2「片翼の幼龍」

 リュディヤが階下の自室へ戻ると、丸くてぷくぷくした塊がぴょんぴょん飛び跳ねながら足元へ転がってきた。


 体長六十セルツほど、リュディヤが抱き抱えて眠るのに丁度いいサイズの、オレンジ色の子供の龍だ。名前もオレンジである。

『ぷぎー!!』

 どうやらすんごい怒っている。


 『オレンジ』はおよそ半年前、リュディヤが偶然の成り行きで拾ったF/III(フレイガートスケール3)クラスの飛龍の幼体である。とある夏の嵐の日の翌日、窓から飛び散ってしまった私物を拾いに(数週間ぶりの)外出をした際、海岸でリュディヤの衣服にくるまって震えていたところを見つけ、拾って帰って来たのだ。


「起こしちゃった? ごめんごめん。え? 寝床を汚されたから今すぐ掃除しろ?」

 おかんむりのオレンジが、片方の翼で必死に指し示している方を見ると、なるほど、つい先程、龍の出現を察知して慌てて立ち会った時にこぼしたビーカーの液体が、オレンジのベッドである、籠に詰められた毛布をぐっしょり汚していた。


「……めんどくさいなあ、あとでもいいよね……」

『ぎー!!』

「わはは、そんななぷくぷくの丸い手で叩かれたって痛くないもーん」

『ぎい……』

「冗談冗談。でも少し待っててね。いま通過していった龍の詳細を忘れないうちに記録しておか……な、きゃ……」


 リュディヤの笑顔が強張った。汚れたのはオレンジのベッドだけではない、重要な記録書類も茶色の液体まみれ、ひったひたの状態だったのだ。


『ぎー! ぎぎー!』

「うっさいな!判ってるよ。常日頃からちゃんと片付けてないからこうなるんだ、って言いたいんでしょ。仕方ないもん。そういう性分なの!」

『ぎぃ!』

「開き直るなみっともない? 言ったなあ、そんな生意気なやつは、こうだあ!」


 リュディヤはオレンジに飛び掛かり、ありとあらゆる狼藉を働いた。


 それは世にも残酷な……なので擬音だけでお伝えする。


 もちもち、ぶにぶに、ぼよんぼよん、だ。


「なははは、ほうら参ったか! 降参しないと次は、ばゆんばゆんの刑だよっ」

『ぎいい……』

 オレンジは翼で二回ぺちぺちとリュディヤの腕をタップした。ギブアップだ。


 ペット兼、話し相手兼、実験台。

 それがオレンジの、この部屋での立場の全てである。


 存分に堪能したリュディヤだったが、ふと、オレンジのまあるい背中を見て、優しく撫でてみた。何故そうなったかの理由は判らないが、オレンジの一対の翼の片方は根本から折れ千切れ、半分以下しか残っていない。


「……まだ全然治らないねえ。ごめんね、私も頑張ってみてるけど、独学じゃやっぱり難しいし、そもそも龍の治療なんて前例も無いしなあ……」


 苦笑いして、茶色の液体を満たしていた空のビーカーを見る。

 リュディヤは、オレンジを拾ったその日からずっと、負傷した翼の治療を試みていた。


 様々な薬草を試し、治療薬の練成を試してもみた。

 恐らくは強烈であろう痛みを和らげることには成功していたが、それからの進展は芳しくない。


 色々と作ったものを塗ってみたり飲ませてみたり。ごく僅かに傷口の再生が認められたものの、それ以上に大きく変わったことと言えば、やたらめったら色々と飲ませたり食べさせたりした所為でぶくぶく太らせてしまった程度だ。拾った時はもうちょっとスマートで格好いい龍だった気がする。


『ぎい?』

「うん。私は龍の飛跡を見る才能しかないもん。錬金術なんてきみを拾うまでれの字も知らなかったし。でも頑張ってみる。絶対にきみの翼を取り戻してあげる」

『ぎい』

「それに、龍の飛来なんて滅多にないし、基本的にすっごく暇だしね。錬金術の造薬を研究する時間は腐るほどあるから」

『ぎい!』

「……それはいいから早く片付けろ、ものぐさ? 実際に腐らせておいて言う台詞じゃない?……ああうん、そうかそうか。悪かったね! 面倒臭がりで出不精で不器用な引きこもりのコミュ障で!!」


『ぷぎー!』

 色々と言いたい放題にされたリュディヤは結構な勢いでオレンジを壁へと放り投げてやった。

 壁でぼふっ、と音を立てたオレンジはぎゅむっ、という音を立てて着地する。


 片翼をぱたぱたと羽ばたき、短い前脚をぶんぶん振って、ぞんざいな扱いに抗議しているオレンジを見つめて、リュディヤは思わず頬を緩めてしまった。


 正直、何だかんだ言って可愛らしくて仕方がない。若くしてこの世を去った母親の喪失から比較的早くに立ち直れたのは、オレンジの存在があってこそだった。


 当初、オレンジは全く懐いてくれなかった。

 灯台が立つ岬の近くの村へ助けを求めに走ったが、誰も彼も、龍と関わることを恐れているようで、そしてオレンジも人間に敵意を剥き出しにしていた。


 それでも強引に灯台に連れ帰り、必死に看病を続けたことで徐々に心を通い合わせた結果、現在ではすっかり――この有様である。


「さて、それじゃあ……片付けようかな。やだなあ、めんどくさい……でも唯一の仕事だけはちゃんとしないとだしね……」


 リュディヤはぶつぶつぶつぶつ言いながら、木机の周辺に散らばった雑貨を、本当に心底嫌そうな、この世の終わりのような顔をしながら、しぶしぶ拾い集め始めた。


 この性格でオレンジを生かしてやれたのは大したものである。

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