犯罪心理学実験中

硝水

第1話

 傘ほど大事にされないものもないよね、と彼は言った。そうかな、と思っている。貴方は私のことを傘より大事にしているとは思えないから。

「天気予報で降水確率が六十%、で、家を出る時には降ってない。どうする?」

「長傘は置いていく。折り畳みがあるから」

「今日は買い物の予定はない。どうする?」

「エコバッグはいつもカバンに入ってる。会社でいつ大量の靴下をもらうとも知れないし」

「財布の話だよ」

「財布を持ち歩かない人がいる?」

「最近はいるかもよ」

「そーね」

「君はまず折り畳み傘のことを折り畳みと呼んだ。これは大抵の人がそうだろうと思うけど、折り畳むものなんて他にもたくさんあるよね?」

「たしかに」

「いつも持ち歩くのが折り畳み傘、つまり心理的に頼りにしているのは折り畳み傘の方なのに、みんな長傘のことだけを傘と呼ぶ」

「それは折り畳み傘の方が製品として新しいからであって、オリジナルが長傘であるというだけでしょ」

「一理あるね」

「他の理があるとしたらどんなよ」

 彼はしばらく考え込む様子を見せてから、手のひらを突き出した。『十三時待ち合わせ』と油性ペンで書いてある。中学生か。

「一年間に拾得物として届けられる傘はなんと約二十四万本に上るんだ」

「とんでもない数ね」

「しかも取りに来ない」

「仕事帰りに寄るには遠すぎるし、受付時間も短いもの」

「休みの日に行けばいいのに」

「わざわざ? そもそも、行こうと思った時に限って私の傘は届けられてない。盗まれたの」

「ご愁傷様」

 彼は安っぽいビニール傘の柄に貼りつけている『犯罪心理学実験中』とデカデカ印字されたテプラのシワを伸ばしながら、さも残念そうな表情をした。

「で、待ち合わせに二時間遅刻した言い訳は終わり?」

「そうだね、落とし物センターは遠いし、受付時間も短いから」

「あっ、そ」

 地下鉄の出口で押し問答しているうちに、雨の匂いが濃くなってきた。降らなければいいなと思っていたのに。

「わ、ぱらついてきた、入れて」

「折り畳み傘あるんじゃないの?」

「持ち歩いていても、使わなくて済むなら使いたくない。それが折り畳みでしょ」

「不憫だなぁ」

 テプラの文字が『犯罪心理学実験中』でよかったなと思う。貴方は傘を持ってくると思ったから、私は置いてきたんだし。

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犯罪心理学実験中 硝水 @yata3desu

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