第1話 グリーブ・マッシュルーム
〇登場人物
・ナガレ(36歳)地球人。居酒屋琥珀亭の亭主。さまざまな冒険者ギルドの厨房で働いた経験を持つ。
・オフィーリア(31歳)雪豹の獣人。精霊が宿り氷魔法に長けている。ナガレの妻。温和で楚々とした美人。
・リンシャウッド(16歳)黒狼の獣人。闇の炎による魔弾を放つ、ランクAの魔猟師。少年のような冒険心に長けた女性。シオンライナの妻。
・シオンライナ(17歳)人間族。浄化の聖女リシェスの聖女。苦労人でいつも暴走するリンシャウッドを支えている。リンシャウッドの妻。
・オルク(25歳)人間族。グリザイア王国の騎士の四男。冒険者ギルドの経理係。
・ナビア(18歳)人間族。グリザイア王国の子爵家長女。オルクの妻になる。
・ルーディア(不明)腐蝕の女神。赤の月の運営を担う役目を負いながらも、神ひとりではこなせず周囲に協力を求めるも、「腐蝕」の属性だけで忌み嫌れてしまう苦労人な女神様。
「いやったーいっ!」
あまり広くない居酒屋の店内で、黒狼族のリンシャウッドが歓声を挙げた。
大きくて白黒まだらな狼の尾が、いつもにも増して膨らみ喜びを表現していた。
今夜、カウンターの卓上の大皿に並んだある食材を見て、彼女は興奮している。
そこには肘から先ほどの長さと、両手を広げたくらい大きな傘をもつ、巨大なキノコが数個、おかれていた。
「二年ぶりのグリーブ・マッシュルームーっ!」
「はしゃぎすぎですよ、リンシャウッド」
と、同じ部屋で同居しているシオンライナが呆れた声を出す。
ふわっふー、と両腕を挙げて大喜びするリンシャウッドの服裾をひっぱり、椅子に座らせた。
二人はいつも一緒で、聞くところによると同性ながら夫婦でもあるらしい。
少年のような獣人と、すこぶる美しい目も覚めるような美少女が仲良さげにはしゃぐ光景は、見ていてどこかちぐはぐだった。
「だって、グリーブ・マッシュルームだよ? きのこの王様! しかもこんなに大きくてかさもしっかり開いてる。ああ‥‥‥焼き物かなあ、吸い物かなあ。ご飯に炊き込んでも美味しそう」
「たかだか、グリーブ・マッシュルームぐらいで大袈裟なんだから、貴方は。昨年だってオルブレイト公国からたくさん輸入されていたではないですか」
「グリーブ・マッシュルームくらいで、とか言わないで! あれは外国! グリーブ・マッシュルームの原産地はここ、グリザイア王国なんだよ。価値が違うの、美味しいの! グリザイアのオベル地方原産が一番なの!」
「贅沢ですねえ、貴方は。そんなオベル産のグリーブ・マッシュルームなんていくらすると思ってるんですか」
「あのー、すいません。リンシャウッド」
ナガレは申し訳なさそうに謝った。
「それ、グリザイア産なのは間違いないんですが、さすがにうちみたいな規模の店だと、オベル産は扱えなくて」
「‥‥‥え? 違うの?」
すいません、と頭を下げるナガレにリンシャウッドの尻尾は期待感を失ってしぼんでしまった。
頭頂部にある黒白まだらの狼耳がしょぼん、と閉じたのを見て、ナガレはあわてて補足する。
「今夜のものは、レベングで始まった人工栽培の品なんです」
「人工栽培? これって天然じゃないと栽培できなかったんじゃない?」
ナガレはカウンターの奥から原産地の書かれた書類をだしてきて、二人に見せてくれた。
「これが業者からの納品書です」
「本当ですね、室内栽培と書かれています。可能になったんですか」
「まあ、風味はオベル産に負けますが、味に大した差はないと思いますよ」
「それならご心配なく。うちのは、ただ言ってみたいだけですから。どうせ、オベル産とレベング産の見分けもつきませんもの」
ふふっとシオンライナに鼻で笑われ、リンシャウッドはグリーブ・マッシュルームに顔をちかづけた。
獣人である黒狼の鼻は、人間のそれより数百倍鋭い。
自慢の嗅覚で探り当てようとしたら、「貴方、オベル産なんてほとんど食べたことないでしょ?」とシオンライナに諭されてしまう。
「じゃあ、シオンはあるの?」
と、恨めしい目つきで睨んでくる。
シオンライナはもちろん、とひとつ頷いた。
「こう見えても、浄化をつかさどる炎の女神リシェスの聖女ですから。オベル産のグリーブ・マッシュルームなんて毎年、献上品に上がってきます」
「ああもう。分かった! 分かりました。で、マスターこれどう料理するの?」
リンシャウッドはシオンライナと同性の夫婦だが、その職業は聖女ではない。
普段から背負っている長大な魔銃が、いまは店内にある棚に預けられている。彼女は魔猟師。魔獣を退治して稼ぐ魔猟師だった。
「そうだなあ、新鮮なうちは香りも楽しめる。蒸し物とかじゃどうだ?」
「柄のとこまで入れるの?」
両手で持ち上げたグリーブ・マッシュルームは、ずっしりと重い。生まれたての子供くらいの重さがある。
グリーブ・マッシュルームは傘とよばれる帽子状の部分と、傘の裏と軸の間にあるヒダを覆っている薄い膜の部分。ヒダとよばれる放射状の傘の裏面と、軸とよばれる傘の下についている、筒状の部位にわかれる。
軸はほかに柄ともよばれていて、これは人によってさまざまだ。
膜の張り方ひとつで値段が一桁かわるというから、仲買人などはそこを重視するという。
しかし、一般人のリンシャウッドにそこまでグリーブ・マッシュルームの良し悪しはわからない。
知っていることは傘の部分を薄切りにして、吸い物や蒸し物にしたら美味しいということ。柄の部分は豊潤な味わいがして、キノコというよりは魔獣の肉に近い味わいがするということだけだ。
柄は豚肉の肩ロースをステーキにしたような食感が楽しめる。
できれば柄の部分は炭火焼か鉄板焼き。可能なら衣をつけて揚げて欲しいというのがリンシャウッドの要望だった。
「まあ、これだけあるからいくつかの料理はできますよ」
「ううっ‥‥‥、待ってらんないっ!」
黒狼族のリンシャウッドは生のままでもいい、と今にも喰いつきそうだ。
犬歯をむきだしにする獣人を見て、店主のナガレは頬に軽く汗を流す。
「それよりお財布は大丈夫なんですか、リンシャウッド? ツケにするにはさすがに値が張るので‥‥‥」
「ううっ、お代は――安くないよね? これだけ大きいし」
「私も数品お願いしたいです」
「あ、はい。聖女様ならお代も大丈夫ですよね。高いけど‥‥‥」
「お代は全部、リンシャウッドに出させますから」
ナガレの視線は壁にある、その日のおすすめが書かれた黒板へと移る。
グリーブ・マッシュルームの蒸し物、焼き物、お吸い物などの品書きがあり、安いものはランザーム銀貨2枚から。高いものだと銀貨10枚となっている。
銀貨一枚で日本円に換算して千円くらいだから、値段はそこそこ高めの設定という事になる。
「げっ。あんなに高いの? 明日からお小遣い切り詰めないと今月、過ごせないかも‥‥‥」
「はいはい。あなたもたまには出してね?」
「はーい」
ちなみにここグリザイア王国の平均日当は銀貨10枚だ。
そう考えると、平民。それも労働者階級を相手に商売をしているナガレの店では、普段扱わない値の張る食材だった。
いくら人工栽培とはいえ、グリーブ・マッシュルームは高級品だ。
庶民がおいそれと手を出せるものではない。
それでもレベング産を使っているので正直に言えば、赤字に近い。
今回は人工栽培が成功したという朗報と初物ということで店頭に並べてみたが‥‥‥次回からはもう少し提供単価を上げようとナガレは心に固く誓った。
「まずは蒸し物から」
小ぶりの土鍋にグリーブ・マッシュルームの傘を薄切りにしたものと、柄の部分から肉汁があまりでない部位を選び傘と同じ程度に大きさをそろえて切ったものを入れ、出汁と香菜とともに蒸したものだ。
ナガレの故郷では土鍋ではなく土瓶がよく使われていた。
底がひらたく、周りをふっくらと包むように焼き上げて具材を入れる部分には取っ手付きの蓋があり、そのものを持ち上げるツルが上部についている。
そういえば、秋になるとよく土瓶蒸しを食べたっけ‥‥‥。
生まれ故郷の記憶がふとよみがえり、郷愁の念が胸をよぎった。
あちらでは松茸なんて高価な食材を使っていたが、このグリーブ・マッシュルームはそれの数倍は巨大だ。
風味も食べたときの食感もまるで異なる食材で、これが故郷の味か? と問われたら苦笑いをするしかない。
「うはっ! すごいー、すっごーいっ! こんなに大ぶりなグリーブ・マッシュルームを蒸し物にしちゃうとか、贅沢すぎる!」
「グリーブ・マッシュルームの蒸し物といえば獣の肉のような臭いがするのが難点ですけど‥‥‥どうやって消したんです?」
大はしゃぎしてさっそく土鍋に取り掛かるリンシャウッドのそばで、聖女という高位職のためか普段からグリーブ・マッシュルームの料理を口にすることの多いシオンライナが不思議そうに問う。
「それは職人の秘伝ですよ。申し訳ない」
ナガレはちょっとしたコツがあるんですよ、と言って仔細は語らない。
料理人は調理法を秘密にしたがるものだからだ。
「ちぇっ。家でもできると思ったのに」
リンシャウッドが残念そうに言った。
土鍋に入っている柄の部分を一口味わい、シオンライナはこの味が神殿でも再現できたらいいのに、と小さく漏らす。
狭い店内でリンシャウッドの喜びの声が響き渡ると、奥にいた数組の客からも注文が入る。
「美味しそうな香りがすると思ったら‥‥‥。マスターこっちにもちょうだいよ!」
「俺達のところにもくださいよ、ナガレさん! こっちは炭火焼にして!」
「こっちにも、ライスに合うようなのないですか?」
「ええ‥‥‥。皆さん、ちゃんと値段をみてくださいよ?」
せっかく入った注文にナガレはどこか引き気味だ。
こんな高価な食材を扱うことがなかなか無く、食堂のメニューのなかでは最上の値段になってしまっている。
売れ残りの心配はしていなかったが、値段が高いから引かれるのではなく好況にあずかれて今夜は幸せだなとナガレは思った。
「あなた」
そこに厨房から妻のオフィーリアの声がかかる。
厨房は料理が得意な彼女に任せているも、この食材に関しては捌いた経験が無いらしく、大量の注文に対して不安そうだ。
「ああ、すまん。いま行くよ」
ナガレはカウンターの二人に軽く会釈すると、空になろうとしていた酒のおかわりをコップに注いでから、厨房に向かった。
「こんなに人気になるとは思わなかったな。こうやって捌くんだ」
と、ナガレは包丁を片手にグリーブ・マッシュルームの傘の部分を柄と切り離す。
普通のキノコと異なり、こいつは傘が開くと膜が防護壁のように硬くなり、なかなか切り離すことが困難だ。
仕込み方を知らないオフィーリアが手間取っていたのも、膜の処理の仕方だった。
切り離し方は意外と簡単で、傘の閉じているとき膜にはその模様が移る。さざ波の紋様のように見える模様をなぞるようにして、上から切り込みを入れていけばあっさりと膜は剥がれ落ちた。
10個ほどあったグリーブ・マッシュルームをナガレが数分で処理したのを見て、オフィーリアはさすがね、と感心する。
「見たことも触ったこともないのに、よくできたもんだわ」
「出入りの業者は、常に捌いたりしているからな」
得意そうに答えるナガレは、後の調理は表でやるよと言い、傘や柄を部位ごとに手早く捌き、ざるに入れて表に運ぶ。
「もし、その業者さんが知らなかったらどうしたの?」
「そりゃ‥‥‥こいつに聞くさ。グリーブ・マッシュルームに」
ナガレは切り分けたグリーブ・マッシュルームの一部を手に取ると、意味ありげに微笑んで見せる。
「いいなぁ、そのスキル。私にもあったらもっといろんな食材をさばいて、料理ができるのに」
オフィーリアはナガレのもつスキルに憧れを抱いているらしい。結婚前に知り合ったときもそうだったが、結婚した後もそれは変わらないようだ。
だが、そうでもないよ。とナガレは困った顔をしてみせる。
彼の持つ能力は、単に食材の調理法だけにとどまらず、さらに奥深い罪深いものまで視えてしまう優れたものだ。
ナガレはもともと、異世界の人間だった。
地球という惑星の日本という国で生まれ、平成という時代から令和にかけて生きてきた人間だ。
その後、異世界召喚という誰でも経験できない奇妙な体験をしてこの世界、エクスローに流れ着いたのだ。
エクスローに召喚されて早や20年。
やってきた時はまだ若い16歳だった少年は、いまや30代後半のおっさんとよばれる年代を迎えようとしていた。
ナガレをこの世界に呼びつけたのは間違いだったらしい。
それで詫びにと女神様から与えられたチート能力に助けられているが、その力を使う気にはあまりなれなかった。
与えられたチートは
発動すれば彼を中心として、半径三メートル以内にあるすべての存在は、彼を知覚できない。
逆にスキルの可動範囲にあるモノに関わることなら、何でも知ることが出来る。
例えば、対象が人なら生きてきた経歴、性別、考えていること、秘密にしたいことなど――魔族や魔獣なら能力の模倣から対処方法まで瞬時に理解して応用できるし、食材の調理から加工方法まで知ることも可能だ。
移動中も発動ができるし、特段、制限時間も無ければ使っていて魔力が減るということもない。
能力が発動している間は、どんな存在も干渉ができない。
のぞむなら神聖魔法に近い効力の奇跡を発動できる。
死者を蘇らせることも不可能ではない。
王族の暗殺でも、魔王の側に密やかに近づくことでも、大富豪の金庫からその番号と鍵さえ手に入れれば金を盗み取ることもできる。
そして、彼が身に着けたりしたモノや、許可した存在には同様の加護を与えることができる。
盗賊も暗殺者も諜報員も垂涎のこの能力。
上手く使えば、それだけで世界の覇者になることができるかもしれないが、ナガレは「ああ……そう」とだけ言い、あまり興味を示さなかった。
その理由は簡単。
一度発動してしまえば、どんな存在の情報もまたナガレの中に流れ込んでくるからだった。
濁流のような情報の渦に、意識を飲み込まれそうになる。
なんどか使ってみて、命を救われたこともあったが‥‥‥これのせいで人間関係が破綻したこともある。
それなら危険がすくない場所で安定した公務員にでもなれば楽じゃないかと考えるようになった。
最初は召喚された北の大陸から始まって六大陸の多くを周り、ようやく腰を据えたのが故郷、日本によく似た気候を持つ隣の公国だった。
とはいえ働かなければお金は手に入らない。
文明レベルでいえば、明治後期のような公国で、世界中に支部を持つ総合ギルドの職員に採用されたことは、幸いだった。
薄く、
オフィーリアと出会ったのはギルドで料理番をしていた時のことだ。
雪豹族の彼女は氷魔法に長けている冒険者で、かつて故郷の村を滅ぼした魔獣をずっと追いかけて旅をしていた。
彼女が故郷の仇を追いかける魔獣は古く残忍で狡猾な、蒼い炎と死の煙を吐き出す害獣で、公国ではギルドから討伐命令がでるほどの多くの土地に被害をもたらしていた。
ようやく仇を見つけたオフィーリアは得意の氷魔法で挑んだが、善戦するもあえなく敗退。死を迎えようとしていた時、ナガレのスキルによって救われ二人は結婚した。
あれから五年。
公国は隣の帝国と戦争に入り、平和ではなくなってしまった。
ナガレ夫婦は戦火から逃れるようにして、いまのグリザイア王国の王都ベレアネードに移住し、冒険者時代に貯めた資金で小さな居酒屋、琥珀亭を営んでいる。
「マスター! お酒が足りない! 熱い地酒が欲しい!」
「はいはい。リンシャウッドはいつも飲み過ぎでしかられてるだろ」
黒狼が出してきたグラスに、王都の西に産地がある地酒を注いでやる。
大麦を発酵させて蒸留したもので、地球風に例えるとしたらウィスキーあたりになるのだろうか?
まだ10代で酒の味も知らずに召喚されたナガレには、大人にならなければ学べないあちらの世界での知識が薄かった。
酒の色も叔父が大事そうに飲んでいた瓶入りのウィスキーのように琥珀色ではなく、父親が好んで飲んでいた焼酎に似た香りがするが、どうも定かではない。
ナガレ自身も酒をあまり飲まないし、妻のオフィーリアは元来、酒を好まない。
「マスターも、まあまあ、一杯!」
「すいません、うちのが無理言って」
見た目が10代の黒狼娘は大の酒好きで、店には常に彼女が入れたボトルが並んでいる。
シオンライナが飲み過ぎは駄目、とよく注意しているのだが彼女はそんなことは気にも留めない。
いつも、へべれけになって家路につく。
二品目は、肉の食感がする柄の部分をななめに細く笹切りにしたものをさっと湯通しし、冷水に浸して身を締めた状態で季節の菜と酢であえたものだ。
キュウリによく似たウリ科の植物と、これはどうみても食べてみてもワカメだろうという食感の海藻。
簡単にできる酢の物だが、さきほどの土鍋料理でくちのなかに残った脂の味をあらいながし、さっぱりとさせるには手ごろな一品だった。
「これ! お酒と合うヤツ!」
「リンシャウッドはお酒との相性がよければ、なんでも良さそうだけど‥‥‥」
なるべくなら旬の食材をあじわってほしいと苦笑する。
「さっきの鍋の出汁が薄いのに舌にからんできて、グリーブ・マッシュルームの肉汁の濃さと相まっていい感じに味わえたけれど。これを食べるとすっきりとしますね」
シオンライナが土鍋料理で暑くなったのか、長袖の上着を脱いで背もたれにかける。
奥のテーブル席では近くのギルドに努める職員たちが、ふうふうと息を吹きかけて熱を冷ましながら、串焼きにしたグリーブ・マッシュルームを楽しんでいた。
一口大の鶏肉のように見えるそれは、炭火から離れたというのにまだ熱をもっているらしい。
時折、垂れた肉汁が口内で踊ったのか「アつッ、あっつ!」と小さく悲鳴が上がる。
「もちろん、このメニューはしばらく続くんですよね」
「いやあ、そんなにずっとは難しいかな」
期待混じりの視線を向けるリンシャウッドに、ナガレは頭を掻いた。
今回は出入りの業者が市場でたまたま仕入れてきたものを売りつけて来たから、面白半分に買ったのだ。
グリーブ・マッシュルームは春先まで続く食材で、まだ秋口の今だと半年近くはネタを仕入れることになってしまう。
そんなに長い期間、いまの単価で提供していたら毎月、赤字を垂れ流してしまう。
さすがに、それはためらわれた。
「えー、そうなの?」
「こら。値段を見て言いなさいよ。安くないんだから」
「はは、そうなんですよ。仕入れ値も高価なので売れないと、ね。うちも赤い字になっちゃう。次の一品はグリーブ・マッシュルームの膜の刺身です」
シオンライナに窘められて、黒狼はつまらなさそうに肩を竦める。
お客様がのぞむならいつでも出せるようにしたいのが人情だが、利益がほぼでないものばかり揃えても赤字続きになってしまう。
そんなやり取りの合間にもナガレは調理を続けていて、今度は膜の部分の刺身だった。
膜は成長すると硬くなってしまうが、傘と柄の部分からはがしたあとで水に浸しておくと、水分を吸い込んでみずみずしい食感の食材へと変化する。
乾物を戻したような感じだな、とナガレは感じた。
スライスするまえに軽く両面を炭火であぶり、薄切りにする。
スキルによってグリーブ・マッシュルームの調理方法はひとおおり、脳裏にはいっている。
指先ほどの厚みでスライスした膜を皿に載せて提供すると、刺身という料理そのものが珍しいのか、カウンターの二人は「おお」とか「へえ」とか驚きの声で出迎えた。
「ダコタの実を絞って、塩で食べてください」
膜もまた、柄と同じように獣の肉に似た食感がある。
そこで柑橘類でかぼすのような味のするダコタの実を細切りにして添えた。
塩は北海から輸入された天然の粗塩だ。
巨大な塩湖があり、そこから採れたのだという。
辛さのなかに芳しい甘味があり、独特の味わいを楽しむことが出来る。
「さっぱりとしてて、とっても甘いっ! 食べてたらほろほろって溶けて行くみたいっ」
一口、刺身を食べたリンシャウッドがそう叫んだ。
薄切りにした肉の糖分とダコタの実の酸味、塩の荒さがうまく調和しているらしい。
客達の反応は上々だ。これはうまくやると看板メニューにできるな、とナガレはしたり顔でうなずいた。
「生肉を刺身にしたような感じね。肉ではないけれど‥‥‥」
「一応、火は通してありますからね」
お酒も美味しいし、料理も美味しいとリンシャウッドが舌鼓を打っている合間に、オフィーリアが厨房から厚切りにした柄の部分を持ってきた。
見た目からして動物の厚切り肉にしか見えない食材を、コンロに載せた携行用の鉄板の上において焼き上げる。
やがて数分とたたずに、ぶ厚い肉のステーキができあがる。
ナガレは奥のテーブルで最初に注文した客から順に料理を仕上げ、刺身を堪能したリンシャウッドがグラスの酒を飲み終わるころを見計らって、提供する。
「お酒がより美味しくなるっ! いただきます!」
「もうあまり飲んだら駄目だってば‥‥‥仕方ない人」
ナイフとフォークを両手に、リンシャウッドは豪快に塊を切り分けていく。
料理はどう見ても肉のステーキにしか見えないのに、脂は植物の香りを口内に残していく。
不思議な食感、とそれぞれに評しながら食べるお客様は、ナガレにとって大事な存在だった。
そこにテーブル席に座っていたギルド職員のひとりがやってくる。
オルク、という若者で経理課にいるといっていた。
まだ20代前半の彼は独身だという。
こんな場末の狭苦しい居酒屋に、場違いな美しい女性たちがいるのを見かけたら声をかけずにはいられないのだろう。
どちらもナガレの店にはよく来るから、顔見知り程度には見知っていたらしく、リンシャウッドたちも嫌な顔をしなかった。
オルクは発泡酒が入ったグラスを掲げて挨拶も早々に、不思議そうに言う。
「こんばんは、聖女様方。美味しそうに食べてますね、僕も混ぜてくださいよ。そういえば、いいんですか? こんな場所に訪れて」
「こんな場所とは挨拶だな」
「いや、こんな場所です。ここは王都の東の外れで歓楽街は南だし、行政区の端だ。官庁で働いた役人のそれも下っ端がくるようなとこですよ」
僕らみたい、とオルクはテーブル席のほうを示して見せる。
自分たちがそうだ、と言いたいのだろう。
シオンライナは炎の女神リシェスの聖女で、その存在は有名だ。
聖浄の炎を操り、ありとあらゆる呪いを浄化できる能力を持つ。混じり気のない銀髪は豊かで鳶色の瞳は慈愛を含んでいる。
対してリンシャウッドは獣人だが、身長が低くて子供にしか見えず大人の女性であるシオンライナとは対照的だ。巨大な魔銃を操る魔猟師でランクはAとハイレベル。黒白まだらな狼耳と尾が特徴的で野生の美をかもしだしている。
聖女といえば上流階級の人間で、店の立地と客層には似合わないのに、いまここで彼女たちは料理と酒を楽しんでいる。
こんな美女たちに囲まれてお酒を飲めるなら、多くの男が惜しみなく金を出すことだろう。
「それって私たちがここにいるのが場違いって言ってます?」
「いや、そんなことはないよ。ただ、用心はしなくていいのかなって。美女と一緒に飲めるのは、この店だけの特権だから」
「美女、ねえ」
女性二人は顔をかしげる。
シオンもリンシャウッドも、どうやら自分たちの美しさを高く評価しているわけではなさそうだ。
「私たちはどちらも国外の生まれですから基準に沿うかどうか。この国の女性の方はみなさん、お綺麗ですよ」
シオンライナが聖女らしく控えめに答えた。
決して自己主張を激しくしないところが彼女の美徳だな、とナガレは思った。
どちらとも国外で生まれたというのが驚きで、新鮮だった。
聖女という職業柄、同じ土地の民から選ばれるのだろうと思っていたからだ。
しかし、ナガレもオフィーリアも、このグリザイア王国の民からしてみれば異邦人だ。
ナガレなんて紛れもない異世界人なのだから、笑えてしまう。
異世界にきてもう20年。
最愛の妻にも恵まれ俺は幸せだな、とナガレは感じていた。
「異邦の出身なんですか? だから髪色も違うのか、なるほど」
オルクは目を丸くする。
グリザイア王国は排他的なお国柄で、王国の人々は外国人をあまり好まない。
それなのに、サービス業や人力が必要な汚れ仕事は、移民の労働力を当てにしている。
帝国と公国の争いで、移民の数は増えるばかりだ。
純粋な王国人からしてみれば、明日にも自分の仕事をうばわれるのではないかと心配になる気持ちも、わからないでもない。
金髪碧眼が標準装備のこの国で、銀髪や黒髪、獣人といったナガレたちが浮いて見えるのも、無理からぬことだった。
「聖女様も大変そうですね」
「いいえ、そんなことはありません」
オルクは嫌味なしにそう言った。
「次はグリーブ・マッシュルームの煮びたし」
ナガレが付け合わせに出した野菜の煮びたしが、小さな円い皿に盛られて三人の前に出される。
日本なら箸で食べるところだが、三人はフォークを器用につかい、それを口に運んでいた。
「辛い――っ」
静かに黙々とステーキを片付けていたリンシャウッドはどうやら、辛いものが苦手のようだ。
なすびのような野菜と唐辛子を醤油やみりんに似た調味料などを使い、味を整えて煮汁に軽く二、三時間漬けたものだ。
しかし辛いのがお気に召さなかったようで、水をかぶかぶと飲んでいた。
「ふう‥‥‥。いつも思うけどランクAの魔猟師と、魔王とも戦える炎の女神の聖女がいて、誰が襲うというのですか」
「いや、それは。でも万が一ということもあるし」
ようやく落ち着きを取り戻したリンシャウッドは、平然と言ってのける。
オルクが並の役人であることへの、遠回しな嫌味だった。
「こっちは魔猟と神殿内のストレスを発散しにきてるの! 黙って呑め!」
自分の名前が書かれたボトルを差し出し、リンシャウッドはオルクの飲み終わった大きめのグラスに並々と酒を注ぎ込む。
「こんなに飲めないって。明日はまだ平日ですよ」
「いいから飲め、小役人! あんだけ嫌味言って私の酒が飲めないとでも!?」
「そんなつもりじゃなかったんだけどなあ」
嫌味というより、うまく立ち回って二人のナイト役を務めたかったんじゃないかと思うナガレだった。
この流れだと、酒にあまり強くないオルクはこのままリンシャウッドに潰されてしまい、明日は仕事にならないだろう。
「オルクさん、ストレスにならないといいけど」
「ま、自らまいた種だ。仕方ない」
奥からやり取りを覗きみていたオフィーリアが、気の毒そうな声を出した。
リンシャウッドの酒をのんびりとたしなみつつ、オルクが「ストレスといえば」と言葉を続ける。
「言葉とか、苦労しなかったんですか? 俺は経理だけど移民の同僚もいて、よく言葉の間違いでいさかいが起きます。それがストレスで」
「その人は東の帝国からの移民、とか?」
「聖女様、そうなんですよ。南の大陸の巨雄、エイデア帝国がこの西の大陸でオルブレイト公国と戦争を始めたもんだから。ほら、オルブレイトは十数年まえに魔族領だったところが独立したでしょ? だから公用語が魔族の大陸である南の大陸語なんです。どうにも通じなくて‥‥‥」
オルクは困ったように酒を煽った。
そんないさかいは普段からしょっちゅうあるのだろう、重いため息がテーブル席にいる同僚からも挙がる。
「はいはい、ストレス発散はここで終わりにしましょう。楽しいお酒の席だし、生まれ故郷の話はいまはしたくない」
「あ‥‥‥リンシャウッドさん、公国出身‥‥‥すいません」
話題にでていたオルブレイト出身のリンシャウッドがそうまとめたので、席は難しい雰囲気になった。
というのも、元々、魔族の国だったオルブレイトは獣人たちが住む土地だった。
そこから移住し魔猟師のランクAという高位職までのぼりつめた彼女の苦労はなみなみならぬものだったに違いない。
もしかしたらこの面子の中で、もっとも辛い過去があるかもしれないのだ。
そんな苦労人に場をまとめられたら断れる者は、誰もいない。
「リンシャウッドは帰らないんですか?」
「帰郷? それは無理ですよ。だって私とシオンの故郷は魔獣によって滅ぼされましたから」
「あ‥‥‥。なんかすいません」
オルクは素直に謝罪した。
同僚が側にやってきて、こらっ、としかりつける。
「帰る場所が無いのはさみしいですが、こうして家族もいるし。いまに満足しています。そういうオルクさんは?」
「俺はその、四男なので」
四男? リンシャウッドはよくわからないという顔をする。
同僚が「こいつ貴族の子息なんですよ。でも末っ子だから家を出て行くしかなかったって、よくぼやいてます」とひそやかに告げ口する。
オルクは知られたくないことを先に言われてしまったから顔を赤くして、そっぽを向いた。
「別に、出て行かされたわけじゃない。俺が自分で出ただけだ。それにちゃんと結婚だって」
「え? 結婚してるんですか。ここにいて奥様怒りません?」
「いや、まだ」オルクは言い淀む。
「半年後に結婚するんですよ。職場はそれじゃどうやって祝おうかって話でもちきりです」、と同僚が言う。
それはめでたいとナガレは思った。
結婚は晴れやかな祝い事だ。
貴族の四男なら、さぞかし賑やかに祝ってくれるだろう。
さっぱりとしたグリーブ・マッシュルームの傘の焼き物をみんなに出していると、シオンライナがオルクを祝う。
聖女様の前で、彼はなぜか神妙だった。
「どうかされたのですか?」
「実は、その! 聖女様にお願いがありまして」
「仲人ということですか?」
お願い? 結婚式に列席して欲しいという誘いだろうか、とシオンライナが首をかしげる。
「いえ、その。神殿騎士になりたいんです!」
「でもいま、冒険者ギルドの経理ですよね?」
「王国騎士になる資格はあるんです。騎士団で資格試験を取得したので。でも王国騎士は法律で数が決まっているので‥‥‥。単なる下級役人では、彼女との身分が釣り合わなくて」
オルクの言い分はこうだった。
自分は貴族といっても騎士級の家柄で、そうそう身分は高くない。
相手の女性は子爵家のしかも跡取り娘で、ギルドの経理課にたまたま配属された。
いずれは子爵家を継ぐために婿養子をとることになるのだが、オルクの身分は騎士より低く平民同然のようなものだ。
一応、騎士団には所属していたこともあるし、父親が認めれば騎士になる資格もあるのだという。ただ、今の時代、騎士の総数も法律によって定められていて、そうそう枠が空くということもない。
だから、神殿騎士として資格試験を受けられるように推薦してはもらえないか、というものだった。
ナガレの知識では、騎士は王国に仕える王国騎士と、各神殿に仕える神殿騎士がある。法律で定数が決められている王国騎士と違い、国内に数百ある神殿ではどこも神殿騎士が不足していた。
一度、神殿騎士になると神殿法という法律の規定で、王国騎士には戻れなくなってしまう。その資格を失うため、実家になにかあったら跡を継ぐ義務がある貴族の子息たちが神殿騎士になることは少ない。
しかし、人手不足な昨今、騎士団で従軍期間を終えた貴族の三男や四男が神殿騎士になるのは、もはや通例にもなっていた。
だが、ここ数年は違うようだ。
帝国と公国の戦争のせいで増えた移民のなかには、騎士の資格を持つ者も多いのだ。
特にオルブレイトは魔族領から独立させられて間もないため、祖国を守ろうという意識は低いらしい。
「‥‥‥こんな席で転職相談とかないわあ」と、リンシャウッドは詰める。
「ぐっ」
注文していた鳥足の唐揚げを頬張りながら、シオンライナをオルクから守るように抱き寄せてしまった。
「男なら自分で決めて行動してはどうですか。騎士になる資格がある男性は、どこの神殿でも求めていますよ」
「私も、昨日今日知り合った方を、推薦するというのも」
シオンライナも迷惑そうにいった。
聖女とは神殿における最高権力者のひとりだから、推薦すればあっさりと神殿騎士への道は拓けるだろう。
責任は取りたくないというのが、聖女の本音のようにナガレには思えた。
「いまは移民が神殿騎士になるのが、流行だそうですよ」
さすがにオルクが可哀想なので、ナガレは助け舟を出してやる。
「んっ‥‥‥それは、そうかもしれませんが」
すると、シオンライナは口をつぐんでしまう。
夫婦であるリンシャウッドはオルブレイト出身だ。
思い当たる節があるのか、連れ合いが非難されるのを察したのだろう。
「うちは女同士だから世間の反対はそりゃすごかったけど、結婚するときは自分たちで決めて、周りを説得したよ」
じゃなきゃ、聖女と移民である獣人の結婚なんてできるはずがない、とリンシャウッドは説明する。
諭されて納得したのかオルクは「両親を説得してみます!」と頷いて仲間の待つ席に戻って行った。
「推薦くらいしてやればよかったのに」
「そんな。貴方まで彼の味方するの? いまさら、いい子ぶるなんてひどい」
種族を越えた仲良しカップルは、そう言ってオルクの幸せを願っているようだった。
翌週になり、王都ベレアネードの秋はそろそろ終わりを告げようかとしていた。
木々の紅葉がめだたなくなり、色づく葉がしとしとと路上に落ちて行く。
街路樹の針葉樹だけが、深緑の葉を残していた。
息も白くなる早朝の河中に、オルクの死体が上がったのは夜明け間近だった。
「死んだ? 前に顔見せてから4日しか経ってないのに? なんてことだ‥‥‥」
三日後にナガレはシオンライナからそのことを知らされた。
オルクが崇拝していたのは戦女神ラフィネであり、その神殿で葬儀が執り行われたということだった。
彼の実家は国内でも数百年続く騎士の家柄で、神殿騎士に推薦しても問題が無いほどの人物だったという。
聖女が知ったのは死んだ後のことで、あの場では知りようのない事実だった。
「もっと深く話を聞いてあげるべきでした」
いつもは凛としているシオンライナだが、この夜は喪に服す気になっていたのか、あまり覇気のない静かな喋り方をする。
相方の黒狼が酒を飲み過ぎたら真っ先に注意するのに、今夜は無関心を貫いていた。
「別にシオンが悪いわけじゃない。ただ、運が悪かっただけですよ」
「まさか通り魔に出くわすとは。人の運命は明日に何があるか分かりませんね」
しおらしくそう言うシオンライナは、そっとグラスを傾ける。
多分、オルクの冥福を祈っているのだろうと、日本人だったナガレは勝手に思った。
話によると、オルクは三日前の夜遅くまで庁舎で残業に励んでいたのだという。
日が変わるころまで働き、寮である官舎に戻る道すがら、事件に巻き込まれたらしい。
相手は今年の始めごろから世間を騒がせている窃盗団ではないか、ということだった。
当夜、オルクが歩いていた河川にかかる橋の先で、銀行強盗があったのだ。
犯人は複数いて、腐蝕の魔法を使い金庫を破ったのだという。
逃走経路上でオルクはたまたま窃盗団と出くわしてしまったのだ。
そして、無残にも胸にナイフを突き立てられ、河に落ちて水死体となってあがってしまった。
同じ職場で働く婚約者はそれを聞いてショックだったのか、この三日間、出仕していないという。
「だけど加害者が、まさかの腐蝕の盗賊団とはね」
「やはり女神ルーディアの絡んだ事件でしょうか‥‥‥」
腐蝕、という単語にちくり、とナガレの胸が痛んだ。
腐蝕の女神ルーディアこそ、ナガレにチート能力を授けてくれた女神だったからだ。
まさか自分に加護を授けてくれた神の信徒が悪行をしたのかと考えると、ひどく暗い気分になる。
身内びいきというやつではないが、どうか無関係であって欲しいと願うばかりだ。
「シオンの女神様とルーディア様は天敵だもんね。リシェス様が許可をお出しにならないのは、そこに理由があるのかも」
「許可って‥‥‥なんです?」
思わず問うてしまう。
どんな許可が女神から降りるというのか。
まさか、腐蝕の女神の関係者を討て、とかそういうことなら困る。
せっかく手に入れた幸せを手放したくない。
「神聖魔法による再生、もしくは蘇生、というべきでしょうか」
「オルクを復活させる許可、ですか‥‥‥そこまで気に病むなら、聖女様が独断で神聖魔法を使い、蘇生させればいいのでは?」
返事はノー、だった。
オルクは戦女神ラフィネの信徒だ。
異教徒のオルクを蘇生させたら、神様同士でいさかいになるらしい。
神様もこころが狭い、とナガレは嘆息する。
「異教のことに手を出しては、宗教戦争になりかねません。女神の威光に傷が付きます」
「そういうもんですか」
聖女ならではの悩みに、なるほどねとナガレは頷いた。
閉店時間にちかくなり客足も途絶えたことから、厨房の片づけを終えたオフィーリアがカウンターに出てきていた。
リンシャウッドのキープしたボトルから酒を一杯いただきつつ話を聞いて妻は意外ね、と言う。
「神様と聖女様ってそんなに関係性が深いのですか? 距離が近いというのかしら‥‥‥まるですぐそばにいる上司を気遣っているみたい」
「おい、オフィーリア」
たしなめると聖女はそれは正しい解釈です、と肯定した。
「女神リシェス様とは常に会話ができるくらい。でもあちらから声を掛けられるまで、こちらから話しかけることは不敬ですから、致しませんが」
「ああ。だから神託っていうんですね。神の意向が直接下るから」
「ふうん」
異世界人であるナガレには、神様が実態のあるもので直接、神託を下すというのがどうにも受け入れられない。
ナガレ自身、女神ルーディアと邂逅してスキルをいただいたし、彼女と気さくに会話をすることもある。
でも、地球だと神様の神託はよほど特殊な状況でしかなかったようにも、思う。
ここまで神と信徒の距離が近いのは、普段の生活の中にまで八百万の神々が根付いている日本人の宗教観から見れば、異常でしかない。
しかし、異世界に召喚されてかは異常が常識になってしまった。
二つのことなる経験に、思わず悩みを抱えてしまう。
「すると、オルクは助けてやれない、と。そういうことですか」
「まだ死後、三日とたっていませんし、冬ということもあり遺体の腐敗はそれほど進んでいません」
「ようは彼の家族が納得すれば、それは叶う、と。そういうことですか」
「もしくは彼の霊魂がそう強く望むなら。でも、棄教することを彼の女神ラフィネが許すとも思えません。死後の魂は、崇める神の元で幸福に過ごすのですから」
その死後の考え方は、俺の女神様の教えてくれた常識と、なんか違うんだよなー。とナガレはつい考えてしまう。
シオンライナが嘘をついているのではないだろうが、真実を歪めて告げているのではないかと穿った見方をしそうになる。
オルクはこの店を始めてからの常連だ。
シオンライナにとっては顔見知り程度だが、ナガレにしてみればれっきとした友人に他ならない。
「助けてやれる方法はないんですか?」
聖女は考え込む。助けてやれるならそうしてやりたい、という気持ちに裏はなさそうだった。
「例えば‥‥‥」
「例えば?」
「彼を殺害した腐蝕の窃盗団はあまりにも身軽で常識をこえた働き方をしています。けれどもこれまで被害者のなかに、死者を出したことはありません。もし、裏で腐蝕の女神ルーディアから何らかの指示があり使命を果たしていた途中で死人を出したとすれば――」
何となく、聖女の言いたいことが理解できた。
ルクスは神様が指示した神託で動いているはずの窃盗団と接触した。
それが未来をある程度、予見できる女神の想像を越えたものだったとしたら、予測できなかったのは女神のミスだ。
結果としてルクスは殺されたが、その死すら予測されていなかったことになる。
神ですら予測できない未来は、通常、この異世界においてはありえない。
「つまり、女神ルーディアのミスだから、彼を蘇らせるのは女神ルーディアの仕事、ということですか」
「そういうことになりますね。ところでマスター、まさかと思いますが貴方はルーディアの信徒ですか?」
「いやいや、まさか。俺には信じる神はいません」
「無信教‥‥‥それも、珍しい」
「生まれがそんな土地柄でして」
崇める神同士が敵なのだから、信徒同士でも敵になる。
聖女から明確な敵意を向けられたナガレは大慌てで否定した。
「なら、いいのです。我が女神リシェスと腐蝕の女神ルーディアははるかな古代から天敵の仲ですから!」
「はあ‥‥‥」
女神ルーディアの名を口にしたシオンライナは、明らかに不快な顔をした。
はるか古代。空に浮かぶ三連の月の1つ、赤の月の支配権を巡り腐蝕の神バルッサムと炎の女神が対立したのは有名な神話だ。
長く及んだ争いは、代理人を立てて戦わせ、浄化の炎の女神リシェスの勝利となった。
代理戦争に負け、神としての権威を失ったバルッサムは、時の聖女ルーディアを新たに腐蝕の神とした。
これが腐蝕の女神ルーディアの始まりだ。
以降、女神ルーディアと女神リシェスは仲が悪いとされている。
しかし、ナガレには神様たちの代理戦争をやる気なんて、さらさらない。
女神ルーディアの話をしたせいか、聖女の不機嫌は治らずしまいには酔いつぶれてしまった。
珍しくリンシャウッドが介助して馬車で帰るという、いつもと真逆の構図。
閉店し、自分たちのアパートへと帰る道すがら、妻はとても神妙な顔をして言う。
「あなた‥‥‥。本当に大丈夫なの? 女神ルーディア様のこと」
結婚するとき、オフィーリアにはこれまであったことをすべて話している。
女神ルーディアのことももちろん話してあったから、彼女は不安になったのだろう。
「シオンライナが俺たちに牙をむくことはないだろう。だいたい、どこの国でもどんな神を信じようがそれは保証される。俺はルーディアを崇拝してはいないが‥‥‥関係があったからって、討たれるようなことはないよ。もう神々が地上に口だす時代は終わったんだ」
「でも、聖女様と女神様は懇意であるとおっしゃっていたわ。私、心配なの――窃盗団とのこともそう。良くないことが起こりそうな気がする」
「大丈夫だろ、たぶん」
ナガレは思わず呻いた。
オフィーリアは雪豹族という名の古い時代から続く、獣人の血統だ。
その身は雪豹の精霊が宿っている。
オフィーリアが嫌な予感がするといえば、だいたい、当たるのだ。
今回はどんな結果になるんだろう。
ナガレは押し寄せる嵐の気配をひしひしと感じていた。
翌朝。
ナガレが朝市に顔を出すと言ってアパートを出たとき、オフィーリアはまだ眠っていた。
生来のものなのか、本人の特質かはわからないが、オフィーリアはとことん朝に弱い。
店の昼食にはほとんど顔を出さず、夕方から夜の営業に向けて仕込みを始めるくらいだ。
だから、ナガレはランチをほぼひとりでこなさなけれならなかった。
それはさておき、腐蝕の女神ルーディアと直接対話できるようなプライベートな時間は、ナガレにとって朝のこの時間くらいしかない。
まだ開店前の食堂の片隅で、ナガレはスキルを発動し誰にも覗き見されない状況で、ルーディアを呼び出す。
まさか腐蝕の窃盗団と関わりはないだろうと思って問い詰めたら、女神はあっさりと吐いた。
「‥‥‥という話なんだが。どうなんだ、女神様的に」
『どうなんだ、と言われてもな。これは赤の月の支配権を巡る事であるし』
「まだやってんのかよ、気が長いな!」
『こっ、これは大事な業務なのだ。赤の月は、たかが一柱の神で運営できるものではない、いまは過去に比べて荒れ放題だ』
「‥‥‥月に大気があって生物が住んでいるとでも?」
『大気はあるが、生物は微生物くらい?』
「惑星の運営は神々全員で決めやがれ! 俺の運命を狂わすんじゃねーよ。せっかく結婚できたってのに、いまさら血生臭い冒険者や傭兵家業に戻れと?」
『だが、しかし。窃盗団の目的は‥‥‥いや、これは以上は言えない』
シオンライナと同じく銀髪を少年のように刈り上げた女神ルーディアは、唇を固く真横に結ぶ。
実のところ、ナガレにとってみれば、そんな目的などどうでもいいのだ。
「オルクってうちの店の常連が死んだ。殺された。窃盗団の仕業ってことになっているが、それは総じてあんたの責任だよな?」
『しっ、知らん!』
「はあ? 神様が予見できない未来なんてあるのかよ」
『知らん、まったく無関係だ!』
彼女と出会って20年近い付き合いのナガレには、ルーディアが嘘を吐いているようには思えない。
知っていたとしても、隠し通さなければならない事情があるのかもしれないが、それは関係ないことだ。
「だが、現実に死んでるんだ。俺はまだ何も調べていないが、俺が動いても良いのか?」
『いや、それはまずい‥‥‥非常にまずいことになる。待ってほしい』
ナガレのスキルは腐蝕の女神から授かったものだ。
それを使えば、全てがわかってしまう。
例えば、オルクの死体の近くに行き、スキルを発動すれば犯人が誰で、殺した時に何を考え、どこの誰とどんな繋がりを持っていたか‥‥‥まで。全てがわかる。
しかし、そのためには遺体が安置されている戦女神ラフィネの神殿に行き、スキルを発動しなければならない。
だが、ルーディアはラフィネとも仲が悪い。
自分の家といっても過言ではない神殿に天敵の信徒がやってきて腐蝕の女神の力を使ったら当然、ラフィネは勘付くことだろう。
後には深い禍根が残る。
ルーディアはそれを案じていた。
「別世界にいるあんたたちと違って、俺は嫁さん持ちなんだ。巻き込まないでくれよ‥‥‥ルーディア。異世界召喚された時に俺を助けてくれたあんただから、こうして頼ってるんだ」
『‥‥‥半ば脅しも同然でないか。神をも恐れぬ奴』
「仕方ないだろ、家族が大事だ。待ってもいい。でも長くは無理だ」
『関係があるとわかったら?』
「あんたのミスだろう。なんとかしてオルクを蘇生させてくれ」
『あー‥‥‥っ、もうッ! なんで命令を無視して余計なことをするかな、あいつらは!』
「認めたな? いいか、生き返るなら俺には無関係だ。こんなことを言いたくないが、俺にスキルを与えたのはあんたのミスだからな?」
目の前で半透明な輪郭の女神は、困ったように叫び、がしがしと両手で頭を掻く。どれくらい過去に人から神になったのかは不明だが、何とも人間臭い女神様だ。
「いいか、生き返るなら俺には無関係だ。こんなことを言いたくないが、俺にスキルを与えたのはあんたのミスだからな?」
『――ったく‥‥‥! どうしてそう聞き分けがないんだ、君は!』
それは、いざとなれば強行手段にでるぞ、というナガレの前振りだった。
彼のスキルなら、蘇生ができるのだ。
効果範囲にあればどんなことでも叶えられるのが、
うまくやってくれ、とナガレは両手を閉じ拝んで頼んだ。
女神はむくれた顔をして、不服そうな態度とともに消えてしまった。
それから数週間後、琥珀亭に不意の来客が訪れた。
オルクと年若い令嬢だった。
二人が同じ指輪を手に嵌めているのを見て、ナガレとオフィーリアは安堵のため息を漏らす。
「彼が戻って来るって、神託があったんです」
その令嬢、ナビアは嬉しそうに言った。
ナビアはオルクと同じ戦女神ラフィネの信徒だ。
そのラフィネと思しき女神が、夢のなかにあらわれて神託を告げたのだという。
「本当に奇跡の様でした!」
ただ不可解なできごともあった。
オルクが蘇えったのは、埋葬する前夜だった。
棺のなかにおさめられ、釘で打たれている棺の蓋が一度開けられた形跡があったのだ。
さらに棺の釘が緩められていて、なかから少しの力で押すだけで外れるようになっていたという。
遺族は彼の遺体は一度どこかに移動され、また戻ってきたのではないかと思ったらしい。
酒の入ったグラスを掲げながら、豚肉と野菜の煮つけを盛り付けた皿から取りつつ、二人は感動的に語る。
「本当に何も覚えてないんですよね。目覚めたら強く前に蹴り出せと命じられただけで。でも光が見えた時、助かったって思いましたよ。神様はいるんだって」
「それこそが、神託。神様の声だったのよ!」
ナビアは神託を信じた。
いや、夢を神託だといって疑わなかった。
彼女に説得された両親と、オルクの家族が神殿に駆けつけてみると、ちょうどオルクが棺の蓋を開け、出てきたという。
神殿では闇魔法による不死者の可能性もあると検査されたが、結果的に生きている人間だと判定された。
そうして嫌疑が晴れた二人は、無事に結婚をしたのだ。
オフィーリアはカウンター越しに「良かったわね」、と嬉しそうに微笑んだ。
ナガレは棺を埋める前夜に窃盗団が遺体を運びだす姿が脳裏に浮かんだ。
おそらく、オルクの蘇生をするためには戦女神ラフィネの力が及ばない、神殿外に遺体を運び出す必要があったのだ。
腐蝕の女神ルーディアは他の女神たちに気付かれずにオルクを蘇生したのだろう。
そのまま遺体を燃やすなり獣にでも喰わせてしまえば、いくらナガレでも蘇生できなかった。
名前のごとく、腐蝕させ溶かしてしまってもよかったのだ。
それをしなかったということは、今回の窃盗団が盗み出したものがよほど女神ルーディアにとってだいじなものだった、ということになる。
女神の寵愛を受けたナガレが頼み込んだ? からやってくれた可能性もあるが‥‥‥あいにく、ナガレはそこまで自意識過剰ではない。
しかし、気になることがあった。
戦女神の神殿を荒らすような真似をして、神は怒らなかったのか、という疑問だ。
料理を作りながら頭を捻っていると、もはや常連となった黒狼と聖女が扉を開けてやってくる。
「戦女神の神殿で何かあったらしくて、どうにも周囲が騒がしいのです。どうもその役割が私に回ってくるみたいでして」
とシオンライナは首を捻る。
ラフィネの神殿には当代の聖女がおらず、女神との意思疎通があまり取れていないのだという。
「ほう。そんなこともあるんですね」
「二柱の女神様に仕えろなんて、もう責任が重すぎて‥‥‥飲まなきゃやってられません!」
ナガレはやっぱりなにかあったのか、と知り冷や汗を流す。
「シオン、最近、飲み過ぎ‥‥‥」
「うるさいですよ。これまで私にお世話になっていたのはどこの誰ですか」
「それは私だけど、でも‥‥‥」
あの夜からリンシャウッドがシオンライナの介助をするようになっていた。
酔っ払いと介助する人、という構図が真逆になってしまったのだ。
シオンライナは酒に弱く、少し酔うと口が軽くなる。
これから、俺たちはどうなるのだろうと未来に不安を覚えつつ、聖女の愚痴につきあうナガレ夫婦だった。
冒険者ギルドの料理番 番外編~グリーブ・マッシュルームと腐蝕の女神~ 和泉鷹央 @merouitadori
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