 いや、気のせいなんかじゃない。


 あの人は、氷女の存在を知っているのだ。

 伝説に登場する氷女が、実在すると。


 何故? どうして?

 いくつもの疑問が湧いてくるが、正確な答えはすぐには得られそうも無かった。



「そんなことがあったのですね」


 源蔵さんとのやり取りを話し終えると、セツカが白い息を吐きながら相槌を打つ。ちらちらと降ってきた雪は、徐々に積もりはじめていた。


「おかげで助かった面はあるけど、なんだかしっくりこなくてね」

「源蔵さんの態度がですか?」

「その、俺も上手く言葉に出来ないんだけど……」


 漠然とした不安のようなものが、じわりと心の片隅に溜まっているとでも表現すればよいのだろうか。

 

 影峰さんの事件。

 お祭りで会ったセツカと似た少女。

 源蔵さんの口ぶり。


 これらは何かしらの繋がりがあるのではないか。

 そう思うのは考え過ぎなのだろうか。


 なんだったら、雪像イベント会場に車が突っ込んできた件だって関連性がないとは言い切れないのではないか。そういえば壊された雪像も確か、氷女伝説を色濃くモチーフにしたものだったはずだ。


 …………ダメだ、いまいち考えがまとまらない。

 やっぱり気にしすぎているだけ。そう思う方がよっぽど普通ではないか。 

 

 変に悩む自分から抜け出せなくなっていく。

 暗くて冷たい闇に飲まれていくような、そんな感覚がある中で。


「零斗様」


 とてもあたたかいぬくもりが、俺の手に触れた。

 思考の闇に、白い光が差し込む。


「あまり御一人でお悩みにならないでください」

「……セツカ」

「というか、今はそんな時ではないのではありませんか。せっかくのおデートなのですから、私はもっと楽しく零斗様と過ごしたいです。アレですか、今回は私に対するお礼も兼ねていることをお忘れですか。零斗様はそんな意地悪だったのでしょうか」


「ご、ごめ――」


「ふふっ、申し訳ありません。ちょっとムッとしちゃったので、意地悪を言いました。イケずなのはセツカの方です」


 むくれていた表情がすぐに和らぎ、優しい微笑みに変化する。

 見ているだけで胸があたたかくなるような素敵な笑み。


 ――俺の好きな、セツカの笑顔。


「そんなに暗く考えないで、明るく参りましょう。大丈夫、零斗様はそう出来る方なのですから」

「明るく、か」


 自分とは対極にあるような性質だ。

 その言葉は、セツカにこそふさわしいのではないか。


 しかし、そんな俺の心をまた読んでくれたのか。

 氷女らしくない氷女は、ベンチから立ち上がりながら両手を広げて、くるっとその場で一回転。外灯に反射する雪で一層美しさを際立たせながら、俺の顔をじーっと見つめてきてくれる。


 あふれんばかりの明るさと熱を、俺に惜しげもなく分け与えるように。


「あなたが求めるのなら、何度でも言いましょう。大丈夫ですよ、零斗様」

「…………」


「私は、いつでもあなたのお傍におります。御恩を返し続けます。何があったとしてもです」


 ――――その宣言に、ひどく胸を打たれた。

 俺が普通の人と同じように涙を流せたのなら、止まらなくなったかもしれない。

 普通の人と同じように笑えたのなら、彼女の言葉に報いるように精一杯の笑顔を見せようとしただろう。


 漠然とした不安の正体が、わかった。



 俺は、セツカが居なくなるのが嫌なのだ。



 氷女が関係している、その可能性がある物事に触れるたびに、もしかしてセツカがいなくなるような出来事に繋がっていくのではないか。そんなネガティブな想像をしてしまっていた。


 つまりそれは、セツカという存在がそれだけ俺にとって大事な物になっている証拠ではないか。

 そう気づいた瞬間、心の臓がどくんと大きく脈打つ。胸どころか、どんどんと手の指先から足のつま先まで熱くなっていき、その熱は体の上へ上へと昇っていく。


 あっという間に頭に到達したその熱で、顔がとても熱くなってしまった。

 ホカホカだ。雪が降るぐらい寒いはずなのに、今ならマフラーを外して上着を脱いでも平気かもしれない。なんなら服を全部脱ぎ捨てても――――待て待て、それはさすがにやりすぎというか無いぞ。


「やだ、零斗様ったら。一体何をお考えになられてるんですか」


 目の前にきたセツカが、両手で俺の頬をもにっと包み込む。

 その手は先程よりもぬるく感じられた。俺の顔の方が熱いからだ。


「お顔、真っ赤ですよ♡」

「……勘弁してくれ」


 そう呟くのが精一杯。

 そんな俺は、しばらくその状態のままセツカにあちこち触られたりからかわれたりしながら、耐え忍ぶしかなかった。


 そんなことをしているから、俺は気づかなかったんだ。


「…………コホコホ」


 セツカが、わずかに咳き込んでいたことに。




 この日から少しして。



 ――セツカが寝込んだ。



 ◆◆◆




 




 


 

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