第74話 庚申待ち(2)

 あの、のぶと二人の庚申こうしんちの日からちょうど六十日、また庚申の日です。

 でも、外の温度は、もう零度よりも下に下がっているはずです。

 もう真冬が始まっているのです。

 部屋では石油ストーブがあかあかと燃えていました。

 机は一つだけ、トランプも持って来ていません。ペットボトルの飲み物もなく、ポットの熱いお湯だけです。

 平太へいたのように塾に通ってはいませんが、五年生の二学期の終わりとなると、お勉強はきっちりやらないとついていけなくなります。だから、かなえは遊び道具はわざと持ってこなかったのです。

 遊び道具は取りに帰ろうと思えばすぐに戻れますが、この寒さを考えると、よほど遊びたいのでなければ取りに帰ったりはしないでしょう。

 毛糸の靴下をはき、ひざかけをのせ、背中から綿入れを着て、分厚い座布団の上で、かなえは机に向かいます。

 かなえにとって、二度めの庚申待ちです。

 のぶがいなくなったあと、かなえは、これから庚申の日ごとに庚申待ちをする、と家族に宣言しました。

 今度は、おじいちゃんも賛成してくれなかったし、お父さんもお母さんも反対でした。でも、かなえには、お母さんが前に言ったことばがありました。

 「二か月に一回ぐらい、一人になって自分を反省する日があってもいいでしょう? それに、町の人たちが、ずっと昔からやってきたことだから、わたしも、やりたい。どこまでつづけられるかわからないけど、やってみたい」

 こんどはおばあちゃんが賛成してくれました。そうすると、おじいちゃんもお父さんもお母さんも反対はしませんでした。

 妹は

「わたしもやってみたい」

と言って、おばあちゃんに

「もう少し大きくなったらね」

と言われていました。

 女の子一人で、家のすぐ前とはいっても、家の外に泊まるのだからということで、お父さんが鍵をつけてくれました。眠くなったら無理せずに寝るということを約束して、かなえはいま二度めの庚申待ちをやっているのです。

 約束だけではなく、かなえはほんとうに十時か十一時になったら寝るつもりでした。

 もう次の日に目が覚めたら午後二時というようなことにはなりたくありません。

 それに、かなえには、もう庚申の日に眠るのをこわがる必要はなくなりました。

 家から引いた電気で明るく照らされ、それにスタンドの明かりとストーブの明かりが混ざると、部屋のなかはかなえ一人でいるにはぜいたくなほどに明るいのです。

 「昔は……みんなでやったんだよね」

 かなえはひとりごとを言いました。

 ここで、町の人たちが集まって、夜が明けるまで寝ないでいたのは、いつごろまででしょう?

 みんなで、楽しくおしゃべりして、いろんなものを食べて、大人のことですからお酒も飲んで、歌を歌って、朝まで過ごす。

 おじいちゃんが「迷信」と言っていました。ということは、おじいちゃんの時代にももうやっていなかったのでしょうか?

 でも、と思います。

 もし、ここに平太へいたがいたら。

 最近はすっかりおとなしくなってしまった甲助こうすけや、圭助けいすけや、それに菊子きくこもいたら。

 二か月に一度、いろんな話ができて、楽しい夜が過ごせることでしょう。

 平太は、白峰しらねがしらに行ってしまったとしても、この夜だけはここに来て、みんなが知らない白峰頭の話をしてくれる。そしてみんながそれを楽しくきくのです。

 そして、妹も大きくなったらその集まりにさそって……。

 そう。みんな、妹や弟を連れてくるのです。「大人に近づいた証拠だよ」なんて言いながら、その小さい子たちを迎えるのです。

 そんなことが、もう自分たちにはできないのでしょうか……?

 部屋が暖かいせいか、かなえはすぐに眠くなってきました。

 でもまだストーブを消して布団を敷くには早いと思います。

 それで、ひじをついて、軽く目をつぶります。

 そうして、待ちました。

 かなえが眠くなって、がまんできないほど眠くなって、もう少しで寝てしまいそうになったとき、のぶ子は油断して出てきて、かなえの前に現れてくれるかも知れません。

 それとも、抜け出るほうはもう先に抜け出ていて、そのあと、かなえが寝ていると思って、そっとかなえのところに帰って来たりしてくれるでしょうか。

 そうやってのぶ子が来てくれたら、と、かなえは思います。

 またあのゲームの続きをしよう。かなえは、あのあと、ポーカーの「役」をぜんぶ覚えたのです。のぶ子がどんな顔でごまかしても、もうごまかされはしないぞ。

 ああ、でもどうかな。

 やっぱりだめかも知れないな。

 それとも、またいっしょに国語の教科書や副読本を読んでくれるでしょうか?

 あの日は、けっきょく、そののぶ子がいなくなったことでかなえだけでなく教室じゅうが落ちついていなくて、あの副読本の授業がどんなふうに進んだかよく覚えていません。たぶん先生が説明だけして終わったのでしょう。

 百合も林も人間も二億年前には宝石だった、という、二人で考えたアイデアをみんなの前で言う機会はありませんでした。

 こんど、二人で教科書や副読本を読むと、どんなことを思いつくでしょうか?

 あれからふた月が経って、たぶん、もういまの時間であのすばるは高いところまでのぼっているはずです。

 のぶ子は、空輪くうりんとうの説明をするとき、風は空にいちばん近いと言っていました。

 外を吹く風は空高くのすばるから吹き下ろしているようです。ひともとがしはその風にずっとざわざわざわざわと声を立て続けています。

 かなえは軽く目を閉じたまま、その風の音にうっとりきき入っていました。

 また風がひとしきり大きく吹いて、お堂の扉をがたがたといわせました。


 (おわり) 

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