第17話

夏音の身体から力が抜けていく。

スローモーションのように桜子は感じた。

固まっていた身体が動く。

どうにか夏音の身体が地面に付く前に、滑り込むことができた。


「夏音はん!」

「ごめん、ちょ……眠い」


桜子が夏音を支え、夏音がエリカを支えている。

ずっしりとした重さが両手にかかる。

夏音の肩を揺さぶっても、微塵も動かない。

世界が音を失っていく。


「これは特製だよ」

「ホンマいらんことばっかしよる!」


恐空と桜子の間に立ったすみれは、夏音のことを見て眉尻を下げた。

どうしよう。どうしたら、いい。

頭の中が一杯で、動くことも出来ない。

桜子がただひたすら夏音の身体を抱きとめている間も、すみれは恐空を睨んでいた。


「すみれちゃんでも難しいと思うから」


ニコニコとした笑顔のまま、恐空は夏音を指差す。

何をしたのか、桜子にも見えなかった。

だが、プレゼントという言葉とともに何かが夏音にぶつかったのは確かで。

桜子はただすみれと恐空のやり取りを受け取るしかない。


「早くしないと、死んじゃうよ?」


ダメ押しの言葉に、すみれは臨戦態勢を解いた。

腕を組み、舌打ちをする。

柄が悪い。不機嫌なときの姉の癖だ。

恐空はすみれが何としてこないのを確認して、ふわりと体を浮かせた。


「またね、すみれちゃん」


まるで大好きな親友に手を振るように、恐空はにこやかに笑っていた。

すみれは動物を追い払うように手を動かし追い立てる。


「必ず、取り返す」

「楽しみにしてるよ」


その一言を最後に、恐空の姿は消えた。

途端に空気が軽くなる。プレッシャーが消えた分、桜子の頭も動き始めた。

夏音の呼吸と鼓動を確かめる。

動いている。そのことに、ほっとしているとすみれが桜子の傍にしゃがみ込んだ。


「オネエ、夏音はんが」


夏音の額にすみれが手を当てる。

わずかに瞳孔が収縮し、夏音を見ながら見ていない。

夏音の上からどかされたエリカはただ寝ているだけのようだ。


「こりゃ、マズイなぁ」


数秒か、数十秒か、体感的にはもっと長かった。

すみれが一度目を閉じると、苦笑を浮かべながら桜子を見る。

すみれがそういった言葉を口にするところを初めて見た。


「オネエでも?」

「よっぽど、混ざっとる」


混ざっている。

その言葉に桜子はぎくりとした。

特に自分が何かしたわけではないが、さすがはすみれ。

夏音の事情も見えるようだ。

眉間に皺を寄せたすみれが桜子を振り返る。


「この子、普通の子?」

「いや、普通では、ない……かもしれん」


徐々に桜子の声がしぼんでいく。

夏音のことは、よくわからない。

悪意を弾く癖に、短命で、わざわざ自分から検査を受ける人間。

人に淡泊なくせに、人を好きとのたまう。

すみれは桜子の言葉を聞きながら、もう一度夏音の額に手を当てた。


「恐空以外の呪いと、反発する何かが混ざって」


目を閉じて集中する。

すみれの能力は消す方ばかりが目立ってしまう。

消すために必要なのは見る力だ。

見えている桜子には、すみれがいかに効率よく、自分が消したいものを消していたか知っている。

だからこそ、敵わない。


「ああ、見えん!」

「オネエでも?」


そのすみれが首をイライラした様子で横に振った。

今日は初めての姿をよく見る日だ。

何度か髪の毛の先に、指を絡めた後、すみれは思いついたように桜子を見た。


「桜子の方が見えるんとちゃう?」

「え」


すみれの言葉に固まる。

見えるが、すみれほど見えている自信はない。

うんともすんとも反応しない桜子の肩を、すみれは軽く叩いた。


「助けたいんなら、踏ん張り」

「……わかった」


なんで、うちが。出そうになった言葉を飲み込む。

夏音を巻き込んだのは自分だ。

見えてたくせに、助けられなかったのも自分。

深呼吸して夏音の肩に手を置く。


「手伝うたるから、やってみ」


すみれが桜子の隣に座り、にっと笑う。桜子は小さく頷いた。

何より今はすみれがいる。

見えないものも見ることができるようになるかもしれない。


「この年で手つなぐとか」

「役得やない?」


その結果、20才を超えても姉と手をつなぐことになった。

片手は夏音の体に触れ、もう片方をつなぐ。

どうやるかはさっぱりだが、すみれは分かっているようなので任せることにした。

すっとすみれが目を細めるのに合わせて、能力のストッパーを外す。


「よし、まず恐空の呪いは見えるやろ?」


すみれの言葉に合わせて焦点を絞る。

呪い。悪意。

夏音の周りは除菌されたように雑多な感情がないから見えやすかった。


「この蜘蛛みたいな動きのやつ?」

「そ。その奥に、さらに黒と白が混ざっとるのは見える?」


悪意のモヤがクモの形をしていた。

それが黒と白に発行する球体にしがみついている。

動き方が本物のクモのようで鳥肌が立った。


「うん」


すみれの手に力が入る。

ここからが正念場のようだ。


「その間に隙間があるはずなんや」

「隙間?」


桜子は少しだけ体をずらした。

クモと球体を角度を変えて観察する。

隙間。

クモの身体がとの間に、わずかにある気がした。


「ある」

「見えたら消せる。ただ、うちは見えんから」


桜子はすみれを見た。

自分に見えているものが、すみれに見えないとは思えなかった。

目が合う。にっこりとすみれに微笑まれた。


「桜子が消しぃ」

「え、うち、消せんて」


焦った声が出た。

消せるなら、元から消している。

エリカへの対応だってしている。


「私が消したら、この子の記憶は丸きりなくなるで」


すれみの言葉に息を呑む。

すみれの消す力は強すぎる。

見えていて消しても、記憶が飛ぶらしい。

見えない状態でその力を使えばどうなるか。

火を見るより明らかだ。


「そんな」

「やるしかないやろ?」


意地悪くすみれが笑う。

桜子ができなければ、すみれが呪いを消すだろう。

だがそれは生きていても、記憶喪失になることを示している。

ふーと長く息を吐く。


「性格悪いわぁ」

「今更やん」


肩をすくめる姉の姿に、確かにと心の中で呟いた。

あの夢は予知夢だったのだろうか。

成長した分だけ容赦がない。

桜子はもう一度夏音に意識を集中した。


「強く、消えろって思うだけや」


すみれの言葉の通り、念じてみる。

だがクモの姿はピクリともせず、球体を取り込もうとしている。と、その背中が一瞬滲んだ。

やったと思う前に、すみれの言葉が飛んできた。


「ほら、消してまうで」

「やめて!」


すみれが指を少し動かすだけで、クモが苦しそうにジタバタした。

その度に球体に悪意が刺さり、夏音の表情が曇る。


「うちがやる」


このままではすみれが全てを消してしまう。

桜子は何とかクモだけを取り除けないかと、首をひねる。

すると夏音のポケットが薄っすらと光り輝いていた。


「なんや、お前も助けてくれるんか」


夏音は小さく呟いた。

取り出すと、桜子が夏音にプレゼントしたハーバリウムのお守りだった。

どういうわけか、夏音の白く輝く部分と共鳴するように明滅している。


(私の家、短命だから)


夏音の言葉が蘇った。

家が短命ーーだから、何だ。

夏音は生きようとしていた。それをこんな形で途絶えさせるわけにもいかない。


「まだ死なせへんで」


キーホルダーを握りしめる。

すみれは言った。見えるなら消せると。

ミナカもエリカも同じような意見で、見えるのに消せないことに首を傾げていたくらいだ。

ならば、消せる。もしくは、分離できるはず。


「夏音はんから出てって」


祈りを込めた。

すみれのようにスッパリ切れたらカッコいいのだろう。

だが、桜子にできるのはお願いに近いもので、握り込んだキーホルダーが強く発行した。


「ようやった!」


黒い部分だけが飛び立った。

桜子の目には追えない動きだったが、すみれには問題ないようだ。

すぐさま追いつくと呪いを消す。


「なんや、それ」


クモから白い人魂が出てきた。

特徴的な形のそれをすみれは手のひらで包み込む。

そっと覗き込むように確認してから、すみれは頬を緩ませた。


「ああ、やっぱり。愛花や」


愛花。

すみれから漏れた単語に桜子は言葉を失った。

パクパクと金魚のように口を動かすしか出来ない。


「恐空は、愛花を核に呪いをばらまいとるんや」

「なんやて?!」


すみれが人魂をそっと筒の中に入れる。

初めて聞く話だった。と、同時に腑に落ちた。

恐空が現れる場所に、すみれが現れていた理由。

愛花のためなら納得できる。


「その欠片を集めてる」

「愛花さん」


幼かった桜子でも愛花のことは覚えていた。

すみれが柔らかく笑うのは愛花の前でだけだったから。

子供心に印象に残っていたのだ。


「桜子はそうならんくて、良かったな」


桜子は夏音に視線を落とす。

生きている。もう、さっきまでのように見ることはできない。

それ自体が夏音が元に戻ったことを教えてくれている気がした。


「オネエ」

「顔見れて嬉しかったで」


目的を達成したからか、すみれはすでに移動の準備を始めていた。

相変わらず、愛花中心の人だ。

恐空が愛花を呪いに使っているなら、必ずまた会うだろう。


「じゃあな」


ふわりと笑って消えていく。

夢の中より優しい笑みだけが残っていた。


「なんやかなぁ」


エリカが操られて、夏音が呪われて、驚きの事実を知った。

処理しきれない。聞いたのも桜子だけ。

事後処理が膨大になる気がした。

だがーー桜子は夏音を見る。


「うん?」

「夏音はん!」


わずかな身動ぎのあと、夏音の瞼が薄っすらと上がる。

とりあえず、今は全員無事で帰れそうなことを喜びたかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る