龍燈守のリュディヤと片翼の幼龍

Shiromfly

1「灯台の引きこもり」

「―—ほら、リュディヤ。見て? あれが龍さんよ」


 母親に手を引かれて見上げた空に、光跡を引いて飛ぶ、龍。


 それが『龍燈守りゅうとうもり』リュディヤの最初の思い出。


 

 彼女の住処は、南洋に突き出た岬に立つ、古い古い灯台。


 海と陸を隔てる境、海と空を隔てる線、大陸の果ての果て。


 行き交う船のためだけではなく、空をける龍が迷わないように造られた標。


 亡き母の跡を継いで、リュディヤは龍の灯台の守り手になった。




――――――――――


「ふぁ……今日も良い天気だなぁ……」

 吹き込む潮風が心地よくて、淡い暗銀の髪をくすぐられて。

 

 眠気のままにぼんやりと、灯台のてっぺんの小部屋の窓から見える景色を眺めていると、まるでこの世界には、大海と青空と白雲しか存在していないかの様に思える。


 とても狭く、雑多な物で溢れかえる自室で寝泊まりしながら龍の飛来を常に警戒し、万が一にでも船の航路と交差しないように警告を発するのが、彼女の仕事。


 殆ど地上に降りることもなく、一年のほぼ全てを自室で過ごす引きこもり生活だが、近くの村から誰かしらが定期的に食べ物や物資を持って尋ねてくれるので、これといった不便は感じない。



 リュディヤが暮らす【龍燈】が建設されたのは数百年も昔、航海技術の発達で人々が海に進出し始めてから暫くした頃。

 この湾の近辺は古くから龍の往来が盛んで、たびたび船が襲われることで恐れられており、航路の確保を確実なものとしたい国々は、龍との接近遭遇の回避を目的とするしるべを、辺境に造り上げたのだった。


 普通の灯台と違うのは、船へ警告だけに留まらず、『龍』の方にも船舶の接近を報せるための投光機構を備えていること。龍を狩って素材を得ようとする人間は昔から後を絶たない。双方に対して管制と警告を行うことで互いの安全を高めることができるのだ。


――――――――


 ――遠くで汽笛が鳴った。


「……あっ!」

 眠たげな紫の瞳を擦っていたリュディヤが、ぱっと顔を上げる。

 窓の端に小さく、黒煙を吐く機船が姿を現していた。


 ぼさぼさの暗銀の髪の一部がざわざわと揺れる。


「いっけない……っ!」

 ばたばたと慌ただしく立ち上がり、突っ伏していた木机から筆記用具や何らかの実験器具やら何やらがばらばらと落っこちる。ビーカーをなみなみと満たしていた茶色の液体がそれらにぶちまけられた。「ああああ、しまったっ」でも後回し。


 小部屋の中央の螺旋階段を駆け上がると、小さな六角の石室に出る。数本の柱で屋根だけが支えられており、壁はなく、周囲の海や空、森や山を一望できる。


 潮風を吹き曝されてはためく濃紺のローブを必死に抑え付けつつ、部屋の中央に据え付けられている大きな円状の木版の前に立った。


 幾つかの輪で構成された器械仕掛けの様な古い霊木の表面には、黒墨で描かれた幾何学模様が描かれている。


 リュディヤは【投光機構】を『起動』した。

 指先で幾何学模様の中心に触れると、仄かに青く光る文字や図式が次々と現れ、広がり、まるで雪の様に立ち昇り、同時に、幾つもの輪がガコガコと音を立て、複雑な変形を始めた。


 リュディナはじっと目を凝らして、陸側にそびえる山の合間をじっと見る。

 その紫眼に不思議な光が宿り、瞳には緻密な模様が浮かび――。


「―—飛翔針路〇四〇。速度毎時120ルム。高度は250エルタ……」


 ぶつぶつ唱えながら、片耳に指を突っ込む。目を思いっきりぎゅっと瞑る。

 飛翔経路の演算を終えると、広がった光の【術式】に指先を触れた。


――バキン!!


 金属同士が激しく衝突するような音、そして残響と共に、灯台を中心に同心円状の光が広がった。


 幾つかの図案グリフと切れ切れの光が陸から海へ、斜め上空へ向けて、さあっと伸びる。


 船に対する警告。そして龍へ向けた誘導灯だ。


「あううう、やっぱりこれ、いつまで経ってもぜんっぜん慣れないや……」


 投光装置の発動は、まるで目の前で特大の鐘が打ち鳴らされたよう。

 頭の中がぐわんぐわん揺れ、星がちかちかする。

 


 直後、山の樹々がざわめき始め、高速で飛翔する青い飛龍が姿を現した。


 湾に差し掛かかった龍は、灯台の周囲に巡る光を認めると、その標識に従って、若干の進路と高度を修正する。


 光翼を強く羽撃はばたかせ、更に高く。

 水面を叩きつけるような音と、閃光の波紋が散った。

 

 リュディヤは潮風に吹かれたローブが捲れ上がって下着が丸見えになっているのも忘れて、美しい光跡を残して海へと飛び去っていく龍の姿を見送った。



 龍たちの、星屑の様な光を残して翔ぶ姿が何よりも好きだった。 

 

 そしてちょうど一年前、十五歳の誕生日に逝ってしまった母親の手の温もりを思い出して、少し寂しくなった。


―――――――――――


 アラウスベリアに生息する龍は、飛翔する際に特有の光や音を放つ。


 リュディヤの一族はその予兆を察知できる特別な眼を持ち、故に代々、この辺境の灯台で番を続けている。リュディヤの母も、その母も、そのまた母の母も、ずっと。


 皆、こうして、ともすれば塔の頂上に幽閉されるに等しい小部屋で、一生を過ごしてきた。

 たぶん、リュディヤもそうやって暮らしていくのだろう。

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