オーロラの雨(お父さんの記憶)

帆尊歩

第1話 お父さんの記憶

「あなたにはついて行けません」

「待てよ、待ってくれ。オレはお前のお腹の子に、オーロラを見せてやりたいんだ」

「こんな氷と雪しかない原野で、それもオーロラの観測は、ここからさらに奥の所でしょう。こんなところで子供を産めというの。あなたの夢にはついてゆけません」

「何でそんな事を今言う。俺がオーロラの研究で、この地に来ると行った時だって、賛成してくれたじゃないか」

「そうよ。でも、このお腹の子のことを考えたらここにはいられない」

お腹の子供。

つまりあたしだ。

子供の事を最優先に考えると、父は、それ以上母をひきとめられなかったらしい。



二十歳になった私を、この旅行に誘ったのは母だ。

「オーロラを見に行きましょう」と、このオーロラ観光の拠点となるホテルに着いた途端、母は何だか塞ぎ込んでいいる。

二十年前、母が日本に帰って、離婚は成立していた。

私が生まれた時には、父と母は離婚が成立していた。

父は、十年前にこの地で、観測中の事故で亡くなっていた。

極寒のこの地は、危険ということだ。

そいういう意味では、父と母の判断は正しかった。

安全な日本で、あたしは生まれて育ったのだ。

今更、母は、何でここに来たかったのだろう。

まあ、母には母なりの思いがあるのだろう。

あたしも単純に、オーロラは見てみたかったから、母に着いてきた。


ホテルの外は、氷と雪の大平原が広がっていた。

ここから、さらに奥地の隠れ家のような小屋を拠点に、父は観測をしていたらしい。

確かに、こんなところで子供を産むのは躊躇するよな。とあたしは他人事のように思った。

ホテルの外は、氷と雪の大平原。

白く輝く平らなところ、その奥に木が見える。

それは等間隔に並び、まるで絵画のように美しい。

父はこの平原の先で、命を落としたということか。

「ねえ、お母さん。オーロラなんて本当に見えるの」と、私は母に尋ねた。

オーロラは自然現象なので、確実に見えるわけでもない。

事実、ここ何日かは見えていないらしい。


日暮れになって、ツアー客は、雪上車のような物に乗って、観測ポイントまで行く。

「お父さんが観測をしていた小屋って、もっと奥の方」と雪上車の中で母に尋ねる。

「うん。イヤあたしもそこに住んでいた。日本に帰ると言えば、お父さんは観測を諦めてくれるかなと思った。でもダメだった。でもね、あなたを無事に出産して、ある程度大きくなったら、二人でここに会いに来ようと思ったの。お父さん、あなたの娘よって言うために。でも、その前にお父さんは死んじゃった。結局お父さんに、あなたを会わせてあげられなかった」

「ここに来た理由は、あたしをお父さんに見せるためということ?」私は半分冗談のつもりだったけれど、母の表情を見ていると、まさにその通りと言っているようだった。

「お母さん。お父さんを、こんな極寒の地に、一人置いて日本に帰ったこと後悔しているの?」

あたしは、恐る恐る母に尋ねた。

「そんなことないよ。あの時の選択は、間違っていなかった。あなたは生まれたときは病弱で、おそらくこの環境では、体調を崩すことが多かったと思う。あなたが無事育った事は、日本に帰って正解だったということ。でもあなたと、お父さんは一度も会っていない。

それだけが心のこり、お父さんは十年前死んだ。もっと早くに、あなたをここに連れて来れば、あなたとお父さんは初めて会うことが出来たのに、遅かった」最後の言葉は、母の無念さがにじみ出していた。


雪上車を降りると、まだ空は明るかった。

段々暗くなるに従って、少しずつオーロラが見えてきた。

それは、幻想的な美しさだった。

横の母が私に聞こえるくらいの声で、空のオーロラに向かって声を出した。

「あなたー。帰って来ましたよ。あなたの娘を連れて。もう二十歳。ごめんなさい。もっと早くに帰って来れば、あなたに会わせてあげられたのに」

これが目的だったのかと私は思った。

仕方がない。あたしもその母の気持ちに乗っかる。

「おとーうさーん」私は、声のかぎり叫んだ。

「おとーうさーん。会いたかったよ。オーロラきれいだねー」

するとその時、少しだけ雨が降ってきた。

オーロラが出ている状態で、雨なんか降るわけがない。

でも、それは空から降って来る。

オーロラの雨だった。

「お父さん、嬉しいのかな。うれし涙の代わりに、涙雨を降らしたのかな」

そんな風に無邪気に言う私の言葉に、母は涙していた。

横にいる私は、母の涙に気付かない振りをした。

母は二十年間、様々な思いを抱えて生きてきたんだなと思った。

雨はいつの間にかやんで、さっきよりさらに大きく綺麗なオーロラが頭の上に出ていた。

私と母は、父の思いを胸に、随分長い間、そのオーロラを見続けていた。

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オーロラの雨(お父さんの記憶) 帆尊歩 @hosonayumu

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