王権の女神~え?私が選んだ男がこの世界の王様になるなんて言われても困る~
園業公起
第1話 流される日々
よく聞いてね。
あなたには選ぶ権利があるの。
自分自身が服従するにふさわしい王様を選ぶ権利が。
そう。
あなたが愛した男こそ、この世界の王になるのだから。
『王権の女神』
女の私の両手でも抱えられるくらいにやせ細った体がとても憐れに思えた。私は路地裏で行き倒れていたその子を抱えて必死に走った。すれ違う人たちは私が抱える女の子を見て眉を顰める。そしてそれは自分の屋敷に帰っても同じだった。
「お前は何を考えているのだジェニファー!?なんでそんな行き倒れなどを連れてきたのだ?!」
父は私が抱える女の子のみすぼらしい姿に鼻白む。その上この子の肌にはあちらこちらが青黒く染まっている。
「だって…倒れていたから…可哀そうで…だから」
「たかがそんな理由で!?そんなくだらない理由だけで死にかけの女を拾ってきたのかお前は?!理解できない!」
「この子は助けを必要としているんです」
確かに父のいう通り。この子はもう助からない。だけどまだ息はある。私はこの子を助けたかった。
(いったい何から?)
「その病を見ろ!もう長くなどない!放っておけばよいものを!」
「でもお父様。私は…」
「いますぐにそんなものは捨てるのだ!捨ててこなければ我が家の敷居はまたがせないと思え!」
父は私の体を押して門の外に出した。そして屋敷の門を閉じた。私は心細くなってその場に座り込んでしまった。私の抱える女の子はもうすぐ死ぬ。だから何かをしなければいけないのに。
「ジェニファー。どうしたんだ?!その子はいったい?」
幼馴染で私の屋敷で下働きをしてくれているアリルが門の向こう側にいた。
「アリル。私この子を助けてあげたいの」
そう言うとアリルは屋敷の壁をよじ登ってこちら側に飛び降りてきた。そして私の代わりに、女の子を抱き上げる。
「ジェニファー。正直よくわからないよ。君の考えていること。とりあえず僕の家に行こう」
アリルについていき、彼の家についた。彼のお母さんはアリルの抱き上げている女の子を見てぎょっとした顔をした。
「ごめんなさい。おばさま。すこしでいいのです。見逃してください」
私は自分の持っているお小遣いをすべてアリルの母の手に握らせた。貴族の私にとっては大したお金ではないけど、平民にとっては十分な大金だ。アリルのお母さんは私たちのことを見て見ぬふりをすることにしてくれた。女の子はアリルの部屋のベットに横たわらせた。私はその子の手を握る。
「ねぇ。なんで貴族のお嬢様が私みたいな貧しい娼婦の手を握っているの」
「…あなたがそれを必要としていると思ったから…」
そういうと女の子は涙を一筋流す。
「もう私は死んじゃうの。ねぇ私あんな仕事したくなかったの。でも家族はお腹を空かせていて、仕方なくって、でも病気になって私捨てられちゃったの」
私はただただその女の子の話に耳を傾けた。
「あなたとても綺麗ね。何て名前なの?」
「ジェニファー」
「そうなの。ジェニファー。ありがとうねジェニファー。手を握ってくれて。わたしはシャルロット」
「うん。シャルロット」
私は彼女の手をぎゅっと強く握る。
「ああ、ありがとぅジェニファー。私寂しかったのとってもとても寂しかったよ。よかった。一人は嫌だった。もう寂しくない。あなたの手はとても暖かいのね…」
そしてシャルロットは目を閉じた。私が握る手から力が抜ける。今彼女は死んでしまった。それでも私はその手を離せなかった。離せばまたこの子は一人になってしまうと思ったから。
(そんなことに何の意味もないのに?)
「ジェニファー。その子はもう死んだよ」
アリルは優しく私の肩に手を置いた。
「そうだね。そうなんだよね」
「ジェニファー。もう手を放すんだ。シャルロットを葬ってあげよう」
私はシャルロットの手を放す。結局何も出来てないし、何もしなかった。葬式はアリルが全部手配してくれた。参列者はわたしとアリルと神父さんだけ。
「ジェニファー。こんなことはもうやっては駄目だよ」
「でも見ちゃったのに?苦しんでる人を見ちゃったのに?」
「この国にはそんな人がたくさんいるんだ。可哀そうなシャルロットは数えきれないほど沢山いるんだよ。その人たちの手を握り続けていたらいつかきっと悲しさに耐えられなくなっちゃう」
「じゃあどうすればいいの?私は何をすればいいの。見てしまったのに。憐れな人たちを見てしまったのに…」
「君は何もしなくていいよジェニファー。祈っててくれ。僕が大人になったらきっとこの国を変えてみせるから…」
アリルは私の手を優しく握ってくれた。心強くて、でもとても悲しい。私たちは何もできない子供でしかなかった。
でもたとえ体は大人になっても、女の私にできることなんてなかった。ずっと戦争を続けているこの国の平民たちの生活は苦しい。逆に貴族たちは侵略で手に入れた植民地や領土でぶくぶくと肥えていった。
「アリル。私やっぱりなんにもできなかったよ」
「ジェニファー。それは違うよ。誰かが祈っているだけでいいんだ。そうすればいつかはきっと何かが変わるはずだよ」
アリルは徴兵されてしまった。この駅から列車に乗って彼は戦地に放り込まれる。私は父にアリルが徴兵されないようにお願いしたけど、一顧だにしてくれなかった。
「アリルぅ。お願い。絶対に生きて帰ってきて。私の傍に帰ってきて」
私はアリルにぎゅっと抱き着く。彼もわたしを優しく抱きしめてくれた。
「うん。絶対に帰ってくる。帰ってきたら寂しい思いなんて絶対にさせないからね」
きっとその時私たちの心は通じ合っていたはずだ。そしてアリルは戦争に行った。私は何もできずにただ待つだけの日々を送ることになる。
喜ばしいことだった。アリルは戦争から帰ってきた。彼が戦地から帰ってきたとき私はすぐに彼のことを駅のホームで出迎えた。
「アリル!アリル!私はここ!ここにいるよ!」
列車から軍服を着たアリルが降りてくるのを見つけた。私はスカートを持ち上げて必死で駆け寄る。だけど。
「ジェニファー…?ああ…そうか…待っていてくれたのか…」
「アリル…?」
彼の青い瞳はひどく冷たいものになっていた。端正で綺麗な顔は昔と変わらないのに、どこか剣のように危うい鋭さがあった。
「すまないジェニファー。出迎えて貰ってとても嬉しいよ。だけどこれから国防省に出頭しなきゃいけないんだ。野戦昇進で将校になっちゃってね。いろいろ仕事が立て込んでるんだ。失礼するね」
アリルは私の横をすっとまるで幽霊のように通り抜けていった。それはどこか曖昧な拒絶を私に感じさせた。アリルは私を置いて何かに変わってしまった。男の子は変わってしまえばきっと振り返ってくれない。私はとても寂しい気持ちでいっぱいだった。
何が行けなかったのだろうか。それがわからないまま時は過ぎて行く。適齢期になった私の下には縁談の話が多く舞い込んできた。テーブルの上には新郎候補のお見合い写真が沢山積まれている。みんな立派な経歴や家柄を誇る若い貴族の子弟ばかり。
「社交界にはたった一回しか出てないのに、どうしてこんなにお見合いのお手紙がいっぱい届くの?」
「それはお嬢様が国一番の美女だからにございます。皇族のお姫様方さえも霞むようなその美貌を欲しがらない男は決しておりません」
メイドは世辞を私に言うが、ちっともうれしくはなかった。
「そうなのね。私この中の誰ともお喋りしてないのにね」
みんな私のことなんてしらずに結婚したがってる。
「結婚してから愛を育むものですよ。別に不安になることはありません。お嬢様はその中から好みの方を選べばよいだけなのです」
「選ぶ…選んでそれで何が変わるのかしら…それに選びたい人はこの中にはいないのに…」
選択肢は沢山あっても、その中に選びたいものがなければどうすればいいのだろう。だから私には何もできない。何も選びたくなかった。
屋敷を抜け出して街に出た。私は教会で身寄りのない子供たち相手に勉強を教えている。あの日シャルロットに何もできなかった日以来、何かがしたくて仕方がなかった。でもなかなか現実は大変だった。身寄りのない子供たちは勉強を教えてもなかなか身につかない。100人いれば1人やっとものになる。多くの子が勉強からドロップしていった。そして待っているのは男ならギャング、女なら娼婦。そんな暗い未来ばかり。この国は戦争を繰り返し広大な領土を手に入れたのにちっとも人々は豊かにならない。街頭では香具師が貴族が搾取していることを必死に喧伝する。でもそれに足を止めて耳を傾けても、具体的に何をすればいいのかなんて誰にもわからなかった。ただただ敵がいると叫ぶだけの香具師に踊らされて暴れる人たちは兵隊たちに容赦なく殺されていった。何も変わらない日々。教会での勉強のボランティアを終えて、私は帰路についた。
「ようねぇちゃん。俺たちと遊ばねぇか!」
酔っぱらった柄の悪い男たちに絡まれた。いつもなら大通りには衛兵がいてそういう輩を見張ってくれるのに、今日に限っていなかった。
「すみません。私は帰らないといけないので」
男たちを避けてその場をやり過ごそうとしたが、すぐに回り込まれてしまう。このまま危ない目にあわされてしまうのだろうか。でも何も変わらない日々を送る私がそんな目にあっても何も変わらないのかもしれない。男に手を引かれてもどうでもいいかなと思ったその時だった。
「その人は嫌がっている。誇り高き帝国臣民の男であれば、女性には優しくするものだ」
「あん?誰だよおまえ?!」
私の手を掴む男の手を振り払った人がいた。金髪で緑色の瞳の綺麗な顔をした男だった。
「いいねぇ!かっこいいじゃん!お前みたいな勘違い野郎の綺麗な顔を潰すのが俺たちは大好きなんだよ!!」
酔っ払いたちは金髪の男に一斉に殴り掛かる。だけど金髪の男はそれを華麗にいなして、逆に酔っ払いたちを叩きのめしてしまった。
「粋がったても所詮はただの酔っぱらいだな」
「こらー!そこ!喧嘩はやめろぉ!」
今更ながらに憲兵たちが私たちの方へとやってくる。
「まずい!失礼するよ!」
「きゃ!」
金髪の男は私を両手で持ち上げて走り出す。まるでお姫様のようなスタイルで抱き上げられると恥ずかしさで胸が高鳴って仕方がない。そして憲兵を撒いたあたりで、金髪の男は私を地面に降ろした。
「あはは!いやぁ捕まらずに済んでよかったよかった」
「私は何もしてないから捕まらないんだけど」
「でもけっこう楽しくなかった?街をああやって走るのって」
そう言われるとさっきの恥ずかしさを思い出して頬が赤くなってしまう。
「そんなことないわ。ぜんぜん!楽しくなかった!」
私は頬を膨らませてプンプンと怒った。でもきっと楽しくなかったなんて言葉は嘘だったと思う。
「そうかい。それはごめんね。俺はバーニーっていうんだ。君名前は?家まで送るよ」
「ジェニファー…。そうね。送ってくれるっていうならお願いするわ。男の子ってそういうのが好きなんでしょ?私は優しいからそういうのに付き合ってあげる」
バーニーはそれを聞いて優し気に微笑んだ。そして送ってもらう間、私たちは色々とお喋りに興じた。バーニーは話し上手だった。遠い異国の文化や、近頃流行りのお芝居のお話、ファッション。そんな楽し気な話ばかりを私に聞かせてくれた。そして気がついたらあっという間に私の家についていた。家の門の前でわたしたちは立ち止まった。何か名残惜しい気がした。このままお別れは寂しいと思えた。
「あー。その。今日は楽しかったよジェニファー。また会おう」
私はそれに深く頷いた。また会える。その言葉があれば、今日名残惜しくて寂しくても大丈夫だと思えた。
バーニーがどこのだれかはわからなかったが、再開が少し楽しみだった。そんなことを思う日々の中である日父がとんでもなくにやついた形相で私の下に絶望的な知らせを持ってきた。
「お前の結婚が決まったぞ。聞いて驚け!なんと皇太子殿下がお前との婚約を我が家に打診してきたのだ!よろこべ!お前はこの国の将来の皇后になるのだ!」
青天霹靂。あったこともない皇太子に見初められてしまったらしい。断ることなんて当然できない。私はすぐにとても綺麗なドレスを仕立て上げられて、宮殿へと送られた。宮殿へはわざわざ馬車を使って参内した。魔導蒸気機関全盛のこの時代にこんなところは伝統を守るのがステータスらしい。儀仗兵たちが並ぶ廊下を父の後ろをついて歩く。そして宮殿の中庭に私たちは通された。そこはとても綺麗な花壇が並んだ夢のような場所だった。もちろん顔も知らない皇太子と結婚とその将来の苦労を考えれば私には悪夢だが。
「私はここまでだ。皇太子殿下が庭の奥でお待ちだ。決して失礼のないように」
私は嬉しそうな父を多分睨んだのだと思う。
「なんだその目は?父に対して娘がしていい目ではないぞ!」
「そうですか。失礼しました。なにせこの結婚が成立すれば、私は将来の皇后ですからね。不快な臣下を睨む権利位は今でもあるのかと勘違いしました。失礼!」
私は言いたいことだけ言って庭の方へ歩いていく。父は怒っていたが追いかけてはこなかった。皇太子は私一人だけで来るように望んでいるのは本当らしい。華麗に咲く花々の間を歩くと心は華やぐ。だけど未来を思えば憂鬱だ。そして私は庭の奥に辿り着いた。そこにはテーブルがあり椅子が二つだけある。そのうちの一つに男が座っていた。そしてその人の顔を見て私はとても驚いた。
「バーニー?なんでここに?」
「やあまた会えてうれしいよジェニファー。実はちょっと嘘をついた。バーニーは本名じゃないんだ。綽名だよ。本名はバーンハード・プレスティ。この国の皇太子をやっている。これからよろしくね」
かちりと歯車が回る音がした。何かが変わる兆しが表れた。だけどそれは一体何を変えるのだろう。私の何が変わってしまうのだろう。それは今は何もわからなくて、とてもとても。恐ろしかったのだ。
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