シャルナの夢と潜在不安

哀原正十

☆200突破記念 シャルナの夢と潜在不安

 ※完全なIF話です。本編とは何の関係もないものとしてお読みください。 




「中々強くならないな」


 呆れを含んだ声がシャルナの背筋を冷たくする。


「う、うん。ごめん……」


 シャルナは申し訳なさから身を縮こまらせて、俯き、伏し目がちに玄咲に謝った。教室の隅、いつもの席、入学してから1ヵ月、隣に座る最愛の人の表情は曇っている。1ヵ月前はこうではなかった。シャルナを見るとそれだけでいつも嬉しそうな表情をしていた。なのに今は、厳しい視線をシャルナに向けることが多くなった。愛情が減っている。それを察したシャルナは焦って、玄咲の腕にすがりつきその腕を抱き締めて甘ったるい声を出す。


「だ、大丈夫だよ! 今に強くなるから! 心配しないで! 私には、玄咲が、ついてるもん!」


 その仕草は、声は、媚びているようで、2人の関係性を穢しているようで、自分でも嫌になる。でも、玄咲に見放されるのはもっと嫌だった。だから、あまりやりたくないことでも、やる、いよいよとなれば本当になんでもするだろう。最近、シャルナは段々と自分の本質が分かってきた。玄咲に甘えて、依存して、それで何とか精神のバランスを取っている、よわよわ堕天使らしかった。そして玄咲のためなら何でもしてしまう、ダメダメ堕天使でもあるらしかった。


(本当、玄咲がいないと私、まるで駄目だ。最近、ちょっと不眠症気味だし、不安で頭がくらくらすることも多くなった。1ヵ月前はこうじゃなかったのに、明日を楽しみにしながら寝れてたのに、起きてても2人でいれば何の不安もなかったのに、もう私、玄咲がいないと駄目なのに、駄目にされちゃったのに、それなのに――!)


「……」


 玄咲は冷たい眼でシャルナを見ている。まるで戦力を見分するような、敵を見る時のような、あるいは役立たずでも見るような、どうしようもないポンコツお荷物に呆れ果てているような、そんな目付き。怖い、と思う。味方でなくなった途端、玄咲は急に怖い人物に見える。敵対した人間はずっとこんな目で玄咲を見ていたんだなと、恐怖をその眼に映していたんだなと、恋心で一杯だった時は決して気づかなかった再発見を最近シャルナはした。決してしたくない再発見だった。玄咲が口を開く。シャルナはビクッとする。


「――そうだな」


 玄咲が笑う。シャルナに、1ヵ月前と同じ笑みを見せてくれる。


「シャルには俺がついている。俺からシャルを見限るなんてこと絶対にありえない。なにせ俺は堕天使が天使の100倍好きでシャルが宇宙一、いや銀河一、いやコスモ一、いやスペース一、いや、ユニバース一大好きなシャル狂いのシャルがいないとダメな戦闘時以外はダメダメなシャルの恋人――じゃなかった。お友達なんだから」


「!」


 シャルナの表情がパーっと明るくなる。


「そ、そうだよね! 玄咲は私のことが、大好きだもんね! 私がいないと、ダメダメだもんね! 私がいても基本ダメダメだとか思ってても絶対言わないよ! とにかく、私と玄咲は一心同体で、いつも2人で一緒にいなきゃ駄目なんだもんね! そうだよね? 玄咲?」


「ああ、その通りだ。大丈夫。いつも俺はシャルの傍にいる。だから大丈夫。何も不安がることなんてないんだ。安心して眠ってくれ。お休み。シャル」


「うん!」


 シャルナは寝た。約1ヵ月ぶりの心底の安堵に包まれた寝入りだった。玄咲が後ろから抱きしめてくれた。


 まるで失くした翼が生えたみたいで、家族を取り戻したみたいで、その2つが一度にきて幸せだった。





 あれ? ここはどこなんだろう。


「シャル。目覚めたか。93秒のタイムロスだ。全く、サンダージョーのレベルと同時間のタイムロスとは全く本当に救えないな。この93(クズ)が」


「キャッ!?」


 ハリセン型のADで頬を叩かれる。そしてシャルナが顔を上げた瞬間にはなぜか木刀型になっていたADを肩でトントンとさせて、シャルナに玄咲が指招きをする。


「ほら、起きろ。また訓練つけてやるから、せめて必死にやってくれ。上達しない分努力してくれないといい加減俺のやる気が尽きそうだ。――いや、愛想が尽きるの言い間違いだったかな?」


「!?」


 シャルナは焦って玄咲の腕にしがみつき抱きしめた。


「い、いやっ! それだけは、いやっ! わ、私、努力するから、何でもするから、いくらでも叩いてくれていいから、わ、私を、見捨てないでっ! それだけは、やなの……玄咲に見捨てられたら、もう、私何していいか分からない。それに、もう何にも耐えられなくなる。玄咲がいるから、耐えられるの。玄咲が、いるから、私、心折られずにいられるのっ! 玄咲が私の全てなのっ!」


「……」


 玄咲は何も言わない。ただハリセンボン型のADを両手を使ってポーン、ポーン、とテクニカルな動きを交えてジャグリングしている。シャルナはその姿に、お前など俺の掌の上で弄ばれるハリセンボン型ADの足元にも及ばないよわダメ堕天使だと言われているようで、思わず玄咲の足にしがみついて啜り泣いた。


「ど、どれだけぶっても叩いても殴ってもいいからぁ……ハリセン型のADでも木刀型のADでもハリセンボン型のADでもどんなADででも突っ込んでいいからぁ……お願いだから、私を見捨てないでぇ……」


「……」


 玄咲が笑う。3か月前と同じような笑み。シャルナの表情がパーっと輝く。


「シャルは本当に俺がいないとダメなんだなぁ。仕方ない。ユニバース一可愛くて天下壱の魔符士になる才能をも秘めた世界一愛おしい堕天使の恋人のためにも一肌だけ脱いでやるかぁ」


 玄咲はバンカラな学生服を脱いで血塗れの白シャツ一丁となる。シャルナが一番格好いいと思っているサンダージョーからシャルナを助けてくれた時の白シャツ1丁。シャルナは瞳孔をハート型にして頷いた。


「うん。一肌脱いで」


「もう一肌脱ぐかぁ」


「それはやめて」


「うん。じゃあ仕方ない。サンダージョーを9割9分9厘殺しにした時のこの血塗れ白シャツ金属バットAD姿で熱血指導するとするかぁ。シャル、行くぞ!」


「きて、玄咲!」


 シャルナは玄咲から熱血指導を受けた。金属バット型ADで何度も熱血指導される。バトルルームの白い床に熱い血潮が飛び散る。なのに痛みは感じない。その現象を不思議に思いながらも、玄咲から見捨てられていない事実に、まだ玄咲と一緒にいられることに、シャルナはたまらない喜びと安堵を覚える。まだこの学園に玄咲と一緒に通える。中々強くなれないけど、それが不安要素だけど、今だけはその事実を忘れて、シャルナは玄咲から熱血指導を受け続けた。熱い絆が血の迸りを通して育まれた。






「シャル、この関係をもう終わりにしよう」


 何故か誰もいない2人きりの1年G組の教室の中、ガチャーんと、玄咲の座する学生机へと運ぶ途中のティーポットとその受け皿を落としてシャルナは目を潤ませた。次から次に涙滴が床上の堕天使の午後の紅茶ロイヤルストレートミルクティー味の白い水たまりの上に零れて水飛沫を跳ね上げる。シャルナは俯き髪に表情を隠して、制服の裾を掴んで声を震わし玄咲に尋ねた。


「……なんで、そんなこというの」


「お前がポンコツだからだ。入学から6か月。お前がここまでダメな奴だとは思わなかった。全く、いつになったら強くなるんだ? お前は。入学時から全く成長しないとは思わなかったぞ。所詮パワーレベリングしたレベルにおんぶにだっこのハリボテキャラか。CMAの知識も案外当てにならないな。全くお前に付き合っていたせいで俺の成績も急降下だ。全く、付き合って後悔した。お前に費やした時間を全て返して欲しいよ」


「っ! そ、それは、悪いと、思ってるっ……!」


「悪いと思ってるなら強くなれ。まぁお前には無理だろうがな。もう俺はお前にはほとほと愛想が尽きた」


「ッ!」


 玄咲の飾らない言葉の切っ先がシャルナの胸を抉る。玄咲の言う通り、シャルナは入学時から全く成長していない。レベルは42のまんま。身体能力も知力も全く向上していない。剣型のADの扱いも入学時と同じく全く扱いこなせていない。カードの知識も新たに覚えたのはギャンブリング・エンジェルスの知識と使い方だけ。自分でも嫌になる程のポンコツ具合。


「で、でも、私、それでも私、頑張って、必死に頑張って、玄咲のこと大好きだから、玄咲が頑張ってくれてる分も頑張ろうって、玄咲への恩返そうって、生まれてこんなに努力したの初めてってくらい頑張って、それなのに、それなのに、そんな言葉って、ないよ……」


「はっ、見た目だけ涼やかな中身無能ポンコツのダメダメ堕天使が何を目的にそんなに頑張っているんだか。頑張ったとこで無駄に決まってんだろ」


「……あ、あのね。笑わないでね。私ね、いつか玄咲を私が助けられたみたいに助けようと思って、それですっごい頑張ってたの」


「笑える冗談だな」


「ッ! そ、それでも、本気だったの。だって、私、げ、玄咲の、こと、大好き、なんだもんッ!」


「俺はお前のことなんてもうこれっぽっちも好きじゃない」


「っ! うぅ、ひっく! そ、それでも、私は、玄咲のことがっ!」


 涙をボロボロ零しながら、シャルナは玄咲のことを諦めない。シャルナの愛の告白を遮って、玄咲は首振りため息をつき、そして悪魔のような目つきでシャルナを見下ろしてこう告げた。


「全く――」


 シャルナは。


「お前なんて、助けなけりゃ良かった」


「――――」


 自分の心が。


 決意が。


 完膚なきまでに砕け散る音を聞いた。


 楽園が、学園が、崩壊して、地獄色に塗り替わってゆく。教室の風景が罅割れて、粉々になって、風景のベールが剥がれた向こう側に宇宙のように360度を覆う真っ黒闇が現れる。その最果てから赤黒くおぞましい地獄の瘴気の膿が押し寄せてくる。玄咲がそちらへと歩き去っていく。まるで、地獄へと引きずり込まれるような亡者の歩みで。


「っ! 駄目ぇっ! いかせ、ない!」


 シャルナは玄咲の腰に抱き着き、渾身の力で引っ張る。だが、歩みを止められない。ずるずる、ずるずると、引っ張られていく。泣きそうになりながら、というか泣きながらシャルナは玄咲へと抱き着き、彼方から此方へと引き戻そうとする。だが、玄咲は止まらない。行ってはならない方へと決して歩みを止めない。シャルナの抵抗など紙の鎖程の拘束力ももたらさない。だが、それでも煩わしさは感じるらしい。玄咲は「チッ」と舌打ちして、シャルナを煩わし気に腕で振り払った。


「邪魔だ!」


「あぐっ! そ、それでも、ダメなの! そっち行ったら、ダメなの!」


 シャルナは玄咲の腕に全身で纏わりつく。なんだか、玄咲があっち側に行ってしまいそうで、本当に狂ってしまいそうで、壊れてしまいそうで、二度と会えなくなりそうで、狂っても、壊れても、嫌われても、それでもいいから。


 会えなくなるのだけは、どうしようもなく耐えられなかった。だからシャルナは玄咲の腕を引っ張る。その手を握って。


「私、玄咲と、ずっと一緒に、いたいの! そのために、頑張ってるのっ! 馬鹿だけど、ポンコツだけど、それでも、見捨てないで! 一緒にいて! 私、頑張るからっ! 頑張るからッ!!!」


「うざい、重い、しつこい、面倒くさい、可愛くない、ポンコツ、馬鹿、低能、去年まで赤ちゃんはコウノトリが運んでくると思ってた、存在自体が厄ネタ、アマルティアン、付き合うデメリット大き過ぎ、嫉妬深すぎ、天使コンプレックス、マザコン」


 何故かシャルナが言われたくない言葉のオンパレードをピンポイントで言葉のマシンガン連打で玄咲は撃ち抜いてくる。メンタルがボロボロになりながらもシャルナは挫けない。愛情鋼の心で玄咲にしがみつく。そして、叫ぶ。


「どんなにダメでも、ポンコツでも、私は玄咲のことが大好きなの! 恥ずかしくって全然言えないけど、それが本音なの! だから、だから――私から離れないでェ! もう私、玄咲がいなきゃ、生きていけないよぉ……!」


「――そうか」


 玄咲が立ち止まる。シャルナが希望を抱く。その手を掴む力が緩む。その瞬間、


「どうでもいい」


 玄咲はシャルナの手を振り払って、突き飛ばした。


 シャルナが絶望に塗れた眼で玄咲の背を見る。近づいてくる地獄の膿へと足を踏み入れる玄咲を。二度と、会えなくなる。その予感に身を震わせ、シャルナは、叫んだ。


「やぁ……玄咲ッ、離れちゃ、ダメぇッ!」


 失った温もりを求めてその手を背に伸ばす。涙で潤み、水膜に閉じた視界を、もう片方の手で拭って、顔を上げた、シャルナの手が。


 熱い温もりに、掴まれる。


「え……?」


 途方もない安心感。悪夢から冷めたような解放感。そのシャルナに、声がかけられる。



 ――安心してくれ、シャル。



「――玄、咲?」



 気づけば、玄咲が傍にいた。そして、シャルナの手をしかと握って、



「俺は君の元をずっと離れない。」


 いつもの、シャルナにだけ見せる、シャルナを絶対守るという決意に満ちた笑みを浮かべて、そう言った。


「――だよね」


 シャルナもまた笑みを浮かべて、指で涙を拭いながら言った。


「玄咲は、私のことが、大好き、だもんね……!」


 当たり前の、地獄だろうと楽園だろうと世界が壊れようと変わることのない絶対不変の真理を。


 赫灼色の宇宙が崩壊する。光が、壊れた隙間から溢れ出る――。





 目が覚めると宙に伸ばした手を玄咲が掴んでいた。しかもその後ろには見知らぬ女性がいる。先程まで二人きりで寝ていたはず。なのに何故いつの間にか見知らぬ、それも超が付くほどの美少女が増えているのか。そして何故玄咲は泣きそうな顔で、しかも絶対離さないと言わんばかりに頑なに己の手を握っているのか。そして何故自分はそのことにこれ程の安心感を抱いているのか。何もかもが全く分からない。


 だから問うてみた。


「どういう状況?」


「なんでもない。ただ、手を伸ばしたから、掴んだだけだよ。それだけだ。だから安心してくれ」


 絶対嘘だ。そう確信しながら、シャルナは玄咲をジト目で見る。


「……私、寝言で、何か言った?」


「な、なんでもない。何も言ってない。だから安心してくれシャル。俺は君の元をずっと離れない」


「――」


 その言葉を聞いた瞬間。


 シャルナは不思議なほどの安堵感に包まれ。


 まるで悪夢でも見た後のような寝覚めの悪さがすっぱりと消え去って。


 瞬間、自分の手を握る最愛の友人に涙が零れそうな程の愛おしさを抱きながらも、あくまで無表情に淡々と、


「何て、言った?」


 そう告げて、うろたえる玄咲を見てくすりと僅かに口元に笑みを浮かべて。


 まだ始まったばかりの、当たり前で愛おしい日常へとシャルナは帰還した。


                                 END

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シャルナの夢と潜在不安 哀原正十 @adick

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