後編

「光を屈折?」

「理屈はな。虫眼鏡を使って紙を燃やす実験、学校でやったことはないかい?」

「昔、理科の実験でやったよな」

 


達也が視線を送ると、三人は首を縦に振る。



「あれと同じさ。月の光を一点に集めてビンへと送る。でも月は太陽の光を反射しているに過ぎないからの。当然、光は弱い。ゆっくり、少しずつしか溜まっていかん」


「このビンを月の光で満たすには、どれくらいの時間が掛かるの?」



 綾音はチヨ子の顔を覗き込むように聞く。


 チヨ子は机に置かれたビンを見ながら考え、「経験からの推測じゃが……」と神妙な面持ちで答えた。



「数年は掛かるだろうねぇ」

「さすがに明日の十五夜には間に合わないか」



 達也がそう呟くと、チヨ子は目を丸くした。



「たっちゃん。ビンは一つしかない。それに、急いで使うものでもなかろう?」

「そ、そりゃそうか。慎重に考えないと」



「それがええ」とチヨ子は微笑んだ。






「チヨばぁの話、本当なのかなぁ」



 歩人は視線が定まらないままに、弱々しい言葉を吐き出す。



「どうだろう……。でも試してみないと、本当かどうかもわかんないよな」



 達也はチヨ子から譲り受けたビンを持ち上げ、自室の電球に透かして見る。


 様々な角度からも確認したが、何処から見ても普通のビンそのものだった。



 チヨ子曰く、「ビン自体に仕掛けがあるのかもしれないが、ビンについてはじぃちゃんは何も言わなかった。だからあたしは知らないし、それだけが答えでええんよ」だそうだ。



「そもそも月の光ってあんなやり方で集められんのかよ……」



 涼太が吐き捨てるように呟くと、綾音が言葉を重ねるように答えた。



「取り敢えず試してみるってのはどう? 疑うのはそれからでも遅くはないし」

「そうだな。どうせすぐには溜まらないみたいだし。早速今夜、試してみるか。このまま達也ん家でやるか?」



 先程までの表情とは打って変わって、涼太は新しい遊びを見つけたかのような顔をしている。


 達也はしばらく考えた後、口を開いた。



「いや、出来るって保証もないし、明日も学校だからな。今日のところは一旦俺がやってみるよ」


「上手くいくと良いね。あ、結果がどっちにしろ、報告は明日にしようね? じゃないとたぶん、寝ないで朝を迎えることになりそうだから」



 歩人の発言に涼太が「確かに、明日も会うわけだしな」と言って笑みを見せると、つられるように達也と綾音も笑顔になっていた。



 窓から見える秋の夕暮れは、少しずつ光を落としていった――。






「よし。試してみるか」



 三人が達也の家を後にした後、達也は地に足が付かないまま、偽りの日常を過ごした。


 夕食の際の会話も、学校の宿題も、何一つ身が入らず、頭の中には常にチヨ子の話がチラついていた。


 チヨ子と顔を合わせても、チヨ子は月の光について話すことはなかった。



 達也は自室で一人、大きな呼吸を繰り返す。


 この日の空は雲一つない満天の星空で、綺麗な月の光が、明かりを消した部屋の中へと差し込んでいる。


 自分を鼓舞するように小さく「よし」と呟くと、達也はビンと虫眼鏡を持って立ち上がり、窓辺へと向かった。



「太陽の光を集める要領で……」



 ブツブツと独り言を言いながら、虫眼鏡の角度を調整する。


 チヨ子の言っていた通り、月の光はとても弱く、中々思い通りにはいかなかった。


 手首をゆっくり動かしては、また別の場所で同じ作業を繰り返す。


 時折手首を振り、ストレッチを行いながら痛みを和らげていたが、気が付けば時計の針は開始から一時間が経過しており、達也の両手首、そして集中力は限界に達していた。




 ――そもそも出来るかどうかも怪しかったわけだしな……




 達也がそう思っていたその時、偶然にも月の光は虫眼鏡を通って一点に集められた。



「あ、来た!」



 達也は慌ててビンを光の指す方へと向けた。


 暫くそのままの状態を保ったが、達也の角度からでは変化が見られない。


 そうこうしているうちに、達也の腕、集中力は限界を迎え、再び月の光は部屋の中へと散らばっていった。



「これきっついぞ……。ばぁちゃん、よく一人でこんなことやってたな」



 そう言って達也はビンを月の光にかざした。



「おいおいおい……、まじかよ、これ」



 ビンの底には、薄っすらと黄色味を帯びた気体がタバコの煙のように、ゆらゆらと浮遊している。



「あの話――本当だったんだ」



 達也は思い出したように慌ててビンに蓋をすると、興奮冷めやらぬままに、何度も月の光を眺めた。


 ビンを持つ手が汗で滲んでいる。



 この日わかったことは、チヨ子の話が本当だったこと、そして、月の光は月の光以外にかざしても、実態を確認出来ないということだった。



 今すぐこの事実を伝えたかったが、逸る気持ちを抑え、達也は約束通り、連絡をすることを控えた。




 ――みんなには明日の朝に伝えよう。




 達也はそう思いながら、無理矢理に目を瞑り、眠りについた。




 翌日、達也はいつも通りの時間に目を覚ます。


 昨夜は興奮から中々眠りにつけず、寝付いたと思った時には朝を迎えていた。


 平常心を心掛けながら身支度を整えたが、逸る気持ちはいつもより早い時間に玄関に達也を玄関へと向かわせる。


 そして靴に足を通す前、ようやく満を持してスマートフォンを開いた。





「昨日、凄いことが起こった。今日は早めに学校集合な!」





 そう三人にメッセージを送り、チヨ子から貰ったビンを鞄にしまうと、達也は勢いよく学校へと走り出した。







「えー、明日は十五夜となります。十五夜は別名――」


 どこかで聞いたことのある話が再生される。


 今度こそは恥をかかないように、「中秋の名月」と心の中で繰り返す。



「月の光、かなり溜まったな」



 ビンを片手に、涼太は小さな声で呟いた。



「おい、涼太。先生に見つかるからビンはしまって」



 歩人の言葉に合わせるように、綾音も鞄に入れるよう手でジェスチャーを送っている。


「見た目は普通のビンだから平気だろ」と言いながらも、涼太はビンを鞄の奥へとしまった。


 そして、担任が見ていないことを確認すると、再び口を開く。



「十五夜までには、何とか溜まりそうだな」

「どうかしら……。今晩は雲が掛かるかもって今朝ニュースで……」

「でも明日を逃したら、次のチャンスはまた――」



「大丈夫だって。俺が意地でも、今日中に溜めてやるから」



 余りにも小声だったのではっきりとは聞き取れなかったが、月の光は順調に集まっていた。



 ――これなら次の十五夜で……。



 四人がそう思えるところまで。



 達也が月の光を初めて集めた日の翌日、月の光は持ち回りで集めることに決めた。


 その後は一人一人が少しずつ、かつ着実に光を集めていったのだった。


 十五夜の前日――今日は涼太の番だ。



「もしきつくなったら、いつでも連絡して。明日は休みだし、今日はずっと起きて待ってるから」

「涼太……、私も起きてる」

「大丈夫だって。四人の想い、俺がちゃんと形にするから」



 涼太が涼しい顔で「お前らはちゃんと寝ろよ」と言ったところでチャイムが鳴り、そのまま涼太は一足先に帰宅した。




 いよいよ明日、四人は満月が予想される十五夜を迎える――。





 当日の夜、四人は達也の家に集まっていた。


 空には綺麗な満月が、その存在を一層に主張している。



「涼太。月の光は――」



 綾音の声は不安で震えている。


 涼太は綾音と視線を合わせると、鞄の中に入れていたビンを取り出した。



「大丈夫って言ったろ。ほら」



 涼太がビンを持ち上げると、ビンは月の光に照らされる。


 しっかりと蓋のされたビンの中は、隙間なく黄色に染まっていた。



「やったんだね、涼太!」

「あとは月に向かってこの蓋を開けて、月に光を返すだけ……ね」



 示し合わせたように、全員が同時に頷く。



「この蓋は……、みんなで一緒に開けねーか?」



 涼太の言葉に促されると、互いの視線を気にしながら、全員がビンの蓋へと手を伸ばす。



「行くぞ」



 蓋を捻ると、今まで狭い中を漂っていた煙に似た気体が、ビンの口を覆うようにゆっくりと溢れ出した。



 その気体は次第に、一つの形を成していく――。



 そして、三人の前に、姿





「あぁ、やっぱり俺――死んだんだな?」



 達也は開口一番に問いかける。


 しかし、三人からの返事はなかった。


 ただ、その表情が答えを物語っているようだった。


 驚いた顔をしながらも口を閉ざしたままの三人を見て、達也は言葉を重ねた。



「どうもあの日から記憶が可笑しいんだ……、涼太、あの日なんだよな?」



 涼太は涙を浮かべて口を開く。



「あぁ……、そうだ。お前が『凄いことが起こった』って連絡をくれた日。お前は、車に轢かれたんだ」


「そうか……。あの日はちょっと、浮かれていたからなぁ」



 達也は当時を思い返すように言った。



「その遺留品の中から、チヨばぁに貰ったビンが入ってたの。それで、そのビンをチヨばぁが私たちにって」


「最初は信じられなかった。でも、学校に行くと、いつも達也が僕らの近くにいる気がして――それで、月の光を集めて



 三人は震えながらも、はっきりとした口調をしていた。




 ――覚悟を決めて、月の光を集めたんだな。




 達也はそう思っていた。



「ごめんな。あれからもう、



 涼太の言葉に、達也は優しく首を振る。



「たぶん、最後にみんなに伝えたかったんだと思う。月の光はきっと――」



 達也はそう言って、心からの笑みを、感謝とともに三人へと送った。



「これでやっといけるよ。みんな、元気でな――」




「達也……、またな!」

「たっくん……、バイバイ!」

「いつか――……また会おうね!」



 涙はこぼさないと決めていた。


 三人の涙があふれないうちに、月の光は静かに姿を変え、空へと帰っていったのだった――。






 達也がこの世を去った後、チヨ子は葬儀場で、涙を殺して三人に言った。




「月の光は想いを届けてくれる……。成仏できず、彷徨う魂の想いをね。そして、その光を返す時、一緒に運んでくれるんさ。彼らが辿り着くべき、正しいところへと――」





 十五夜の空に輝くその月は一層の光を纏い、想いとともに、走り去る――。

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月が空へと帰る時 春光 皓 @harunoshin09

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