実は好きでした

「はい……はい……分かりました。じゃあ、俺たちの方から話しておきます。また追って説明しますので」

 将棋部から話を聞いた翌日、二六日水曜の昼休み。相変わらず教室に居場所がなく、一階の中庭まで出てきた俺は通話を切り、ベンチで隣に座っている織羽に首を振る。

「ダメだって。今日はみんな塾とか用事があるらしい。そもそもジャズ研は水曜日は部活休みにしてるんだってさ」

「ええええ、そんなあ!」

 アーティストのライブチケットが外れたくらいの大声を出して落胆すると、風が吹いて目の前の雑草も肩を落とすようにググっと揺れた。

 織羽は昨日の推理を踏まえ、今日ジャズ研と将棋部を集めて謎解きをしたかったらしいが、その旨を連絡した阿久津さんから電話がかかってきて、ジャズ研は参加できないと伝えられた。

「別にジャズ研がいなくても、将棋部に伝えればいいだろ? むしろその方がみんなに犯人が知られなくていいんじゃないか?」

「そんなんじゃダメだよ、あめすけ! 少しでも多くの人の前で名指しすることで悪評を広めたいでしょ?」

「でしょ、って言われても」

 隙あらば俺を共犯にしようとするなよ。

「大体、将棋部は陽キャじゃないんだから、悪評を広めなくてもいいだろ?」

「そうよ、確かに復讐対象じゃないの。でも意外とジャズ好きな気取ってる陰キャ集団ってことで、今回は復讐してあげるわ。ああ、それにしてもジャズ研のメンバーがいないのが本当に悔やまれるわね……明日からみんなに噂されて、クラスのグループメッセージからも外されてほしかったのに」

「そんな悪魔的思想を原動力に謎解きするヤツ珍しいな……」

 一度本気でジャズ研究会が参加できる日まで延期することも検討したものの、ゴールデンウィーク後になってしまいそうなので今日の放課後に集まることになった。


「よし、あめすけ、始めるよ」

 あっという間に放課後になり、北校舎三階の地学準備室に白石さん、海老名さん、茅野さんが集まった。織羽は「将棋部の部室でやろう! ギャラリーが多い方が、犯人のダメージは計り知れない!」と叫んでいたけど、俺含め全員の反対により空き教室を使うことになった。

「関係者全員、集まりましたね」

 いつもより一段階声のトーンを落として、織羽が口を開く。吊り橋の落とされた山荘で七、八名の容疑者がいる場面っぽい言い方。実際は空き教室に三人。

「昨日一緒に部室に行って確認した通り、ジャズ研究会のコントラバスに傷が付けられていました。それをやった犯人は、この中にいます」

 教室は静寂のまま。ザワつくこともない。この展開を、全員予想していたのだろう。

 織羽は、人差し指を伸ばした右手をゆっくりと上げ、そして、ある人物に向けて真っ直ぐに振り下ろした。

「貴方ですね……海老名さん!」

 海老名さんはビクッと体を動かす。眉上まである前髪が反動でふわりと揺れた。

「俺、がやったって? 違うよ。っていうか、たまたま鍵が壊れてるってジャズ研が騒いでる場にいただけで犯人扱いされるのは困るなあ。それに、白石や茅野がやったって可能性もあるだろ?」

 やや小バカにしたように話す彼に、織羽は冷静に返事をした。

「いや、やったのは海老名さんですね。他の二人よりジャズ好きな貴方が、興味を持ってジャズ研の部室に入ってコントラバスを弾いたんです」

 そのまま織羽は教室内をぐるぐると歩き始めた。なぜ色んなフィクションの謎解きで探偵がゆっくりと歩き回っているのか、今なら何となく分かる。直立不動だと手持ち無沙汰になるからだ。

「まず気になったのは呼び方です。海老名さん、コントラバスのこと、ウッドベースって呼んでましたよね。コントラバス、ダブルベースと呼び名が色々あるんですけど、ジャズではエレキベースと区別するためによくウッドベースって呼びますね。それで気付いたんです。あれ、この人ジャズに詳しいのかなって」

 これは俺は聞き流してしまっていたけど、言われてみればもっともな話だった。一人だけ呼び方が違っていたのは、いつも触れている知識のクセが出たんじゃないだろうか。

 それはもちろん、呼び方だけじゃなくて弾き方も。

「あとはコントラバスを弾いたときも気にかかりましたね。茅野さんは弓で弾く、アルコ奏法って呼ばれる弾き方をしてました。でも海老名さんは弦を指で弾いて演奏してましたね。あれはジャズでよく使うピチカート奏法です。白石さんもピチカートでしたけど、海老名さんの後だから真似しただけですね」

 そこまで黙って聞いていた海老名さんは、苦笑交じりに首を横に振った。

「いやいや、待って待って。知り合いがウッドベースって呼んでるのを聞いたことあるからそう呼んじゃったんだよ。それに、白石が弓で弾いたから、俺は指で弾いてみようって思っただけだし。ほら、よくCMとかでも見るだろ、指で弾くの。だから、別にジャズに興味があるわけじゃないんだよ」

「ジャズに興味がない。本当ですか?」

「ああ、本当だって」

 そこまで聞いた織羽は、俯いたまま顔を長い髪で隠す。ちらりと見える口元から真っ白い歯が見えて、クックックという笑い声が聞こえた。怖えよ、新種の座敷わらしかよ。

「じゃあ海老名さん、隣にいるこのあめすけに教えてもらったんですけど、ギターの件はどう説明しますかね」

「んあ? ギター?」

「白石さんが阿久津さんにギターについて聞いたとき、阿久津さんはフルアコースティックギターを使っている、という話をしました。白石さん、それを聞いてどういうギターを想像しましたか?」

「どういう? いや、普通の木で出来てるアコギって呼ばれてるヤツだけど……」

「あっ……!」

 海老名さんが悲鳴のような叫びをあげる。どうやら、自分の失態に気付いたらしい。

「フルアコースティックギターっていうのはなんです。名前が紛らわしいですよね。実際に白石さんも海野さんも、アコギを想像したはず。でも海老名さんだけは違った。こう言ってましたよね、『』って。ジャズに興味のない貴方が、なぜエレキであることを知っていたんですか?」

 そう、これが俺が昨日気付いた違和感。楽器の図鑑で実際の楽器と解説を見たことがあったから辿り着くことができた。所謂普通のアコギを想像していたら、イヤホンを付けるなんて発想は出ないはず。つまり、ジャズで使う楽器に詳しいことの証左だ。

「……それは……その……」

 言い淀んでいる海老名さんに、白石さんが「お前……」と静かに問いかける。違うんだよ、という否定の言葉がサッと出ないところに、彼の余裕の無さが表れていた。

 これで話は終わりか、と思ったものの、織羽は全く想定外の内容を口にした。

「では、これはあめすけにも話してないんですけど、もう一つの謎にいきましょう。なぜ海老名さんがコントラバスを傷付けたのか、という点です」

「えっ! 織羽、それも解けたのか?」

「うん、多分ね」

 俺は誰がやったかというところを探るだけで精一杯だったのに。彼女は本当に謎解きに向いているのかもしれない。あるいは、陽キャに復讐するという目的に向かうパワーが、とてつもない観察眼や洞察力を生むのだろうか。

「白石さん、おそらくこれは事故なんです」

「事故? わざとやったわけじゃないってことですか?」

「そうです。海老名さんはジャズ研の部室の鍵が壊れていることを知り、ずっと好きだったジャズの楽器を触ってみたくなった。それで、ギターやサックスを弾いた後にコントラバスを弾いたのでしょう。あの擦れたような痕を見るに、弾いてる途中にコントラバス自体が前に滑ってしまったんだと思います。ではなぜ滑ったのか。確証はないですが、二つの不運が重なったんじゃないかなと。一つは、エンドピンですね」

 下を向いていた海老名さんが体をビクッと震わせる。茅野さんが顔を顰めながら「エンドピン?」と首を傾げた。

「楽器の一番下にある、床に突き立てて支えるための金属製の棒です。普段はコントラバスの内部にしまってありますけどね。このエンドピンは、楽器を支える以外にも、振動を床に伝えて響きを増幅させる役割があるんです。で、昨日見たときに、エンドピンに黒いゴム製のキャップが付いていました。滑り止めのためだと思いますが、ゴム付きだと音の響きが悪くなってしまうという説もあるようですね。そう書かれたサイトも見つけました」

「ってことは織羽、まさか……」

 織羽はちらっと海老名さんを見た後、俺に向き直ってコクリと頷いた。

「そう、多分だけど、もっと良い音にしたくて、キャップを外したんだと思う。そうじゃないとそんなに大きく滑ることはないからね。これが一つ目の理由。でもよく考えてみて、あめすけ。ピンのゴムを外した状態で前にずずっと滑ったとして、コントラバスを床に倒しちゃうことはあっても、背面に傷は付かないでしょ?」

「ああ、うん。っていうことは……そうか、倒れた先に鋭利なものがあったのか!」

「大はずれ。何なのよ、床に垂直に立ってる鋭利なものって。野生のナイフ?」

「もう少し俺を労れよ」

 謎解きモードだと毒が強い。

「両手で持っていれば大きく滑ることはないでしょう。だから容易に想像がつきました。、そして注意が散漫になっていた。おそらく、セルカ棒、自撮りするためのあの道具で、んじゃないですか?」

 その瞬間、頭の中に一気に映像が浮かぶ。白石さんと茅野さんも目を丸くしていた。俺と同じような状態になっているのだろう。

 座った状態で足でコントラバスを挟み、右手で弦を弾く。その様子を、左手に持ったセルカ棒で撮影・録画する。左手で弦を押さえて音を変えられなくても、綺麗な低音が出ればそれで十分楽しい。

 しかし、スマホに気を取られてコントラバスが滑ってしまった。慌てて左手で押さえようとするが、そのセルカ棒の突起が背面に当たったまま楽器は床に滑って倒れる。結果、傷が付いてしまった。きっと、こういうことなんじゃないだろうか。

「どうですか、海老名さん、何か反論ありますか?」

 ずっと沈黙を貫いてきた彼は、タレた目をつり上げ、獲物に襲い掛かる肉食動物のようにキッと織羽を睨む。

「さっきから想像の話ばっかりしてるけど、証拠はあるのか!」

 横で聞いていた俺も思わず一歩退いてしまうほどの威圧感。将棋部では普段こんな表情は見せないだろう。

 でも、俺は知っている。アニメやドラマの世界でこの台詞が出てきたときは、大抵証拠があるのだ。それはきっと、現実世界であっても。

「確証はないですけど……スマホの写真一覧とアプリを見せてください。ボイスメモか、あるいはオンラインストレージのアプリかな」

「なっ……」

 勢いを削がれた海老名さんに、織羽が畳みかける。

「セルカ棒で撮っていたら、どうしても上手には弾けないと思うんですよ。忍び込むほどジャズの楽器に憧れがあるなら、きちんと左手で弦を押さえてピチカートで弾いてるところを音声データとか動画に残しているはず。こんな機会滅多にないですからね。友人にバレないように、と考えるとSNSにはアップしていないだろうし、万が一スマホ貸してと言われても大丈夫なように念を入れてるとしたら、オンラインストレージにあげて自分の端末からは消してるかもしれませんね」

「海老名、見せられるか?」

 白石さんが訊くと、彼は押し黙った後、諦めたように力なく笑い、首を振った。

「見せてもいいけど、俺が弾いてる動画や音声がたくさん入ってるだけだよ。ごめん、どうしても弾きたくてさ……それで、つい撮りたくなって片手で持ってたら、あんなことになっちゃって……怖くなってそのままケースに戻しちゃったよ」

「ったく、何してんだよ」

 茅野さんが、小さく舌打ちする。それは、侮蔑ではなく、寂しさを孕んでいた。

「修理してもらったら、弁償と謝罪に行くぞ。それでこれからは放課後ちゃんと見学に行って、弾かせてもらおうぜ。な、白石」

「ああ、そうしよう。まずはジャズ研に連絡だ」

「ごめん……ありがとな……ごめん……」

 謝罪と感謝を幾度も繰り返しながら、海老名さんはこの場にいる全員に向けて深々と頭を下げる。

 こうして、無事に謎解きは終わった。事前にジャズ研の阿久津さんから聞いていた話だと、傷も浅かったということで、そこまで高額な修理代にはならなかったらしい。いつもお世話になっている楽器屋に直接依頼したようなので、学校側には伝えることなく解決することができた。


「織羽、すごかったな。名探偵みたいだったじゃん」

 廊下が西日でオレンジに照らされる。靴箱に向かいながら、俺は並んで歩く織羽を褒めちぎる。お世辞ではなく、本当にすごいと感心していた。

 どんなリアクションをするんだろう。ツヤのある黒髪を静かに揺らしながら、頬を赤らめ、切れ長の目を少しだけ細めて「えー、そんなことないよ」とか照れたりするのかな。

 そんな期待は、華麗に雲散霧消することになる。

「見つけたわ、これよこれ! 私は謎解きをやる! これで陽キャの足を引っ張る! 今回も隠れ陽キャの海老名さんを打ちのめしたわ!」

「いや、あの、織羽さん……?」

 宝石のイミテーションをプレゼントされた幼稚園児のように瞳を輝かせて、強く拳を握る織羽。どうやら味を占めたらしい。一応確認しておくが、謎解きは誰かを貶めるための手段ではない。

「男女誰からも愛される人気者は放課後に人に言えないネタ動画を撮ってるでしょ? 本命彼女と毎日ラブラブな彼氏は友達の女友達と浮気してるでしょ? 部活に一生懸命なエースは裏アカで好き放題やってるでしょ? 被害者から密告を受けて謎を解いていけば、そういう奴らの鼻を明かせる! 悪評が広まればアオハルポイントも大減点だわ! 私たちがアオハルの輩に復讐するには謎解きが最適なのよ!」

「織羽、そんな……ぐふっ! ひどいことを……うははっ!」

 湯舟に沈めて上から見ているのかと思うほど屈折した目標に対して真っ直ぐに心を燃やす織羽に、思わず笑ってしまう。

 彼女がこんなに復讐したいのなら、その是非はひとまず置いておいて、俺も手伝ってあげたい。「困ったときは助け合おう」と約束した幼馴染だから。こうして少しずつ、彼女との時間をまた積み上げていこう。

「謎解きなら俺も今回みたいに手伝えそうだ。手伝わせてな、織羽」

「よろしくね、あめすけ。ところで、ジャズのオススメ曲とかあったら教えてよ」

「興味持ってるじゃん! あんだけ否定してたのに!」

 彼女の復讐は、ようやく始まったばかり。

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陰キャぼっちは決めつけたい これは絶対陽キャのしわざ!【増量試し読み】 六畳のえる/MF文庫J編集部 @mfbunkoj

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