7話 サーニャ視点の吟遊詩人

 “彼”と、出会った時。

 オウドンを配りながら――サーニャはまず、こう思った。


(哀しい目をした人だ)


 と。

 次いで、こうも思った。


(きっと、優しい人だ)


 誰かの哀しみに、共感する心をもっている。

 そういう、人だ。


 孤児として育ったサーニャにはそれが、痛いほどわかる。


 だからだろうか?

 オウドンをすする彼に、何となく視線を向けていて。

 そして。


 “それ”を目撃した。


――こりゃ驚いた。教会の聖女さまに頼っても、首を横に振るばかりだったのに……。あんた、よっぽど優秀な術師さんなんだな!


 実際それは、とんでもなく『特殊』なこと。


 治療院の行う治癒には、限界がある。

 傷を治せても、傷痕までは消せない……と、そんな風に。

 老人の傷は、“治らない”類のものだった。

 いちど腐った足は、治癒魔法の効果が及ばないはず。

 だが、“彼”はいとも簡単に、それを治して見せたのだ。


 まず、不思議に思ったこと。


(なんで、こんな強力な魔法が、一般に知られてないのだろう)


 サーニャは、市井の合理性を信じている。

 本当に役立つものなら、それはきっと、世間に広く知れ渡っているはずだ。


 彼女の想像は正しかった。

 “物語魔法”には、大きな弱点がある。効果が安定しないのだ。

 ある人にとって100点の効果でも、別の人にとっては10点にも満たないほどに。


 かつて、こういう事件があった。

 とある“中央府”の重鎮の治癒を依頼された“吟遊詩人”が、効果が発現しなかったその男を、「ネズミ以下」と揶揄したのである。


「俺の“物語魔法”は、ネズミにも効く。あんたにそれが効かないってことは、ネズミ以下の知能しかないということだ」


 嘲弄を受けた重鎮は憎悪のあまり、治療院から“吟遊詩人”の追放令を出し……それ以来、“吟遊詩人”にとって冬の時代が到来した。


 そのようにして“吟遊詩人”は「酒場でリュートを演奏する人」となり……彼らの術は、ひどく軽んじられることとなったという。







 “彼”が屋敷に来て、数日後のこと。

 上司にあたるマック執事から、このような話を聞かされた。


「“あの御方”。どうも、元英雄隊らしい」


 “あの御方”というのは、“彼”の隠語である。

 屋敷のものは全員、“彼”に関する秘密厳守を徹底されていた。


「……えっ。で、でも……“英雄隊”って、人類の希望、ですよね?」


 前線にいるべき“英雄隊”が、なぜここに?

 不思議に思っていると、マック執事はさらに、このような話を続けた。


「どうも“あの御方”、敵前逃亡の罪で、処刑される手筈になっているようだ」

「…………!」


 敵前逃亡。

 その言葉に、サーニャは石を呑み込んだような気持ちになった。


 戦いのことは、わからない。“彼”のように責任感の強い人であっても、臆病風に吹かれてしまうものなのだろうか。


(いえ。違う。きっとなにか、訳があるはずよ)


 第二次英雄隊の出陣の折、パレードの見物に行ったことがある。


 総勢、二十名ほどからなる、人類最高峰の冒険者チーム。

 北方に巣くう、恐るべき“魔族”に対抗するために編成された、精鋭集団。


 そのリーダーの名を、ユーシャ・ブレイブマンという。


 金髪碧眼。眉目秀麗。

 剣の腕も立ち、人類史上最強の精霊使いでもある。

 絵に描いたような『ヒーロー』である彼に、多くの女性たちが黄色い声援を送っていた。


(あの、ユーシャさまが……“彼”の処刑を、手配した?)


 それが、彼女の導き出した『答え』。


 憧れているオペラ・スターのスキャンダルを聞いた気分だった。


「きっと……きっとユーシャさんは、ひどい人なんですっ。だから、優しい“彼”を殺してしまおうって……こ、これは……インボーだわ!」


 世間に知られる“大物”が、邪悪な心を持つ人で。

 誰からも省みられない“彼”こそが、真の“英雄”なのだ。


 サーニャは、こういう話をよく知っている。

 昔話は、みんなそう。

 いい気になっている人は、しっぺ返しを喰らうもの。


 だから。


(私が、“彼”の味方にならなくちゃ)


 少女は、そう決意したのである。



 そういう想いが、あったからかもしれない。


「ってことは。……御主人様――……治るんですね?」

「ああ。任せてくれ」


 その言葉に、胸がいっぱいになって。


「良かった……良かった……!」


 “彼”を、思いっきりハグしてしまったのは。



 部屋を辞したあと、サーニャは自分のほっぺたをぱたぱたと仰いで、


(やらかしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!)


 と、頭を抱えていた。


(ふしだらな女の子だと思われたぁあああああああああ!)


 サーニャには、そういうところがある。

 想いが爆発すると、自分の「やりたいこと」と止められないのだ。

 その結果、往々にして空気の読めない行動に出る。


「うう……さいあくだ……」


 “彼”のいる書斎を振り返り、サーニャは半泣きで呟いた。

 “彼”はいま、“物語魔法”の創作に取りかかっている。


 “物語”によって受けた呪いは、“物語”によって取り除くしかない。

 だが、一歩間違えると、傷口が広がることもある。

 それは、かなり微妙なさじ加減を要するものらしく……明確な“正解”もない。

 ベテランの吟遊詩人が編んだ“物語”を、新米吟遊詩人の“物語”が凌駕することも多いという。


「がんばってください……!」


 そう、小声で呟いて。

 先ほどみた、“彼”の驚いた顔を思い出す。


 何かを、我慢しているような。

 何かに、耐えているような。

 それでいて、鳩が豆鉄砲を喰らったような。


 ずーん、と、サーニャは沈み込む。


(抱きしめ返してくれなかったってことは……そういうこと、だよね)


 “彼”にとって自分は、対象外。

 胸が、ちくちくと痛む。




 彼女の心に――恋が芽生え始めていた。







 そうして、一昼夜が過ぎ。


 君が編んだ“物語魔法”は、以下のような内容だった。


――――――――――――――――――――――


『百年一夜』


 こんな夢を見た。

 私の目の前では、黒髪の乙女が倒れている。

 美しくふくよかで、薔薇のような頬を持つ彼女は、ぽつりと、


「もう死にます」


 と言った。

 私は、彼女の頬に手を当てて、「綺麗だ」と思う。


「しかし、なぜ死ぬんだい」

「理由は特にありません」

「それは困ったねえ」

「でも、死ぬんですもの。仕方ありませんわ」


 私はがっかりして、うつむく彼女を見つめた。


「私にできることはあるかね」

「ええ」


 彼女は、哀しげに微笑んで、こう言った。


「百年、お待ちください」

「百年?」

「ええ。百年したら私、きっとまた、お逢いします。日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」

「わかった。そうしよう」


 私はそう請け負って……彼女の最期を看取った。


 次の日。

 目を覚ました私は、女のいないことに気づいて、しばし泣いた。


 けれど、こうも思ったのだ。

 女は私に、贈り物をくれた。


 再会の約束という――“希望”という、贈り物を。


 私は、立つ。


 そうすることが、女の望みであると。

 そうすることが、この物語の結末にふさわしい、と。

 ぼんやりとそう、感じながら。


――――――――――――――――――――――




 呪いの“怪談”を改編した、希望の物語。

 結論から言うと――その効果は、てきめんだった。



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