8話 プロローグの終わり
そうして君は、人知れずウォーカー家を辞する。
早朝。こそこそと、逃げるように。
「……うるさい」
ちなみに今夜、アルフォンス老の快復を祝った盛大なパーティが開かれる予定だ。
にもかかわらず、貢献者であるはずの君は、無言のまま屋敷を離れようとしている。
「黙ってろって。もう決めたことなんだから」
その理由は、単純だ。
“怪談”の解呪は、“
この街で強力な魔力を持つ“吟遊詩人”といえば、君しかいない。
死刑囚を匿った件。
アルフォンス老に追求が及ばないか……それを案じての行動である。
なお、客間には一応、今後のための“怪談”対策と、もしもの時の連絡先を書き残している。
これでもう、心配はないはずだ。
「おまえ、全部言うじゃん」
と、その時だった。
君は、正門前に馬車が一台、止まっていることに気がつく。
「え」
そこには、二人の男が待ち構えていた。
アルフォンス老と、彼を支えるマック執事だ。
「やあ。来たかね」
「ええと。これは……?」
「どうもサーニャから、様子がおかしいと聞いてね。待ち構えていた」
「えぇぇ……」
「言ったろ。あの子は、人を見る目があるんだよ」
ふと君は、目の前の馬車が、最新式であることに気づく。
その荷台には、山のような物資が積まれており、奥までよく見えないほど。
屋敷で見かけた“遠見の鏡”を始め、永遠に火の消えないランタン、携帯用の炊事道具、闇夜を照らす望遠鏡、魔物用の罠、暖かな毛布が数枚、保存食など、様々な旅の道具が積まれている。
(これだけあれば、どれほど旅が楽になるだろう)
そう思っていると……。
「君へ」
老人は、にやりと笑ってそう言った。
「しかし」
「命の恩人だ。この程度のことでは足りないくらいだ」
「…………」
「これから、長い旅に出るんだろう?」
「ええ」
結局君は、ありがたく老人の好意を受け取る。
長い長い、一人旅。
野垂れ死のリスクは避けたい。
「それでは――ありがたく、受け取ります」
「うむ」
老人は、当然のように頷く。
「ああ、そうだ」
「え?」
「せっかくなので一人、従者をつけようと思う」
「従者?」
「優秀な娘だよ。特に、オウドンを練らせたら、天下一品だ」
その言葉を待っていたように、馬車の奥から、一人の少女が飛び出した。
サーニャである。
「えへへ」
君は思わず、苦い顔をして。
「いやいや。――ないでしょ。ダメでしょ」
「本人の望みだ」
「しかし……」
「不要になったら、適当な村で降ろしてくれれば良い」
「そんな、犬猫じゃないんだから」
サーニャは、にっこりと笑っている。
彼女の“動機”を知る君は、困惑するしかない。
(う……うるさいっ。ぜんぶ、おまえのせいだぞ! 長々とモノローグを聞かせやがって! なにが、『彼女の心に――恋が芽生え始めていた。』……だッ! お陰で、気まずくてしょうがないだろっ)
史上最長の、脳内ツッコミである。
混沌とした君の内情も知らず、老人はこう、続けた。
「可愛い子には、旅をさせよとも言う。――君ほどの勇士なら、きっと彼女を守ってくれるだろう」
「でも、男と女です。不健全ですよ」
「はっはっは」
老人はただ、笑うだけだ。
英雄への報酬に、女を与える。神話の世界では「よくある」展開だが。
「これで、結婚でもしてくれれば、仲人は私だ。うまくすれば、善い人脈に恵まれる……っと。これは独り言だが」
「あんたなぁ」
困り果てた君は、サーニャに目配せ。
彼女は、捨て犬のような目線をこちらに向けている。
「私じゃ……ダメでしょうか」
「ダメじゃない。ダメじゃないが」
君は、素直ではない。
はっきり言おう。君は、サーニャが好きだ。非モテをこじらせた結果、真っ直ぐに好意をぶつけてくれる女に弱いためである。
(う、うるせぇっ)
結局君は、「どうせ、近くの村まで持たないだろう」という気持ちで、同行を許可する。
だが、君は一つ、考え違いをしていた。
サーニャは君と――ずっとずっと。
永遠に、一緒にいるつもりだったから。
「……………………」
「――? どうしました?」
「いや。……なんでも、ない」
耳もとが、熱い。
君は、慌てて馬に鞭を入れる。
馬車が、ゆっくりと前進を始めた。
▼
……………………………………。
…………………
…………。
その、夜。
荷台で眠るサーニャを横目に、君は薪を見つめている。
「……………………」
しばしの、沈黙。
「さて」
やがて君は、口を開いた。
「そろそろ、正体を明かしてもらっても良いか?」
その言葉に対する、返答はない。
だが、君は構わず、こう続けた。
「お前、――ユーシャだろ?」
友の名を、呼ぶ。
その名は、虚空へと吸い込まれて……。
「牢獄から逃がして……仕事の世話をして、しかも、女の世話まで! ……何もかも、お前の差し金だ。違うか?」
………………。
「なんでもかんでも、とんとん拍子で進みすぎなんだよ。俺の不運を舐めるなよ。俺の人生、こんな風にうまくいった試し、一度もないんだからな」
………………。
「サーニャは勘違いしてるみたいだが。……ユーシャは、良い奴だ。俺なんかと違って、本物の善人なんだ。……逃げた俺すら、救わずには居られないくらいに」
ホーホーと、梟の鳴き声だけが、辺りに響いている。
「話を逸らすなよ」
ちなみに君は、大きな考え違いをしている。
君を救ったのは、ユーシャ・ブレイブマンただ一人の感情ではない。
君以外の19人。……“第二次英雄隊”全員の総意だ。
「……………………」
魔族は、強すぎる。
“英雄隊”の総力をもってして、到底かなわないほどに。
「……………………」
君は、逃げた。
君は、たった一人、“中央府”へと逃げ帰った男だ。
「……………………」
だがその判断は、決して誤りではなかったと、ユーシャは考えている。
我々は、死して英霊となるよりも、生きて希望を繋ぐべきだったのだ。
君が、“物語”の中で書いたとおり。
希望はとても、善いものだから。
「……………………」
生きよ。
そして我らの人生を、語り継いでくれ。
僕たちの友。
僕たちの希望。
“
「……………………わかってるさ。借りは返すよ。必ず」
そうして君は、皮肉っぽく笑う。
この世の中は、残酷だ。
それでも、“希望”を繋げば……。やがて正義は、必ず勝つ。
物語の英雄が常に、そう在るように。
生きよ。
「……………………………………」
「ふにゃ」
そこでサーニャが、目を覚ました。
「なに……? だれか……しゃべってました?」
「いや」
君は、頭を振る。
「……いや。ただの独り言だよ」
――この世界の“物語”は、力を持つ。
君の冒険譚は、いま始まったばかりだ。
【了】
或る冒険譚 ~物語序盤で離脱するタイプの吟遊詩人、幸せ求めて奔走す~ 蒼蟲夕也 @aomushi
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