老人ホームの柴犬

柴田 恭太朗

老人ホームの柴犬

「コーヒーのお替りいかがですか?」

 施設の職員さんがコーヒーサーバー片手に声をかけてくれた。透明ガラスの器から立ちのぼる芳香に心が惹かれる。あたたかな心遣いがうれしい。

 控室の白壁にかかった時計を見上げれば、まもなく予定の時刻になる。私はなごり惜しい気持ちを抑え、差し出しかけたカップをひっこめた。


「そろそろ私たちの出番のようです。美味しいコーヒーをごちそうさまでした」

 第一バイオリンの私は職員さんに頭を下げた。テーブルのメンバーを見回してうなずく。かれこれ十年続いたカルテットだ、言葉はいらない。皆もうなずき返し、手に手に弦楽器をつかむと、グレーの椅子を鳴らして立ち上がった。


 床に寝ていた子犬が、きなこ色の毛糸玉を転がすように逃げていく。耳元でガタリと鳴ったパイプ椅子に驚いたようだ。


「あら可愛い柴犬」

 ビオラの桜子さんがメガネの奥で目を細める。こんな施設にペットは珍しい、少なくとも私は子犬を見るのは初めてだ。


――なぜなら、ここは特養老人ホームだから。


 老人ホームのロビーで、私たち弦楽カルテット慰問演奏を行うようになったのは二年前のこと。最初は我々のほうから施設にアイデアを持ちかけ、手探りで始めたボランティア演奏だった。いつしか出演バンドが増え、季節ごとに行われるようになり、今ではすっかりホームのお年寄りたちに待ち望まれる定期イベントとなった。もちろん演奏会を楽しみにしているのは、ステージに立つ私たちだって同様だ。


 ただし演奏自体はお世辞にもうまくはない。我々はプロではない、趣味でやっているアマチュア楽団なのだ。音程は微妙にはずすし、楽譜を読み飛ばして迷子になることだってある。そんな演奏でも皆はあたたかく歓迎してくれた。


 なぜなら大切なのは非日常感、その一言に尽きる。芸術は二の次、雰囲気だけでいいのだ。老人ホームでの繰り返しの毎日に、新鮮な非日常を持ち込む。それだけで、お年寄りの心はウキウキと弾んで、翌日は肌が若返るとお世辞を言われたりもする。


 だからこそ見た目には手を抜かない。男性はタキシードに蝶ネクタイ、女性は華やかなカラードレスに身を包み、バイオリンやらチェロやらをビシッとかまえれば、見た目は立派なカルテットになる。


 その証拠にお年寄りたちはシワだらけの手で力いっぱい拍手をしてくれたし、「夕焼け小焼け」や「ふるさと」といった定番の曲を演奏すると声を合わせて一緒に歌ってくれた。思い出がこみ上げるのか、やせた背中を丸めて涙をこぼすお婆さんもいる。ステージから感動しているお年寄りの姿を見ると、こちらももらい泣きしてしまいそうになる。


 今日も老人ホームのロビーに、優雅な音楽の時が流れてゆく。

 順調にセットリストの曲をこなしていき、「夕焼け小焼け」の演奏がはじまった。


 出だしはなめらかに抒情的に、赤く染まった夕景を思い描いて第一バイオリンのメロディが歌い上げる。聴くものの感情を揺さぶる曲だ、懐かしさにキュッと胸が苦しくなって自然と涙がジワリにじむ。幼少時代を思い出したのか、お年寄りたちの中からすすり泣く声がもれ聞こえはじめたとき、ロビーにひときわ高い鳴き声が響いた。


――ウォーン


 入居老人ではない、人ですらない。それは柴犬だった。犬がメロディに合わせて、天井に向かって遠吠えしているのだ。


 さいわい夕焼け小焼けは完全に暗譜していた。私の手は勝手に動き、弓は止まらない。それをいいことに頭の半分で演奏を続け、残りの半分で客席と犬を観察した。


 控室で見た犬は手のひらに乗りそうな子犬だったし、ここで歌を披露しているのは身体の大きな成犬。さきほどとは別の個体だろう。しかし、老人ホームには動物が苦手なお年寄りだっているはず、何匹も犬を飼っているなんてことがあるのだろうか?


 ホーム職員の様子を見ると、意外にも犬を気にしていなかった。まったく気にしないどころか存在に気づいていないそぶりだ。

 ひょっとして柴犬が見えているのは私だけ……なのだろうか。


 いやそれは違う。ビオラの桜子さんの肩が小刻みに揺れている。笑いを必死にこらえているのだ。やはり柴犬はいる。見えているのは私だけではない。


 ◇


 柴犬の飛び入り参加以外に大きな事故もなく、我々は演奏を終えると先ほどの控室に戻った。

 再びカップにコーヒーをいでくれた職員さんにたずねてみる。


「さっきの柴犬ですがホームで飼っているんですか?」

「犬? 犬なんていませんよ。ホームにはのお年寄りもいますから、ペットの毛は厳禁ですもん」

 小太りの職員さんは朗らかに、だが即座に否定した。


 それなら我々の演奏を聴いて遠吠えしていた犬は、いったい何だろう? 私たちは顔を見合わせた。カルテットメンバーの誰もが、確かに柴犬の姿を見たし、はっきりと鳴き声を聞いていた。


 不思議なこともあるものだねと、いぶかしがりながらも私とビオラの桜子さんは、他の二人を残し、控室を後にする。

 ロビーでの演奏の後に、もう一仕事あるからだ。


 それは病状が重くロビーまで出られない老人の個室訪問だ。私たちは要望をいただけば、お年寄りの個室を回って演奏もした。ただし、個室の内部は決して広くないから四人全員が入室することはできないし、特に胴体の大きなチェロははなから無理だ。

 そこで私がカルテット曲をアレンジし、個室への慰問は立奏が可能なバイオリンとビオラだけで行えるように工夫した。


 ホームの廊下をエプロンをつけた別の職員さんが先に立って案内してくれる。その後ろから、我々はパタパタとスリッパを鳴らしながらついていく。

 もう十月だというのに、廊下の窓から射し込む日光は夏の名残を感じてまぶしい。リノリウムの床が白く太陽を照りかえしていた。


 楽器を持つ我々の横を、柴犬が当然のような顔で護衛然としてついてくる。爪がリノリウムを叩くチャッチャという音が廊下にこだまする。きなこ色の毛艶けづやが、先ほどより薄れているように思えた。もはや成犬というより老犬の風体ふうていだ。


「お前も来るのかい?」

 私は職員の耳には届かないよう、老柴犬に小声でささめいた。

 茶色の老犬は話しかけた私の顔をつぶらな瞳でじっと見つめ、やがて興味を失ったように前に向き直った。廊下にリズミカルな爪音が続いていく。


 目的の部屋は老人ホームの一番奥まった廊下のつき当りにあった。


「こちらです」

 職員さんが個室入口の引き戸を開け、入室するよう私たちをうながす。そのすきに柴犬が扉にぶつかりながら、こけつまろびつよろめきつつ忍び込んでいった。あいかわらず職員さんには老犬の姿が見えていないようだ。追い払うでもなく、犬を気にするでもなく、部屋の主に向けて「斎藤さん、慰問演奏の方たちですよ」などと声をかけている。


 我々が部屋に入ると、老柴犬は小刻みに震える後ろ足を不器用にあやつり、前足で体を引きずるようにして個室のベッドにたどり着いたところだった。ベッドの脇に居場所を探し出すと、レコード会社の犬にそっくりなポーズで座り、ベッドの主の顔をのぞき込む。


 個室のベッドに寝ていたのは年老いた女性だった。鼻に細い酸素チューブをつけている姿が痛々しい。斎藤さんと呼ばれた老女はベッド脇に柴犬の姿を見て、無言のまま細い枯れ枝のような手を差し伸べた。その手は、老犬の茶色の体毛がまばらになった頭まで届くことはなく、力尽きたように毛布の上にパタリと落ちる。


 それを見た柴犬は私たちの顔を見上げ、一声クーンと鳴いた。音楽を演奏せよと催促しているのだ。


 犬の声に誘われるように、私たちは弾き始めた。曲は「夕焼け小焼け」。

 演奏しながら私はこんなことを考えていた。


――これはお婆さんの飼い犬だ。ペットの柴犬が会いに来たのだ。


 もちろん根拠はない。しかし私は確信していた。犬は自らの死期を悟ると、飼い主に別れを告げにくるという。ペットの柴犬は、寝たきりとなった老婆に別れを告げにきたのだろう。これは魂? 生霊? なんと呼ぶかは知らない。ともかく柴犬が飼い主に会いたい気持ちが、この老人ホームにやってきた。その事実を私たちは目の前で見せられている。


 音楽を奏でている間は、五感を超えた別の感覚が研ぎ澄まされるものだ。これは音楽をたしなむ者なら、多かれ少なかれ経験する感覚である。


 老女と柴犬は直接触れあうことはなかったし、声をあげることもなかった。けれど、彼女らの交流の様子は目に見えずとも感覚でわかった。


 互いの魂はどちらも柔らかな綿あめのような形をしていて、内からあたたかな光を放っている。フカフカと揺れる二つの輝きはまるで再会を喜ぶかのようにうち震え、おぼろな輪郭がゆっくりと脈動した。


――老女と柴犬の魂同士が再会を喜び、触れあっている。


 二人の魂の抱擁に見とれつつ、我々は「夕焼け小焼け」のエンディングにさしかかる。

 曲の終わりを悟ったのか、ベッド脇の柴犬の瞳から光が失われていった。ついで犬の姿が薄れてゆく、その存在はとどまることなく大気へにじみ溶けだし、ついには無となった。

 ベッドの上の斎藤さんの片目が濡れている。シワのよった頬から枕にうっすらと光るものが流れ落ちた。


 職員さんが私たちへ拍手を送るなか、我々はベッドの斎藤さんに深々と会釈をした。すばらしい感動をありがとうの気持ちをこめて。


「いいもの見たね」

 頭を下げながら私は、ビオラの桜子さんに小さくささめいた。

「ですね」

 短くこたえて桜子さんはフゥッとため息をついた。必死に涙をこらえている様子だ。


 ◇


 ベッドに寝たきりだった斎藤さんは、それから数日して息を引き取ったと聞く。

 柴犬のことは分からないが、きっとあの日あの時間に自宅で死んだのだと思う。敬愛する飼い主を思いながら。


 以上が、老人ホームで起こった不思議なできごとのあらましである。ときおり思い出しては、あれは何だったのだろうと語りあうことはあったが、いくら推測をめぐらしてもどれも可能性の域をでない。結局、謎は解決することはなく、最後は「そういうこともあるんだね」でしめくくられた。


 これは私たちカルテットにとって、いくつかある印象深い事件のひとつ。

 他の出来事はまた機会を改めて……。


 終

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老人ホームの柴犬 柴田 恭太朗 @sofia_2020

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