【呪いの書】掌編小説

統失2級

1話完結

強力な台風に襲われたら、軽く吹き飛んでしまいそうな年季の入った木造の古本屋を出張先の宮崎市で見付けたのだが、しかし、軽い気持ちで入ってみる。その外観に相応しい薄暗く古びた店内にて、充満する古本の匂いを嗅ぎながら、佐方正則は『呪いの書』というタイトルの本を手に取った。それはどうやら呪いのハウトゥー本の様だった。出版社は魁天社という聞き覚えのない会社で、著者の鶴藤亀吉という名前にも聞き覚えはなかった。ページの後ろにも奥付けは無く、出版された年代も分からない。本の状態は悪くなかったが、裏表紙にバーコードは無く、佐方は(昭和中期くらいの本だろうか?)と考えた。値段は350円と安く、2人の有名作家の小説

2冊と一緒に『呪いの書』を購入する事にした。締めて1045円の買い物だった。


翌日、出張先から松山市の一人暮らしのマンションに帰った佐方は、シャワーを浴びて、夕食を食べた後に『呪いの書』を読み始める。佐方はオカルトの類に惑わされる人間ではなかったが、100%の娯楽としてオカルトに触れるのは好きだった。そして、この本の内容は至ってシンプルで、収録されている動物たちの100枚のイラストを1ページずつ切り取り、呪い殺したい相手の写真と一緒に燃やした後に、記載されている呪いの言葉を1時間に渡り唱え続ければ、呪いが成就するというものだった。繰り返しになるが、佐方はオカルトを信じる人間ではない。純粋な読み物として、この『呪いの書』を買ったのだ。しかし、そんな佐方に取って、この本は何の面白味もない肩透かしの本だった。佐方は『呪いの書』をゴミ箱に放り込み、代わりに宮崎市の古本屋で一緒に買った松本清張の小説を読み始めた。それから、1時間ほどして佐方は眠りに落ちた。


「佐方正則よ、私は『呪いの書』だ。そなたは何故、私をゴミ箱に捨てたのだ?私を粗末に扱うと、私はそなたに罰を与えねばならなくなる。しかし、それは私の本意ではない。それ故、翌朝目覚めたら私を丁重に扱え。ここで言う丁重とはちゃんと私を使用し100人を呪い殺すという事だ。そなたはそれを直ちに理解する必要がある。最後にもう1度言うが私を粗末に扱うと、そなたには罰が下るぞ、心せよ」


佐方は目覚めると殆どの場合、夢の内容は忘れてしまう人間だったが、昨晩の夢は詳細に内容を覚えていた。その夢に景色は無く只の暗闇が広がるだけであったが、『呪いの書』を名乗る声には威厳があり、その声は「私を丁重に扱え」と言っていた。佐方は素早い動作で上半身を起こすと、ベッドの上からゴミ箱の方に目を向ける。すると机の上に置かれた『呪いの書』が視界に入った。(『呪いの書』はゴミ箱から机の上まで、自分の力で移動したのか?)そう思うと、佐方は『呪いの書』を完全なる形で信じざるを得なくなってしまった。佐方の心に恐怖感は無く、そこには生まれたばかりの万能感が鎮座していた。


佐方は『呪いの書』を手に入れた28歳の時から52歳までの24年間で、100人の人間を呪い殺した。その100人の内訳は様々だった。小学生の時に佐方から送られたラブレターをクラスメイトに公開し、佐方を笑い者にした同級生の幸恵。高校生の時にいじめの主犯格として、クラスメイトを自殺に追い込んだ和哉。民主主義をもたらし、その国の国民を開放するとの大義名分の下、侵略戦争を起こし20万もの人々を殺害して、石油利権を略奪した大国の白人政治指導者たち。親族が起こした殺人事件を揉み消した与党の大物政治家。佐方の小学生の息子から5千円を恐喝していた同級生3人組。プロ格闘技の試合で意図的に且つ執拗に反則の目潰し攻撃を行い、対戦選手の片目を失明させた37歳のオランダの白人格闘家。同僚たちの目の前で度々、佐方を怒鳴り付けた上司。ヨーロッパでイスラム教徒58人を射殺したが、その国の法制度の下で死刑は免れた24歳の白人男性。佐方の妹にDVを働き前歯を2本もへし折ったその元恋人。黒人が高級車を運転しているという理由だけで、その車を停車させ、正当な理由など何一つ無く、その黒人男性を射殺した36歳のアメリカの白人男性警官などが、佐方が呪い殺した人間たちだった。そして、そんな奇怪な人生を歩んだ佐方も、56歳の時に大腸癌で他界する事となるのだった。


次の瞬間に目覚めると佐方は60畳ほどの部屋の中央で1人の男と正対していた。2人とも直立しており、部屋にはその男と佐方しか居ない。部屋の壁と床は鮮やかな朱色で白い天井は奇妙なほど高かった。正対しているその男はまず自らを閻魔大王と名乗った。そして、次に佐方の姓名を尋ねる。閻魔大王という名を聞いた瞬間、佐方の心には強烈な動揺が走ったが、表面上は努めて冷静を装い姓名を返答した。閻魔大王は堂々たる口髭と顎髭を蓄えており、それを除けば一般的なアジア人の中年男性と何ら変わらぬ容姿をしていた。只、体のサイズは大きく176cmの佐方が見上げるほどで、190cmは優に超えている様に見える。また肥満体という訳では無かったが、肉付きは良く立派な体躯をしていた。そして、装いは灰色の漢服姿で、その漢服には何故か、牡丹と黒猫数匹の絵柄が入っていた。一方、佐方の装いは真っ白な着物である。次の時、閻魔大王が「これ」と呟くと、無の空間から横長の机と背もたれの高い椅子が現れた。机と椅子はどれも質素な作りで、閻魔大王は静かに椅子に腰掛ける。しかし、佐方の方に椅子は現れず、佐方は立ったままだ。「佐方正則よ、お前は100人の人間を呪い殺したそうだな」閻魔大王はいきなり本題に入った。佐方は明らかに怯えた具合いで、か細い声を絞り出す様に答える。「はい、そうです」佐方の冷静そうな態度はすっかり影を潜めていた。「本来ならば、呪いは邪悪で卑劣な行為であり、それを働いた者は永遠の地獄行きとなる訳だが、お前は善良な呪いも行った。石油利権で他国に侵略し20万もの人々を殺害した政治指導者たちに対する呪いや、58人ものイスラム教徒を殺害した男に対する呪い等がそれだ。しかし、小学生時代の同級生、山戸幸恵に対する呪いは見過ごす訳には行かぬ。確かに幸恵にも非はあったが、呪い殺す程の非ではなかった。他にも、お前は殺さずとも良い人間を、6人も呪い殺している。これ等の様々な事例を勘案した結果、お前には次の処遇を言い渡す。まずは、60年の熱湯地獄の刑である。お前は20代の不老不死の体で、この刑罰を受けるのだ」佐方はこの時、始めて自分が若返っている事に気が付いた。閻魔大王の言葉は更に続く。「熱湯地獄に悶え苦しみながら、自らが犯した罪を大いに反省するが良い。そして、その刑期を終えた後は悪人も呪い殺した事への褒賞として、火傷の痕も綺麗に消滅させ、20代の不老不死の健康な体のままに、同じく20代の不老不死の健康な体を持つ108万人の麗しき妻の待つ天国に送り届ける故、そこで快楽に満たされた平和な暮らしを永遠に送るが良い」閻魔大王の、その容貌には不釣り合いな、若者の様な声を神妙な態度で聞いていた佐方は暫く考えた後、おずおずと声を発する。「あのう、恐れ多くも申し上げたい事が御座います」「何だ?」「108万人の妻の内、10万人くらいは16歳の妻にして戴きたいのですが、それは可能でしょうか?」閻魔大王は佐方の目を凝視する。「まったくお前という男は図々しい奴だ、しかし、まぁ良いだろう。その願い叶えてやる」閻魔大王はこの時、始めて佐方に笑顔を見せたのでした。


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