第16話

VIP席がエリカの風でボロボロになるのはあっという間だった。

風が四方八方から吹き込み、ソファに身を隠していても、目を細めなければならない。

これで立ち上がったら息もできない、どころか後ろに転がされそうだった。


「あは、あははははっ」


高笑いする美人は怖い。

笑顔でエリカが腕を動かすたびに、部屋の何処かが避けた。

顔近くのソファが切り裂かれ、夏音は顔をひきつらせる。


「めっちゃ、切れてるぅ」

「かまいたちって知ってるやろ? 同じ現象や」


エリカの視界にある物体から切り刻まれる。

桜子と夏音は肩を寄せた。

なるべく物陰にいたい。

キョロキョロと周囲を見る夏音に、桜子はなるべく冷静に言い聞かせた。

能力の暴走を見るのは初めてじゃない。けれど、何度見ても慣れるものでもなかった。


「なんで、こんなことに?」

「能力者が悪意に飲まれると、大抵好き勝手に力を使うようになるんや」


夏音に答える。

その根本にあるのは我慢だ。

能力者は基本的に我慢して過ごしている。

ふとした拍子に力が出ないようにすることは、垂れ流しの桜子には分からない苦労があるらしい。

桜子は少しだけソファから顔を出した。


「理性がとんで」


何も見ていない瞳でエリカが力を振るっている。

口から出る言葉は、音ではあっても形になっていない。

桜子は指でエリカを指し示した。


「本能のままに力を振るうっと」


桜子の言葉に、夏音はこくりと頷いた。

言われただけだと実感できないことでも、目の前にあれば理解できる。

元々エリカという人間は真面目な性格だ。それが、こうもはっちゃければ嫌でもわかる。

もう一度ソファに背中をつけて夏音が囁く。


「どうすんの?」

「どうしようなぁ……」


取れる手は限られている。

残念ながら桜子にはエリカの風を止める力はない。

うるうるとした瞳で見られて、桜子は頭を捻った。


「桜子ちゃーん」


夏音に情けない声で呼ばれる。

場違いなその声にどこかほっとした。

桜子は部屋の隅々まで視線を巡らせる。

夏音もつられたように周囲を見た。


「操ってる核を探すんや」

「どんなの?」

「わからんっ」


それがわかるなら、桜子も苦労しない。

だがーー自分の能力は見る力だ。見るだけなら姉にも勝っている、らしい。

だったら核くらい見分けることができるはず。

すみれは核を見つけて壊すまでできたのだから。

神経を研ぎ澄ませる。余計なものを見ないように、能力を使え。

絶対に、この部屋にあるのだから。


「あ、あれや」


ぼんやり、感情とも悪意とも違う何かが浮かび上がる。

桜子は反射的にそれを指さしていた。

夏音が飛び出すように身構える。


「机の上のグラスに入っとる!」

「わかった!」


距離は数歩。

風の隙間を通ってグラスを掴めばいい。

夏音の身体能力ならあっという間だろう。

氷に擬態してあるならば話は早い。潰せばいいのだ。

だがーーピンと空気が張り詰めた。


「さっすがぁ。まさか、これに気づくなんてね」


ぬるりと闇が生まれたかのようだった。

暗がりから突然現れたのは、メッセージの時にも聞いた声の持ち主。

実際に目にすると、そのとんでもなさがわかる。

全身の毛が逆立ったような気がして、桜子は腕を摩った。


「恐空っ」

「はーい、恐空夕陽でーす。ゆうちゃんで良いよー」


桜子など意に介さない様子で、ひらひらと手を振る。

飛び出す寸前だった夏音の服を桜子はいつの間にか握っていた。

あれに突っ込むのは危なすぎる。


「ど、どうする?」

「もはや、エリカを置いて逃げるしか」


状況は最悪だ。

恐空は見たら逃げろと言われる人物。

暴走しているエリカを抱えて、逃げ切れるとは露にも思えない。

桜子は唇を噛んだ。


「置いてったら、どうなるの?」

「あのまま暴れるか、連れてかれるか……エリカの体力にかかっとる」


暴れて疲れ果てれば、悪意が食うだろう。

恐空につれていかれれば、そのまま操り人形だ。

考えろ。どうすればエリカを助けられるか。うまく逃げることができるか。

いやに冷静な夏音の声が桜子を急き立てる。


「方法は?」

「悪意を払えたら、解けんねん」


エリカのような力が少しでも自分にあれば。

桜子は強く拳を握った。

顎の下に指を置いた夏音が桜子をじっと見た。


「私、突っ込んでみる?」


桜子は息を飲む。

なにを馬鹿なと一蹴しなければならない話だった。

だが、夏音の弾き方を見ていると、もしかしたらと思ってしまう。

桜子の考えに気づいたのか、夏音は口角を引き上げる。


「それは」

「エリカちゃんを助けるためなら、いいよ」


夏音は少しも淀みのない顔で言った。

そうじゃない。エリカを助けるために、夏音に危ないことをして欲しいわけではないのだ。

恐空を伺えば、ニコニコしてるだけで動く様子はない。


「試してみる?」


何も言えない桜子に、夏音はクラブに誘ったのと同じテンションで話を続ける。


「大丈夫だって」


夏音が軽く体を浮かせ、エリカの状態を見る。

桜子は弱々しい力で服を掴むしかできなかった。

夏音がその手をそっと外す。

ああ、また自分は何もできないのか。

無力感が胸を覆い始めた時、その声は響いた。


「止めとき」


風がやむ。

いや、すべて防がれるーーすみれの力によって。

ふわりと舞い降りるように桜子の前に立ったのは、6年ぶりに見る姉だった。


「無駄に命捨てることはないで。あいつが絡むと、まともな死に方にならんし」


あの頃より髪が伸びた。

あの頃より大人っぽくなった。

だけれど、そこにいたのは、確かにすみれだったのだ。


「オネエ」

「え、桜子ちゃんのお姉さん?!」


思わず漏れた呟きに、夏音が大きく体をのけぞらす。

桜子とすみれで顔が振り子状態になっていた。

エリカが悪意に操られたと思ったら、恐空が来て、さらにはすみれまで。

桜子の思考容量はいっぱいになりはじめていた。


「やっほー、すみれちゃん。久しぶり」


すみれの登場で空気がぴりりと引き締まる。

きっと恐空は初めて敵を認識したのだ。桜子たちは敵とさえ認識されていなかった。

対するすみれも、表情が抜け落ちたような顔で恐空を睨んでいる。


「探したで、愛花を返してもらわな」


言い終わるか、どうか。

そのタイミングで、エリカの風がすみれを襲う。

だがすみれは片手をあげ指を振るだけでそれを消してしまった。


「すごっ」

「相変わらず、出鱈目な力やなぁ」


久しぶりに見る姉の力に桜子は苦笑した。

そう、夏音の言う通り、凄いとしか言いようがないのだ。


「エリカちゃんが押されてる」

「悪意に操られてる人が相手やったら、ほぼ無敵やろな」


すみれが来た時点で、エリカの安全は保障された。

悪意で操られているなら、悪意を消せばいい。

それができなかったから手詰まりだったが、すみれがいれば朝飯前。

恐空が目的ならばーーきっと適当にいなされてしまう。


「久しぶりに会ったと思ったら、こんなに立派になって。嬉しいわぁ」

「すみれ、さん!」


笑顔でぶつかってくるエリカに、すみれも微笑みを返す。

妹の友達に接する態度としては百点満点だろう。

だが、二人がしているのは力比べだ。

決着は容易についた。


「でも、ちょい後がつかえてるから……ごめんなぁ」


近づいたエリカを受け止めて、目を見て、すみれの瞳が瞬いた。

それだけ。それだけで、すみれはエリカを操っていた悪意と意識を刈り取ってしまう。


「っあ」

「エリカちゃん!」


呆気なく動かなくなったエリカをすみれは支えた。

夏音が飛び出し、すみれからエリカを受け取る。

よう動けるなと一拍遅れた桜子は思った。


「大丈夫、寝ただけだから」

「ありがとうございます」


桜子の言うべきことを夏音がすべて言ってしまった。

言葉を探している内に、すみれの視線は本来の目的に向かっていた。


「さて、待たせたなぁ。恐空」

「相変わらず、凄まじいねぇ」


ケラケラと恐空がすみれを見て笑う。

桜子たちと同じような態度に見えた。だが、その瞳は動くことなく、すみれを凝視していた。

対峙するすみれも髪の毛を払いのけ、地面を蹴った。


「さっさと、返してもらわんとなっ」

「えー、愛花ちゃんは、もうあたしのだから」

「馬鹿なこと、言わんで!」


見えない力同士がぶつかり合う。

ふらふら避ける恐空の言葉に、すみれがまなじりを上げる。

振り上げた手を振り下ろし、一太刀いれようとした。

ふっと御空の口角が吊り上がる。

嫌な悪寒がした。


「でも、ごめーん。もう行かなきゃ、これプレゼントね」


エリカを抱えて、端に寄っていた桜子と夏音に向かって何かが放たれる。

何かが地面を一瞬で駆け抜けた。

エリカを抱えていた夏音は動くことができない。


「え?」

「夏音はん!」


伸ばした手が届く前に、そのプレゼントは夏音に衝突した。

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