19
森の湖畔からテレポート魔法で王都の屋敷まで帰ったジュリアス・コールドウェルは、気分的には本当はもう少しケイトリンと居ても良かった。自分だけ先に帰らずに帰りの道中も彼らと過ごす事もできたのだ。
しかし、彼は念のため別行動を決めた。
少し前に没落貴族から買い取った屋敷の玄関は経由せず、直接書斎へとテレポートしていた彼は上着を脱ぎ簡単なシャツ一枚になる。襟元を寛げて疲れたようにトスンと長椅子に腰を下ろすと、ベルを鳴らして執事の男性に温かい飲み物を持ってくるように命じた。
執事は主人がいつの間にか戻っていたのを驚くでもなく粛々として短時間のうちに全ての用意を整えた。見た目には主人たるジュリアスとそう年齢も変わらないだろう若そうな執事だが、彼はよく訓練されていて恐ろしく手際がいい。
ジュリアスは飲み物に一口口を付けてから満足して青年執事を下がらせた。レモンとミントの香りのするハーブティーだ。
温かい飲み物とだけしか言及していないにもかかわらず、あの執事はいつもジュリアスの欲するものを的確に選んで給仕する。中々に得難い人材だ。
現にゲームヒロインのシャーロット・エバートンを田舎から早々と王都に呼ぶよう最善の根回しを丸投げすれば、彼は学費援助という仕組みを使って誰の目からも不自然ではなく巧みにそうさせた。
ただその件では予期せず他のパトロンが現れて全額返還されてしまったのだが、調べてみるとパトロンはどうやらケイトリンだとわかった。
願いを叶えるための障害、邪魔者になるだろう相手を観察してみようと思ったのもその時だ。
故に森の湖畔へと出掛けた彼らの動向を監視していたのだが、シャーロットがピンチになったので助けに出ざるを得なかったという次第だった。
「ふぅ……ハードな半日だったなあ。心も躍った半日だったがなあ」
胃の腑が温まってようやくジュリアスは体が解れ人心地つけたのを自覚する。我知らず緊張していたのだと悟り苦笑いがこぼれた。窓の外はまだ明るいが、ケイトリン達が王都に戻る頃にはやや夜へと傾いているだろう。
「ケイトリン・シェフィールド。ケイト……」
彼は何となくほとんど声にならない声で名を呼んでみる。脇役中の脇役たる死亡エンド予定の娘の名を。爽やかな口内には何も含んでいないのに一音一音から舌の上に甘やかさが拡がる気がした。
――ジュリアス。
去り際に彼女からそう呼ばれ、彼は初めて役もなかった自分の自分だけしか認知しえなかったさもない名前が、とても格別な物に感じてしまったのを覚えている。
世界にずっとあったのになかったも同然だった名がきちんと掬い上げられ、あたかも命を与えられたようなそんな不思議な感覚を味わったのだ。
その直前にも、彼はらしくなくメインキャラ達の過ぎた感情が世界の崩壊を引き起こすのを懸念した。
だから自分の存在と言動が彼らの感情をあれ以上煽って揺らがさないように距離を置いた。余計なやり取りが生じないようにあの場を辞したのだ。
「今日の出掛ける前だったなら、こんな風には思わなかっただろうになあ。ははっどうしてかな、世界の崩壊を願っていたのに、少しそれが惜しくなっただなんて」
いや、どうしてと疑問の形を取るのは愚かだ。
「それもこれも、全部ハニーのせいだよなあ」
根本的に自分とは正反対の目的を持つ少女ケイトリン・シェフィールド。
彼女と今日深く関わらなかったなら、こんなややこしい展開にならず心を惑わされずにいられた。
しかし……。
「それは嫌だな」
会わないまま本懐を遂げてしまったならと想像するだけでじわりと胸の奥に後悔のようなものが湧く。
ケイトリンを揶揄って戯れる時間が得られるのなら、その限りで世界を生かしておくのも悪くないと。
「頬に負っていた火傷は、聖女に治してもらえた頃か?」
彼はケイトリンの顔に小さな火傷を見つけていたが、森の方からの足音を聞き付けて治癒アイテムを取り出すのを断念していた。彼の懸念事項によりなるべく早くあの場を離れなければならなかったからだ。本当なら本人も気付いていなさそうだった火傷を治してやってから去りたかったというのが本音だった。
「ドラゴンの牙は防げるのに火傷は負うとはなあ。しかも気付いてないとか、危なっかしい娘だな全く……」
おちおち放ってもおけない気持ちにさせられる。
「まあ放っておく気はないが」
次に会う時は一体どんな形で会えるのか、と彼は爽やかなハーブティーの湯気から香りを楽しみながら、興味は尽きないなと薄く笑んだ。
「ケイト様~! 素晴らしいまでの戦いぶりでした!」
赤毛男ジュリアス・コールドウェルがテレポート魔法で消えてすぐ、森から真っ先に姿を現したのはシャーロットだった。
無事だろうとはわかってたけど、こうして姿を見るまでは一抹の不安はあったから本当に良かった。
「私達のためにあんな恐ろしい魔物と戦って下さり、ありがとうございますっ。ご無事で何よりですっ」
彼女は駆け寄ってくるなり私にひしっと抱きついた。
いやーまあぶっちゃけ私はここに戦うために誘ったんだけどね。ただまさかドラゴンが出てくるとは思わなかっただけで。こんな感極まって感謝されると、うん……結構心苦しい。
アレックスとベンジャミンの二人は互いに肩を押して相手の動きを牽制し合いながら走ってきたけど、揃って彼女に先を越されてしまったという顔をしていた。
シャーロットは両腕を回して抱きついたまま私の顔を見上げるやハッとして表情を強張らせた。
え、何? 私の顔が怖いとか?
「ケイト様、お顔に火傷をっ!」
「うん? あーららホントだここ痛い。でもちょっとだしこのくらいなら数日したら治るわ」
すると彼女はふるふると横に首を振る。
「私、本当にケイト様に助けてもらってばかりですね。なので私にもあなたの力にならせて下さい!」
「へ? 力に?」
彼女は体を離すや私の手を両手で握り締め、祈るように両目を瞑る。
「私の全力でケイト様の怪我を治します……!」
刹那、白い光が生まれて私とシャーロットを包み込む。
こっこれはっ、聖なる治癒の光ーっ!!
なら彼女の聖女能力は覚醒したのね。え、でもいつの間に?
「あのー、痛みはどうですか?」
「あ、うんもう全然痛くない。むしろ前よりお肌スベスベだし。ありがとうロッティ」
当代聖女の治癒魔法には実は美肌効果まであるんですーって温泉みたいな効能があるのが知られたら、貴族の奥様達は放っておかないわね。真実彼女が正式に聖女になった日には相乗効果で本来のゲーム展開以上に人気が出そうだわ。
あと、彼女の有力な味方が増えればジョアンナからの嫌がらせも軽減されるかもしれない。是非そうなってほしい。
ちゃんと治癒できたのかと少し不安そうにしていたシャーロットは私の笑みに釣られたように相好を崩す。
「それなら良かったです。この先もケイト様のどんな怪我でも私が治せたならこれ以上の僥倖はありません。勿論怪我なんてしないのが一番なのですけど」
「ところで、ロッティはいつ覚醒したの?」
「ケイト様が溺れた時にです。その時はあの方に先を越されてしまいましたけど……。そう言えばあの方はどこに?」
「ああジュリアス? ドラゴン討伐も済んだし帰ったわ」
「ジュリアスさん、と仰るのですか。……恋人、なのですもんね」
シャーロットは目を半分伏せてしょげたウサギみたいになる。ええと落ち込むとこあった?
「はっまさかロッティ、あの男に惚れてたの!?」
「そんなわけありません~っ! いくら顔が良くても道を訊かれただけの知らない人を好きになりませんよーっ!」
「えっ、あ、そか、ごめんごめん、ほらほら怒って頬を膨らまさないロッティちゃーん? ならこんな素晴らしい奇跡を業を持ったのにどうして落ち込むのよ? 私は我が事みたいに嬉しいのに。自信持って、ロッティは凄いんだから。改めて聖なる力の覚醒おめでとう!」
「ケイト様……っ」
うるうると涙ぐんだシャーロットは私の胸に顔を埋めて肩を震わせる。私は彼女の頭や背中を慈母のように優しく優しく撫ででやる。よしよし、今ここでは思い切りお泣きなさい。あなたにはこれから大変な日々が待っているのですからね……って、わーいわーい、わっしょーい、これで聖女誕生は確実じゃーん!
ようやく教会に迎え入れられてゲーム通り聖女候補から始まるだろうけど、そうするとアレックスやベンジャミン、その他のキャラ達と魔物討伐の冒険フラグが沢山立つわけで、何度も力を合わせて危機を脱していくうちに、なし崩し的に彼らの絆は深まるって展開になるだろう。そうなれば私はもうお役御免よ。
で、現在その件のメインキャラ二人は戸惑ったように近くに佇んでいる。
「何だろう疎外感が……」
「ああ、何か俺達が入っていけない雰囲気だな」
一方、私に焦点を当てていて彼らの会話なんて聞こえていないんだろうシャーロットは決意の目をした顔を上げた。
「私、これからはケイト様のために生きていきます!」
「ええ? あはは大袈裟なー。でも嬉しい言葉ありがと」
「嬉しい、と思って下さるのですか?」
「そりゃあ」
「そ、ですか……ふふっ」
シャーロットはとびきりのプレゼントをもらった子供みたいに頬を赤くしている。大喜び、いや大興奮?
聖女なし世界破滅エンドは避けられたから、後は本格的に彼女の恋愛面と、私自身の殺されエンド回避に注力しよう。後者は楽勝だろうけど。
私はとりあえずくっ付いていたシャーロットを離すと、男二人へと目を向ける。
「そっちの二人も大きな怪我がなさそうでよかった。ロッティを護ってくれてホントありがと。あと、こんな散々なピクニックになってごめんね」
散乱したバスケットの中身やシートとか諸々は火球で全部燃えちゃったから片付ける物もない。綺麗だった湖畔もかなりボコボコで至る所が黒焦げだ。周辺の木も焼けたけど風速と湿度の関係か延焼がなさそうなのは幸いだ。
「どうしてケイトが謝るんだよ。ドラゴン出現なんて誰も予想できなかった事だろうに」
アレックスが私を窘めるようにする。
これも彼の公正さや思いやりだ。
「あー、かえって卑屈に聞こえたなら何かごめん」
「そっそういう意味で言ったわけじゃない! 誤解しないでくれケイト。僕の言葉で君を傷付けたなら謝る。ただ、負い目に感じてほしくなかっただけだ」
「うわ、わかってるわ。ありがとう」
「そ、そうか。なら良かった」
「――ケイト、あなたに訊きたい事がある」
胸を撫で下ろすアレックスとは裏腹にここでベンジャミンがやり手の検察官のような目を向けてきた。
「ん、何?」
「これだけは正直に答えてくれ。あの赤毛の男とは真実本当に恋人なのか?」
ぎくーっ。
「い、いきなりね」
アレックスとシャーロットも一度大きく目を見開いてから急に鋭くも真剣な眼差しに豹変する。思わず視線の集中砲火に怯みそうになった。だがしかーし、怪しまれないためにも意地で平気な態度を装うしかない、心を強く持て私っ。
「ええ、恋人よ!」
前に思い切り偽のって付くけどね。
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