第8話 木曽屋敷

木曽屋敷

海野幸氏殿、望月重隆殿、義高殿、共に十歳程度

鎌倉に人質となる

木村宗高 「義仲どの私はここに留まり、義高殿をお待ちします」

木曽義仲 「皆が安堵する日本をめざし義仲は京に上り、御門北陸宮を立て

      日本の統一をめざす」

木村宗高 「ご武運を祈願しております」

義仲、越後から京に入り征夷大将軍になる

後白河法皇の策略で平家は滅び

頼朝の策略で義仲を討った義経も、頼朝に討たれ、鎌倉に権力が集約される

平柴

善光寺に寄進された領地に山があるが

最初に木曽義仲が寄進したのが朝日山(後の旭山城)

頼朝の茂菅にある頼朝山(後の頼朝山砦)

が有るが、平柴は旭山の中腹にある


1183年 

志水冠者義高の舎弟「木村宗高」

平柴に潜居し、義高の鎌倉からの帰還を待つ

義高(義仲と兼遠の娘の子)、鎌倉から逃げるが頼朝の追手により殺害 

里俗傳に

守護所

一に御社宮神(ミシャクジ)の東北の方字木曾殿屋敷地にあり

東西二十間、南北二十六間、現今民有畑に属せり

二に甲越戦争(川中島合戦1153年)の頃、小柴見宮内子朝日右近あり

木村宗高 裔(子孫)朝日右近、村上氏に属すと云ふ

本村(芋井郷)の内平柴を領すと云ふ

平柴公民館所蔵

平柴算術所(安正3年1855年)の額にある

屋敷部木村長左エ門 藤原宗近の先祖が

木村宗高(藤姓足利氏流木村氏)である

木村(藤原)宗高

木村信綱の子 木村宗高は諏訪の神氏に婿に出されていた

幼少期から義仲や中原兼遠の子達と兄弟の様に育ち

千野の妻(中原兼遠の娘)や巴御前とも親交があった。

平賀氏、頼朝氏の義仲追討の際にも

善光寺まで進軍した頼朝に見つかる事は無かった

義高殿を待つが、義仲、義高死後

義高残党狩りの際にも甲州源氏討伐の影・善光寺の影に消えていた

上社から離脱、水内平柴の地にミシャクジを祀り、東の庭に諏訪神社を

建立し神氏となる。

屋敷はその後守護所や城として官側に使われ

村人として土着する、朝日右近と名乗った「甲越合戦」まで

一族はこの地に住む

甲越合戦により ミシャクジ 諏訪神社 阿弥陀時

木村一族の屋敷もすべて焼失

甲越合戦後、平柴に戻った木村氏一族は旧姓 藤原を名乗る

武川衆の柳沢氏流も平柴に村人として此のころ平柴に居する

武田氏により 諏訪神社 弥勒寺のみが再建されたが

金刺氏が祭っていたミシャクジは元から小さな祠だけだった為

祀る者は朝日右近が最後になり、地名として ミロクジ(弥勒寺)

の地名が残っている

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木曽義仲(もう一つの川中島) じ~じ @mune_gg

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