3「来訪」
『ぴぎぃ』
「……疲れちゃった。もうダメ。私はどうせ、ぐうたらでだらしのない、面倒くさがり。そういう女のコなの……」
オレンジの寝床と、木机の周りだけをとりあえず綺麗にしたリュディヤは、そこで力尽きてぐったり。部屋の隅の肘掛椅子に座り、俯いてぶつぶつと唱えていた。
『ぎー!』
「判ってるってば。それでも毎日少しずつでも片付ける癖をつけるのが大切だってことくらい! でもそれがどうしても出来ないの!」
オレンジはあるかないかの短い首を伸ばし、積み重なった本や雑貨などで一杯の小部屋の惨状をきょろきょろと見回してから、溜息を吐く仕草をする。
「だって、いつ龍が通り過ぎるか判らないんだよ? いつだって心の片隅で構えておかないといけないの。だから集中できないの」
『びぎい!』
「言い訳じゃないもんっ!」
『ぎぃ』
「なに? 頬を膨らませても可愛くない? ぱんっぱんに膨らんでるきみに言われたくないな……!」
子供の龍相手にムキになっているのがちょっぴり情けない。それが正論であるから尚更だ。しかしこうやって毎日の様に説教される謂れもない。段々とむかっ腹が立ってきたリュディヤが立ち上がりかけた時。
――ガラガラガラコロガラコロガラン!
「!!」『!!』
部屋の天井に張り巡らせた紐に吊るしてある、大小様々の呼び鐘や木札が一斉に鳴って、リュディヤもオレンジも一緒になって跳び上がった。
来訪者を報せるための仕掛けである――それにしてはやたらと大仰だが、それはリュディヤが熟睡すると、龍の飛来に関する兆候以外では滅多なことでは起きられない体質のせいで――それはともかく。
「ヨノさんかな……」
木扉を抜け、灯台の内壁に沿う形で回る古い木の階段を、急ぎ足でとんとんと降りていく。
灯台の内部は大量の木組みが張り巡らされており、ところどころは身を屈めて潜らなければならない程だ。
一階に降りたリュディヤは、これまた相当に古い霊木の扉―—呪いの言葉や様々な図形がびっしりと書き込まれた札が大量に張られてる――を力一杯押す。
ぎぎぎぎ、と重く危うく軋む扉を、なんとか少しだけ開けて、どうにか隙間から顔を覗かせた。
「こんにちはリュディヤちゃん、差し入れだよ」
「こんちは、い、いつもありがとうございます……」
布の包みを抱えて扉の外に立ち、呆れた様に笑っている女性の名はヨノという。
近くの漁村に住む、ウェーブの掛かった明るい茶色のロングヘアが印象的な、三十半ばの人妻だ。
「あらやだ、またみっともない恰好で……元気にしてる?」
「はい、いちおうは」
「掃除や洗濯もきちんとしないと駄目よ。お母さんのことは残念だけど、もう一年も経つのよ。そろそろ自分のことを第一に考えなきゃ」
「……はい……」
リュディヤのぼっさぼさの暗銀髪や、よっれよれのローブを見咎めたヨノが眉を吊り上げた。
彼女は、亡くなった母の友人で、時々こうして村から小一時間ほどをかけてリュディヤへ荷物を届けてくれている。気に掛けてもらえるのはとても有難いことだと感謝もしているが、どうもこう、若干押しの強いお節介気質は、母親以外との交流を殆ど知らないリュディヤにとっては気後れしてしまう相手でもあった。
「どうせまたお部屋も散らかってるんでしょ。全く、リュニにそっくり。適当なところまで似ちゃってまあ」
「…………」
「それはそれとして、何か要り用のものはある?」
「あ、はい。えと、これ……」
リュディヤはよれよれローブのポケットをごそごそと探り、くしゃくしゃの紙を取り出した。書籍や雑貨のリストを記した走り書きのメモだ。
扉の隙間から食品類を詰めた包みと交換したヨノは、そのメモを暫く見つめたあと、ぽつりと呟いた。
「……ところで、リュディヤ。あなたも、もう十六だよね」
「……はい」
「そっか。じゃあ尚の事、身綺麗にしておかなきゃ」
「…………はい……」
明らかに気落ちしている風のリュディヤに、少し複雑な笑みを浮かべたヨノは軽く頷いて、灯台を見上げた。
「その話はまた今度にしようか。それじゃあ……お暇するわね」
「あ、あのっ」
「うん?」
「あの、ほんと、いつも……ありがとうございます。お礼はまた今度必ず」
「またあの霊薬の失敗作を? 私の息子が怒ってたわよ。『確かに効いたけど、唇が真緑になった! 実験台にするんじゃねえ』って」
「ああ……ええ、ハイ。反省してます」
からからと笑って別れを告げたヨノの背中を暫く見送って、扉を封じたリュディヤは上階へと昇り。
『ぷぎー!』
部屋へ戻るなり、ヨノから貰った包みをその辺に適当に放り出すと、オレンジが羽を逆立てて怒った。そういうとこだぞ。
「ん……。うん、あとでちゃんと仕舞うよ」
リュディヤが、いつも以上にぶっきらぼうに応えた。
『ぎ?』
普段も酷いが、更に陰気臭い表情をするリュディヤへ、オレンジは不思議そうにトコトコ歩み寄って、見上げる。
『ぴぎー』
「『立ち寄ってくれるついでに部屋の片付けもしてもらえばいいのに』?」
『ぴぎぴぎ』
「仕方ないじゃん。あのね? ここは普通の人が立ち入れないように封印がなされてるの。それは太古の術的結界の一種で、私たちの血族以外の人が入ると、えーと……それはもう大変なことに……」
『ぷぎ』
「嘘じゃないって!! どうなるかは知らないけど! 爆発でもするんだよたぶん」
『ぴぎー』
「うん、封印を解く方法はあるよ。でも……」
リュディヤの声が、少し震えた。
「……そういうのを全部教えてくれる前に、お母さん、死んじゃったんだもん」
『……ぴぎ』
「だから、こうしてお母さんが遺してくれた本を読んで勉強してるの。必要なことをちょっとずつでも覚えなきゃ」
そう言って、束の間翳りのある憂鬱な表情を浮かべたリュディヤは、しかし無理に微笑んでみせた。
オレンジに嘘はついていない。確かにリュディヤは正統な龍燈守としての知識を完全に得ることなく、母親の後を継ぐ事になってしまったのだ。
――龍燈台はその重要性から、何重もの防衛機構によって守られており、龍燈守の血筋を引く者以外は、内部へ侵入することすら叶わない。
以前は、龍燈守の血族も大勢の者が居た。
遥か昔の龍燈守は、リュディヤの様にたった一人ではなく、複数の龍燈守により、余裕をもった交代制で行われていたという。
しかし、長い時を経る間に、いつしかその数は減っていく。
理屈は不明だが、龍燈守の才能は女性だけが発現するものだった。
そんな彼女らは次代の龍燈守を産むために、多くの男と交わる必要があった。
灯台近くの村は、そんな男たちを外地から迎え入れるための宿場が興りなのだ。
龍燈守はその半ば人間離れした資質故か、普通の男を相手にしても、なかなか妊娠に至らない。
だから母親も、そうやって多くの男に抱かれて、ようやくリュディヤを身籠った。
その事だけは、リュディヤもよく理解している。
知らないのは、顔も名も知らない父親のことだ。
たぶん、母親自身も最期まで知らないままだったのだろう。
毎週のように村から男が通い、そして一夜を共にする。
それもまた、龍燈守の大切な使命。
十六歳になったリュディヤもまた、いつかは、そうしなければならない。
ただ、その為には『侵入者』を灯台の
そうして初めて、リュディヤは一人前の龍燈守になれる。
但しその時は、ヨノの代わりに、初めて出会う男が食糧を携えて、扉の前に立つ日でもある。
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