それでは、死にましょう

ぶざますぎる

それでは、死にましょう

身を慎み目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が吠えたける獅子のように、食いつくすべきものを求めて這い回っている(ペトロの手紙一5:8)



[1]

 高校生時分の私は己の性悪が因となり学内で孤立していた。

 私は幼少より兎角周囲からの不評を蒙りがちであった。私はそもそもが陰険且つ卑怯賤陋せんろうなネズミ男めいた人間であった。またそもそもが被害者意識と他責意識の塊でもあった。私は己の言動には無神経で平気な顔をして他人を傷つけるくせに他人の言動には神経質かつ過敏な処があり、他人のやる事なす事にあれやこれやとケチをつけては被害者面をした。

 糅てて加えてそもそもが分不相応に自尊心や自己評価の高かった私はうちにてやたらと他人を見下す地癖じぐせがあった。実際は何ひとつ秀抜するものを持たぬくせに謎の有能感をふとこり、< ケッ、馬鹿どもが。ボクはそもそもの出来できが君たちとは違うんでい! > なぞと心中で他人を蔑むのが常であった。

 そのうえ更にそもそもが病疾びょうしつめいた癇癪体質でもあった私は間欠的に理不尽な怒りを爆発させて周囲の人間へと罵詈讒謗の限りをぶつけた。

 人づき合いのはかが往かなかったのも畢竟ひっきょうに孤立したのも、むべなるかなであった。  

 私は孤独だった。


[2]

 しかし如何な場所にも優しい人間は居るもので、自業自得の転帰で落莫らくばくたる日を経てていた稟性ひんせい下劣な私へもひとつの救いの手が差し伸べられたのである。

 私へ助け舟を出したのは同じクラスのAという男子生徒だった。Aは長身痩躯の男前で優しい性格をしていた。Aは間然かんぜん無しの人物で皆から好かれていた。Aは平生莞爾かんじたる笑みを面上より絶やさずその全体に爛漫な雰囲気を漂わせていた。Aは私のためにも何かと世話を焼いてくれた。Aの存在は寂寂暗澹せきせきあんたんとした私の学生生活へ一筋の光をあたえた。

 そもそもが傲慢であるくせに一方では捨て犬めいた愛情乞食気質メンヘラ・ボーイでもあった私は、ことここに至って初めて親狎しんこうの念を抱き得る相手ができたことに心底感激した。

 私は孤独ではなくなった。


[3]

 ある日Aの両親が事故で亡くなった。須臾しゅゆの日数Aは学校を休んだ。

 のち再登校したAはひどくやつれていた。元来が痩身であるAはそのうえ更に肉を削げ落とし文字通り骨と皮のみの姿であった。最早羸痩るいそうと表するのが適当な程に痩衰えたAの態様は幽鬼のおもむきをすら呈して居、正味私は瞿然兢兢くぜんきょうきょうの身の裡で以てAの姿を眺めた。Aが両親の死に因り歎惋たんわんし甚大な精神的被害を蒙ったことは著の如くであった。

 ハナ皆より好かれていたAのこと、再登校後は直ぐと周囲から多数の心配と思い遣りを恵えられた。見た目こそ亡霊めいた形相を呈していたAであったが身の裡は相変わらず懇篤こんとく満腔まんこうで皆の親切に対しては優し気な口吻こうふんと緩頬で以て、「大丈夫だよ、ありがとう」と謝辞を述べた。その姿は痛々しかった。


[4]

 再登校から二月ふたつきを経てAは自殺した。Aは自宅で死んだ。皆が悲嘆に暮れた。葬儀は親族のみで執り行われ私は弔喪を果たせなかった。私は孤独に戻った。爾後じご皆はAの死について「御両親の死から立ち直れなかったんだ」と結論した。

 併し実際は違う。私はことの仔細を識っている。


[5]

 両親を亡くしたAの面倒は近所に住む叔母夫婦が見た。叔母夫婦は善良な人たちだった。死別に因りAへ出来した煩瑣な社会的手続きはすべて彼らが担った。彼らには子供が居なかった。彼らは自宅へAを招いた。暫時Aは叔母夫婦の家で過ごした。


[6]

 数日経った。Aは喪失の傷を癒復ゆふくしていなかったが一方で自身の存在が叔母夫婦への負担となることを心苦しく思った。しかしてAはある日叔母夫婦へ「おれ、学校へ往きます。それと、家にも戻ります」と伝えた。夫婦はAの申し出に吐胸とむねを突かれ且つ憂慮した。彼らはAの無理を揣摩しましたのだった。

 だが畢竟ひっきょうAの再登校と帰宅が決まった。叔母が毎日Aの家を訪問し食事を用意することとなった。また日曜日には必ず叔母夫婦宅へ泊りに来るようにと叔母はAに約束させた。


[7]

 再登校後のAの学校生活についてはさきに叙した通りである。Aは周囲からの慮りと優しさに因り若干ではあるが心中癒される思いであった。そのうちに家の近い男友達数名が交互にAの宅へ泊まることとなった。ハナ帰宅すれば親の不在を思い識らされ些かならぬ哀傷が身に染みていたAであったが、斯様な友情に由り頼もしい心の援軍を得た気分となり結句、惨憺たる孤独の虎口からは辛くも脱することができた。

 またこれもつとに述べた通りAには宛ら守護天使が如くに篤志な叔母夫婦の後ろ盾があった。Aは愛されていた。A自身そのことを自覚し深謝していた。


[8]

 自殺当夜Aは宅に独りであった。其日はたまさか友達全員の都合が悪く誰も泊りに来ることができなかった。叔母は料理を作り終え既に帰宅していた。帰り際、甥を心配した叔母は自宅へ泊りに来るよう再三に促したがAは固辞した。結句、両親が死に去り今や人生の甚大な欠缺けんけつをまざまざと呈している我が家へAは独り残った。

 部屋うちのみならず身の裡にも些かの寂寂せきせきを感じたAであったが、さりとて彼は絶望的な悲しみに暮れたのではなかった。往時のAは恢復とまで言わずとも両親との死別に因って生じた心の傷との向き合い方を徐々に覚り始めていた。Aは心中悲しみの克服を決意していた。併し傷自体はまだ残っていた。


[9]

 就寝前Aは両親の仏壇へ合掌した。両親の霊が成仏せんことを願い向後の人生に於ける己が不撓不屈を誓った。

 併し両親の遺影を見るとその決意にも若干の揺らぎが生じ心中に得も言われぬ悲しみが出来した。

「A」仏壇を拝するAの背後から誰かが呼掛けた。

 吃驚し振り返ったAの眼窩が捉えたのは亡くなった両親の姿であった。

 生前と変わらぬ姿で父と母が立っていた。

 Aは茫然としじっと両親を見つめた。

「A」優し気な微笑を浮かべつつ父親が呼びかけた。

「A」優し気な微笑を浮かべつつ母親も口を開いた。

 須臾の間を緘黙かんもくの裡に経てて後Aは小刻みに体を顫えさせた。

 Aの双眸より涙が流れた。

「お父さん、お母さん! 」Aは両親に抱き着いた。両親はAを抱きとめた。

「A」Aの肩を抱きながら優し気な微笑を浮かべつつ父親が言った。

「A」隣に居る母親も優し気な微笑を浮かべつつ言った。

 Aはただ泣きながら両親へ縋ることしかできなかった。

「お母さん、ずっとAのことを見ているからね」母親が優し気な微笑を浮かべつつAの頭を撫でた。

「お父さん、ずっとAのことを見ているからな」父親もAの肩を掴む手を強めて優し気な微笑を浮かべつつ言った。

「お父さん、お母さん。おれ、頑張るよ」暫時嗚咽した後、Aは泣きじゃくりつつ顔を上げ両親に誓った。

「お父さん、ずっとAのことを見ているからな」優し気な微笑を浮かべつつ父親が言った。

「お母さん、ずっとAのことを見ているからね」優し気な微笑を浮かべつつ母親が言った。

「皆がおれを支えてくれてるんだ。友達も、叔母さんたちも。だから、おれは頑張らなくちゃ」ようように流涕りゅうていを緩めてAは言った。

「お父さん、ずっとAのことを見ているからな」優し気な微笑を浮かべつつ父親が言った。

「お母さん、ずっとAのことを見ているからね」優し気な微笑を浮かべつつ母親が言った。

 不図両親に甘えたい気持ちがAの心中へ出来しゅったいし、「正直、まだまだ辛いんだけどね」と胸裡きょうりを吐露させた。

 両親は優し気な微笑を浮かべつつ何度も頷いた。

 それでも頑張るよ、とAは続けて言おうとした。

 併しそれを遮る様に両親が口を開いた。

 彼らは2人で声を合わせて言った。

「それでは、死にましょう」

 優し気な微笑を浮かべつつ2人は言った。

 出し抜けの言葉に瞿然くぜんとしたAは暫時何らの反応もできなかった。

「それでは、死にましょう」優し気な微笑を浮かべつつ父親が言った。

「それでは、死にましょう」優し気な微笑を浮かべつつ母親が言った。

「何、言ってるの」Aは舌が回らず訥々とつとつと訊ねた「お父さんも、お母さんも、何、言ってるの」

「それでは、死にましょう」優し気な微笑を浮かべつつ父親が言った。

「それでは、死にましょう」優し気な微笑を浮かべつつ母親が言った。

 爾後、両親は壊れた機械の如くに――優し気な微笑を浮かべつつ――その言葉だけを繰返した。

「それでは、死にましょう」

「それでは、死にましょう」

「それでは、死にましょう」

「それでは、死にましょう」

「それでは、死にましょう」

 斯くしてAは挫折せしめられた。


[10]

 さて読者諸賢の十中十がここに疑義を呈されることだろう。何故私がAしか識らぬはずのこと、つまりは両親を亡くしてから自殺へ至るまでに彼が見た光景や其処での心理の機微などについて、まるで本人かの如き詳述を成し得るのかと。

 応えは簡単なこと、私はそれをA本人から聞かされたのである。


[11]

 其日私は放課後の教室にて独りつくねんとしていた。Aの自死から数か月経過していた。冒頭にて夙に叙した通り、そも私は学内で孤立していた。自業自得で皆から距離を置かれていた。其処に唯一の温もりを恵えてくれたのがAだった。だがAは死んだ。私はまたぞろ孤独になった。

 またAの死を境に生徒たちが私へと向ける視線にも若干の変化が生じた。人気者であったAの凄惨な運命を目睹もくとしたことに因り全員が色めき立った。その興奮は日を経てても冷めやらぬのだった。而して思春期特有の不安定な心理へ不気味な漣が出来しゅったいした。小さな波はやがて寄集まり大波へと変わる。大波はいつしか狂濤へと変貌しその怒りを岩礁へと叩きつけるのである。

 従前私に対する生徒たちの態度は単なる嫌遠に過ぎなかった。だが今や彼らの態度の裡には敵意が見え始めた。彼らは憤懣の捌け口を求めていた。斯様な場合は往々にして周縁的な存在や日陰者が標的となるものである。身から出た錆であるが其際はそも皆より忌避されていた私に白羽の矢が立った。

 とは言い条、彼らが表立って私に危害を加えることは無かった。ただ彼らは私に向けて底冷えのする様な睥睨を寄越しつつ何やらヒソヒソと囁き合った。たまさか私の耳へ「アイツ嫌い……」「疫病神……」「A君が死んだのもアイツのせい……」といった言いが飛び込むことがあった。聞こえた方を向けば決まって其処には目へ悪光りを走らせた生徒たちがこちらを見ていた。

 曩に叙した通りそもそもが瞬間湯沸かし器ソニック・ブチギレタイプである私は其度に「なんだい、おい。君たち、なんかボクに文句があるってえのかい、え?」なぞと逆捩さかねじ的に吹掛けたが彼らは毎回私の癇癪へは一向相手をせずに散会してしまった。そうとなれば暖簾に腕押し状態で私は遣る瀬ない身の裡で独り取り残されてしまうのである。

 而して虐めこそ受けなかったものの多数の敵意に晒された――繰り返すがそれには自業自得な面もあった――私は実に跼蹐きょくせきたる思いで平生を過ごす羽目になったのである。


[12]

 閑話休題、曩に叙した通り私は茜色の西日が差し込む教室にて独りうらぶれていた。帰宅部の私は終業となれば直ぐに教室を飛び出し帰路に着くのが以前の常であったが、往時は心中ふとこる憂鬱により気分疏嬾そらんとなり結句何をする気力も湧かぬままダラダラと教室へ居座り続けていた。私は周囲の人間たちからの冷遇と唯一の友であるAの死に因って暗然とし一種の無気力症候群に陥っていた。

 併し無気力とは言い条、私は憂鬱と共にある憤懣めいたものをふとこっていた。

 < 理不尽じゃねえか? > と私は思った。確かに自分は性悪である。だが世には私以外にも性悪な人間が存在する。< そいつら全員が今のボクみてえな扱いを受けているか? > 否である。巷間では私以上の性悪連中が蝶よ花よと担ぎ上げられている。< 一方のボクはどうでい。まあ些少は自業自得の面もあるが、それにしたってここまでひどい目に合う様な悪事をボクがしたかよ? 否、してねえ >

 私は孤独だった。不図友達ができて、これで孤独とはおさらばだと思いきや、その友達は死んだ。< ボクはヨブじゃねえんだぞ。何でボクだけがこんな不幸に見舞われなきゃならないんでい! >

 窓の向こうには茜色の世界が広がり遠くで吹奏楽部の調子外れな演奏と運動部の掛声が響いた。< どうやらボクは人並外れた不幸の星の下に生まれたらしいや > 私は席に座り頬杖を突きながら窓外の夕陽を眺め、< どうでロクでも無え人生なら、いっそのこと早く死んだ方がマシやもしれねえな > なぞと稚気めいた嗟嘆をした。

 ガラガラと音を立てて教室の引戸が開いた。

 私はそちらを見た。

 Aが立っていた。その面上へ優し気な微笑を浮かべつつ其処に居た。私は吃驚し凝とAを見た。不思議と恐怖は無かった。両者須臾の間を沈黙の裡に見つめ合った。

 Aは優し気な微笑を浮かべつつ私の方へと歩いて来た。

「よお、久しぶり」Aは私の横に立ち優し気な微笑を浮かべつつ言った。

「たしか、君は死んだんじゃなかったか? 」私は言った。

「死んだよ。お前だって識ってんだろ、おれが自殺したの」

 一拍の静寂。

 最前まで聞こえていた吹奏楽部の演奏や運動部の掛声が今ではまったく止んでしまっていることに私は気づいた。夕焼けの教室は静かだった。

「その、あれだ」私は訥々と口を利いた「その、君が死んだってえのは、やっぱり御両親のアレが、ショックだったからかい? 」

「あー、まあ、そうだとも言えるし」優し気な微笑を浮かべつつ私を見据えてAは言った。「そうじゃないとも言えるな」

「そいつは一体、どういうこったい」戸惑いつつ私は訊いた。

「丁度いいや。用件ついでに教えてやるよ、全部」

 そう言ってAは過ぎし日のことを――つまりは私が曩に叙した処のことを――優し気な微笑を浮かべつつ語り始めたのである。不思議なことにAの述懐を聴いているとその内容が――彼が体験した出来事と其際の彼の胸臆きょうおくが――鮮明に私の脳裡へと浮かび自ずと会得することができたのだった。


[13]

「いやあ、参っちゃうよなあ」Aはすべてを語り終えてから優し気な微笑を浮かべつつ続けた。「泣きっ面に蜂って言うの? ただでさえ落ち込んでるのに、そのうえ両親からあんなことを言われちゃったらなあ。そりゃあ自殺しちゃうよなあ」

 私は何も言えなかった。Aは優し気な微笑を浮かべつつ続けた。

「ほら、鬱は直りかけが一番危ないって言うだろ。おれもそれだったのかもなあ」

「その、なんだ」漸うに私は口を開いた「ご愁傷様だな、その、うん」

 沈黙が生じた。

 Aは優し気な微笑を浮かべつつ私を見つめた。

 私は些かならぬ気ぶっせいを覚え無理矢理に話の接穂を求めた。

「まあ、君は死んじまって、その、つれえかもしれねえけどさ。生きてるボクだって、つれえんだぜ。御存知の通り、ボクはそもそもが周りに馴染めねえ一匹狼ローン・ウルフ気質だ。その点、ハナ孤独覚悟の一本独鈷いっぽんどっこよ。でもよ、輓近じゃあ迫害まがいの薄遇まで受けちまってんだよ。さすがのボクでも、こいつは一寸ばかし堪えるぜ。それに……君も居なくなっちまったしよ」

 Aは優し気な微笑を浮かべつつ頷いた。

 私は続けた。

「どうやらボクは底抜けの不運体質アンラッキー・ボーイみてえなんだ。向後もロクな目に合わねえだろうよ。どうで負けが確定してんなら、っとと勝負を降りちまうってのも手やもしれねえな。その点、君は上手くやったよ。ボクも……」

 私が其処まで口にすると、それまで優し気な微笑を浮かべつつ黙って頷いていたAが急に口を開いた。

「それでは、死にましょう」

「は?」Aの思わぬ言葉に私は頓狂な声を出した。

「それでは、死にましょう」Aは優し気な微笑を浮かべつつまたぞろ言った。

「否、確かにボクは暗えことを言ったけどよ」

「それでは、死にましょう」

「なんでそんなことを言うんだよ」Aの言いに対し私は動揺した。

「それでは、死にましょう」

「だからさ、その」

「それでは、死にましょう」

「おい馬鹿! 」私は癇癪を起した。「するってえと何かい、君はボクに死んで欲しいってのかい? 」

「それでは、死にましょう」

「おい」私は悍性かんせいを発揮した。「それじゃあ君、あまりにも因業いんごうってもんじゃねえか? 」

「それでは、死にましょう」

 私は席を立ちAに詰寄った。そして互いの額がつく程の距離まで顔を寄せAのことを睨んだ。

「おい、君はそれしか言えねえのか? このボキャブラリー貧困野郎! 」

「それでは、死にましょう」Aは優し気な微笑を浮かべつつ繰り返した。

「なにが ""それでは、死にましょう"" だ、この野郎! 」私は怒り膏肓こうこうとなった。「そんなにもボクに死んで欲しいってのかい、え? だったらよ、君も男だろ、 ""おれがお前を殺してやる"" くれえのことは言ってみたらどうなんだい! それをなんだ、""死にましょう"" だあ? しょうもねえ他力本願をすんじゃねえやい! 」

「それでは、死にましょう」

 怒りは怒髪天を衝いた。

またそれかい。そんなにボクのことが憎いってのかい? だったらこっちだって言わしてもらうがよ、そもそもよ、今ボクが冷遇の憂き目を見てるのも、全部君がくたばっちまったせいじゃねえか! こちとら今じゃあ疫病神呼ばわりされた挙句に、君の死んだ原因とまで言われてるんだぜ? こいつは平仄ひょうそくが合わねえじゃねえか。いったいいつ、ボクが君を殺したよ、え? 君は勝手に死んだんだろうが、違えかい?」

「それでは、死にましょう」

「あのよ、そんなにもボクに死んで欲しいならよ、""どうでしょう、死んで頂けないでしょうか"" くれえの低姿勢で口を利けよ! それが他人様へ物を頼む際の最低限の筋ってもんじゃねえのかい? そうやって慇懃にしてくれりゃあこっちだって、 ""理解わかりました。それでは一発死んでみましょう"" ってなるやもしれねえじゃねえか! 」

「それでは、死にましょう」

「冗談言うない! 急にノコノコ現れたと思ったら人のことを馬鹿にしやがって! 」

「それでは、死にましょう」

「はっはーん、理解ったぞ。君は自分が亡霊ゴーストになったもんだから、一寸ちょっと現れて脅してやりゃあボクがビクビク鞠躬如きっきゅうじょしちまうと踏んだんだろうよ。そうすりゃあ君の望み通りにボクがオメオメとおっぬと目論んだんだな? そうは往くかい! お生憎様! このボクがそんなこったでイモ引くもんかい! 舐めてくれるない! ボクはなあ、其処いらの甘チョロいとは、そもそもの出来できが違うんでい! 見くびるない! 」

「それでは、死にましょう」

「その同じ台詞の繰返しが恐怖の効果を狙ってのもんなら、君はとんだ才能欠如のゴミ野郎だぜ! 演出が陳腐なんだよ! 君はひょっとして、自身を才気溢れる恐怖マイスターかの如くに錯覚してやがるんじゃねえのかい? 自分は優れた何者かであるんだと勘違いをしてやがるんだろ? 何者でもねぇよ、君はよ! それに幾ら気取ってみた処で君はずっと何者にもなれねぇよ! 君みてえな馬鹿野郎なんぞはなあ、ボクがその真っ黒なドテッ腹を蹴破って風穴開けてやるよ! 安楽死塩梅でブっ殺してやるよ! 」ギャハハと笑って私は畳みかけた「あ、もう既に死んでやがんのか、君は! 精々あの世で己惚れてろい!」

「それでは、死にましょう」

 自分の言いを無視され続け、私は心底から不愉快になった。

「ひょっとすると君、幽霊スペクターになったもんだから強気に出てんのかい? まさか君に対してボクがまったくの無力だと高を括ってんじゃねえだろうな? 冗談言うない! 僕を殺してみろ、そうすりゃあボクも晴れて幽霊だ。そうとなりゃあ幽霊と幽霊で五分と五分、まったくの平等よ。そしたらボクは君のことを徹底的に痛めつけてやるからな? 存在したことを後悔するくれえに惨殺してやるからな? 理解るかい? 惨殺だよ、惨殺」

「それでは、死にましょう」

「それしか言えねえのか、間抜け! ボクは死んでやらねえぞ! ボクは生きてやる! 誰が君の思い通りに動くかってんだ、馬鹿め! そんなに死んで欲しけりゃあ、ウダウダ言ってねえで君の手で殺してみろい、腰抜け! 早くしねえと君がボクを殺す前にボクが君をぶっ殺すぞ! 」

「それでは、死にましょう」

 限界だった。

「もう堪忍袋の緒が切れちまったぜ! ブッ殺してやるよ! くたばりやがれ! 」

「それでは、死にましょう」

「死んでたまるか、糞ったれ! 」

 私は手近の椅子を引掴んで振り上げAの脳天目掛け思い切り振り下ろした。途端Aの姿は煙の如く消えてしまった。椅子は空を切り床へ叩きつけられた。物凄い音がした。その響きはびょうとして虚しかった。ハナ私の脳裡には死の想念があった。併しそもそもの癇癖が引き起こした怒りがそれを拭払しょくふつしてしまった。

 不図黒板の上に掛けられた時計が目についた。

 秒針がゆっくりと確実に進んだ。

 激しい憎悪が身の裡で出来しゅったいした。

 時計を破壊したい衝動に駆られた。

 < 止そう > 私は自分を抑えた。 < 壊した処でどうにもならねえ >

 それと同時に吹奏楽部の演奏と運動部の掛声がまたぞろ聞こえ始めた。過去が終わって今が来た。窓外に美しい夕陽が浮かんでいた。茜色の世界で私はまた孤独になった。教室は寂寞じゃくまくとしていた。それまで身の裡を満たしていた怒りが忽然と消え失せた。寂しくなった。私は叩きつけた椅子を元に戻した。帰り支度をした。

 公平に言ってAは好い奴だった。

 彼は私の友で私には彼が必要だった。

 帰途、軽き涕泣をした。孤独に戻った。


[14]

 時計が回り長い時が経った。私はいたずらに馬齢を経て畢竟、今や一縷いちるの希望も無い生き恥晒しの中年と成り果てた。近来とみに気力体力が衰えた。友も恋人も居ない。孤独だ。

 そもそもが堪え性の無い人間である私は已往いおう一度たりとも仕事が長続きしなかった。過日には上司から叱呵された際に激高――より正確に言えば逆ギレ――した挙句に暴力沙汰を起こし、危うくと警察の世話になりかけたこともあった。輓近は就職の当ても無くなり単発や短期のバイトで糊口している。バイト先では年下の社員に怒鳴られ年下の同僚たちには嘲弄され疎まれ邪慳にされている。

 平生の落莫を解消せんと風俗へ淫購いんこうに赴けば――私は黄白こうはくを介して優しさの造花を購める他に人の温もりを得る術が無い――そもそもが痴漢ドワーフめいた変態である私はその気色悪さが因となり嬢からNGを出されがちである。先日なぞ某店から出禁処分まで喰らった。

 自業自得の分をさておいても、そもそもが不運体質である私の生活へは大抵ロクなことが起こらない。ただそれでも時たま一寸だけ好いことが起こる。ついに生活が有卦に入ったかと浮かれる。併しそれも束の間である。結句些末な躓きをして元よりもひどい状況に陥る。毎日がこれの繰返しである。度々癇癪を起して誰ぞを責めようとする。だが責を問う相手が見当たらない。やはりすべては……否、十中八くらいは自業自得である。

 そして殊更に胸を張って言えた話でもないが、どうも私はらしいのである。私は度々人間関係を破綻させて場を逐われた。今に至るまで何処にも所属することができなかった。

 もう若くない。独りで修羅の巷を生き抜く自信は無い。行路病者として道塗に飢凍する他将来の展望が無い。

 未来へ自己投企する気力は無い。

 過去はあるが意味を持たない。

 今には弾かれる。

 ぶざますぎる。人生アウト。もう駄目だ。


[15]

 時計が回る。

 ヤキも回る。

 孤独。孤独。

 惆悵ちゅうちょう怏々おうおう

 希死念慮。

 殺してくれ。  

「それでは、死にましょう」

 Aの声と微笑が脳裡に蘇る。 

「それでは、死にましょう」

「それでは、死にましょう」

「それでは、死にましょう」

「それでは、死にましょう」

「それでは、死にましょう」

 死が魅力的に思える。誘惑に駆られる。

 疾うに人生を棒に振っている惨めな中年である。

 向後には一発逆転も救済もあり得ない。

 どうで生きていても苦しいだけである。

 というより私の様な屑は死んだ方が世のため他人のためである。

 斯様な陶酔看板の安い自己嫌悪も含めて死すべきである。

 死ねば終われる。

 死人の群れに加わる。

 孤独ではなくなる。

 ……。

 だが畢竟死にたい気持ちは消える。

 怒りが湧く。

 世界そのものへ向けて怒罵する。

 私が私であること……

 すべてがであること……

 そのすべての裏に悪意を感じて腹を立てる。

 平伏してたまるか。

 てめえの思い通りになってたまるか。

 実際は裏に悪意なぞ無いのやもしれぬ。

 虚無やもしれぬ。

 識ったことか。

 狂犬めいた怒りに駆られて這い回る。

 世界が私をコケにするなら私だって世界をブン殴ってやる。

 パノプティコンを壊してやる。監視塔を暴いてやる。看守が居れば殺してやる。

 併し斯様な怒りと殺意の響きに意味は無い。

 孤独だからだ。

 誰も私の號呼ごうこを聴かない。

 誰にも認められぬ響きは意味を持てない。

 時計は回る。私の時間は閉鎖循環する。

 孤独であり続ける。


[16] 

 今、過去に居る。

 今、ここに生きる。

 今、茲に書する。

 今、Aが自殺する。

 今、Aを見つける。

「それでは、死にましょう」

 今、夕焼けの教室に居る。

 今、吠えたける。

「死んでたまるか、糞ったれ! 」

 今、手近の椅子で殴る。

 今、Aが消える。

 今、孤独に戻る。

 今、私はくずおれる。

 今、地面にぶつかり粉々になる。



<了>

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