4「悪夢」
半月の夜、少女はまた、同じ夢を見る。
――異国から訪れた、名前も知らない男――その顔はぼんやりと霞んで、どのような者なのかも判然としないが、優しく微笑み、手を差し出してくれる。
窓一つだけ、黒一面の小部屋でへたりこんでいたリュディヤは、その手を取り、立ち上がり、連れ出され――そして場面は、唐突に切り替わる。
炎に沈む、国。
代々の龍燈守が守ってきたはずの龍の管制が絶えたことで、数多の龍の飛来を受けることになった名も知らぬ都市が、闇夜の中、紅い炎に焼き尽くされていく。
リュディヤはたった一人で、その国を一望できる丘に立ち、涙を流していた。
――ごめんなさい。
多くの人々を呑み込みつつ、果てしなく広がっていく業火を眺めながら、どこか他人事のように想った。
そこで、いつも夢は終わる。
―――――――――――――――――――――――――――――
「…………っ!」
薄ら青い闇の中、丸まって眠っていたリュディヤの目がぱちりと開いた。
――来る!
慌てて跳ね起き、毛布を吹っ飛ばして寝間着のままベッドから飛び出して『ぴぎい!?』どうやらオレンジを思いっきり踏んづけたが、とにかく屋上の投光機構へと急ぐ。
石室へ辿り着いたリュディヤは、半月に照らされて揺らぐ黒い大洋を――その果ての水平線に目を凝らした。
「―—飛翔針路、〇七五。速度毎時150ルム。高度は、130……いや、120? 今度の子はだいぶ低空で来る……!」
寝起きの頭ながらも素早く演算を終えたリュディヤは、がこがこと音を立てる投光装置に浮かんだ光の術式に指をかけ、トリガーを引く――
――その刹那、石室へ上がる螺旋階段から、たった今足蹴にされて憤慨している様子のオレンジが、ひょこっと頭を出した。
『ぴぎー!』
「あっ……だめ、オレンジ!! 下に戻って――」
――遅かった。
――バギン!! 凄まじい金属の衝突音、膨大な閃光。
『―――—ッ!』
龍にとっては忌避効果のある光を直近でもろに浴びたオレンジは悲鳴を上げ、そのぽてぽてした丸っこい身体が、螺旋階段を転がり落ちていく――。
「オレンジっ!!」
しかしリュディヤは動けず。
空に青色の光図が描かれていく。龍に対する誘導灯、言わば標。
間も無く飛来するであろう龍が、この空域を脱するまでは、どうあっても維持しなければならないものだ。
この光が失われてしまえば、龍は、近くの村の灯りに気付いてしまう。興味を持ってしまう。そして舞い降りる――。
その結果は想像に難くない。夢に見た光景の実現に他ならない。
「……はやく、はやく来てよ……!」
リュディヤが歯噛みしていると、水平線から、ちかちかと瞬く青光が現れた。
それは長く鋭い光跡を描きながら、真っ直ぐこちらに近付いてくる。
姿を確かめる間すらなく、その光――龍燈台の上空に広がった
「……!」
リュディヤは歯を食いしばりながら、吹き抜ける光を仰ぎ、耐えた。
龍燈台の光は、やがて消える。
「…………!」終わった!
本来なら投光機構の確認をするべきところ、リュディヤは事後調整もそっちのけで、階段を跳ね降りていく。
『ぎー! ぎぃー!』
「オレンジっ! 落ち着いて。大丈夫、大丈夫だからっ……!」
階段の脇で、錯乱状態に陥ったオレンジがのたうちまりながら、苦悶の咆哮をあげていた。
「ばかっ! 上に上がって来ちゃダメって、あれほど言っておいたのに……!」
リュディヤはそんなオレンジを抱え上げ、ぎゅう、と強く強く抱き締めると。
「ごめんね、ごめんねオレンジ。私のせいか。踏んづけられたから文句を言いたかっただけなんだよね。私、いつも気を付けてたのに」
『ぎぃ……っ!』
リュディヤの腕から逃れようと藻掻いていたオレンジは、やがて少しずつ落ち着きを取り戻す。
『……ぴぃ』
そして、その小さい前脚を伸ばし、懸命に抱き留めていたリュディヤの頬を使う涙を、掬い取ろうとしていた。
その仕草に気付いたリュディヤが、くすりと笑う。
「……もう、大丈夫?」
『びぎー』
「そっか、よかった。もう二度としないから……というかやっぱり、寝床は分けちゃわない? 私のベッドの隣じゃなくても良いと思うんだ」
『ぴぎ!』
オレンジは首をぶんぶんと振った。それは嫌らしい。
懐いてくれているのは良いけど、それはそれで、正直困りものだ。
――――――――――――――――――――――――
オレンジを抱えたままベッドへ戻ったリュディヤは、罪悪感やら何やらでオレンジをベッドに連れ込もうとするが、オレンジはそれを断固として拒否した。
『ぴぎー』いやいやと首を振り、リュディヤの腕からするりと抜け出ると、雑多な品物――木箱や書籍や実験器具――もしかしたらガラクタの山をいそいそと籠に放り込み、その中に潜り込んでいった。
「……それって、ドラゴンの習性なの?」
『ぴぎ?』
訝しんで呆れるリュディヤに応えて顔を上げたオレンジの頭に、分厚い法術書が乗っかっている。
「一回くらいはさ、ベッドで寝てみたら? ふかふかで気持ち良いよ」
『ぴぎー!』
「ああ、判ってる、判ってるって。ぐにぐにして不安になるんだよね」
自他共に認めるものぐさでぐうたら。そんなリュディヤであるが、ベッド周りだけは万年床にならないように、頑張ってきちんとしている。シーツも頻繁に交換し、常にふかふかのすべすべ、ベストコンディションを維持しているのだ。
質の良い睡眠が良い仕事を産む――それがリュディヤの数少ない哲学。眠りに関してだけは並々ならぬ情熱と拘りがある。
しかしどうやらオレンジ、というよりも龍は――その生態などリュディヤにはさっぱりだが――どうも、ごつごつとした何かに囲まれている方が落ち着くらしい。
金銀財宝に埋もれて眠る龍、という物語のモチーフがあることくらいは、リュディヤも知っている。その片鱗と言えば片鱗なのだろう。
「きみたちのこと、もっとちゃんと勉強しなきゃいけないなぁ……」
再びベッドに横になり、丸まったリュディヤは誰ともなしに呟いた。
とは言え『龍』と一口に言っても、その種や生態は様々。
古来より人は『ドラゴン』を様々な形で追い、その強力な生命の恩恵に預かろうと策謀を巡らせてきたが、それを簡単に許さないからこそ『龍』と呼ばれ、畏怖されるものなのだ。
粛々たる神話から、幼稚な与太話まで――その正体や本質があまりにも深淵であり、あらゆる解釈が為されるもの。そして恐らくは、その解釈の全てが正しい。
その、あまりにも広大で、漠然とした捉えどころのない概念に思考を委ねるのは、リュディヤが再び眠りに落ちるに丁度よく、心地のいい安らぎだった。
――要するに、小難しいことを考えてるうちに寝ちゃったのだ。
龍燈守のリュディヤと片翼の幼龍 Shiromfly @Shiromfly2
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