第8話 愛は世界をバグらせる

 森の湖畔からテレポート魔法で王都の屋敷まで帰ったジュリアス・コールドウェルは、気分的には本当はもう少しケイトリンと居ても良かった。自分だけ先に帰らずに帰りの道中も彼らと過ごす事もできたのだ。


 しかし、彼は念のため別行動を決めた。


 少し前に没落貴族から買い取った屋敷の玄関は経由せず、直接書斎へとテレポートしていた彼は上着を脱ぎ簡単なシャツ一枚になる。襟元を寛げて疲れたようにトスンと長椅子に腰を下ろすと、ベルを鳴らして執事の男性に温かい飲み物を持ってくるように命じた。

 執事は主人がいつの間にか戻っていたのを驚くでもなく粛々として短時間のうちに全ての用意を整えた。見た目には主人たるジュリアスとそう年齢も変わらないだろう若そうな執事だが、彼はよく訓練されていて恐ろしく手際がいい。

 ジュリアスは飲み物に一口口を付けてから満足して青年執事を下がらせた。レモンとミントの香りのするハーブティーだ。

 温かい飲み物とだけしか言及していないにもかかわらず、あの執事はいつもジュリアスの欲するものを的確に選んで給仕する。中々に得難い人材だ。


 現にゲームヒロインのシャーロット・エバートンを田舎から早々と王都に呼ぶよう最善の根回しを丸投げすれば、彼は学費援助という仕組みを使って誰の目からも不自然ではなく巧みにそうさせた。

 ただその件では予期せず他のパトロンが現れて全額返還されてしまったのだが、調べてみるとパトロンはどうやらケイトリンだとわかった。


 願いを叶えるための障害、邪魔者になるだろう相手を観察してみようと思ったのもその時だ。


 故に森の湖畔へと出掛けた彼らの動向を監視していたのだが、シャーロットがピンチになったので助けに出ざるを得なかったという次第だった。


「ふぅ……ハードな半日だったなあ。心も躍った半日だったがなあ」


 胃の腑が温まってようやくジュリアスは体が解れ人心地つけたのを自覚する。我知らず緊張していたのだと悟り苦笑いがこぼれた。窓の外はまだ明るいが、ケイトリン達が王都に戻る頃にはやや夜へと傾いているだろう。


「ケイトリン・シェフィールド。ケイト……」


 彼は何となくほとんど声にならない声で名を呼んでみる。脇役中の脇役たる死亡エンド予定の娘の名を。爽やかな口内には何も含んでいないのに一音一音から舌の上に甘やかさが拡がる気がした。


 ――ジュリアス。


 去り際に彼女からそう呼ばれ、彼は初めて役もなかった自分の自分だけしか認知しえなかったさもない名前が、とても格別な物に感じてしまったのを覚えている。


 世界にずっとあったのになかったも同然だった名がきちんと掬い上げられ、あたかも命を与えられたようなそんな不思議な感覚を味わったのだ。


 その直前にも、彼はらしくなくメインキャラ達の過ぎた感情が世界の崩壊を引き起こすのを懸念した。


 だから自分の存在と言動が彼らの感情をあれ以上煽って揺らがさないように距離を置いた。余計なやり取りが生じないようにあの場を辞したのだ。


「今日の出掛ける前だったなら、こんな風には思わなかっただろうになあ。ははっどうしてかな、世界の崩壊を願っていたのに、少しそれが惜しくなっただなんて」


 いや、どうしてと疑問の形を取るのは愚かだ。


「それもこれも、全部ハニーのせいだよなあ」


 根本的に自分とは正反対の目的を持つ少女ケイトリン・シェフィールド。

 彼女と今日深く関わらなかったなら、こんなややこしい展開にもならず心を惑わされもせずにいられた。

 しかし……。


「それは嫌だな」


 会わないまま本懐を遂げてしまったならと想像するだけでじわりと胸の奥に後悔のようなものが湧く。

 ケイトリンを揶揄って戯れる時間が得られるのなら、その限りで世界を生かしておくのも悪くないと。


「頬に負っていた火傷は、聖女に治してもらえた頃か?」


 彼はケイトリンの顔に小さな火傷を見つけていたが、森の方からの足音を聞き付けて治癒アイテムを取り出すのを断念していた。彼の懸念事項によりなるべく早くあの場を離れなければならなかったからだ。本当なら本人も気付いていなさそうだった火傷を治してやってから去りたかったというのが本音だった。


「ドラゴンの牙は防げるのに火傷は負うとはなあ。しかも気付いてないとか、危なっかしい娘だな全く……」


 おちおち放ってもおけない気持ちにさせられる。


「まあ放っておく気はないが」


 次に会う時は一体どんな形で会えるのか、と彼は爽やかなハーブティーの湯気から香りを楽しみながら、興味は尽きないなと薄ら笑んだ。






「ケイト様~! 素晴らしいまでの戦いぶりでした!」


 赤毛男ジュリアス・コールドウェルがテレポート魔法で消えてすぐ、森から真っ先に姿を現したのはシャーロットだった。

 無事だろうとはわかってたけど、こうして姿を見るまでは一抹の不安はあったから本当に良かった。


「私達のためにあんな恐ろしい魔物と戦って下さり、ありがとうございますっ。ご無事で何よりですっ」


 彼女は駆け寄ってくるなり私にひしっと抱きついた。

 いやーまあぶっちゃけ私はここに戦うために誘ったんだけどな。ただまさかドラゴンが出てくるとは思わなかっただけで。こんな感極まって感謝されると、うん……結構心苦しい。


 アレックスとベンジャミンの二人は互いに肩を押して相手の動きを牽制し合いながら走ってきたけど、揃って彼女に先を越されてしまったという顔をしていた。


 シャーロットは両腕を回して抱きついたまま私の顔を見上げるやハッとして表情を強張らせた。


 え、何? 私の顔が怖いとか?


「ケイト様、お顔に火傷をっ!」

「うん? あーららホントだここ痛い。でもちょっとだしこのくらいならすぐに治るって。そもそも痛いってか少しヒリヒリするだけだから心配すんな」


 すると彼女はふるふると横に首を振る。


「私、本当にケイト様に助けてもらってばかりですね。なので私にもあなたの力にならせて下さい!」

「へ? 力に?」


 彼女は体を離すや私の手を両手で握り締め、祈るように両目を瞑る。


「私の全力でケイト様の怪我を治します……!」


 刹那、白い光が生まれて私とシャーロットを包み込む。


 こっこれはっ、聖なる治癒の光じゃないかーっ!!


 なら彼女の聖女能力は覚醒したのか。え、でもいつの間に?


「あのー、痛みはどうですか?」

「あ、うんもう全然痛くないよ。むしろ前よりお肌スベスベだ。サンキューなロッティ」


 当代聖女の治癒魔法には実は美肌効果まであるんですーって温泉みたいな効能があるのが知られたら、貴族の奥様達は放っておかないだろうな。こりゃ真実彼女が聖女になった日には相乗効果で本来のゲーム展開以上に聖女人気が出そうだな。

 あと、彼女の有力な味方が増えればジョアンナからの嫌がらせも軽減されるかもしれない。是非そうなってほしい。

 ちゃんと治癒できたのかと少し不安そうにしていたシャーロットは私の笑みに釣られたように相好を崩す。


「それなら良かったです。この先もケイト様のどんな怪我でも私が治せたならこれ以上の僥倖はありません。勿論怪我なんてしないのが一番なのですけど」

「ところで、ロッティはいつ覚醒したんだ?」

「ケイト様が溺れた時にです。その時はあの方に先を越されてしまいましたけど……。そう言えばあの方はどこに?」

「ああジュリアス? ドラゴン討伐も済んだし帰ったよ」

「ジュリアスさん、と仰るのですか。……恋人、なのですよね?」

「えっ、ええああっ、そうっ、恋人なんだ!」

「そうですか……」


 シャーロットは目を半分伏せてしょげたウサギみたいになる。ええと落ち込むとこあった? 聖女力どうよって自慢気に胸を張っもいいとこだろうに。


「はっまさかロッティ、あの男に惚れてたのか!? だから元気がなくなったとか?」

「酷いですケイト様っ、そんなわけありません~っ! いくら顔が良くても道を訊かれただけの知らない人を好きになりませんよーっ!」

「えっ、あ、そか、ごめんごめん、ほらほら怒って頬を膨らまさないロッティちゃーん? ……ってじゃあさ、こんな素晴らしい奇跡を業を持ったのにどうして落ち込むんだよ? 私は我が事みたいにめっちゃ嬉しいよ。自信持て、ロッティは凄いんだ。改めて聖なる力の覚醒おめでとうな!」

「ケイト様……っ」


 うるうると涙ぐんだシャーロットは私の胸に顔を埋めて肩を震わせる。私は彼女の頭や背中を慈母のように優しく優しく撫ででやる。よしよし、今ここでは思い切りお泣きなさい。あなたにはこれから大変な日々が待っているのですからね……って、わーいわーい、わっしょーい、これで聖女誕生は確実じゃーん!


 教会に迎え入れられてゲーム通り聖女候補から始まるだろうけど、そうするとアレックスやベンジャミン、その他のキャラ達と魔物討伐の冒険フラグが沢山立つわけで、何度も力を合わせて危機を脱していくうちに、なし崩し的に彼らの絆は深まるって展開になるだろう。そうすりゃ私はもうお役御免だな。


 で、現在その件のメインキャラ二人は戸惑ったように近くに佇んでいる。


「何だろう疎外感が……」

「ああ、何か俺達が入っていけない雰囲気だな」


 え、何で? 入ってくればいいだろ。

 一方、私に焦点を当てていて彼らの会話なんて聞こえていないんだろうシャーロットは決意の目をした顔を上げた。


「私、これからはケイト様のために生きていきます!」

「ええ? あはは大袈裟なー。でも嬉しい言葉ありがとな」

「嬉しい、と思って下さるのですか?」

「そりゃあ」

「そ、ですか……ふふっ」


 シャーロットはとびきりのプレゼントをもらった子供みたいに頬を赤くしている。大喜び、いや大興奮?

 まあ何にしろ、ヒロインと仲良くなって悪いなんて事はないだろ。

 聖女なし世界破滅エンドは避けられたから、後は本格的に彼女の恋愛面と、私自身の殺されエンド回避に注力しよう。後者は楽勝だろうけどな。

 私はとりあえずくっ付いていたシャーロットを離すと、男二人へと目を向ける。


「そっちの二人も大きな怪我がなさそうでよかったよ。ロッティを護ってくれてホントありがとな。あと、こんな散々なピクニックになって悪かったな」


 散乱したバスケットの中身やシートとか諸々は火球で全部燃えちゃったから片付ける物もない。綺麗だった湖畔もかなりボコボコで至る所が黒焦げだ。周辺の木も焼けたけど風速と湿度の関係か延焼がなさそうなのは幸いだ。


「どうしてケイトが謝るんだよ。ドラゴン出現なんて誰も予想できなかった事だろうに」


 アレックスが私を窘めるようにする。

 これも彼の公正さや思いやりだ。


「あー、だよな。かえって卑屈に聞こえたなら何かごめん」

「そっそういう意味で言ったわけじゃない! 誤解しないでくれケイト。僕の言葉で君を傷付けたなら謝る。ただ、負い目に感じてほしくなかっただけだ」

「はは、わかってるって。ありがとな」

「そ、そうか。なら良かったが」

「――ケイト、あなたに訊きたい事がある」


 胸を撫で下ろすアレックスとは裏腹にここでベンジャミンがやり手の検察官のような目を向けてきた。


「ん、訊きたい事? 何だ?」

「これだけは正直に答えてくれ。あの赤毛の男とは真実本当に恋人なのか?」


 ぎくーっ。


「い、いきなりだな」


 アレックスとシャーロットも物凄く気になっていた真相なのか、一度大きく目を見開いてから急に鋭くも真剣な眼差しに豹変する。思わず視線の集中砲火に怯みそうになった。だがしかーし、怪しまれないためにも意地で平気な態度を装うしかないんだぞ私、心を強く持てっ。


「ああ、恋人だ!」


 前に思い切り偽のって付くけどな。

 三人はぐっと歯を食い縛って息を呑む。


「だ、だがいつ交際を始めた? つい最近まであなたはロイ殿ラブと公言していただろう。それが、もう心変わりしたと? まさかの電撃交際なのか? 確かにあの男も惚れるには申し分のない端正な顔立ちで、肉体も逞しい方だったが、俺もそこは負けていない。だのにっ、どうしてあの男なんだケイト……!」


 それは切実なまでの恋する男の叫びだった。


「ベ、ベンジャミン、落ち着けよ、な?」


 じゃないとまた警告になるかもしれないからヒヤヒヤだ。


「落ち着け? 無理だ。正直俺は嫉妬でどうにかなりそうだ。押しの強そうな男だったな。強引さに弱いなら俺にも希望はあるのでは?」

「だっから落ち着けよ。私はもう彼氏持ちなんだよ。二股する気だって微塵もねえから! 言いたい事わかるだろ?」

「俺は一縷の望みすら抱いてはいけないと? ならば密かに想うくらいは俺の自由だ」

「ベンジャミン……!」


 頑固な奴だなってついつい苛立っちゃったけど、そんな自分にチクリとする。あー、上手くできなくてもどかしい。

 内心自己嫌悪に陥っていると、アレックスがベンジャミンの肩を軽く叩いて落ち着きを促してくれた。そんなアレックスは真面目だけど冷静な顔をして私に言葉を向けてくる。


「ケイト、君が必死に探している赤毛の男はもしかしてさっきの奴か?」

「ああ、うん。何とか見つけたし、協力ありがとな」

「……なら、あいつは君のような素敵な女性を放って行方をくらましていたと言うわけか」

「ア、アレックス……?」


 彼はベンジャミンと同じような、いや怒りのためかそれ以上に据わった目付きになっている。


「ケイトをあんなろくでなしに任せるわけにはいかない。僕の方がマシだって、いいや、断然イイ男だって君に思わせてみせる!」

「え……」

「僕は僕の名に懸けて、君を落としてみせるっ! 覚悟はいいなケイト?」


 アレックスの名にって、彼の本当の名にって意味か?

 つまり王子としての。

 だあーっ、んなもん王国の大スキャンダルになるって!


「待て待て待てアレックス! 早まるなっ、アレックスにはそりゃもう運命の赤い糸でガチガチに結ばれた素晴らしい相手がいるん……いやいるに違いないって、私の中の未来予知の守護霊の同僚が言ってるんだ!」

「未来予知の守護霊の同僚……?」


 一瞬そこだけは正気に戻ったのか頭大丈夫かって顔をされたな。うん、自分でも思った。

 アレックスは少し悲しそうにする。


「ケイトはそんな変なものを出してまで僕の気持ちを拒絶したいのか」


 ひーっ、ガラスのハートでキャラ崩壊して廃人になって世界崩壊を招く流れかこれ!?


「そっそこまで無下にしたいわけじゃなくて、気持ちはありがたいんだ。でももう付き合ってる奴がいるからさっ」

「しかし、その男がこの先もずっと君の恋人とは限らないよな。僕が君の次の恋人になって、そうなれば最後の恋人にもなる。そんな未来しか僕の守護霊の同僚は定めてない!」


 いやさ、守護霊の同僚から離れようや。


「僕はケイトに恋人ができたのを知って、余計に燃えるよ」

「俺もいつかは努力が報われる。強き想いが望む未来を引き寄せると信じている」


 メラメラとジェラシーと闘志を燃やすアレックスとベンジャミンが、こっちを誘惑する気満々に熱っぽく見つめて詰め寄ってくる。

 私は無駄とはわかっていても両手を前に突き出して二人の進行を阻んだ。


「だーっ! いやいやいやだから私は駄目なんだって! アレックスでもベンジャミンでもだ。――二人が私と恋愛すると世界が壊れるかもしれないんだよ!」


 あーっ、うっかり秘密を暴露しちまったあああ。で、でもこんな話誰も本気にはしないか。


「世界が壊れる?」


 アレックスが笑いたくて仕方ないような顔をする。だけど笑わなかった。

 真顔できっぱり言い放つ。


「そんな世界なら、壊すのもいいな」

「はあ!?」


 私と違って崩壊が実際に引き起こされるのを本気にしてないからこそ言えるんだろうけど、主役ヒーローが何言っちゃってんだこらーっ。

 しかも彼は私の腕を掴んで彼の方へと引き寄せようとする。案外押し強~って半ば呆れたよ。無理強いは駄目だぞって後でバット一発だなこりゃ。

 でも、足を踏ん張ろうとしたのに、私はアレックスの目に切なそうな光が確かにあるのに気付いてしまった。弱ったような泣きたそうな懇願さえも孕んだものだ。

 これは彼のなけなしの虚勢なのかもしれないと思ったら足に力が入らなかった。同情? 共感? そうかもしれない。


「はッ、貴様は馬鹿か? 世界が壊れたら俺とケイトがラブラブな時間を過ごせないだろうが。俺はたとえ世界が壊れようとしても、壊させない」


 アレックスにぶつかるかと思った矢先、こちらもいつになく強気なベンジャミンから反対側の腕を引っ張られてそっちに傾く。いやラブラブってさ……。


「は、それもそうだな。僕だってケイトと終わるつもりはない。世界は僕とケイトのものだからな」


 今度はアレックスがわけわかんねえ事言い出したし!

 またアレックスから引っ張られたけど、両方からの力で奇跡的に均衡が保たれたようで真っ直ぐ立てた。


「ケイト、世界は壊させない。僕がずっと傍にいる」

「俺だって壊させない。ケイトごと護るぞ」


 私が世界が壊れるとか言ったから敢えてそこに合わせての言葉のチョイスであって、彼らはきっとこの世界の秘密を察したわけじゃない。

 それなのにこんな風に気持ちをぶつけられて、どうしろってんだ。こんな熱烈漢達をどう御せばいいのか全くわからない。


 ――ピキピキと世界に微かな亀裂が入る音を私は聞いた気がした。


 あああ世界崩壊を私は止められないのか?


「ケイト、僕を選べ」

「俺をだ、ケイト」


 両方の吐息が頬に掛かって、


「「――愛してる」」


 と、気付けば二人から同時に頬に口付けられていた。

 それぞれの決意を込めた親愛と情熱が唇から伝わる。


 ――あ、来る。


 私は感覚的に悟った。

 世界からの三度目の警告が来ようとしているって。

 ヤバいだろこれーっ。でも私には止められない。

 この二人が頑張ってくれても無駄だろうなって諦めの境地にさえなった。


 世界はスローになる暇も惜しんだのか、ビシリと更に大きくヒビの入った音がして、一瞬で見ている空間全体に無数の筋が走った。


 どう見ても崩壊の兆しだった。


 アレックス達の誰にもそれらは見えてないようだってのに。


 最早言葉一つも思い浮かばない。


 今頃ジュリアスだけは諸手を挙げて勝ちを喜んでいるかもな。


 その、刹那。


「たとえ世界が壊れても、私がすっかり直して、ううん、私だけじゃ足りないのならアレックス様とベンジャミン様にも手伝ってもらって直して、私がケイト様とずーっと一緒に生きて行くんですーーーーっ!!」


 シャーロットが正面にいて、彼女はふわりと私のおでこに口付けた。


 聖女からの祝福のキスみたいに。


 同時に、ガッシャーン、と無数のガラスのシャンデリアが落ちて粉々に砕けたような音が私の頭の中に大音量で響き渡った。

 それが世界の崩壊音なんだって私は疑いなく悟っていた。

 ああ、これでおしまいなのかって。


 世界に溢れ出したこの白い光はきっと終焉に向かうものなんだって。


 ああ、のんびり転生ライフは叶わなかった。

 私は無念さにぎゅっと目を瞑った。


 …………。


 …………?


 痛くも何ともない?


「ケイト様?」


 不思議そうなシャーロットの声がした。


「ケイト?」


 今度はベンジャミンのだ。


「ケイト……?」


 アレックスのは案じている。

 私は内心じゃ嘘だろって半分疑いながらもそろーりと瞼を押し上げる。


「…………へ?」


 世界は崩壊したはず――なのに、どうして時間はスローでも止まってもないし亀裂もないし、シャーロットもアレックスもベンジャミンも普通にしてキラキラした目でこっちを見つめているんだろう。


 この世界は何事もなかったように継続してるんだろう。


 まるで、確かに世界は壊れたけど、何かの奇跡の業で同時に修復されたみたいじゃないか。


 あと、ゲームのシナリオに縛られていたものから解放されたみたいに、三人共妙にスッキリした顔をしているようにも見える。

 まあこれは私の主観だけど。


 するとここで頭の中に天の声が届いた。


 ――凄いびっくり現象だ、彼らの恋に自由度を与えたなんて。言うなればこれってバグだよね、バグ。


 え、じゃあもう敢えてシャーロットとアレックスをくっ付けなくても世界は壊れずに存続するのか?


 ――さあ、そこはあくまでもこっちは天の声であってこの世界じゃないからわからないよ。


 そこは同僚なんだろうし訊いとけよ。ホンット天の声って使えねえな。


 ――くすん。


 だけど、恋愛に自由度? 大丈夫なのかそれ? 暴走されると困るんだけど。


 ――まー、そこはー……そっちで色々頑張って!


 はいはいそう言われるとは思ってたぜ。まあでも、私の人生の目標は変わらずのんびり大往生人生なんだ。


 自国の王子様とか異国の王子様とか聖女が周りにいたらその望みは叶いそうにない。

 どうにか無難にメインキャラな彼らには彼らで纏まっててもらって、ド脇キャラな私はいつの間にかフェードアウト~でスローライフ満喫するぞーっ。

 そんなわけだから、また何かあればそん時は宜しく頼むよ、天の声。


 ――んー……。


 な、天の声様? 偉大なる天の声様!


 ――はー、わかった。オッケー。


 やたーっ!!

 私は改めて現実へと意識を向けて、目の前にいる三人をまじまじと見据える。


「えーっと、皆の気持ちは本当に嬉しいよ。好いてくれてどうもありがとな。でも私には恋人がいるから応えられないんだ。そこはどうか少しずつでもいいからわかってほしい」


 もうたとえこっ酷く振っても警告は出ないのかもしれない。だけどビンタするみたいに突き放すのはしたくない。彼らの人柄を知ってしまったからこそ、そんな手酷い裏切りはしたくないんだ。もしも私が本気になった誰かができたなら、彼らならきっとわかってくれると思うから。


 格式とか身分とか行儀作法とかでその人間を判断される風潮の強いこの階級社会にありながら、こんな本当の私を笑顔で受け入れてくれた彼らだからこそ。


 ……なんて思ってるけど、失恋が発端でストーカーとか拉致監禁するヤンデレにはならない……よな?


「僕は、善処はするが、確約はしない」

「俺もだ」

「私は、ケイト様の恋人さんがもしも悪い男なら、容赦しません」


 男二人は頑固な面を、ヒロインは意外にも男気溢れる頼もしさを、それぞれに見せてきた。

 本来なら説得難しいなって悩み困るとこだろうはずなのに、どうしてだろうな、私は微笑ましさを感じてふっと小さく噴き出してしまった。

 可笑しみを覚えて自然と笑いが込み上げてきて声になる。ふふふあはははって。

 こっちに転生してからは、こんな明るい気持ちの自然体で腹の底から笑えたのは初めてだったかもしれない。

 何も言わずに急に笑い出して止まる気配のない様子に三人は目を丸くした。

 そしていつしか釣られて笑顔になった。本気の告白を茶化されたって怒っていいとこなのに、彼らもマジでお人好しだよな。

 一頻り笑ってから、私は目尻の涙を指で拭いながらこう言った。


「あのさ、変に誤解しないで聞いてくれ。友人としての言葉なんだけどさ、私な、――三人が大好きだ」


 彼らはそうとわかっていても照れた。

 こっちまで照れがうつらないうちにと、これも提案する。


「さぁてと、んじゃそろそろ帰ろっか」


 三人も笑みの余韻を目元に残し三様に同意を表した。






「……縛りが、緩んだ?」


 ジュリアスは、見えない誰かに脅かされたように顔を跳ね上げて心から驚いたように瞠目していた。うっかり飲み物を溢さなかったのは良かった。


「ふ、ハハハ、ハハハハハハ、まさか、こんな事が起きるなんてな……。ハニー、あんたが来てからだな。この世界がこうも予測の付かない面白いものになったのは」


 ジュリアスは書斎で一人暫く肩を震わせていた。

 もうキャラ達の人生をシナリオ通りに進めなくとも世界は壊れないのか、はたまた蛇行や遠回りは容認されるもののやはり大きな逸脱は認められず崩壊を引き起こすのか、そこは正直彼にもよくわからない。


 何しろ、世界は一度壊れたと同時に修復されたのだ。


 崩壊したと考えていいものか、それとも治されたのだから崩壊していないとなるのか。そこも実は不明だ。

 とは言え時間のパラドックスに嵌まり込みそうなので深く考えるのはやめにする。


「はは、未知なる未来と愛しのハニーに、とびきりの祝福を」


 ハーブティーで一人乾杯する皮肉と本気がない交ぜな彼の呟きは、爽やかな湯気と共に書斎の空気に滲んで消えた。






 後日シャーロットはシナリオ通りに聖女候補になって教会に迎え入れられた。

 アレックスとベンジャミンはまだ身分は内緒のままでそれぞれの職務をこなしている。


 私は舞踏会には偽の恋人ジュリアス・コールドウェルと揃って出ないとならなくて、彼の相変わらずの軽口に辟易としながらも、そんな環境を楽しんだりもしながら日常を送っている。


 ランカスター家との婚約話は私に恋人がいるから破談になるかと思いきや、人生先はわからないからとかランカスター公爵が持論を展開してくれちゃった結果、保留になった。

 ちょっと何余計な真似してくれとんじゃいお爺ちゃん公爵様よーっ!?

 孫のベンジャミンの根回しのせいだったって知って、暫く彼とは口利いてやらなかったっけ。……悪かったから無視するなって泣いて謝られたから赦したけどさ。


 あと、実家じゃ変わらず私は使用人同然に見られてるけど、さすがに叩かれたり食事抜きとかはもうない。ジョアンナと継母はいつも射殺したそうな目でこっちを見てくるけどな。因みにクズ父はビジネストリップで大体いつも不在だ。


 近々ジュリアスとは約束の洞窟探検に行く予定でいる。


 かーっ、やっと最近特に忙しかった貴族のお嬢様生活から一旦抜けて魔法バットを振れる。腕が鳴る~っ。

 で、何故かシャーロット、アレックス、ベンジャミンも付いてくるみたいだよ。うっかりロイ様も来ないかなー。ま、三人が冒険の情報をどこで知ったのかはわからない。薮蛇はしない。

 先日の夜会で同行するからと三人それぞれから言われたジュリアスは笑顔で応対と承諾をしていたけど、もしもあれがゲームシーンにあったなら、盛大にムカつきマークが顔に出てただろうなー。


 ああそうそう、私は結局シナリオ通りには殺されなかった。


 ジョアンナの拙い謀略のうちの馬車崖落ちルートだったけど、鋼鉄体で乗り切った……わけじゃなく、落ちそうな馬車から助け出されて世間的には九死に一生だったんだよな。


 うん、偽恋人の奴と王子身分の奴ら二人と、聖女が助けに来た。


 しかもこの世界の事情を知るジュリアスにはチートで全然平気だって再三言ったのに助けに来たんだよな。わざわざどうかしてる。

 時々こう敵なのによくわからない行動を取られるから混乱して動揺させられるんだよな。


 まっ、何だかんだで正規の死亡プラグはへし折った。


 これからは私ケイトリン・シェフィールドの人生レールは誰にも、私自身にだって先は見えない。


 だからこそ思いっ切り大切な仲間達とわくわくするような冒険をして恋をしてエンジョイして、だけど世界崩壊は回避して、のんびり大往生目指して手ガタく生きていきますか。

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チート鋼鉄令嬢は今日も手ガタく生き抜く まるめぐ @marumeguro

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