2 作戦開始

「さ、準備は良いですか? 啓介君」


「俺は大丈夫ですよ。いつでも来いって感じです」


 昼前。

 市内の運動公園でストレッチをしながら啓介は柏木の問いに答える。

 周囲に居るのは柏木だけではない。

 ブーストギアに適合した影村重工の職員が五名と。


「ああ、一応言っとくけど冗談でもどついたりするなよ出雲さんジュニア。俺生身だからそれだけでダンプカーに跳ねられたみたいになりかねねえんだし」


「大丈夫です。その辺は訓練で良く言われたんで」


「あの、ストレッチからシャドーボクシングに移行しながら言わないでくれるか!?」


 そう言って苦笑いを浮かべる男はブーストギアの適合者ではない。

 父の部下で高校大学と演劇部に所属していたらしい松田さんだ。

 彼の役回りが、昨日でいう自分の役回り……被害者役。


 怪人が作り出す特殊な空間に呑み込まれて襲われている一般人という、天池が戦う理由となる誰かという重要な役回り。

 八百長を成立させる立役者。

 天池が誰も覚えていないと言っていたカラクリは、記憶操作などの物騒な技術ではなくコレである。


 これまで天池が被害者だと思い込んでいた相手は全員影村重工の人間なのだから、仮に天池に問い詰められても全員何も知らないフリをするのは当然の話だろう。

 そしてそんな被害者役のスタンバイも終わっているので、もうこちら側は準備完了だ。


「ではそろそろ天池さんを誘い込みましょうか」


 言いながら柏木は無人の公園でブーストギアを構える。


 そう、無人だ。

 この空間には誰もいない。


 訓練室のような異空間を任意の場所に作成できる携帯型異空間生成装置。

 影村重工の地下にあるものと比較すると遥かに規模は劣るが、それでも最大半径5キロメートル程の異空間を生成する事が可能で、その異空間が、天池とのバトルフィールド。

 そのフィールド内で柏木達が次々にブーストギアを起動させ、怪人へと姿を変えていく。

 それに啓介も続いた。


「ブーストオン!」


 力と共に黒い装甲を纏い、これで戦う準備は整った。

 後は……各々軽く念じて、ブーストギアに搭載されたとある力を発動させる。


「これでよし……っと」


 発動し放出したのは自分が危険な存在であるという情報を発信する波動。

 守護者は危機を察知する力を持つが、ブーストギアを纏った自分達は別にこの世界の危機でも何でもない。

 寧ろどうにかしようとしている側の人間だ。


 だから人為的に守護者が反応するであろう波動を作り出し放出し……天池を釣る。

 実践上、天池小夏なら確実に釣れる。

 そして波動を放ちながら、呼吸を整える啓介に柏木が言う。


「改めて伝えておきますが、無理はしないように。本当に危険だと思う攻撃が飛んできた場合は合図を待たずに離脱してください」


「分かってますよ。昨日側頭部に蹴り喰らった人全治三か月って言ってましたしね」


「判断を誤るとああなります」


 多少の怪我は大前提だが、基本は軽傷で済みそうな攻撃を喰らった際にやられたフリをして戦線を離脱する事。

 うっかりキツい一撃を貰ってしまえば軽い怪我では済まなくなる。

 灯の様に治癒力を上げられる訳でもないので、本当に気を付けなければならない。

 そうしなければ、きっと長い時間何もできなくなってしまうから。


「さあ、来ましたよ。此処からの会話は内部通信で」


『了解です。えーっと、できてます?』


『ええ。すっかり使い方をマスターしましたね。さ、無駄話は此処までです』


『はい! ……いや、無駄話では無かったですよね』


『確かに、言われてみればそんな気が……』


 そんなやり取りをしていたその時だった。


『……ッ!』


 遠方から物凄い速度で接近していた天池が更にもう一段階加速して、松田のすぐ近くで構えていた怪人役の社員を殴り飛ばしていた。

 軽いやり取りをしているその一瞬で、距離を詰められてだ。


(……き、昨日より滅茶苦茶早くないか?)


 バックステップで大きく距離を取りながら心中でそう呟く。

 昨日の戦いは素の状態で眺めていた訳で、動体視力などが異なる今との比較は難しい。

 だが直感でそう感じる位には、前日とは全く異なる領域に到達しているように思えた。


『予測通り、次のフェーズに進んだな』


 怪人役の社員の誰かがそう呟いたという事は、啓介の直感は当たっているのだろう。

 ……その事に安堵する。


(……現実味を帯びてきた。これならマジでそう遠くない内に灯に追いつくかもしれねえ)


 これまで一年間もの間、天池小夏と影村重工は戦いを繰り広げてきた。

 その結果が、昨日までの天池だ。


 当然全くの素人の状態から一年程度であのレベルまで強くなるというのが物凄い事だという認識を持ってはいるが、同時に一年掛けてこのレベルの天池を後半年で目標の強さまで到達させられるのかと、疑問視している部分もあった。


 だが、それが今完全に吹っ切れた。


 知ってはいたが守護者の成長曲線は綺麗な形を描かない。

 スポーツなどで何かが切っ掛けで別人のように成績が伸びる事があるように、守護者も何かが切っ掛けで歪に戦闘力が跳ねあがる。

 そしてこのやり方はそれが顕著だそうだ。

 それを天池は目の前で実証している……だからこそ。


(追いつかせるぞ。気合い入れろ)


 これからやられ役になる事に対してのモチベーションに繋がる。

 そして前向きな気持ちで構えを取る啓介とは対照的に、絵にかいたように不機嫌な表情を浮かべる天池は、啓介を次のターゲットに定めたように睨みつけ一直線に加速してくる。


「昨日の今日とかほんとふざけんなマジで!」


 そうキレ散らかしながら振るわれた右ストレートを見切り、体を反らして回避した。


 とりあえずこれは避けても良い。

 一方的に倒され続けるだけでは天池に対し文字通り何の経験にもならないから。

 強すぎず弱すぎない。

 丁度良い塩梅を試みる。


「授業中に出てこない以外私の生活への配慮無しじゃんこの野郎! 今日だってこの後友達と映画観に行く約束してんの!」


 本当に普通に申し訳なくなる言葉を浴びされながら、流れるように放たれる拳や蹴りを躱し、防いでいき、そしてその中で見付ける。

 昨日得たやられ役としての付け焼刃的直感が丁度良いと訴えるタイミングを。


(此処だ)


 それに合わせて天池目掛けて右ストレートを放つ。

 当たりそうな軌道だが、当てるつもりはない。


 これは釣りだ。

 この拳に反応させて、天池にカウンターを放たせる。


「遅刻したらアンタらマジで許さないからな」


 怒気の籠った声と拳が啓介目掛けて放たれた。

 ……想定通りだ。


 後はその攻撃に合わせて拳の到達するポイントを割り出し、その地点一点に、天池が叩き壊せる程度の強度のエネルギーシールドを展開。

 破壊させ……威力を殺した拳を戦闘体の装甲に届かせる。

 色々と難しく考えて行動する事は此処まで。


 その先は根性論。


『グ……ッ』


 鈍器で殴られたような激痛に耐えればそれで終わりだ。


『大丈夫ですか啓介君!』


 柏木からの内部通話を聞きながら、地面を何度かバウンドしてボロ雑巾の様に転がった。

 だけど意識はしっかり此処に残っている。


『大丈夫です……ほぼ想定内。思ったより痛ぇけど』


『でしたらこの場から離脱を。やられ役の怪人その一の役割は終了です』


『りょーかいです……あと頼んます』


 言いながら啓介はブーストギアの脱出装置を起動する。

 それを発動した瞬間、眩い光と共に視界の景色が移り変わった。


(……戻って来たな。マジで親父の開発力すげー)


 ブーストギアに自由に空間を転移するような能力は搭載されていない。

 されていないというよりも、そんな事は出来ないのだろう。


 だが影村重工が作り出す異空間を経由して、予め設定したリスボーン地点へ帰って来る事は出来る。

 この緊急脱出で、天池に敵を倒し消滅させたと誤認させているのだ。

 そんな風に父親の事を心中で称賛しながらブーストギアを解除する。

 そのタイミングで灯の声が耳に届いた。


「大丈夫っすか啓介さん!」


 そう言いながら灯が駆け寄って来る。


「え、此処にいるって事は、もしかしてスタンバってた?」


「そりゃそうっすよ! だって心配じゃないっすか! 戻ってきた啓介さんが大怪我負ってたらどうしようって考えると気が気じゃなくて!」


「大丈夫大丈夫。見て分からねえかもしれねえけど軽傷だからよ。打撲打撲多分打撲」


「軽く怪我を負ってるのを大丈夫って言って良いんすかね……?」


「最低限に抑えてんだから良いだろ。最善だよ最善」


「それは分かってんすけど……あんま納得したくないっすね」


 そう言って軽く溜息を吐いた灯は言う。


「やっぱ確実に怪我を負うような事はやってほしくないんすよ。ねえ啓介さん、今からでも良いんで止めませんか?」


「止めねえよ。俺以上の大怪我を確実に負うような事をお前がやってんのに、こんな程度で止められるか」


 ブーストギアでの天池との八百長試合は、冗談抜きで命の危険を感じた。

 攻防の中の一つ一つの選択を致命的に誤ると、それが死に繋がってしまうような、そんな感覚を確かに感じた。


 だけど灯の戦いはきっと違うのだろう。

 観測できる範囲に死の危険があるなんて甘いものでは無く、きっと隣合わせだ。


 まだ一度も灯の戦いを見ていないがそれでも分かってしまうから……尚更こんな程度では引けない。

 もう一歩二歩、死に近い道を歩んででも、何かをしてやりたいと考える。


 当然だ。

 なんならその先にすら進みたいとも思っている。

 ……進めないのは分かっているけど。


 と、そんな決着が付かなそうなやり取りを交わしていると、それを断ち切るように後続が帰って来る。


「痛ったぁ……ヤバいヤバい。当たり所悪いでしょこれぇ!」


 言いながら変身を解いたのは柏木だ。


「マジヤバイって毎度毎度ぉ……これ死ぬ奴ぅ……ッ!」


 かなり危ない状況に陥ったのだろう。結構長い付き合いだけど、見た事が無い反応を表にさらけ出していて、それが本当に危なかったであろう状況の解像度を上げる。


「柏木さん大丈夫っすか!」


「も、もしかしてガッツリ怪我しました!?」


 こちら、というより灯の方に視線を向けハッとした表情を浮かべた柏木は、一拍空けてからいつもの調子で返答してくる。


「普通にどこかやりましたねこれ。ああでも大丈夫ですよ。多分骨とかは折って無いです」


「ほんとっすか!? なんか殆ど見ないタイプの反応してたっすけど!」


「殆どって……え、私お嬢様に以前そんなの見せた事ありましたっけ?」


「えーっと、いつだったっけ……そ、そうだ、柏木さんがお酒飲めるようになった年の新年会の時に酔っぱらって酒瓶振り回してた時っすね……」


「え、待ってください。全く記憶にないんですけど……えぇ……」


 言いながら柏木は頭を抱えるが、やがて開き直ったように真面目な表情を浮かべて言う。


「ところで啓介君の方は大丈夫ですか? 一応先程の通信では大丈夫そうでしたが」


「強引に話戻しましたね……」


「と、とにかく。どんな感じですか!」


 ……恐らく素直に流れに乗るのが優しさだろう。

 それに、真面目に心配もしてくれていそうだから。

 それ以上は話を脱線させずに答える。


「ああ、俺は大丈夫ですよ。幸いうまくやれたんで軽傷です」


「流石というべきですかね。昨日の今日で多分私達の中で誰よりも動けるようになってますよ」


「いやいや、そんな事無いですよ流石に」


「いやいやそんな事あるんじゃないっすか。なんたって啓介さんなんで」


 そう言ってドヤ顔を浮かべる灯。


(……じゃあとりあえずそういう事にしておいても良いか)


 絶対違うが別に無理して否定しなければならない事でも無い。

 否定したら何かが変わる訳でもない。

 悪い気分ではないのでこのままで良いだろう。確実にお世辞ではあるだろうけど。


 そんな風にほんの少しの優越感に浸っている啓介に柏木が言う。


「とにかく、大きな怪我が無いなら何よりです。単純に心配だったのもそうですが……あなたが大怪我を負うとそのままお嬢様にも良くない影響がありますから」


「そう思ってるなら参加させないで欲しいんすけど……っていうのはもうしつこいっすね」


 軽く溜め息を吐いた後、灯は言う。


「あとひとつ訂正しておくっすけど、普通に柏木さん達にも怪我とか負って欲しくないっすからね! 良くない影響ありまくりっすから! それこそできる事なら皆にもこういう事をやって欲しくないって思ってるんすよ……本当は、こういうのって全部守護者の役割な筈なんで」


「違いますよ、お嬢様」


 柏木が静かに言う。


「なんでもかんでも守護者に頼る。続いて来たそんな風習の方がおかしいんです。守護者だけで……お嬢様だけで背負わなくても良い。背負わなくても良いんです」


 そんな、至極真っ当な言葉を……どこか、縋り付くように。

 ……気のせいだろうか? それは分からないが。


「ありがとうっす、柏木さん」


 灯の表情や声音からは、何かが変わった様子は掴み取れなかった。

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正義の味方育成計画 山外大河 @yamasototaiga

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