第9話 姜斉
強盛を誇るも
そして、その
姜無詭 桓公の子、即位後即暗殺。0年。
孝公 桓公の子、衛公の画策で弑逆。9年。
昭公 桓公の子、病死。19年。
斉君舎 昭公の子、即位後即暗殺。0年。
懿公 桓公の子、驕慢の末弑逆。4年。
恵公 桓公の子、病死。9年。
頃公 恵公の子、病死。16年。
霊公 頃公の子、病死。27年。
荘公 霊公の子、崔杼の妻に手を出し殺される。5年。
桓公の死が -643 年で、景公即位が -547 年。普通に考えれば病死の四名で回りそうなところ、その倍の人数がかかっておるわけである。どれだけ侯位が血にまみれたのかがわかろうというものであるな。それにしても
荘公に妻を寝取られた崔杼が怒って荘公を殺すと、当時の太史(※歴史著述家のこと)兄弟が「崔杼弑君」と記録、これに怒った崔杼が兄ふたりを殺しても、一番下の弟もまた兄の残した記録を撤回しなかった、と言うものである。中国史における歴史記述を語る上では決して外せぬエピソードではあるとも感じておるのだが、……まぁ、考えてもみれば曽先之先生はご自身の主張のためであればゴシップをねじ込んでも構わぬと言う姿勢でおられたな。晋文公のゴシップねじ込みは本当にひどすぎたものな。その意味で曽先之先生を史家と呼ぶのは厳しいのやも知れぬ。過日頂戴したレビューにて、十八史略について「ゆっくり解説」というお言葉を頂戴したが、やはりそのあたりの位置づけがふさわしいのやもな。
なお「崔杼弑君」については、他小説サイトにて恐縮であるが
https://novelup.plus/story/217183168
崔杼まわりについてはこちらの物語に心動かされたゆえ印象深い、というのが賞味のところでもあるような気はする。
こうしたどさくさを経て十八史略は景公の段にいたり斉が復興した、と書くのであるが、その功績についてはご覧のとおり、すべて
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054885013677
https://kakuyomu.jp/works/16816700428584992583/episodes/16816700429079956284
……威勢こそ誇ったが人々からは尊敬されなかった、と書かれる。対する晏嬰が慎ましきを貫いた、と書かれており、この辺りには「僕らの孔子さまをやっつけようとした景公は悪いやつ! けど晏子は孔子さまによくしてくれてるからいいやつ!」的な印象を受ける。とは言え正直どこまで晏子と孔子に接点があったのか、という部分には、疑問符を抱かざるを得ぬ。晏子に一瞬もてなされただけのことを「仲良くした」と語っておるのではないか? と思えてしまうのである。
景公死亡後、十八史略は一気に巻いて姜斉を滅ぼす。そのぶっ飛ばしぶりの激しさたるや半端ないのであるが、のちの田斉を立てる田氏のエピソードを露骨に載せ、さも「景公が姜斉滅亡の契機を立ち上げた」とでも言わんばかりである。無茶言うな。
◯
史記 史略 史記比 史略比 比率対
姜齊 7090 519 6.37% 3.83% 60.17%
魯 5722 673 5.14% 4.97% 96.67%
晉 12078 397 10.85% 2.93% 27.02%
田斉 5644 1643 5.07% 12.13% 239.27%
史記と十八史略との文字数比率比較にあたり、いくつか参考になりそうな国と合わせて載せさせていただく。まず晋文公、晋を経て姜斉を見るに、「晋に比べて姜斉のほうがマシ、けどやっぱ好きくない」がにじみ出ておるのが伺える。
戦国時代の国々は史記世家よりも史記列伝よりの取材を厚くしておるため、一概に比べようがない。そこで比較すべきは春秋の他の国、ということになる。明らかに魯の扱いが重い。孔子を別口にした上で、この差である。「中原人サイドの」春秋五覇嫌いが、国へのヘイトにまでつながっておる印象を否めぬ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます