『死にたがりは死ねない』

小田舵木

『死にたがりは死ねない』

 明日死ぬとして。

 私はどんな言葉を遺すのであろうか?

 今日はそんな事を考えてみたい。

 と、言うのも、昨日様子を見に来た両親と喧嘩したからである。

 売り言葉に買い言葉。気が付けば、

「あーはいはい。死ねば良い訳ね」と言っていた。

 

                   ◆

 

 私は生きる意欲がほとんどない。残念ながら。

 今のこの精神状態を引きずって生きていくヴィジョンがまるで見えてこないのだ。

 気がつけば死ぬことばかり考えている。

 部屋にはロープがあり。睡眠薬が溜め込んである。

 一番安楽な方法は適当な場所で首を吊る事である。

 これならば。私が躊躇ちゅうちょしない限り、死ぬことは確実である。

 問題は実行箇所であろうか。中途半端な都市部に住む私の近所には適当な高低差がある場所がない。

 かと言って。自室で決行すると、後が面倒くさい。

 

 睡眠薬のオーバードーズも考えてみるが。

 今の手持ちの睡眠薬では致死量に至らない。

 これが太宰、芥川の時代なら。バルビツール酸系の薬が全盛期だから確実に死ねるというのに。ベンゾ、非ベンゾが主流の今では睡眠薬で自殺するのはかなり難しい。【自主規制】なら死ねるという噂があるが、アレは滅多な事では処方されはしない。

 

 …手持ちのモノで自殺するのにも色々と問題がある。

 私の興味は色々な自殺法へと向かっていく。

 飛び降り、飛び込み、入水、感電、失血、凍死…

 どれもこれも痛そう、かつ苦しそうだ。

 そうだ。死ぬのは面倒くさい…

 

 私の興味は自殺かられていく。

 いつもの事である。私は何かあると自殺を考えてしまうが。

 いざ。具体的な方法を考えるとなると。死ぬのが面倒臭くなってくる。

 生きるのも面倒くさいが、それに増して面倒くさいのが死ぬ事なのだ。

 生きている人間の生命活動を止める。それは人が考えるより手間がかかるものなのだ。

 

 私は面倒臭くなって。一足飛びに自分が死んだ妄想をしてみる。

 私が死ねば。喜ぶ人間は一定数いる。

 まずは両親が浮かぶ。面倒くさい不良債権の私がこの世から消える。

 喜ばしい事ではないか。残るは姉。私よりまともな人間だけが子孫として遺る。

 

 私は正直、何故自分のような人間が生きているのか分からない。

 人に迷惑をかけてばかりの人間なのだ。

 この世に産まれてからロクな事をした試しがない。

 私のような人間が産まれた事を祝福した両親には悪い事をしたと思っている。

 

 私が死ねば。一時的には家族は悲しむだろう。

 だが。それは一時の事である。親族が自死をしたことはショッキングではある。

 やるせない気持ちになるだろう。

 だが。冷静になって考えてみれば。私のような不良債権、不良遺伝子が取り除かれる事で、私の家族という集団は得をする。淘汰されるべき人間が取り除かれるのだ。

 喜べ。お前たちは。より生存に適した集団になる訳だ。

 

 友人達はどうか?

 死んだ直後こそショッキングであろうが。

 時が経てば。私の存在は抹消されていくだろう。

 もう彼らとは距離が開いてしまっている。

 後は時があれば。私が存在したことなんて忘れられる。

 大丈夫だ。私の存在なんてその程度のモノである。

 

                   ◆


 ―なんて。

 可哀想かわいそぶるのも大概にしたい。

 見てて気分のいいモノではない。

 だが。私はこの希死念慮じみたモノを文章にして。形にする事で封印してしまいたいのである。

 

 だから。具体的に妄想してみたが。

 いやあ。自分の都合の良いように妄想し過ぎた。

 死というファクターがどのような影響を与えるか?

 それは未知数なのである。私は身近な人間が2人程自殺している。

 一人はかなり近い関係であり、一人は関係が微かにあった程度。

 それでも彼らの死は十分な影響を私に与えている。

 私は彼らの親族ではないし。ましてや友人でもなかった。

 だが。彼らの死は。確実に私に影響を与えている。

 何かと死にたくなるのもその影響だが、同時に死を軽く見られなくなったのも影響だ。

 

 …自殺なんて。ロクでもない。

 そんな事は言われんでも分っているのである。

 それでも頭に上ってしまうから。私は病気なのである。

 私は自分自身を消去するのが一番安楽な方法だと思い込んでいるフシがある。

 世界から消え去ってしまいたい。そういう欲求がある。

 そして。このどうしようもない思考の檻から脱したい。

 私は私で居ることに疲れてしまっている。

 

                   ◆

 

 明日死ぬとして。私はどんな言葉を遺すのか?

 これがエッセイの冒頭で上げた疑問であった。

 自殺を考えたせいで横道に逸れた感がある。

 

 私は全ての問題をクリアし。自殺する時に。

 この世にどんな言葉を遺していくだろうか。

 恐らくは。自分への怨嗟である。

 私は自分が大嫌いなのである。

 このような可哀想ぶる醜い自分が大嫌いなのである。

 そして。その自分を。面倒くさい自分を消すことが叶うのなら。

 私は喜びの声をあげるだろう。

「やっと。楽になれる―」

 これが私が最後に遺す言葉であろう。

 

 だが。その言葉は。真であろうか?

 私は死ぬことによって。楽になれるのであろうか?

 どうだろうか?

 独我論的に考えるのであれば。自らの死は。世界の終わりと同義である。

 私は認識すべき世界を失う。そして自分という存在から開放される。

 それで本当に楽になれるのか?

 いいや。それは誤謬ごびゅうではなかろうか?


 認識する世界を放棄し、存在を無に帰す。それで楽になる。


 私の論法はこうだ。だが。その論法の最後の『それで楽になる』は導出出来ないのではないか?

 世界を失えば。存在を無に帰せば。それで楽になれる?

 …楽になっている主体は誰なのか?

 私はそれを問いたい。

 私は無邪気に信じているらしい。死しても尚。認識する主体が存在すると。

 そんな訳が無いだろう。死してしまえば無だ。

 そんな曖昧な思い一つで自殺を考えているのなら。大概考え方が甘い。

 頭が悪いから。こんな考え方をするのだ。

 

                   ◆


 私は存在を無に帰したいという欲求を持ちながら。

 この思考する私を放棄する事が惜しい矛盾した存在なのだ。

 これだから生き苦しい。

 

 では。私はどうすれば良いのか?

 

 …簡単な事ではないか。生きて自分の事を肯定出来るようになれば良い。

 

 ところがどっこい。脳のニューロンの間隙かんげき、シナプスに異常を抱えた私は。

 自分を肯定することが出来ない。

 はたからは言い訳じみて聞こえるだろう。

 こうやって強弁している私にすら言い訳じみたモノに聞こえる。

 だが。私は生きても生きても虚しさが襲う男なのである。

 頑張ってみようが。いつもどこかで虚しさに襲われる。

 

 かと言って。お気楽に生きれるほど、頭が良くない。

 世間はお気楽な世界観を持つ者をバカにするが。

 私はお気楽に生きれる人を尊敬している。

 彼らこそ。世界をよく見ている者なのだ。世界にはべて価値などありはしない。だが。そんな現実を見て生きていてもしょうがない…そんな事に気づいている賢者達なのだ。

 

 私は。このどうしようもない自我という檻から出たい。

 だが。同時に自己を離すことには躊躇があり。

 そして。自己を変革する術さえ持たない。

 襲うのは絶望感。

 傍から見れば馬鹿らしくあるだろう。

 私だって馬鹿らしい。

 いい加減死んでみたくなるが。上記のような理由で死ぬのは叶わない…

 

                  ◆


 私は甘ったれた人間なのである。

 ここまで読んでしまった読者諸賢には理解してもらえると思うが。

 生きる事にも消極的、死ぬことにも消極的。

 いちばん性質たちが悪い人間だ。

 さあ。どうしてくれようか。

 私には術がない。

 だから。唯一の取り柄である文章に仕立て上げてみたが。

 書いてみたからって問題が解決するはずもなく。

 ただ。醜い自分の姿が浮き彫りになっただけである。

 

 これを認識して生きていくのはどうにも苦しい。

 書かなければ良かった…そんな想いが溢れてくるが。

 私に出来る生きる方向でのあがきは文章だけであり。

 

 …とりもあえず。

 私は死ぬことは怖い。自分の存在を失うのは怖い。

 そして生きるには障害が多いが。

 どうせ。死にはしないので。しぶとく生き残っていくしか無い。

 よりましな存在になれる可能性を信じて。

 

 だが。

 恐らくは希望などありはしない。

 私は自己を変革する術は持たないのだ。

 絶望しながら日々を生き残っていく他ないのだ。

 どうあがいても絶望。

 そんな日々を生きる私は。

 いつかまた自分に疲れ果てるだろう。

 だが。疲れ果てたところで。自分の存在を前提に世界を見る私は。自己を消去する事も叶わない。

 ただ。生きる他ないのだ。

 いつか死ねる事を夢見て。

 その時に。私はどんな言葉を遺して死んでいくのだろう?


 どうせ。

「死にたくねえ」って言葉だろうな。


 そんな事に思い当たり。私は更に絶望する。

 人一倍、生き汚いではないか。

 軽蔑されるべき人間なのである。

 死にたがりのくせに、死ねない、生きる価値のない人間。それが私だ。

 私は今日も生きている。貴方達の世界の片隅で。

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『死にたがりは死ねない』 小田舵木 @odakajiki

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