最北端で待ち合わせ

朱々(shushu)

最北端で待ち合わせ

 二十八連勤目をしたその日、倒れた。

 椅子から転げ落ち、動けなくなった。まず胸が息苦しくなり、うまく呼吸が出来ない。まばたきすら上手くいかない。手足はどんどん痺れていく。立ち上がれる気がしない。

 このあたりから、意識がまばらになった。


 あとから聞いた話によると、先輩が救急車を呼んでくれたらしい。会社はエスカレーターのないビルの二階で、担架に乗せられながら救急車に運ばれたという。いろいろ質問されたのは、ぼんやり覚えている。名前、保険証の場所、一緒に住んでいる人。

 なにもわからない。なにも、わからない。

 やっぱり、覚えていない。




 目が覚めると、オフホワイトの天井が視界に広がる。左腕に小さな痛みがしたので見てみると、点滴が打たれていた。呼吸は正常に出来ている。手足の痺れは、残っている感覚だった。

「あらー。起きました〜?」

「あ、あの、私、いったいなにが、なんだか、」

「過呼吸だったのよ。がんばりすぎちゃったのね。上司の方も先輩さんもとても驚いていたわ」

「過呼吸…」

 かろうじて聞いたことのある言葉を脳内で探すも、頭がうまくまわらない。倒れて、運ばれて、今ここにいるということだろうか。

「今お母様が先生からお話聞いてるので、点滴もまだありますし、待っててくださいね」

 そう言うと看護師はカーテンを閉め、私はまたひとりになった。




 大学受験は、ほぼ全滅した。

 そのなかからいわゆるFラン大学に入学し、勉強も適当に、青春も適当に謳歌した。就職活動になれば大学名でセミナーは拒否され、書類審査も山のように断られた。受けた会社がもうすぐ百だと思うころには数えるのを辞めた。


 歴史ある会社がダメなら若い企業だと思い込むも、これも外れ。大学四年間の私は、無価値で無意味で、非凡な人間に成り下がっていた。いや、元々そうだったんだろう。

 やっと書類が通り面接に行けた会社が、創立一年目のオープニングメンバーを集めているところで、要するに、そこにしか受け入れてもらえなかった。先輩と呼べる人が四人ほどいて、同期が三人。後輩はまだいない。事業も展開していない、準備段階の会社である。

 それでも私は就職浪人するのがほとほと嫌で、その会社に決めてしまった。青山にある、というおしゃれさも後押しし、四月から平日働き始めたのである。


 ところが、会社の社長は一向に社に現れず、直属の上司だという男が現場を指揮していた。時には高級ケーキを差し入れし、皆の士気を高めた。インターネット上でおこなわれる新しいビジネスは多数の人間を巻き込みつつ、だが、ところどころおかしなところもあった。


 上司の機嫌で詰めていたはずの企画内容が百八十度変わり、四人いた先輩が一人無断欠勤でそのまま失踪。同期の一人は朝来たかと思ったら「辞めます」の一言。やっと二人後輩が入ってきたと思ったら、一人は三日で辞めた。

 一人の先輩はどんどん痩せ細り、メモ帳はぐちゃぐちゃになり、「もう耐えられない」と呟いた。翌日からその人も来なくなった。


 ネットビジネスなのでネット環境を支える会社との関係性も高く、その上司はいわゆるパワハラ同然で電話先に怒鳴り散らしたこともあった。それでもその会社は、仕事を続けてくれた。

 突然、決起集会だ!と言われ焼肉に連れて行ってもらった日、私はビールを飲んだ。他の人もアルコールを飲んでいたと思う。そして会が終わると、「さぁ、このあとは仕事だぞ!」と笑顔で言われた。ビールに浸された頭で、アイディアなど何も浮かんで来なかった。


 連日九時始業、帰りは終電。土日も同様。それでも、正社員扱いにしてもらえなかった。家に届く年金や健康保険料の手紙を持っていっては要望を出すも、「まぁまぁまぁ」と嗜められた。

 アルバイトのまま時給で働き、脳はだんだんと狂うことを自覚した。

 自分の時給もわからない。自分のやっている意味もわからない。自分の存在価値もない。

 そして二十八連勤目の日曜日、私は倒れた。




 左腕に刺さる点滴を見ながら、「私ももうダメだ」と悟った。

 辞めていったかつての仲間たちは、もう顔も名前もわからない。街ですれ違っても気づかないだろう。その人たちと、同じになる。私はもうそれでも構わないとすら思った。


 脳が狂い始めてると自覚し始めた頃、乗り換えの電車で足を踏み出せない経験があった。

 この電車に乗らないと始業時間に間に合わないのに。そうわかっているのに、足が動かない。体が動かない。息がやや浅くなり、後ろに並ぶ人に舌打ちをされた。

 私は慌ててベンチを探して座っては深呼吸をし、持っていたペットボトルの水を飲んだ。

 今のはなんだったんだろう…とその時は軽く考えていた。

 その結果が、今回の救急車騒動なのだ。

春子はるこ? 入るよ?」

 母が来てくれたようで、カーテンの内側に入ってきた。同時に男性の先生も入ってきて、何を告げられるのか少し緊張した。

「宮島春子さんで、お間違いないですね?」

「はい」

「今回は過呼吸、過換気症候群ということだったんですが、過去にこのような経験はありますか?」

「え、えっと、ないです。救急車に乗ったのも初めてですし、あまり、その、倒れた瞬間のことを覚えていません」

「…そうですか。今お話している限り呼吸も安定しているようですし、手足の痺れも徐々に治ってくるかと思います。そうですね…もしまた同じ症状が出たら、心療内科に行くのもひとつの手ですよ」


 …しんりょうないか?

 ……心療内科?

 あまりにも聞きなれない言葉に、私は言葉が詰まってしまった。母も同様である。


「もちろん、気軽に薦められる場所ではありませんが、今回のことでかなりストレスが溜まっているように見受けられます。クマも出来ているので、睡眠も不十分でしょう。通常の体に戻すためのリハビリだ、と思うくらいの助言だと思ってください」

 医者からの助言に、言葉を失った。

 そうか、もう私は、そんなところまで来てしまったのか、と。

「春子、痺れは大丈夫なの?」

「…うん。ただまだちょっと痺れてるから、歩ける感じじゃないかも…」

「会社の先輩って方が丁寧に電話くれてね、びっくりしちゃった。あとでちゃんとお礼を言わなくちゃね」

「うん………」

「せめて今日一日、明日もゆっくり過ごしてくださいね」


 点滴も無事に終わり看護師さんに針を抜いてもらった頃、手足の痺れもようやく落ち着いてきた。ただ、いきなり立ち上がったらふらついたのは事実だったので、ゆっくり行動するしかない。


 見ていなかったスマホを見ると、「明日は休養にあててください」と会社からメールが入っていた。

 行けるはずもない。行く勇気もない。だが、辞める勇気もない。

 迎えに来てくれた母の車に乗りながら、春子は回らない頭で考える。


 まだ一ヶ月しか働いていない会社で、先の見えない会社で、このまま過ごしていいものなのだろうか。

 就職浪人をすればよかったのか?

 違う大学に行けばよかったのか?

 専門学校のほうがよかったのだろうか?

 現実逃避としての「もしも」を考えながら、春子は車の中でいつの間にか眠っていた。






「宮島さぁ、明日から午後出社でいいからね」

 月曜日に休みをもらい、出社した火曜日。上司に個室へ呼び出されこう言われた。

 は? ただでさえ正社員にしてもらえていないのに、本当にアルバイト扱いになると?

「…なんでですか? 私が倒れたからですか?」

 他のスタッフは、別の大部屋で淡々と仕事をこなしている。

「まさかぁ、違うよぉ。ほら、宮島って今回のことがあってすごく繊細なことがわかったし、まぁ俺は元々それを見抜いていたんだけど、なんてゆーんだろ、ガラスの精神じゃない? そんな子をやっぱり会社としては無理させられないよぉ」

「…なんの問題もありません。仕事は続けます。あと以前にもお話しましたが、正社員の件を、」

「俺はねぇ」

 すると上司は急に春子の肩に手を乗せ、顔を近づけてくる。

 春子にとっては恐怖しかなかった。

「俺はねぇ、宮島のためを思って、言ってあげてるんだよぉ? だからほら、契約書にサインして?」

 その契約書には、本来九時から十八時勤務のものが、十三時から十八時に変わっていた。本当に午後出勤になっているのである。

「…嫌です。これにサインはできません」

「そうかぁ。してもらはないとこの部屋から…出られないねぇ」

 上司は笑わない笑顔のまま、本気だった。


 呼び出されたのは昼食後の十三時。

 それから、向かい合わせのテーブルで真ん中に契約書を置かれながら、上司の会社時代の武勇伝を散々聞かされた。内容は一切覚えていない。

 また、この会社で成し遂げたいことも告げられ、ほぼ軟禁状態だった。

 気付けば夕方十八時になっていた。


 もう何が正しくて何が間違っていて、誰が正解で誰が不正解なのかわからなかった。

 どんな選択肢をしたら、私は私になれたんだろう。

 軟禁状態に耐えられなくなった春子は契約書にサインし、翌日から午後出社になった。






 入社して二ヶ月目、昼出勤になった。

 「おはようございます」と会社に入ればスタッフにチラチラと見られ、そのまま私の存在はなかったことにされる。午前中にミーティングがあった日は、特にそうだ。


 もうここに、誰がいるのかなんてわからない。辞めていった先輩も同期も後輩も、今は何をしてるのかだなんて考えてもみなかった。今私が消えても、同じことだろう。

「宮島さん」

「先輩、おはようございます」

「おはよう。いきなり来て悪いんだけど、この書類まとめてもらっていい?」

「あ、はい。わかりました」

 そこに書かれていたのはミーティングの議事録やアイディアたちで、明確に私のいない世界だった。何がどうなってこの話に進んだんだろう。わからない。なにもわからない。

 書類を見ながら議事録と合わせてまとめ、自分の口角がどんどん下がっていくのがわかった。今の私は、何のために、誰のために、何をしているというのだろうか。


 昼出勤はその後も続き、必要な場面だけ駆り出され、それでも終電になることも多かった。なんの体調も悪くないのに「宮島、今日顔色悪いぞ。帰れよ」と言われて帰されたこともあった。「大丈夫です」と拒んでも、そのまま帰された。


 帰り道、都会の真ん中を歩きながら頭がズキズキしてきた。嫌だと言ったのに昼出勤にされ、元気なのに元気じゃないと判断される。

 もはやあの会社が、なんの事業をしているのかもわからない。


 泣くな。泣くな。泣くな。

 こんなことで、泣くな。


 潤む瞳をなんとか表面張力で止め、すぐ家に帰宅する気にもならず、カフェに入って時間を潰した。そんなときふと、倒れたときの救急隊員の話を思い出した。

「…心療内科」

 スマホで家の近くの心療内科を調べてみると、想像以上に数があって驚いた。みんなそれだけ、心に傷を持っているということか。

 いくつかサイトを眺めながら、家から少しだけ離れた場所の、雰囲気の良さそうな心療内科を見つけた。【電話をかける】というボタンに、指が震える。私はこのまま電話をしていいのだろうか。もっと大変な人がいるのではないか。

 私はそのままスマホをカバンにしまい、カフェを出た。




 翌日、体に異常が出た。

 電車のホームに立つと手足が痺れて、体が上手く動かない。目の前に乗らなくてはいけない電車があるのに、前に進むことが出来ない。


 ついに来てしまった、と、思ってしまった。

 泣くな。泣くな。私は弱くない。私は負け組じゃない。


 深く深く深呼吸をし、何本か電車を見送ってはやっと電車に乗れた。昼出勤にも関わらず十五分ほど遅刻した。

「なんだ宮島ぁ。この時間なのに遅刻か? 調子悪いなら帰ってもいいんだぞ」

 上司が半分にやにやしながら言ってくる。

「…大丈夫です。電車が遅れてて、すみません」

 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。

 五月なのに鳥肌が止まらない。

 泣きそうになる。歯を食いしばっても、涙が出そうになる。

「…ちょっと外で電話してきます」

 誰かに聞こえたかわからないくらいで報告し、私は外に出た。ビルの上を何階も登り、会社の人間が聞こえないであろう場所まで行く。

 そして、昨日調べたら心療内科の電話番号を押した。

「…たすけてください、たすけてください。こないだ過呼吸になって、電車に乗れなくなって、涙が、止まらないんです…」

 その日、私の人生に、心療内科の予約というのが生まれた。

 予約は、三ヶ月先だった。




 入社して三ヶ月目、体重が劇的に減った。目に見えて減った七キロは、共に住む母親に疑われた。

「最近痩せてない? 大丈夫なの?」

「…大丈夫。行ってきます」

 相変わらず昼出勤の私は、のんびり家を出てのんびりと電車に乗る。会社に着いたってどうせ雑用しかやることがない。もしくは、勝手に病弱扱いされ、帰れと言われるだけだ。

「おはようございます…」

「おぉ宮島! 相変わらず覇気がないな! そうだ! ちょっとこっち来い」

 そう言われては勝手に肩を触られ、気持ち悪さが増した。

 上司に連れていかれたのはあのときの個室で、またもふたりきりにされてしまった。

「あ、あの、」

「今日はな宮島に、俺の武勇伝を話してやろうと思うんだ。昨日たまたま昔の連中に会う機会があってな、やっぱり俺の活躍が目立って目立って! たとえば二十五年前の話なんだがな………」

「はぁ………」

 やめてくれ。やめてくれ。もう、勘弁してくれ。

「あ、このケーキ高くて美味いやつだぞ。ちゃんと食べろよ」

 いらない。こんなもの、いらない。

 上司は自分の武勇伝を話したいがために私を密室に閉じ込め、比較的高い値段のケーキを用意した。

 それはすべて、自分のために。

 鍵が閉められた密室で、結局その日は五時間続いた。会社では何もせず帰宅し、涙も出なかった。


 家に帰宅し、涙が出たのはお風呂に入ってからだった。

 叫ぶように泣き続け、干からびるくらい嗚咽した。子どものように泣き続けた私に母は異変を感じ、何があったのか問い詰められた。

 私はなんて言っていいのか混乱しており、そしてまた、過換気症候になった。動揺した母は、救急者を呼んだ。こんなに短いタイミングで救急車に乗るなんて、思ってもいなかった。






「春子、会社がそんなにしんどいなら、辞めてもいいのよ?」

「…え?」

 運ばれた病院先で、母はそんなことを言った。私にとっては目から鱗だった。

「あなたどんどん、…おかしくなってる。会社に行くたびやつれてる。心配なの」

「………」

「仕事なんて探せばいくらでもあるわ。春子が元気なのが一番なのよ」

 点滴の刺さっていない手を母は握りながら、微かながらに鼻声だった。もしかしたら、泣かしてしまったのかもしれない。

 そんな姿を見て、さすがの私も心が動いた。

 会社を辞めよう。

 私にとっては一大決心だった。




「辞めます」

 翌日会社へ行き、すぐに上司に言った。上司は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

「はっ。宮島、ここで辞めたら他じゃ何も続かないぞ? それでもいいのか?」

「別にいいです」

「お前のためを思って言ってるんだぞ? これから先、何も生産性の無い人生になる。それでもいいのか?」

「お願いです、辞めさせてください。お世話になりました」

 適当にお辞儀をして、上司の前から去った。

 もう、先輩も同期も後輩も、誰が残っているのか私にはわからなかった。一応もらっていた自分の席に行き荷物をまとめ、癪だが机もキレイにした。

「宮島さん…」

 先輩だった。

「お世話になりました。ありがとうございました」

 まだ感謝の気持ちを言える自分は、【人間】なんだと思う。

 そして私は、誰の顔も見ずに会社を出た。

 六月末、新卒が終わった。






 ニートになった私は、ひとまず自分の部屋を片付けた。断捨離である。会社にもらった資料は全て捨て、会社のために用意したあれこれも捨てた。会社に着ていくために買った服もゴミ袋に入れた。ノートもボールペンも、視界に入れたくないものは全て捨てた。

 たぶん今の自分は、死んだ目をしている気がする。


 何も考えたくない。未来のことを考える余裕がない。仕事なんてどうでもいい。

 部屋の片付けをしては、疲れたらベッドに倒れ込む。何時間かわからないが仮眠をとったあとは、また部屋の片付けをする。

 ずっとそんなことの繰り返しだった。


 数日経ってからのころ、本棚に着手した。

 社会人になるための、というような本も全て段ボールに入れ、就職活動で使い込んだ本たちは紙袋にまとめた。すると、本棚を奥から漫画が出てきて、なんとも懐かしい気持ちになる。中学生のころから読んではいたが、最近はそんな余裕もなかった。


 漫画コーナーを見てみると、大好きすぎて半分ボロボロになっている『ハチミツとクローバー』が出てきた。人気作品ということで気になり、私も夢中になった作品だ。

 そこでふと、登場人物のひとり竹本くんが、ママチャリで北海道・宗谷岬に行ったシーンを思い出した。パラパラとめくり、そのページを見る。美術大学に通う彼は自分のなかにある鬱屈とした思いが爆発し、ノープランでママチャリに乗る。途中出会う人々に助けられながら、ペダルをどんどん漕いでは進む。そして、日本最北端・宗谷岬に辿り着くのだ。


 …行ってみたい。

 どうせこのまま消える人生なら、宗谷岬をこの目で見てみたい。


 私はそのページを閉じて、慌てて宗谷岬へ行くためのチケットを取った。ママチャリで行く勇気はないので、飛行機とビジネスホテルである。


 そうだ。あの場所に行って、もう消えてしまおう。


 私は家族の誰にも言わずに行動へ移し、宗谷岬への旅行当日を迎えた。




 羽田空港から稚内空港は午前便で、それでも、いてもたってもいられなくてものすごく早い時間に空港に着いた。

 二泊三日のことを前日に母親へ伝えると、目も口も大きく開かれ、ポカーンという擬音語があまりにもしっくり来た。「ひとりで大丈夫なの? そもそも、なんで宗谷岬?」という質問にはのらりくらりと交わし、「大丈夫だから行かせてほしい」となんとか伝えた。

 しくじったと思ったのはもう季節は夏で、夏休みだということ。想像以上に人がおり、少し体が震えた。

 早く、早く行きたい。竹本くんが見た世界を私にも見せてほしい。

 そんな気持ちばかりが焦り、飛行機の中でも上手く眠ることが出来なかった。


 ようやく到着した稚内空港は何もない空港で、あまりにも簡素化していた。普段都市圏で生活していると、この田舎町の感覚に違和感すらあった。

 小さなスーツケースを転がしながらバス停を探し、稚内駅を目指す。稚内駅は、JRのなかでも最北端にある駅だ。


 稚内駅は土地柄なのかロシア語の看板もあり、なんだか不思議だった。思ったよりも綺麗な駅で、用は無いが中に入ってみると、その時刻表に驚いた。都市圏では考えられないほど電車がないのである。周りには私のような観光客もいて、パシャパシャと写真を撮っていた。たしかに、この駅舎じゃ珍しいだろうな…と私も感じる。


 運転免許を持っていない私は宗谷岬へはバスで行く手段しかなく、駅員さんにバス乗り場の場所を聞いた。必死に行ったがなんとバスは行ってしまったばかりで、しかも次に来るのが二時間後。ノープランで来た私も悪いが、なんとアクセスが悪いんだろうと悪態をついてしまいそうになった。


 手持ち無沙汰になってしまった私は近所のショッピングモールらしき場所に入り、アイスクリームをダブルで食べた。都市圏でも食べられるチェーン店だが、不思議といつもとは違う気がした。


 ありがたいことに天気は良好で、気持ちはスッキリしていた。

 これでよかった。これで、よかったんだ。何度も自分に確認する。

 あんな会社にいたって未来はない。希望もない。おまけに、最後に入るはずの給料は入ってもいなかった。関わりたくないことから文句を言うのも面倒で、そのままにしている。

 この四月からいろんなことがあったな…と思い返すたび、心が軋む。何を間違えたんだろう。どこの選択肢を間違えたんだろう。そんなことばかり考えてしまう。

 物思いに耽るせいか、アイスクリームのダブルは少しだけ溶けてしまった。


 約二時間後、ようやく宗谷岬行きのバスが来た。宗谷岬までは時間にして、一時間はかからないという。なんてことない普通の路線バスが、私だけを乗せて出発した。

 グーグルマップを見てみると、海沿いをどんどんバスが走る。宗谷岬に向かってゆく。すれ違う車は「わ」ナンバーが多く、レンタカーの旅人だろう。私みたいなバスの旅行者は、もしかしたら珍しいのかもしれない。


 バスはどんどん進んでいき、窓から海が見えるようになった。天気が良かったのも相まって海はものすごく美しく、キラキラと反射していた。青色が濃く、バスと並行に走り続けていた。


 宗谷岬に到着すると、乗っていたのは私一人なので、当然降りるのも私一人だった。

 降り立った先にはすーっと地平線が真っ直ぐあり、空と海の境目がしっかりとあった。ふたつとも青いはずなのに、全く違う青色。思わず口がぽかんと開いてしまい、見入ってしまう。天気の良い日で良かったと、つくづく思った。

 少し歩くと、漫画で竹本くんが見た建物があった。


「…ほんとにあるんだ」


 観光地で有名な三角形のモニュメントもあり、ここが日本最北端の場所だと教えてくれる。銀色のそれは青空と海の青にとても映えていて、輝きが増して見えた。

 竹本くんが見た景色を噛み締め、再度思う。


 私も、突き当たりに来てしまったのだ。これ以上先は、本当に何も無い。


 大学を卒業し、入社し、心も体もベコベコになり、そんな自分が、今ここにいる。何も持っていない自分が、何も計画性のない自分が、今こんなところに立っている。

 それが不思議でしょうがなかった。

 それでも、目の前の景色はあまりにも美しく、涙腺が緩んだ。


 キレイ。

 景色が、キレイなのだ。


 夏休みなので観光客も多く、泣くわけにはいかない。なのに、景色を美しいと感じる自分、情けない自分が相まって、泣きそうになった。


 私まだ、心が動いているんだ。

 死んだも同然だった心と体が、この景色のおかげで「美しい」と揺らめいている。それがとても嬉しくて、つらくもなった。

 まだ私は、「生きている」のだ。

 景色に感動し、心が動いている。つまりこれから先も、生きてゆかなくてはならない。

 深呼吸をし、自分を収めた。

 景色はどこまでも、本当にどこまでも綺麗で美しく、素直に感動した。

 落ちぶれたと思っていた心はまだ生きていた。色をなくしたと思っていた目はまだ生きていた。自然の環境に感動できる自分が、まだいたのだ。ここに。

 歯を食いしばり、とにかく泣かないように努めた。




 四月から、いろんなことがあったと改めて思う。

 入社したこと。先輩同期後輩が入っては辞めるを繰り返したこと。会社の方向性がわからなかったこと。軟禁されたこと。過呼吸になって救急車に運ばれたこと。心療内科に予約を入れたこと。会社を辞めたこと。

 その全ては自分だけじゃないことも多くて、でも自分のことで、心も体も疲弊していたのだ。


 会社を辞めるまで、自分はまだ頑張れるとずっと思っていた。出来なくなったことを認めたくなかった。けれど体は正直で、見事なまでに壊れていった。

 心も同じで、何を食べても美味しいとも美味しくないとも思わず、それまで感動していた本を読んでも心は動かなかった。というより、本の文字すら追えなかった。


 それが今、宗谷岬の自然に圧倒されている自分がいる。


 感動している。心が動いている。

 自分の心音が、体全体に響き渡っている。

 どうしても我慢ならず、一筋涙を流してしまった。すぐに拭ったので、きっと誰も気づいていないだろう。

 大丈夫。私はここまで来られた。

 この日本の突き当たりで、心が鳴っている。

 北海道の影響か空気が綺麗で、私は何度も深呼吸をする。

 もう、忘れよう。いや、学んだと思って生きていこう。四月からの日々は、何かの罰だったんだとすら思っておこう。

 きっといつか、笑って話せる日が来るって信じておこう。


 これが、今の自分の精一杯だ。




 次のバスは行きのバスの四時間後だったので、宗谷岬周辺で時間を潰すしかなかった。

 日本最北端到達証明書を買い日付と時間を押してもらったり、食堂でラーメンを食べた。宗谷岬公園と呼ばれる場所は丘になっており、ぐんぐん登っていくと牛がいたり、モニュメントが遠くからでもはっきり見えた。


 陽が落ちるとまた景色も変わってきて、オレンジ色の夕陽が、青い空と青い海、モニュメントの表情を変えてくれた。


 バスの時間が近くなったのでバス停に行ってみると一冊のノートがあり、人々が思いのまま書き綴っていた。その歴史がまた、この宗谷岬を作っているんだと感じた。


 しばらくすると、時間通りにバスが来た。またしても乗るのは私一人である。窓から見える夕陽と海沿いのコントラストを眺めながら、私は宗谷岬から離れてゆく。


「またいつか、何かに迷ったときには来るね」


 家に帰ろう。

 このまま消えるなんて、やめてしまおう。

 だって私はまだ、「生きている」から。


 誰にも聞こえない声で呟き、春子は宗谷岬をあとにした。

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