きみと息をしたくなる

真花

きみと息をしたくなる

 結論は出ている。

 間接照明だけで薄く照らされる寝室。中央にある灰色のキングサイズのベッドの右と左の縁に、僕と君は背中を向けて座っている。体重でシーツに皺が寄り、僕からは壁に掛かったクリムトのレプリカだけが見える。女が黒いヴェールのような、喪服のようなものを着ている絵だ。君からは窓が見えるはずだ。もう暮れてしまった空に星はあるのだろうか。

 ギ、と君が体重をかける音がする。僕は息を詰めて、君の言葉を待つ。

 だが、君は何も言わない。時計がコチコチと急かす。明日のために今日を終わらせるのが日常だが、今日ばかりは中断ではなく終結させなくてはならない。僕は息を整えて、鼓動は少しも収まらずに、声を出そうと構えた。

「ねえ」

 君の声が部屋を反射して僕に届く。

「うん」

「検査、受けて、よかったんだよね?」

「そう思うよ。結果がこうでなかったとしても、そう思う」

 君は黙る。部屋から酸素がなくなった。僕は少しずつ喘ぐ。

「昨日までは、すくすく育てって、お腹を撫でていたのに、今日からはさよならのカウントダウンをするんだ。……結果次第ではこうなるって、分かっていたのにね」

「覚悟をしていても、現実になると動揺することはあるよ。大事なのは、判断をちゃんとすることだと思う」

 君が息を吸って、大きく吐く音。

「うん。判断は変わらない。たくさん話し合ったじゃない。もう分かってる。分かり切ってる」

 君は音を立ててベッドに仰向けになる。振り向けばきっと、長い髪が放射状に広がっている。君の声が続く。

「分かり切ってるのに」

 時間が止まった。僕は粘り付く空間を吸い込んで、浅い呼吸で空気を探す。次を考えよう、と言いかけて、その言葉に呪いがあることに気付いて止めた。

「私、変かな」

「そんなことない。どうすれば普通かなんて分からないけど、僕にとっては君は君だ」

 僕も後ろ向きにゆっくり倒れる。互い違いに僕と君の顔があって、僕は左手を君の左手まで伸ばして、脆くて美しいものを撫でるみたいに包む。二人とも天井を見ている。

「今、お腹に手を当てているの。残酷にはなれない。一度は愛を感じたのよ。でも、決めたことだから、粛々とする。……決めたことだから」

「二人で。一人じゃない」

 お腹から右手、それが君を伝って左手、僕の左手に流れて、僕に至る。生きたいと願っている。だが、終わらせる。胸に黒い線で丸を描いて、その分だけが穴になる。君に同じ穴が空いていることが分かる。君が手をギュッと握る。

「涙が出ないの」

「……そっか」

 全部穴に落ちたのだ。その奥には何があるのだろう。涙だけじゃない、空間も酸素も、この穴に落ちていた。だから僕達はどうしようもなく息苦しい。君が手をもっと強く握る。痛い。

「でも私達、前に進める」

「もう? 早くないかな」

「ううん。進むの。そうじゃないと、この子に意味がなくなってしまうわ。それに、私達は私達の人生を歩むのだから」

 僕は手を握り返す。

「強いね」

「一人じゃないから」

 胸の穴は埋まりはしない。だが、君が新しい空気を満たした。

 繋いだ手はいつの間にか力が抜けて、接続だけになっている。僕は汗をかいていた。鼓動はまだ速い。だが、もう息苦しくはない。この新しい空間を君と分け合いたい。いや、もう分け合っている。それでも、次の息を君としたくて、僕は君の横顔を見る。君も僕を見ていた。目を合わせて、僕達は大きく呼吸を合わせた。


(了)

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