仄かに甘い
幸まる
スイートマロン
領主館の通用門を入り、青果仕入れ業者のマイトは馬車止めに荷馬車を止めた。
業者用の台車に、運んできた荷物を次々と乗せる。
この数日で、日中の気温が急に下がった。
二日に一回運んでくる野菜や果物は、随分と秋らしいものに変わってきた。
涼しいといっても、さすがに荷下ろしをすれば汗が滲む。
それにしてもやけに暑いのは、ここに来る前に焼き栗屋で買った紙包みを、懐に忍ばせているからだ。
荷台を押して通用路を進む。
建物の後ろを回り込む形で歩いて行けば、厨房の裏口に辿り着くのだ。
マイトは一度大きく呼吸をして、角を曲がる。
……いた。
厨房の裏口近く。
簡素な腰掛けに座った下働きの若い女性が、真剣な表情で小型のナイフを握っている。
彼女はこの時間に、よくこうして外で芋の皮剥きをしているのだ。
領主館の厨房ともなれば、使う食材の量も多い。
芋一つとっても、一日に剥く量は半端ではない。
椅子は隣にもう一つあって、誰かが一緒に作業をしていた形跡はあったが、どうやら中座しているようだった。
「やあ、エルナ」
マイトは普段通り、何気ない調子で声を掛けた。
顔を上げてフワリと笑みを見せるエルナは、鼻の上に薄くそばかすのある目の大きな
きっと温かみのある金の髪が、陽の光を弾くからだ。
「今日も芋剥き?」
「いいえ、今日は栗よ。一昨日マイトさんが持ってきてくれた栗を、昨日の夜から水に浸けてたんです」
彼女の前には、大きな二つのボウルに、それぞれ皮付きの栗と剥かれた栗が分けられて入っている。
よく見れば、働き者の彼女の指は、栗のアクで随分と黒くなっていた。
「そのやり方だと、固くて大変だろう? お湯に浸けたらどう? 少しは柔らかくなるよ」
「大鍋が今日は空いてなかったんです。それに、
マイトが押してきた荷台を見て、彼女は少しだけ
「いや。今日はないよ」
「もう。笑わないで下さい」
「ごめん、ごめん。美味しいものを食べるのは、なかなか大変だね」
マイトは笑って雑談をしながら、荷物を裏口から厨房に入れていく。
栗はこの季節に欠かせない食材だが、美味しく食べるには下ごしらえが大変だ。
まあ、栗に限らずだが、こういう地味な作業を黙々とこなす彼女達下働きは偉いと思う。
これだけ頑張っても、きっと彼女達の口に入るのは一欠片あるかないかだろう。
そして苦労せずその美味が口に入る者達は、一瞬で食べて『うん、なかなか良かった』で終わるのだろうから。
「作業自体は嫌いじゃないんですけど、さすがにこの量を剥くと、何だか手が震えているみたいです」
可愛らしくちょっぴり眉を下げて、エルナが言った。
ナイフを置いて、手を広げて見せる。
マイトはさり気なく確認するように、指先が黒く染まったその手を取った。
瞬間。
ビクッと、彼女の手が震えた。
作業し続けた為のものでない震えと緊張が伝わって、マイトはコクリと喉を鳴らす。
思わず言葉が口から溢れた。
「俺、好きなんだ………………、栗が」
言葉の初めで頬を染めて輝いた彼女の顔が、語尾で明らかな落胆を見せた。
ああ、ごめん。
降参だ。
さり気なくなんて、そんなアピールやってられない。
だって、知っているのだ。
彼女はこの時間の芋剥きを、自分から引き受けているって。
青果仕入れ業者が来る時間。
つまり彼女は、俺に会える時間を選んで外にいる……。
マイトは懐から紙袋を取り出すと、エルナの手に押し付けるように持たせた。
「これ、後で食べて。お願い」
「…え、……え?」
マイトはさっとエルナの耳に顔を寄せる。
「きっと甘いから。次来る時に、感想を聞かせてね」
その後は、ろくに彼女の顔も見れずに、マイトは空になった台車の持ち手を急いで持った。
背中に視線を感じながら、軽くなった台車を押して早足で進む。
温かな紙袋がなくなった懐は、冷えていくはずなのに、なぜか熱を増している。
紙袋の中は、まだ温かい焼き栗。
そして『君が好きだ』のメモが一枚。
彼女は自分の気持ちの為に、固い栗を剥いてくれるだろうか。
もしも剥いてくれたなら……。
固い栗の皮を剥けば、中には仄かに甘い秋の味。
口中でほろりと崩れて。
きっと、恋しい人にすぐに会いたくなる。
《 終 》
仄かに甘い 幸まる @karamitu
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