7話 サーニャ視点の吟遊詩人
“彼”と、出会った時。
オウドンを配りながら――サーニャはまず、こう思った。
(哀しい目をした人だ)
と。
次いで、こうも思った。
(きっと、優しい人だ)
誰かの哀しみに、共感する心をもっている。
そういう、人だ。
孤児として育ったサーニャにはそれが、痛いほどわかる。
だからだろうか?
オウドンをすする彼に、何となく視線を向けていて。
そして。
“それ”を目撃した。
――こりゃ驚いた。教会の聖女さまに頼っても、首を横に振るばかりだったのに……。あんた、よっぽど優秀な術師さんなんだな!
実際それは、とんでもなく『特殊』なこと。
治療院の行う治癒には、限界がある。
傷を治せても、傷痕までは消せない……と、そんな風に。
老人の傷は、“治らない”類のものだった。
いちど腐った足は、治癒魔法の効果が及ばないはず。
だが、“彼”はいとも簡単に、それを治して見せたのだ。
まず、不思議に思ったこと。
(なんで、こんな強力な魔法が、一般に知られてないのだろう)
サーニャは、市井の合理性を信じている。
本当に役立つものなら、それはきっと、世間に広く知れ渡っているはずだ。
彼女の想像は正しかった。
“物語魔法”には、大きな弱点がある。効果が安定しないのだ。
ある人にとって100点の効果でも、別の人にとっては10点にも満たないほどに。
かつて、こういう事件があった。
とある“中央府”の重鎮の治癒を依頼された“吟遊詩人”が、効果が発現しなかったその男を、「ネズミ以下」と揶揄したのである。
「俺の“物語魔法”は、ネズミにも効く。あんたにそれが効かないってことは、ネズミ以下の知能しかないということだ」
嘲弄を受けた重鎮は憎悪のあまり、治療院から“吟遊詩人”の追放令を出し……それ以来、“吟遊詩人”にとって冬の時代が到来した。
そのようにして“吟遊詩人”は「酒場でリュートを演奏する人」となり……彼らの術は、ひどく軽んじられることとなったという。
▼
“彼”が屋敷に来て、数日後のこと。
上司にあたるマック執事から、このような話を聞かされた。
「“あの御方”。どうも、元英雄隊らしい」
“あの御方”というのは、“彼”の隠語である。
屋敷のものは全員、“彼”に関する秘密厳守を徹底されていた。
「……えっ。で、でも……“英雄隊”って、人類の希望、ですよね?」
前線にいるべき“英雄隊”が、なぜここに?
不思議に思っていると、マック執事はさらに、このような話を続けた。
「どうも“あの御方”、敵前逃亡の罪で、処刑される手筈になっているようだ」
「…………!」
敵前逃亡。
その言葉に、サーニャは石を呑み込んだような気持ちになった。
戦いのことは、わからない。“彼”のように責任感の強い人であっても、臆病風に吹かれてしまうものなのだろうか。
(いえ。違う。きっとなにか、訳があるはずよ)
第二次英雄隊の出陣の折、パレードの見物に行ったことがある。
総勢、二十名ほどからなる、人類最高峰の冒険者チーム。
北方に巣くう、恐るべき“魔族”に対抗するために編成された、精鋭集団。
そのリーダーの名を、ユーシャ・ブレイブマンという。
金髪碧眼。眉目秀麗。
剣の腕も立ち、人類史上最強の精霊使いでもある。
絵に描いたような『ヒーロー』である彼に、多くの女性たちが黄色い声援を送っていた。
(あの、ユーシャさまが……“彼”の処刑を、手配した?)
それが、彼女の導き出した『答え』。
憧れているオペラ・スターのスキャンダルを聞いた気分だった。
「きっと……きっとユーシャさんは、ひどい人なんですっ。だから、優しい“彼”を殺してしまおうって……こ、これは……インボーだわ!」
世間に知られる“大物”が、邪悪な心を持つ人で。
誰からも省みられない“彼”こそが、真の“英雄”なのだ。
サーニャは、こういう話をよく知っている。
昔話は、みんなそう。
いい気になっている人は、しっぺ返しを喰らうもの。
だから。
(私が、“彼”の味方にならなくちゃ)
少女は、そう決意したのである。
▼
そういう想いが、あったからかもしれない。
「ってことは。……御主人様――……治るんですね?」
「ああ。任せてくれ」
その言葉に、胸がいっぱいになって。
「良かった……良かった……!」
“彼”を、思いっきりハグしてしまったのは。
▼
部屋を辞したあと、サーニャは自分のほっぺたをぱたぱたと仰いで、
(やらかしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!)
と、頭を抱えていた。
(ふしだらな女の子だと思われたぁあああああああああ!)
サーニャには、そういうところがある。
想いが爆発すると、自分の「やりたいこと」と止められないのだ。
その結果、往々にして空気の読めない行動に出る。
「うう……さいあくだ……」
“彼”のいる書斎を振り返り、サーニャは半泣きで呟いた。
“彼”はいま、“物語魔法”の創作に取りかかっている。
“物語”によって受けた呪いは、“物語”によって取り除くしかない。
だが、一歩間違えると、傷口が広がることもある。
それは、かなり微妙なさじ加減を要するものらしく……明確な“正解”もない。
ベテランの吟遊詩人が編んだ“物語”を、新米吟遊詩人の“物語”が凌駕することも多いという。
「がんばってください……!」
そう、小声で呟いて。
先ほどみた、“彼”の驚いた顔を思い出す。
何かを、我慢しているような。
何かに、耐えているような。
それでいて、鳩が豆鉄砲を喰らったような。
ずーん、と、サーニャは沈み込む。
(抱きしめ返してくれなかったってことは……そういうこと、だよね)
“彼”にとって自分は、対象外。
胸が、ちくちくと痛む。
彼女の心に――恋が芽生え始めていた。
▼
そうして、一昼夜が過ぎ。
君が編んだ“物語魔法”は、以下のような内容だった。
――――――――――――――――――――――
『百年一夜』
こんな夢を見た。
私の目の前では、黒髪の乙女が倒れている。
美しくふくよかで、薔薇のような頬を持つ彼女は、ぽつりと、
「もう死にます」
と言った。
私は、彼女の頬に手を当てて、「綺麗だ」と思う。
「しかし、なぜ死ぬんだい」
「理由は特にありません」
「それは困ったねえ」
「でも、死ぬんですもの。仕方ありませんわ」
私はがっかりして、うつむく彼女を見つめた。
「私にできることはあるかね」
「ええ」
彼女は、哀しげに微笑んで、こう言った。
「百年、お待ちください」
「百年?」
「ええ。百年したら私、きっとまた、お逢いします。日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」
「わかった。そうしよう」
私はそう請け負って……彼女の最期を看取った。
次の日。
目を覚ました私は、女のいないことに気づいて、しばし泣いた。
けれど、こうも思ったのだ。
女は私に、贈り物をくれた。
再会の約束という――“希望”という、贈り物を。
私は、立つ。
そうすることが、女の望みであると。
そうすることが、この物語の結末にふさわしい、と。
ぼんやりとそう、感じながら。
――――――――――――――――――――――
呪いの“怪談”を改編した、希望の物語。
結論から言うと――その効果は、てきめんだった。
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