最終話 あなたとなら

真咲が、私をもう一度抱きしめていた。


一瞬、何が起きたのか分からなかった。

さっき抱きしめられたときは恥ずかしくてどうにかなりそうだったけど、今は――どこか安心できた。

彼女の体温が心地よくて、刈り上げられた後ろ髪から漂う香水の香りが、それが他の誰でもなく真咲なんだと示していて、それが心地よかった。


「わ、わたくし……お、お、お見合いを……して……」

「え、お、お見合い!?」

「ええ……でも……でも、どうしていいか、分からないんですの!相手の方は、いい人でしたの。女だと足元を見てこない、良識ある人だと、思いましたの。でも……」

「……でも、どうしたの?茉莉ちゃん、その人にいじめられた?」

「……ううん。いい人、でした。何も考えずにいれば、その人と何となく一緒になって、一緒に仕事をしていくようになるんだろうな、とか、思って。それが、私の『役割』ですから。東堂家に生まれた、跡継ぎとしての」


――他者に弱みを見せるなど愚の骨頂と知れ――


父の厳格な声を思い出す。

幼いころから、こうして何度、同じことを言われただろうか。


父の跡を継ぎ、グループ企業の総帥となることを決められた私の人生。

そのためであれば、私の小さな要望はとことん握りつぶされてきた。


父に言われるまま育った私は、いつしか周りには誰もおらず、信を置ける者といえば専属侍女の早苗くらいとなっていた。


父のせいにするには私はもうあまりにも大人になってしまっていて……。

そしてすべてを自業自得だと片づけるには、私はまだあまりにも子供だった。


「……わたくしは……私は、将来を決められていました。役割を与えられ、それを全うすることだけを望まれていました。私の意志は重要ではなくて、父にとっては私が父の望むようになることだけが『いいこと』で、父が望んでいないことというのは『よくないこと』でした。でも……そうするうちに、私は人間関係をうまく築けないまま大人になってしまって……だから、だからこそ、そんな私に初めてできた、あなたという友達に、東堂家という重りを背負わせてしまう訳にはいきませんでした。でも、でも……私には、藤原のあの人と歩く未来は、重すぎて、苦しくて!私が望む未来だとは、どうしても思えなかったの!……だって……だって、どうしてもあなたのことを思い出してしまうの!あなたが、助け出してくれる気がして!真咲なら、私をここから出してくれるんじゃないかって!」


初めてできた、真咲という友達。

それは、私の中で、こんなにも大きな存在となっていたのだと、こうして気づいた。


「……茉莉ちゃん……」

「父の言う通り、藤原の彼と、一緒になる人生が、私に望まれた役割なのは分かっています!でも……でも、私はそれが正解とは、どうしても思えないの!思えなかったのです!こうして、こうして……あなたに、真咲に抱きしめられて、やっぱりそう思いますの!私は、あの人のことを考えると、あなたのことになおさら思いを馳せてしまいますの!あなたのことが頭から離れなくて、しがらみに捉われたこの私を、あなたがいつか助け出してくれるんじゃないかって、どうしてもそう思ってしまいますの!出会ってほんの僅かな時間ですけれど……そんなあなたにこんな思いを強いてしまうことに躊躇する自分と、どうしてもあなたに助け出してほしいと願う自分との間で、もう……苦しくて……苦しくて……ごめんなさい、ごめんなさい真咲……」


真咲は、いまどんな顔をしているだろう。

呆れてるだろうか。

迷惑だろうか。

出会って、たかが数日の私たち。

それなのに、私は彼女に、こんなにも依存してしまっている。

自分の人生の、とても重い決断の一部にしてしまっている。



そう思っていると

真咲の方から、ぎゅっと強く抱きしめてくれた。


安心するように。

大丈夫だよと伝えるみたいに。


背中越しに感じる彼女が、とても大きくて。

私の、私だけの彼女になってくれたみたいに感じた。


彼女が私の目じりにそっと指を這わせ、涙を拭ってくれる。

取り乱していた私を落ち着かせるように、ぎゅっと抱きしめたままで、彼女は話し続けてくれた。


3歳も年下の女の子なのに、この時の真咲は、すごく大人びていた。

彼女の言葉を、私は真咲の体温を感じながら待った。


「茉莉ちゃん。ありがと。すごく嬉しい。茉莉ちゃんが、そんな風に思ってくれてたんだね。いっぱい、いっぱい悩んで、私のことを考えてくれてたんだね」

「……真咲……ごめんなさい」

「ううん、全然謝る必要なんかないよ。私はまだ新入生で、茉莉ちゃんの家のこととか、頭良くないから、全然知らなかった。茉莉ちゃんがそんな風に悩んで苦しんでるのを知らなくて、ごめんね。それを……私に話してくれて、ありがとう」

「……うん。うん」

「私ね、茉莉ちゃんと出会えて嬉しかったんだ。男装喫茶なんて、色眼鏡で見られることの方が多くて、そこでキャストしてるなんて、いい顔なんかされなくて。でも、茉莉ちゃんは違ったから。私と、友達になってくれたから。だから、茉莉ちゃんは、私の特別だったんだよ」

「真咲……」

「人にいい顔されないって分かってるから、私は反発するように、強い私を見せるみたいになっていって……だからこんな厳つい格好してて。でも、茉莉ちゃんは、そんなの関係なしに、私のままでいさせてくれる気がしたの。あの時、帰りの路地で。だから、そんな茉莉ちゃんが、私を頼って、お見合い相手よりも、お家のことなんかよりも、私に助けを求めてくれて、本当に嬉しいんだ。それくらい、私のことを思ってくれてるってことなんだもの。茉莉ちゃんは、それが私の重荷になるかもって考えてるんだろうけど、全然平気だよ?だって、茉莉ちゃんと一緒に生きていくんだもん。私たちはどこへだって行けるし、何者にもなれるから」


彼女が、いかついアクセサリーで飾った手で、私の背中を優しくなでてくれる。

その温かさに、もう一度涙が零れそうだった。


私は、その手の温かさを知っている。

そして、彼女自身の温かさも。


彼女は、信じてみよう、信じたいと思った人だったのだから。


私も、彼女の背中に手を伸ばして、ぎゅっと抱きしめた。

彼女の体温を感じたくて。


「大丈夫。お見合いなんか、蹴っちゃえばいい。お見合いなんかしなくても、私が茉莉ちゃんを支えていくから。女だからって見合いさせられて、家同士の道具みたいにされて。そんなの無視してもいいよ。お見合い相手のことなんか、私が忘れさせてあげるから。家のことや自分のことで、たくさん、たくさん悩んだ茉莉ちゃんが、それでも私を選んでくれるんだもの。絶対に茉莉ちゃんを安心させてあげる。茉莉ちゃんと一緒に、いろんなことをして、いろんなところに行きたい」

「ありがとう……ありがとう、真咲……!」

「うん、うん。泣かないで、茉莉ちゃん」


彼女の言葉が、沁み込んでいく。

それにどれだけ私が救われただろうか。


見合いをして家とともに生きる人生を、東堂家の縛りの中で生きる人生を、否定してくれる。

私が、初めて自分自身を取り戻せた気がした。


それに何よりも、忘れさせてあげる、安心させてあげる、という言葉が、嬉しかった。

真咲が、それだけ私のことを、思ってくれているんだと思えたから。


「それにね。私もやっと分かったから。茉莉ちゃんが他の誰かのお嫁さんになるなんて、やっぱり私、耐えられないんだって」

「えっと……それって、つまり……?」

「ふふ……本当に、分からない?茉莉ちゃんが、どうしてお見合い相手よりも、私を選んでくれたのか。そして……どうして私が、茉莉ちゃんがお見合いするのが嫌なのか」


耳元でささやかれたその言葉の意味を、はっきりと理解する前に


「え、ちょ、ま、待って真咲」

「待たない」


彼女の唇が、私の唇に重なった。


「……ん、んん……っ」

「はぁ……んん……」


気が付くと、彼女の手が、私のほほを包み込んでくれていた。


優しい口づけは、真咲の気持ちが溢れているように思えた。

だから、今度こそ自覚できた。

彼女の想いも――そして、彼女への、私の想いも。


それに応えるように。

私がやっと自覚した、彼女への気持ちに応えるために。


私も、絡みつくように彼女の唇を求めた。



ここが外だとか、SPからの電話がうるさいとか。

そんなのは、今は野暮でしょ?

目をつぶっていなさいよ。




こうして、私は東堂家の思惑とは外れた道を歩き始めた。

きっと、困難も多いと思う。

でも、きっと真咲となら、大丈夫だと思う。


「真咲……あの……あなたのことが、好き、みたい」

「ふふ。知ってる。茉莉ちゃん。好きだよ」

「うん。わたくしは……真咲と一緒の未来の方がいいから。だから……」

「そっか。ふふふ、うん、そっかぁ……茉莉ちゃん。一緒に頑張ろうね。幸せになろ?」

「……えぇ!」


女だからとか、グループ企業の総帥だからだとか。

いろんなしがらみの中で、私たちは生きていく。

きっと一筋縄ではいかないんだと思うし、覚悟もしてる。


でも、それに反発する生き方を選んだって、別にいいよね?


だって、これは私の道だもの。

私と――そして、真咲の。

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