第18話 (最終話)暗く深い井戸の底から出てこれた男の本気。

永礼崇の就職活動は失敗した。


両親や八幡初音、八幡天音達に言わせれば大成功で、相田晶や王子美咲からは「本気の崇ってヤベェな」、「本当…敵わない」と言われていた。


八幡天音の為のひと言で、気合いも何も違う永礼崇は次々と内定をもぎ取って来る。


だが本人はイカれていて人事担当に「後三年はこの県に居たいんです。その後は結婚をして子供が生まれるまでなら転勤族もOKです。三年いれればどんな仕事でもします!」と談判をする。


もう頭の中は八幡天音を幸せにする事しか考えていない。


とりあえず八幡天音の大学在学中はこの土地に、その後は八幡天音の地元と自分の地元を離れられればなんでも構わないとして転勤族でも良いと言い出す。


だが会社からすれば無茶苦茶な話で、転勤族にするなら早いうちから転勤させて鍛えたいのに本人は拒絶をする。

そして永住させようとすれば、八幡天音の過去を知る者が居た土地だと八幡天音を幸せにできないと言って離れようとした。


「崇、アタシなら遠距離恋愛でも平気だ。3年くらいなら…」と八幡天音が言いかけたが、最後まで言わせる前に「ダメだ。あり得ない。3時間とかは我慢出来ても3年なんて気が狂う!3日でも嫌なんだ!」と言い出す。新人の研修とかをどう乗り切るのだろうかと八幡天音は聞いていて不安になる。


そして八幡天音は笑っていられない。

本気になった永礼崇は手に負えなかった。


6月にあったのだが、黙っていた八幡天音の誕生日を知った永礼崇は、寝食を捨てて短期バイトに打ち込んで、千葉の夢の国でホテルを借りて夢のひと時を提供しつつ、しっかり指輪まで買っていて、夜のイルミネーションが素敵なパーク内でスタッフに手伝ってもらって指輪を渡す演出までしていた。

しかもこっそりと八幡初音と連絡先を共有して、八幡初音の誕生日を聞き出すとクソ高い国産肉の盛り合わせを贈り、「すみません。貴金属は天音さんにバレると怒られてしまうのでお肉です」と連絡をする。


この徹底ぶりに少し怖くなりつつも、やはり共にいると癒されて甘えたくなる。


だが怖い。


「天音さんを満足させなければ」と言い出して、マカや亜鉛のサプリメントを飲んで更なる筋トレに励み始めた時には青くなったし、もっとヤバいのは、以前永礼崇をカモや羊扱いしていた狼の1人を、八幡天音の過去を知る者として呼び出して、圧倒…完勝…蹂躙すると「まだ本気じゃない。天音の事をひと言でも吹聴してみろ。残りの人生をベッドの上から降りれなくしてやるし、話なんて出来なくしてやる。目が無くなれば何も見えないからキーボード入力も出来ない。喉を潰せば何も話せない。わかるな?俺はやる」と言ってしまった。


それは噂になって八幡天音の耳に入った時に止めなければと思ったが、永礼崇から「大丈夫。俺は自分の為には暴力を振るわない。天音の為だから許して」と言われてしまって困った。


王子美咲に相談をしたら、「んー…、崇の好きにさせていいと思うよ。きっと本気の崇なら、ボロなんて出さないで天音さんを幸せにしてくれるよ」と斜め上の回答を返されて困ってしまう。母に言っても「あらぁ。愛されてるわね。幸せになりなさい」しか言わないし、永礼崇の両親も「女神の為なら当然だ」としか言わない。


コレに関してはもう一度キチンと話したら、永礼崇は「わかったよ天音」と言って暴力の噂は聞かなくなった。


そんな永礼崇は最終的にとんでもない手に出た。


「わかったよ!5年は下積みで頑張るね!そうしたら起業するよ!そうすれば天音さんを好きな土地で幸せに出来るからね!」


冗談の戯言。

現実を知れば変わる。

そう思う傍で、どこか永礼崇ならやりかねないと八幡天音は思っていた。



最終的に永礼崇は仕事を給料の良い所に決めた。

すべて八幡天音との幸せの為だと言っていた。



ある夜。

ベッドで眠りにつく前の何気ない会話。


「なあ崇」

「何?」


「今でも昔みたいに人を見下したりしてるのか?」

「あはは。もうしてない。天音に会えて目が覚めてからは思ったこともないよ。本当に俺が生まれ変われたのは天音のおかげだよ」


永礼崇は横にいる八幡天音に顔を向けて「ありがとう天音。いつも感謝してるよ」と言うと「それはアタシだよ。甘え癖がついちまった」と八幡天音は返す。


「じゃあお互い様だね。俺を暗く深い井戸の底から引っ張り出してくれてありがとう天音」

「アタシこそ大切にしてくれてありがとう崇」


永礼崇は人を見下してわかった気になっていた事、悪く言う事でマウントを取ろうとした事、心を保とうとした事、勝手に自分の尺度で決めつけてわかった気になって周りを見下す事で自信を失わないようにしていた事の全てを余裕がなくて、その癖暇だったからだと理解していた。

だからこそ全身全霊で愛させてくれて愛に応えてくれる八幡天音が愛おしくてたまらなかった。


「ごめん天音」と言った永礼崇は八幡天音を持ち上げると自分の胸の上に置いて抱きしめる。


「天音がくれた今までの全てを思い出して感謝してたら愛おしさが込み上げてきたんだ。抱きしめさせて」と言って苦しくないギリギリで八幡天音を抱きしめると八幡天音は我慢出来ずに永礼崇の両頬を持ってキスをして「切なくなる。このまま頼む」と言って夜はふけていった。


(完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

暗く深い井戸の底から世界を見下す。 さんまぐ @sanma_to_magro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ