第2話 予言
バーニーとの突然の再会はもちろん嬉しかった。でも同時に彼が皇太子だったなんて。そんな戸惑いもあった。
「俺は君に運命を感じている。いや。飾った言葉はよそう。あの日、君と街を歩いた思い出が今でも熱く心に残っているんだ」
それは私も同じだった。あの日のことは特別な思い出として心に残っている。
「でも私は…あなたのことをまだ何も知らないよ…だから知りたかった…ゆっくりとあなたのことを知りたかったよ」
恋愛経験のない私には何が正解かはわからない。だけどバーニーのことはもっともっと知りたいと思った。こんな形で彼のことを知りたいとは思わなかった。
「ならどうだろう?婚約者としてここに住んでみないかい?」
「ふぇ?ここに?」
「そう。宮殿に。俺はしばらく軍務から離れるから時間も作れる。お互いをよく知り合う時間がね」
でももうあなたが皇太子だって私は知ってしまったよ。皇太子よりもいい条件の結婚なんてこの国にはないのに。父も家の者たちもきっと喜ぶだろう。断りようがない。断る理由が見つからない。
「君を他の誰かに渡したくない。だから此処にいてくれジェニファー」
優し気だけど有無を言わせない迫力のようなものをバーニーの笑みから感じた。私はただ頷く以外にすることなんてできなかった。
そして宮殿での生活がはじまった。私は新聞やラジオを通して帝国臣民に広く皇太子の婚約者だと知らしめられた。ここでの生活はまるで夢のようだった。帝国は世界最大の超大国だ。一つの大陸を統べて世界各地に植民地を持っている。だからこの宮殿にないものなんてない。
「ジェニファー様。何かご所望の品はございませんか?すぐに手配いたしますよ」
「いいえ。何も」
「まあ!なんと慎ましい淑女なのでしょう!いままでの皇太子殿下の婚約者候補様はそれはそれはみな醜い欲望に取りつかれた者たちばかりでしたのに!南の植民地でとれるピンクのダイアモンドや東の植民地の高級な絹のドレス。そんなものばかりを殿下に強請って浪費するばかりの愚かな女ばかり!ジェニファー様は外見だけでなく、内面も美しいのですね。淑女の鑑です」
ただ欲しいものが思いつかなかっただけだ。どうせドレスもアクセサリーもお付きのものたちが勝手に持ってきてコーディネートしてくれる。どれも自分で言うのはなんだが、自分を美しく着飾ってくれるから文句がないだけ。
それでも宮殿での生活はなかなかに刺激的で楽しいものではあった。美しい中庭、格調と歴史を感じさせる広間、そして世界の中心にいるという後ろめたい興奮。そう。ここは世界からすべてを奪ってくる場所なのだ。だからこそ美しく豪奢で愛らしくなによりも刺激的。皇太子の婚約者になってからは、夜会にも顔を出すようになった。皇太子の横に立って人々の耳目を集めるのは心地の良いものだった。令嬢たちの妬みの火も嫉妬の炎も自分にさえ届かなければそれは暖炉の暖かさと変わりはしない。世界の中心にいるのは確かに私だったのだ。でもそれは皇太子が私に与えたもの。もちろん自分の魅力が彼の心を奪ったというならば彼が与えてくれるものは自分のものだと誇ったっていいはずだ。だけどなんでだろう。足りないと思えるのは。
ある日バーニーが宮殿の車庫に私を連れてきた。そこには魔導蒸気機関で動く
「いっしょに少しドライブに行こう。宮殿の中は誰かの目があって落ち着かないからね」
私に断る理由はなかった。ドレスではなく珍しくズボンを履いて、彼の操縦するバイクの後ろに乗った。街の道路をバイクで走るのは気持ちがよかった。最初は怖いなって思ったけど、バーニーに抱き着いていればそれはすぐに嬉しい興奮に変わる。私たちは帝都の郊外にある湖までやってきた。色鮮やかな鳥たちが湖畔の木立の間を飛び交い、湖は青く輝いていた。その横を散歩するだけで楽しかった。気がついたら、私はバーニーと手を繋いでいた。それは自然と結ばれたものだった。だけど気がついたらもう後には引けない。顔が赤くなることを自分では止められない。
「ジェニファー。君は本当にかわいいね」
そして私はバーニーに唇を奪われた。奪われたのに、私は目を瞑って受け入れていた。きっと今が人生で一番素敵な瞬間に違いない。私はその時だけは何もかもを忘れていたのだ。
キスが終わると照れ臭くなる。私はお腹が減ったなんて嘘を言ってバーニーに湖畔の傍に出ていたキッチンカーにランチを買いに行かせた。靴を脱いでズボンのすそをまくって湖に足を入れる。少しでも体の熱を冷ましたかった。私は少し湖畔に沿って歩く。そしてふっと気がつくと水に浸かる祠があることに気がついた。祠の奥には岩に古い文字が刻んであって縄で縛られていた。教会とは違う大昔の異教の神を祀る古い社のように見える。
「中にどんな神様がいるか知らないけど、さっきの私たちを見てたの?ねぇ私たちって幸せになれるのかな?」
そう祠に問いかけても答えなんて帰ってこない。古い神様はもうきっとここにはいないのだろう。そう思った。
『そうね。
はっきりと声が聞こえた。私はあたりを見回す。誰もどこにもいない。なのにはっきりと声が聞こえた。
「あなたは誰?どこにいるの?」
『わたしはあなたの中にいつでもいた。あなたの目を通して人々とこの世をずっと見詰めていた』
「なんなのそれ?どういうことなの?!」
『わたしは王権を与える女神。父なる神に道徳を奪われてしまうまでは確かに人々の中にいて女の目を通して世を見ていた』
「女神様?そんなの迷信でしょ。なんなの一体。私の頭がおかしくなったの?」
『安心なさい。誰もがこの世界では正気ではいられない。忘れたの?可哀そうな女の子が野垂れ死にしそうだったのに誰も気にしなかったあの日のことを。それを正気の沙汰だとあなたは言い切る自信があるの?あの日正気だったのはきっとあなただけよ』
「そんなことない。私の方がおかしかったよ。みんな慣れてたよ。あんな悲劇は当たり前だって」
『そう。この世界は悲劇に満ちている。だから選定しなければならない。この世界の救世主たらん王たる者を…』
「選定?じゃあ誰をこの世界の王様にするの?」
『そう。だからよく聞いてちょうだいね。この世界の王様はあなたが選ぶのよジェニファー』
「私が?なんで?なんで私がそんなことをしなきゃいけないの?」
「あなただけが正気で優しさを世界に示すことが出来たから。あなただけがこの世界の王たる者を選ぶ資格がある」
「そんなこと言われても困るよ…わたしはなにもできなかったのに」
『だからこれから成すのよ。これは予言よ。あなたと結ばれた男がこの世界のすべてを統べる王様になる。あなたは王様を見定めて選定し王権を与える権利を得たの』
「そんな…でもじゃあそれならバーニーが王様でいいよね。だってもう結婚は決まってるんだし」
『もちろん誰を選ぶかはあなたの自由よ。でもねジェニファー。今そこに立っていることでさえあなたが選んだ結果なのかしら?』
「今ここに立っているのは…バーニーがここに連れてきてくれたから…でも楽しかったよ!それで十分じゃない!」
『ジェニファー。ごめんなさい。でもあなた以外の誰にも正しい王様を選定することは出来ないのよ。あなただけが正しい決断を出来るとわたしは信じてる。流されないで。そして選んでね。あなたの愛する人を』
「待って。私は…もう…」
私は祠の方へ手を伸ばす。
「もうどうしたの?」
いつの間にかバーニーが私の傍にいた。手には美味しそうなサンドイッチの包みがあった。
「え、ううん。なんでもないよ」
「そうかい?じゃあランチにしようか」
バーニーは微笑む。湖畔に座って私たちは寄り添い合いランチする。さっき聞いたのはただの幻だ。環境が突然変わった私がきっと疲れていたから聞いた妄想。そうだ。そうに違いない。あり得ないよ。だって私の手に世界の命運がかかってるなんてそんなこと在り得ない。だってそれは重すぎるのだから。なのにシャルロットの顔が頭から離れない。私はあの日から流されたまま生きている。それは嘘ではなかったのだ。
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