Ⅵ 名医の転職
「──今一度お尋ねしたい。アスキュール・ド・ペレス、我ら白金の羊角騎士団の船医になってはくれまいか?」
ハデーソ司教を連行してアテーノス大聖堂に引渡した後、アスキュールらとともに診療所へ戻ったハーソンは、老医師に改めて騎士団への入団を依頼した。
あ、ちなみに有力者への往診はハデーソを罠に嵌めるために吐いた方便であり、今日の午後は診察もお休みにしてあるため、久々にアスキュールの身は日が高い内から空いている。
「そうじゃのう……異端の罪は免れたとはいえ、仮にも司教と一悶着やらかしたとあっては、さすがに教会側から目をつけられとるじゃろうしな。またいつハデーソのような者が現れるとも限らん……このままアテーノスに留まっていては、関わりのある者達にも迷惑がかかる……」
ハーソンのその問いに、アスキュールは腕組みをすると天を仰いで深く考え込む。
「皇帝お墨付きの羊角騎士団ならば、そんな輩も手出しはしてこれぬか……護教のための騎士団のわりに、どうやらおまえさん達とは水が合いそうだしの。それに新天地へ行けば、そこに棲息する未知の毒蛇や薬草の研究もできるか……うむ、よかろう。その船医の任、謹んでお引き受けいたそう」
そして、いろいろと影響を考慮した結果、ハーソンの方へ向き直ると真っ直ぐに眼を見つめて大きく頷いた。
「おお! 引き受けていただけるか。それはありがたい」
「アスキュール先生が一緒となれば、新天地への長い船旅も安心してできまするな」
「これからは同じ騎士団の団員。先生の薬草の知識、わたくしにもご教授くださいませ」
色良い返事を聞き、ハーソン、アゥグスト、メデイアの三人は、パッと顔色を明るくして各々に喜びの言葉を口にする。
「ちょ、ちょっと待ってください! それじゃあ、この診療所はどうなるんですか!?」
「そうですよ! 怪我や病に苦しむアテーノスの人々は放っていかれるというのですか!?」
だが、その決断に激しく反対する者があった…… 愛弟子のマッカオとポッダレオである。
一緒にこの診療所を切り盛りする弟子としては、まあ、当然の反応といえよう。
「なに、教えられることはすべて教えた。もうおまえ達二人だけでも充分やってゆけるじゃろうて。そろそろ独り立ちしてもいい頃合いじゃ……マッカオ、ポッダレオ、二人とも免許皆伝といたす。後は任せたぞ?」
しかし、いつもの険しい表情を不意に緩めると、まるで好々爺のような微笑みを湛えてアスキュールは弟子達をそう諭す。
「せ、先生……」
「う、うぅ……お世話になりましたぁ……」
その言葉に涙の溢れ出す顔を腕で覆って、弟子二人は同時に床へと泣き崩れる。
「さあ、新たな門出を記念して今宵は酒宴といたそう。船での食事もわしに任せるとか言うておったの? では、その手始めとして、今夜はわし特製のアッティリア名物〝ムサカ〟でも馳走してやろう」
そんな弟子達の背中を押すようにして、師匠アスキュールはそう声をかけると、薄汚れたローブの長い裾を大仰に捲ってみせる。
「あ、では、わたしもお手伝いいたします! ハーブは何かお使いになりますか?」
「ならば、私は酒でも買ってまいりましょう。アテーノスの地酒といえば、やはりワインですかな?」
すると、メデイアとアゥグストがすぐさま手伝いを申し出て、正式な入団を前に、これからの団員生活を早や見るような景色である。
「うむ。これで新天地への長旅も快適に過ごせそうだな……」
その様子を眺めながら、ハーソンもその端正な顔を綻ばせると、誰に言うとでもなく満足げにそう呟いた。
この後、アスキュール・ド・ペレスは白金の羊角騎士団のフリゲート艦〝アルゴナウタイ号〟へ乗り込み、船医(軍医)兼料理番として大いに活躍することとなるのであるが……それはまた、別のお話。
(Doctoris Arcanum ~名医の妙薬~ 了)
Doctoris Arcanum ~名医の妙薬~ 平中なごん @HiranakaNagon
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