第3話 裏切り
バーニーと距離が近づくにつれて、彼の公務に私が関わることが多くなった。といっても私に任される仕事なんて視察についていくことくらいだったけれども。行く先は様々だった。工場やら農村やら銀行やら企業やら研究所…エトセトラエトセトラ。そこへ行って偉そうな人たちにあってお辞儀をするのが私のお仕事。あとは写真を撮られること。それくらい。
「退屈ではないか?何かしたい仕事があるなら言ってくれ」
「いいえ。私は…特に…」
「以前は教会で教育のボランティアをやっていたと言ってたよね。どうだい?教育行政に関わるとか」
「…考えておくね」
今どきは職業婦人なんて言葉もある。何かしらの仕事に携わることはいいことだ。誰も責めたりしないだろう。皇太子の婚約者という立場は何かを成すのにちょうどいいポジションなんだろうって思う。人々のために何かをすれば、この抱える虚しさも消えてくれるかもしれない。だけど踏ん切りのつかない自分がいる。手を差し伸べて救いたかった。だけど見送ることしかできなかった。そんな私にできることなんてあるんだろうか。だからかもしれない。あの日の女神という幻の言葉が耳から離れない。この世界を統べる正しい王様を選ぶことが私にできるというならば、その王様がこの世界を何とかしてくれればいい。そう思う自分がいる。だけど自分が結ばれる相手は今傍にいるバーニーだけだ。ならやっぱり思考は一回転して何もしないに逆戻りする。相変わらず心の中はぐちゃぐちゃだった。
ある日バーニーの機嫌がよかった。懸念だった戦線の一つを帝国軍が攻略することに成功したらしい。またこれで領土が増える。国威は発揚され、臣民は勝利に沸き立つ。実際帝都はお祭り騒ぎになっていた。あちらこちらで人々は国旗を振っては飲んで騒いでのどんちゃん騒ぎをしていた。その戦争は海の向こうの話だ。どんな戦いだったのか。それを少し知りたくなった。宮殿にも毎日届く国営の新聞で今回の勝利についての記事を読んでみた。
『アルヴィオン王国の誇る鉄壁の要塞を我が帝国軍が攻略!戦史に残る大偉業!』
そんな扇情的な見出しから本文を読み進める。戦争についての記事は10ページ近くにわたって特集されていた。だけど内容は如何に敵が愚かで悪なのかだけがつづられ、自分たちがどれほど偉大で正義なのかばかりが書き連ねられているだけだ。
「好きな人を戦争に奪われる人もいっぱいるのに…」
記事を読んでいると虚しくなってきた。そして最後のページを捲ったとき私は思わず声を出してしまった。
「え?嘘?!アリル?」
幼馴染のアリルの顔写真が乗っていた。詰襟の軍服を着て厳めしい表情をしてる。
『要塞攻略の英雄!騎士の鑑!アリル・リヴィエール大尉!』
私には違和感しかなかった。アリルは優しい男の子だった。戦争で活躍して英雄なんて呼ばれるような人にはとても思えない。
『リヴィエール大尉はその冴えわたる剣技と剛柔なる魔法でもって要塞重要拠点へ突撃せしめ!敵将を多く討ち取れり!また敵艦隊旗艦への奇襲潜入作戦を指揮し自らもまた現地にて奮戦。敵艦隊の撃滅に著しい貢献を行いけり!その勇敢さ並ぶものなし。まさに帝国騎士の範たるにふさわしい偉丈夫なり』
信じられない。アリルが徴兵後招集解除されても除隊せずに帝国軍に残ったことは知っていた。だけどこんなことになっているとは思わなかった。
「なんでアリルは戦争のことを話してくれなかったんだろう…」
あの日駅に迎えに行ってやんわりと拒絶されていらい。私たちはぎくしゃくしてすれ違ったままだった。軍務について忙しいアリルに会うことがむずかしかったのもあるが、それ以上に怖かった。決定的に拒絶されるかもしれないと思ったから。でも今ならもう怖くはないと思う。今や私は皇太子妃になる身だし。アリルにだっていい人くらいいるだろう。お互いに冷静に会話をすることができる。そんな気がする。そしてその機会は思っていたよりもすぐにやってきた。
宮殿において勲章の授与式が行われた。功のあった軍人たちは皇帝陛下から直接勲章を授与され労いの言葉をかけてもらっていった。私は皇太子の正式な婚約者としての立場で式に参列してた。
「アリル・リヴィエール大尉!」
アリルの順番がやってきた。その姿は堂々として凛々しくそして美しいものだった。参列した令嬢たちの視線を釘付けにしている。それだけじゃない。皇族のお姫様方さえもアリルのもつ不思議な色気にため息を漏らしていた。
「汝の帝国への献身をここに表し、金枝賞を授与する」
その賞の名で会場はざわめいた。この賞が軍人に授けられるのは100年ぶりにもなる。それだけ卓越した功績をアリルは上げたのだ。それを幼馴染として誇らしく思った。私はバーニーの隣から彼の蒼い瞳を見詰めていた。だからだろうか一瞬だけ私と彼の視線が絡み合った瞬間があった。私はその時、笑みを浮かべた。だけど彼は冷たい目のままで視線を反らしてしまった。それが私にはショックだった。誇らしげな顔をしてくれてもよかったのではないだろうか。
「かわいくない」
私はぼそりとそう呟いた。だけどその言葉は彼には届かない。それが私を少しいらだたせた。
授与式ののち、舞踏会が開かれた。一応名目は勲章を授与された軍人たちが主役のパーティーだが内実はいつも通りの貴族の井戸端会議だ。だけどこういう場だからこそアリルとの仲直りができると期待した。バーニーの手を抱いてあちらこちらのお偉いさんたちに挨拶をして回る。皇族の大事なお仕事。いつもならお愛想笑いに集中するのだが、今日はずっと同じ会場にいるアリルのことを見ていた。彼は貴族のご令嬢たちに囲まれていた。彼は微笑を浮かべながら令嬢たちと会話をしている。令嬢たちは目を輝かせて彼の話に聞き入っていた。会場の令嬢方はみんなアリルに夢中のようだ。だけど昔の彼は私以外の女の子と会話なんてしなかった。私の知っているみんなの知らないアリルはちょっとシャイな人だった。だからこそやっぱり少しイラついた。
「ごめんなさいバーニー。少し風にあたってきてもいい?」
私は気分が悪くなった。だから中庭に出て空気を吸おうと思った。バーニーはかまわないよと優しく言ってくれた。
「ふぅ…何よ…私には優しくしてくなかったくせに…」
中庭のベンチに座って独り言ちた。誰にも聞こえないひとり言。そのはずだった。
「誰が君に優しくしなかったんだいジェニファー?」
顔を上げるとそこにはアリルがいた。昔みたいな優し気な笑みを浮かべて私を見詰めていた。
「アリル…なんでここに?」
「君が一人でいるから」
寂しい奴にでも見えているってことなのだろうか?
「そうなの?でも心配しなくてもわたしには婚約者がもういるの。それにあなただってあんなにたくさんの女の子に囲まれてるんだから私に構うことはないんじゃないのかしら?」
「ふふふ。なんかひねくれたね。大人になったってことかな?」
アリルはそう言って私の隣に座った。昔よりも背が伸びて体ががっしりとしているのがわかった。アリルは大人の男になっている。なら私は?体は大人だと思う。
「大人か…ううん全然そんなのにはなれてないよ。アリルと違って私には何も出来てないもの」
「皇太子の婚約者におさまったんだから大したもんじゃないの?」
「そんなの…そんなの…違うよ…だって…」
だってそれは自分で選んだわけじゃない。流されているうちに辿り着いただけ。
「僕だって別に何かができたわけじゃないよ。戦場に放り出されて、死にたくないから頑張って、気がついたらここに来てた。すごいねここは本当に世界の中心なんだね…」
アリルは中庭を見ながらひどく冷たい声でそう言った。
「アリル…?どうしたの?どうしてそんなに怖い顔をしているの」
「僕は君を尊敬していたよ。あの日憐れなシャルロットの手を握った君を僕は忘れられないんだ。そして僕は約束したよ。この国を変えるって。でも君はあの男の手を今は握っているんだね」
そう言われた時、私は自分がとても恥ずかしい存在に思えた。この国がシャルロットの命を奪った。そして今この国を継ぐ皇子は私を溺愛しているのだ。
「ちがう。ちがうの。そんなつもりじゃないの…アリル。バーニーはいい人だよ。彼が皇帝になったらこの国はきっとよくなるよ。それじゃだめなの?ねぇだめなの?」
「僕は気に入らない。憐れなあの子を救った君の手を、あのような破廉恥な男が握ることが気に入らないよ」
「破廉恥?ちがうよ。彼は優しいよ」
「優しいのは彼が恵まれているからだよ。あの日の君の優しさとは違う。王子様の優しさなんてただの施しだ。救いじゃない」
アリルがバーニーを批判することが悲しかった。
「ならなんであなたはあの時私の手をとってくれなかったの。駅に迎えに行ったのに。私あなたが帰ってきてくれてとても嬉しかったんだよ」
私は今にも泣きそうになるくらいに声を震わせていた。ずっとずっと抑えていたものが今にも溢れてしまいそうに思えた。
「君の手を握る資格が僕にはないと思ったんだ。戦場で薄汚いことを沢山やった。子供の兵士も殺した。巻き込まれた民間人の女も殺した。命令されて捕虜たちを殺した。僕の手はもう真っ赤だよ」
光を写さない瞳で彼はつぶやき続ける。それはしたくなかった罪の告白。
「略奪をする戦友を見て見ぬふりをした。強姦する戦友を見て見ぬふりをした。虐殺する戦友を見て見ぬふりをした。生き残りたかったから。誰かを踏みにじる行為を僕は黙って見逃し続けた」
想像を絶する経験。私には想像もつかない恐ろしい世界をアリルは生き延びて帰ってきた。憐れなアリル。したくないことをさせられて。可哀そうに。
「ならやっぱり私の手を握ってほしかったよ。アリル。もう私は他の男の人の手を握れないんだよ。遅いよぅ。もう遅いのよ…ううっ…ああっ…」
私はもう涙を我慢できなかった。知らなかった。知ろうとしなかった。追いかければよかった。流されることなく、手を握るだけでよかったのに。
「ごめんジェニファー。泣かせたくはなかった」
「私だって泣きたくなんてない。いいよもう。もういいよ…」
私は立ち上がる。バーニーのところへ戻ろう。そして慰めてもらうんだ。八つ当たりのように。だけど。左手に暖かさを感じた。アリルの手が私の手を握っている。それはとても力強いものだった。もう子供じゃない。その力は大人の男のそれで、女の私には抗えなくて。
「行かせない。君の涙を他の誰かに見させたくない」
そして私の体はアリルに引き寄せられる。
「…っん!…んん!…っ…」
アリルが私の唇を奪った。奪うだけじゃない。口の中に舌まで入れてくる。こんなキスはバーニーとだってしてないのに。抱き寄せられて彼の胸の高鳴りを感じる。だから逆に私の胸の音もきっと彼に感づかれてる。私は彼の胸を開いている手で押す。バーニー以外の男の人とこんなことをしてはいけない。だから拒絶しなきゃいけないのに。私はまた涙を流す。だってやっとアリルが受け入れてくれたから。ずっと寂しかった。アリルがいないから寂しかった。それがやっと今埋まった。長く唇を重ね、舌を絡め続けた。お互いの体を触り合って、離れていた寂しさを埋める。だけどその甘い時間は長くは続かない。
「おーい。ジェニファー?ジェニファー。どこにいるんだい?」
宮殿の方からバーニーの声が聞こえた。そのせいで私はアリルから唇を放してしまった。
「アリル。その…ごめんなさい。今日のことは忘れましょう!」
そう言って中庭から宮殿にいるバーニーのところに戻った。
「ごめんなさい。外が気持ちよくて、長居しすぎちゃった」
「そう。でもあまり心配をかけさせないでくれ。体が冷えただろう。もう今日は部屋に戻るといい」
「うん。そうするね」
今日のことを私は忘れることが出来るんだろうか。夜風に当たって体は冷えたはずなのに、その芯は熱いくらいだった。なんでこんな風にこんがらがるんだろう。私は何もしていないのに…。ああ、やっぱり今日のことを忘れることは出来そうになかった。
王権の女神~え?私が選んだ男がこの世界の王様になるなんて言われても困る~ 園業公起 @muteki_succubus
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