エンゲージング・スマイル!~彷徨える魂と運命の邂逅~

いいの すけこ

春の夜に

「ミリィの使い魔になってくれる?」

 震える声で男に請うのは、黒い羊の持ち主である少女だった。

 ずっと閉じ込められていたので気づかなかったが、世界は今、春だ。

 春を迎えると一斉に花を咲かせる樹木が、眼下に見えた。淡い薄紅の花が月光に照らされて、夜の闇に灰白く浮かび上がる。少女と、抱えられた自分がいる建物四階のバルコニーまで花びらが舞い上がってきた。

 少女は寝間着らしき衣服の上から、青いローブを羽織っている。ローブに留められた太陽と月をかたどった銀色のブローチは、魔術学園の生徒である証。ローブの青は、初等科の生徒であることを示していた。

 春先とはいえまだ肌寒い季節、夜も更けた頃に、なぜ幼い子どもが眠りもせず外にいるのか。

 少女は先ほどまで、抱えた黒い羊のぬいぐるみの背に目元を押し当て、時折鼻を鳴らしていた。

 冷たいものが背中にじわりと広がって、少女が泣いていたのだと知れた。

 なぜぬいぐるみなんぞの受け止めた感触が男にも伝わったかといえば、男の魂はそのぬいぐるみの中にあるからだった。


 自分の肉体と魂を切り離し、体を借りられそうな魔術師がいる場所を求めたのは確かだ。それがどうしてこんな気弱そうで、保有する魔力量も明らかに少ない小娘に引き寄せられ、あまつさえぬいぐるみの中になど魂が入り込んだのか。

 こんな夜遅くに、寮部屋で学友に慰められるでも教師に相談するでもなく、一人寂しく枕ならぬぬいぐるみを涙で濡らしているとなれば。少女は男が求めていたような、使いどころのある優秀な魔術師というわけではなさそうだった。

「使い魔になるの、いや?」

 何者かが中にいることを把握しながらも、少女は無害なぬいぐるみや小動物に話しかけるようにした。

 ぬいぐるみの中にいるのが、監獄から逃亡した大罪人などと知る由もなく。

 対話にしても命令にしても、使い魔と契約を結ぼうとしているにしては、全くなっちゃいない。

 使い魔を使役するということは、その魂を縛り付けるということ。

 ――冗談じゃない。

 今もって監獄に収監され、文字通り縛り付けられている己が体。

 光、音、言葉を奪われ、抜け出すことができたのは形のない魂だけ。

 その魂すら、鎖に繋がれるというのか。

「お友達でもいいの!」

 まっぴらごめんだと、思ったのに。


 少女の声とともに、瞬いたのは光。

 幼い魔術師の胸に、明かりが灯ったのが見えた。

 それは少女の魂の輝き。見えた、と思った。自分の掴むべき光が。

 少女の鼓動が聞こえる。その音に重なって、己の魂が震えた。

 魂が応えた。

『……俺をなんて呼ぶつもりだ?』

 名を与えることが契約だと、それくらいはちゃんと学園で学んでいるはず。

 不安を顔いっぱいに浮かべた少女の頬が、ゆっくりと染まる。やがて喜びに赤く染まった両頬を緩めて、少女は笑った。

「ありがとう、『黒い羊ブラックシープ』さん!」

『まんまじゃねえか』

 ぬいぐるみの体を、ぎゅっと抱きしめられる。

 果たして何が起きたやら、どうなることやら。

 一抹の不安を覚えつつも、純粋なこどもの笑顔というのは存外悪くない。

 その笑顔を、のちに彼女の使い魔として『使い魔の決闘ファミリエ・デュエル』に参戦し、勝利する度に向けられることになるとは。

 春の夜に彷徨い出逢った二つの魂は、まだ知らない。









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