我が社の看板
高黄森哉
面接
面接なるものを知ったのはつい最近だった。というと、箱入り息子の世間知らずだと、勘違いされるかもしれない。実際、あの時の自分は大学生だったから、世間知らずでは間違いなかったのだが。
しかし当然、その時の自分ですら、面接という単語自体は知っていたし、面接の形態もぼんやりとだが把握していた。だがしかし、その知識、印象は全て、誤りだった。だから、俺が面接なるものを、”本当に”知ったのは、ついこないだのこと。
まず、面接をするまえに、面接学校に通う必要を迫られることをご存じか。
面接で必要とされる技術は、日常のそれとは大きく隔たりがあり、まともに生きている人間ならば、達成は不可能だから。面接のためだけに学校に行くなどバカバカしいと思ったものだが、今思うと、その訓練なしでは無職であっただろう。俺はそこで面接の意味を知った。
面接学校では、最初の時間、面接というものがいかに、今までの印象と乖離があるかを叩き込まれる。ここに引用しておく。
「現代、その単語が本来表すはずの、真実に必要な人物の選定は荒廃し、人事部の自己満足、詭弁力、虚飾力が重要視されるようになった。(俺は生唾を飲み込む)。なんの合理的機能も持ち合わせない、いわば大人の秘密の合言葉である社会のルール、マナーを学び、これをビキニのように履いて見せつけるのが、面接の必勝法なり。(とにかく、俺は生唾を飲み込む)」。
なにはともあれ、俺は一連の演説で、本当の面接を知り、その日から、本当の面接の特訓が始まった。
俺の場合、お辞儀を四十五度で保ち続けるという面接の第一ステップが、特に習得に時間がかかった。そもそも、四十五度をぴったり知るためには、それなりの経験が要求される。以下は、授業風景だ。
椅子のない教室にずらっと、お辞儀を四十五度に保ち続ける、オカルト集団。かれこれ、六時間以上ずっと、この体勢である。四十五度に折れ曲がる有刺鉄線は、コルセットのように背中を締め付けており、正しいお辞儀の角度から一度でもずれると、出血の後、死に至ること、うけあいだ。
仲間たちが次々と熱中症と、脱水症状、エコノミークラス症候群、出血多量、を併発して脱落していくなか、なんとか上半身を四十五度を保ち続ける俺。意識が途絶えると、そこは病院だった。そして、病院のベッドの上にて、四十五の体位を保ち続けていた。俺は再び気を失った。
逆に一番、習得が楽だったのは、必要単位数が最も多い、嘘の科目だった。もともと嘘をつくのが得意で、教師からも、すでに立派な社会人だと、よくほめられたものである。確かに、生まれつきここまで嘘をつけるのならば、社会に出てもちっとも恥ずかしくはない。さて、この嘘の科目だが、四つに分かれている。
一つ目が性格診断テスト。これは、性格診断テストで、最も印象が良い回答を学び、その知識を応用することで、実践に生かすことを目指す科目だ。俺は、このテストで最初から満点を取ることができた。なぜなら、すべての回答を逆転させるだけで良いからだ。この方法を知らないと、参考書を買う羽目になるかもしれない。
二つ目は履歴書A。履歴書では、嘘の経歴を記入しては駄目な部分と、そうでない部分に分かれている。前者は、住所や名前、学歴が挙げられる。後者は、アルバイト歴、クラブ活動歴、志望動機、大学の活躍、ゼミ、などなどの約百項目。こういった部分の見極めを習う。
三つ目は履歴書B。嘘を記入しなければならない箇所の書き方を、詳しく勉強する。この際、嘘のつき方に注意が必要で、明らかな嘘(私は宇宙飛行士でした)は、流石にはねられる。だから、私は学生時代副部長でした(部員が二人だけだった)や、ボランティア活動に精を出しました(アルバイトの一部)、などなど、事実を混ぜ込んだ虚構の作成が重要になってくる。
四つ目は詭弁論入門。簡単である。身近なところでいうなら、アルバイトをしていない空白期間について尋ねられた場合に、資格を取得するために訓練していたと答えるのが、詭弁論の範囲だろうか。古くは弁論術とも呼ばれ、歴史は古代ギリシアに遡る。グループワーワー、面接式禅問答、圧迫骨折的面接、パワーハラスメンセツ、日本性非言語的面接、などに有効。
面接にあたり、他にも、社会人話法1(カタカナ語、喃語、および業界語)や、面接生物学(面接官の遺伝子は人間より一パーセントだけチンパンジーに近い)、人事部心理学(スタンフォード監獄実験から紐解く人事部の深層心理)、マナー数学3(場面に応じて変化するお辞儀の角度の算出法)、などなどの解説書を読み込んだ。
あとは、演劇サークルに入部したりもした。春になると、演劇部員が百倍になるのは面接のためである。この面接部では、面接の練習を気兼ねなくすることができる。日常にない、面白おかしな面接の所作が、演劇のなにかしらだと勘違いされ、警察を呼ばれて、現行犯死刑にならずに済むのだ。
俺は、就職活動の全てを終えたとき、もう、もはや俺ではなかった。俺は、嘘だけで自立する見てくれの良い看板だった。上司からよく、君は会社の看板だ、と言われるので客観的に見ても看板のようだ。冬の冷たい風が吹くと、交差点を歩く看板たちが、パタパタと倒れた。
我が社の看板 高黄森哉 @kamikawa2001
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