第18話 最終話


ミナカのマンションに来るのも久しぶりな気がした。

すっかり上着が必要になった。部屋に入り脱いだ上着を、桜子は左手にかけた。

執務室の椅子に座ったミナカが苦笑いを浮かべている。


「大変だったみたいね」

「オネエ、愛花さんを探してるみたいです」


大変だったとも。だが、それは吐き出した息の中に沈めた。

軽く頭を振ると、すみれの行動について報告する。

ミナカが背もたれにより掛かる。座っている椅子が音を立てた。


「でしょうね」

「知ってたんですか?」


苦笑を隠さないミナカに桜子は眦を上げた。

知ってたんなら、どうして教えてくれなかったのか。

ミナカを見つめる。

桜子に対してミナカは「簡単よ」と返した。


「すみれは、愛花以外に執着してなかったから」


桜子は言葉に詰まる。

愛花を追いかけて、家を飛び出ている姉だ。

反論はできやしない。桜子は唇を尖らせた。


「教えてくれればええのに」

「だって、すみれについて説明するのって億劫じゃない」


億劫って、桜子は言葉をなくした。

確かにすみれは面倒だ。妹の立場からも大いに同意する。

だが、それと説明をされなかったことを一緒にしないで欲しい。

じーっと見つめていたら、ミナカは居心地悪そうに苦笑した。


「悪意、祓えたんだって?」


話を逸らした。

わかりやすい話題転換に桜子は乗ることにする。


「オネエの力やと思います」

「すみれができないって言ったことをできたんなら、それで十分でしょ」


桜子はミナカの言葉に口元を引き締めた。

すみれができないことを、自分がした。

その実感はない。

今でも、どこか、すみれが自分の体を使ってやったことのように思える。

だけど。


「よく頑張ったね」

「ありがとうございます」


ミナカがにっこり笑って、そう言ってくれたのだから、素直に受け取ることにした。


部屋から出る。執務室の隣は休憩室だ。

ソファと机が置いてあるだけの部屋。

ソファがロココ調なのに、テーブルがシンプルなものなのは、欲しいものを組織の人間が持ち寄ったかららしい。

ちぐはぐな組み合わせのインテリアに、エリカが体を埋めていた。


「桜子」


部屋から出てきた桜子を見て、エリカが席を立つ。

強張っている表情に桜子はジャブを放つことにした。


「あら、大切なときに操られて、オネエに会えなかったエリカはんやないですか」

「……ぐさりとくる嫌味をありがとう」


クリティカルヒット。

エリカはがらりと表情を変え、眉間に皺を寄せた。胸元に手を当てている。

図星過ぎて胸に何か刺さったのかもしれない。

だが、その顔も一瞬で、すぐに眉毛を下げ情けない顔になった。


「悪かったわね、ほんと。あたしは何もできなかった」


言葉とともに、エリカの頭がどんどん下がっていく。

このままだと土下座しそうな勢いに、桜子は腕を組んでため息を放つ。


「あれ相手じゃ、仕方ないやろ」


むしろ、恐空に操られ、すみれと対峙して、無傷なのだ。

ここ最近では誇ってもいい戦果だろう。


「塩らしいエリカの方が調子でんわ」


エリカの額を指ではじく。

避けれるくせに、甘んじて受けるようだ。

少し赤くなった額を摩りながら、エリカがほほ笑む。


「あなたに心配されるなんて不覚だわ」


元の調子が戻ってきたか。

桜子は頬を引き上げると、にやりとした笑みを浮かべエリカを見る。


「この貸しは大きいで」

「わかってるわよ。もっと力をつけて……今度こそ、すみれさんに会うわ」


エリカは握り拳をつくり、桜子にそう宣言した。

真面目とというか、結局はすみれに落ち着くところが彼女らしい。

桜子は肩を竦める。


「嬉々として襲い掛かってましたけど」

「力合わせはずっとしたいと思ってたの!」


戦闘狂扱いをされたエリカは、桜子の言葉に頬を赤く染め反論した。


「あ、終わった?」


エリカをからかい終わった桜子はマンションから出た。

あとは家に帰るだけと思っていたところ、背後から声をかけられる。

振り返れば寒さに首を竦めた夏音がいた。

空はすっかり群青に染まっている。

どれくらい待ったのか。桜子は顔をしかめる。


「待ってたん?」

「うん」


小走りで駆け寄る。

見上げた桜子に夏音は微笑むだけ。

頬が寒さで赤くなっていて、桜子はそっと触れた。


「冷えてるやん」


冷たい。指先から伝わる体温に、桜子は目を尖らせ夏音を見る。


「これくらい大丈夫」

「死にかけた人が、バカ言わんで」


桜子はくるりと夏音の腕を取ると、歩きはじめる。

このまま外にいられたら困るからだ。

祓えたとはいえ、呪いを受けた夏音を放っておけるほど人でなしではない。

今日は桜子は報告だけ、夏音は検査の予定だった。

まさかの報告だけの桜子の方が時間がかかったようだ。


「夏音はんこそ、大丈夫やった?」

「うん、前より調子は良いくらいだよ」


夏音の様子は変わらない。

死にかけたことなどなかったように笑っている。

のぞみの事故のときのほうが、よほどショックを受けていた。


「そっか」


桜子はただ前を向いて足を動かす。

なんて声をかけて良いか分からなかった。

すみれが祓ったときのような後遺症はないとされた。

記憶も感情も、前の夏音のまま。だが、見えないどこかが変わっているかもしれないとしたら、桜子にはとても怖いことだった。


「これも、桜子ちゃんが名前を呼んでくれるからだと思うんだよね」

「っ、これは」


桜子は慌てて口元を抑える。

あの時から、自然とこちらで呼ぶようになっていた。

気づかれていないと思ってたのにーー口をもごもごさせていたら、さらに信じられない言葉が聞こえてきた。


「いいのいいの。倒れた時も、桜子ちゃんの声は聞こえてたから」


倒れた時も、聞こえていた?

頭の中で夏音の言葉が反芻される。

出たのは茫然とした声だった。


「え?」

「嬉しかったなぁ」


夏音は足を止めた桜子に気づかず歩いている。

自分より大きい背中を追いかけるように、桜子は夏音の腕に飛びついた。

「もー、危ないよ」という文句は黙殺する。


「ちょ、え、夏音はん。そこんところ、詳しく聞かせてもらえるやろか?」

「えー、どうしよっかなぁ」


くいくいと袖を引きながら、夏音に話すように迫る。

ニヤニヤとした表情が憎たらしい。

外で待たせたのを心配して損をした。


「具体的に、何がどこまで聞こえてたん?」


「んふふ」と気色の悪い声まで飛び出すから、桜子はさらに必死になる。

夏音は足を止めると桜子にふにゃふにゃの笑顔をくれた。


「嬉しかったんよ、桜子ちゃんの想い」

「っ……夏音はん、ちょっとそこに座ってくらはる?」


真正面からそんなものを見てしまった。

顔が熱い。桜子は夏音から顔を逸らすと、道端を指さす。

しばらくクールダウンの時間が必要だ。

深呼吸していた桜子の袖を、今度は夏音が引っ張った。


「なんや、今、うちは忙しいん」


強い言葉が途中で消えていく。

振り返ってみた夏音は笑顔で、どこか不安そうだった。


「私は普通じゃないみたいだけど一緒にいてくれる?」


こぼされた一言に、桜子はため息をつく。

なんや、今更、そんなことか。

あほやなぁと小さく呟けば、夏音が頬を膨らませた。


「当ったり前やろ」


桜子はそう言って、ひとり歩きはじめる。

今、夏音に顔を見られたら死にそうだと思った。

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異能持ちJD星見桜子と面倒な女たち 藤之恵多 @teiritu

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