あとがき

 ここまでお読みくださいましてありがとうございました。

 「庚申こうしんち」というのは、この物語に出てくるとおり、六十日に一回めぐってくる「庚申」の日の夜、みんなで集まってひと晩じゅう起きているという習俗のことです。

 現在では「えと(干支)」は普通は「年」についてしか使わず、しかも十二支のほうしか意識されないことが多いと思います。

 本来は、この十二支を「十干じっかん」と組み合わせて使いました。

 十干は、こうおつ(いつ)へいていこうしんじんの十種類が十年周期でめぐります。

 甲と乙が木の属性、丙と丁が火の属性、戊と己が土の属性、庚と辛が金の属性、壬と癸が水の属性に割り当てられています。日本では、前に来るほうを兄、後ろを弟に見立てて、「甲」を「木の兄」の意味で「きのえ」、「乙」を「木の弟」の意味で「きのと」などと読みます。

 十干は十年周期なので、西暦の一の位が4だと甲、5だと乙、6だと丙になります。二〇二四年は「西暦の一の位が4で年」なので「甲辰こうしん」です(読みは「こうしん」で同じですが、「甲辰」は「きのえ、たつ」、「庚申」は「かのえ、さる」で異なります。「甲申」も「庚辰」もあるのでややこしいです)。

 それは別として、この「干支かんし」はもともとは「日」についても使われました。

 その「干支」のなかで、「金」の属性の一番めの「庚」(「かのえ」と読みます)と「申(さる)」の組み合わせが「庚申」です。

 「干支」の組み合わせは正確に六十日でひと回りするので、「庚申」も六十日に一回めぐってくるのです。

 中国の民間宗教の道教では、人間の体のなかには「三尸さんし」という虫が住んでいて(三匹あわせて「三尸」なので、一匹ごとは「ちゅう」というのでしょう)、それがこの庚申の日の夜、人間が眠っているあいだにその体から抜け出て、天上の最高神である「天帝」にその人間の罪悪を報告することになっています。天帝は、その報告をもとに、減点方式で人間の寿命を縮めていきます。だから、その「三尸」が人間の体から抜け出せないように、朝まで起きてがんばる、というのがこの「庚申待ち」の儀式です。

 トップリーダーから一人ひとりが減点方式で監視されているとか、六十日ごとに監査が入るので、その日にはみんなで協力して都合の悪い情報を隠すとか、二十一世紀になっていよいよ身につまされるような話ですけど。

 「今日、六十日に一度の監査の日なんで、監査報告書持って社長のとこ行っていいですか?」

 「いやいや、まだ業務時間なんだから、外に出ないで!」

 ……。

 この信仰は、日本には平安時代に伝わっていたようですが、江戸時代になって庶民のあいだに広がったということです。

 江戸時代の庶民は、さまざま「こう」という団体を結んで、宗教行事をやったり、お金集めをやったりしていました。この「庚申待ち」のためにも団体があり、その団体で一つのお堂に集まって夜を過ごしたようです。この団体を「庚申講」と呼びました。

 また、いまの暦とちがって、旧暦は平年の一年が三百五十四日、旧暦のうるう年で一年が三百八十三日か三百八十四日でした。

 「庚申」は正確に六十日に一回、したがって三百六十日に六回です。普通は旧暦でも庚申は年に六回めぐってきます。しかし旧暦の平年は三百六十日に六日足りないため、年によって庚申が五回しかないこともあります。また、うるう年では、庚申が六回のばあいと七回のばあいがあります。この「庚申が五回」の年を「五庚申」、「庚申が七回」の年を「七庚申」といいます(現在の太陽暦では「五庚申」は起こりません)。

 「五庚申」・「七庚申」は通常とはちがう年ということで、「五庚申」の年は不作(「七庚申」なら豊作)、または「五庚申」・「七庚申」ともに不作という言い伝えのある地方もあったようです。

 「庚申講」で石碑を建てることがあり、その石碑がいまも各地に残っています。五庚申や七庚申の年にはとくに「五庚申」・「七庚申」と書いた碑を建てていることもあります。ただ、この庚申の碑をよく見かける地域と、ほとんど見ない地域があります。布で作ったさるのぬいぐるみを家々の軒からぶらさげて、それを「庚申さま」と呼んでいる地域もあります。

 日本列島のなかでも庚申信仰のあり方は地域ごとにさまざまだったようです。

 この物語は、そういう民間習俗をめぐる現代のファンタジーです。


 なお、物語に出てくるさまざま知識は、登場人物それぞれの見解であって、必ずしも正確にそのとおりではありませんので、ご了承ください。

 「宇宙博士」の星の誕生の話は私の知っている範囲で正確にしたつもりですが、それでもかなり単純化しています。星(恒星)は水素だけでできているわけでもありませんし、星が生まれてくる「星間分子雲」も水素だけではありません。星間分子雲が収縮して星が生まれる理由も、自らの重力で収縮するだけでなく、超新星爆発の衝撃や近くの恒星の重力の影響が大きいようです。

 博士が言うように、恒星間の宇宙空間は何も存在しない場所がほとんどなのですが、恒星も星間分子雲も銀河系の空間のなかを速い速度で動いており、それがすれ違ったりすると、星間分子雲は大きな影響を受けます。「すれ違う」と言っても通常は何光年(一光年は九兆五千億キロぐらい)も離れていますが、大きい星(恒星)だと重力も強いので、影響も大きいのです。

 「宇宙博士」の話で「太陽にいちばん近い星」として出てくるのは、ケンタウルス座プロクシマ星という、望遠鏡を使わずには見ることのできない暗い星(赤色せきしょく矮星わいせい)です。もっと明るい星でいちばん近いのはケンタウルス座アルファ星で、プロクシマ星はこのアルファ星と重力的に引きあっており、太陽からの距離もほぼ同じです。


 この物語は二〇一五年に書きました。

 二〇一五年の十月に岩手県花巻はなまき市で開かれた「イーハトーブアニメフェスティバル」で、片渕かたぶち須直すなお監督のお話をきき、またはじめて『マイマイ新子しんこと千年の魔法』を見させていただき、こんな小学生たちの物語を描いてみたいと思ったのがきっかけです。のぶ子の髪の毛が前のほうではね返っているのも、この映画の新子にあやかってのことです。

 このときにはまだ『この世界の片隅に』は制作中で、片渕監督がその作品で一躍スター監督になろうとは思ってもいませんでした。

 それから八年以上が経ち、片渕監督は『この世界の片隅に』の次の作品まで作られたのに、私はようやくこの物語に手を入れてここに掲載できただけです。

 また、この物語は、二〇一五年一一月二三日に開催された「北海道コミティア3」が同人誌としての初出でした。コピー本で、十部ほど作成したのだったと思います。のぶが「北海道にいた」と言っているのは、このイベントを意識したからでもあります。

 「北海道コミティア」の当時の会場は、現在は存在しないホテルさっぽろ芸文館でした。参加費はそれほど高くありませんでしたが、ホテルですから豪華な会場でした。その様子もいま懐かしく思い出しています。


 この『庚申待ち』が二〇二三年最後に完結する作品です。

 今年もお世話になりました。

 来年もよろしくお願い申し上げます。

 みなさんにとりまして、来る年が幸いな年でありますように。


 2023年12月31日

 清瀬 六朗

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庚申待ち 清瀬 六朗 @r_kiyose

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