間話 ある集落の話
「まったく意味がわかんない! なんであんなにボクと似てるのに逃げちゃうの!?」
報告に来た神父が部屋から出た後、イディアは両手両足を伸ばしてバタバタと振った。
心底不満そうな様子の彼に、傍で控えるドグマが眉を下げる。
「イディア……」
「贄も全員逃げたっていうし……あー、もう! ムカムカしちゃう!」
額に手を当てて首を振ったイディアは、拳を椅子の肘置きに叩きつけた。
「ねえドグマ、イライラして仕方ないの。どうにかして!」
「分かった、贄を用意させよう」
手をとり口付けたドグマにイディアは鼻を鳴らす。
「早めにね!」
頬杖をついて足を組み、早足で立ち去っていくドグマの背を見つめる。
イラつきは鎮まらないが、少しばかり落ち着いたイディアは頬杖をついて息を吐き出した。
「あーあ、みんながドグマや先生みたいに面白い人ならよかったのに」
ぽつり呟いたイディアは、先生と出会った時のことを思い出していた。
それは毛先をカラフルに染め上げた、白髪の男だった。
色鮮やかな髪と真っ赤な服が目を引く。
跪く男をいつも通り贄にしようとしたイディアに、男は笑顔で人差し指を立てた。
「一つ取引をしませんか、天使様」
「取引?」
「ええ。僕は魔道具について見識がありましてね。ここ一帯に雨を降らせ続ける魔道具なんてものも作れますよ」
「それで?」
今から殺されるという時に、恐怖の一つも浮かべずに話し始めた男に興味を持ったイディアは、その話を聞いてみる気になった。
深く椅子に腰掛け、足を組む。
「ご存知の通りかと思いますが、ここは町の中間点にあるでしょう? 僕のような旅人を足止めするには雨というものは丁度いいはず」
「だろうね」
「こうしましょう。この雨は天使様の涙……奇跡のために身を投じる贄のために流す涙なのだと」
男はその他にも、いくつかの助言をした。
より壮大な奇跡の演出。それに対する捧げ物の増量。
天使の加護など存在しない。
魔力濃度を調節する術はあったが、大掛かりな魔道具と魔石を使っても、せいぜいこの広間を覆う程度が限界だ。とても集落全体の魔力濃度を管理することなどできやしなかった。
だからこそ住民達の魔力酔いや魔力欠乏に対しては、奇跡と称してクスリを与えることで感覚を麻痺させることしかできなかった。
一番最初に見せた月下の軌跡も、ドグマが念入りに準備をして作り上げた人工的な雲が晴れるタイミングでイディアが手を振るという芝居をしたに過ぎない。
その程度でも、イディアとドグマ二人の暮らしを築くキッカケとしては丁度いい奇跡となったわけだが。
イディアはにっこりと微笑み、足を組んだ。
「面白いね。いいよ、今後もその力をボクのために使って」
「ええ、勿論。貴方が統べる庭園のため、力を尽くしますよ」
それからイディアは男を先生と呼ぶようになった。
これまではドグマが担当していた地下での栽培にも手を入れて、信者を奇跡に依存させた先生は、イディアがドグマの次に信頼を寄せる相手となった。
――先生との出会いはそんなところだ。
「それに比べてネズミちゃんときたら……」
イディアはため息をつく。
先生が面白くなるからと言うので見逃している、金髪の女。
ハイリ・ユスティという名で、最近は聖女だなんて言われている存在だ。
ただでさえ神父のキュリオが信者から絶大な人気を得ている今、もう一人そんな存在を増やしていいものかとイディアは疑問に思っていた。
(でも、先生が言うなら何か面白いことになるんだろうな……)
イディアは唇に指を当て、つい先日のことを思い出す。
ドグマがいない隙をついてやってきたハイリは、あろうことかここから逃げ出そうとイディアに手を差し伸べた。
ドグマのことを悪魔だと言った彼女の手を、イディアは躊躇いなく叩き払ったが。
その時見せた彼女の顔は面白くないこともなかったとイディアは思っている。
イディアは今でもハイリの動機がわからずにいたし、どうでもいいと思っている。肝心なのは面白いかどうかだった。
だからこそ、イディアはドグマと共にいる。
彼はいつだって、イディアに新鮮な楽しみを提供してくれた。
いつだって、イディアを一番に考えてくれる存在だ。
(ドグマってば、あのネズミちゃんのことがあってからずっとボクに付きっきりだったんだよね。ボクが本当に逃げ出すのかと思っちゃったのかな。置いていくわけないのにね)
ただでさえ、ドグマはイディアのこととなると不安定になりがちだ。
それが、先日ハイリに逃げ出そうと言われたところをドグマは見ていたらしい。
イディアにとっては馬鹿馬鹿しい話だったが、ドグマがずっと傍にいてくれることは悪くない。
ドグマがイディア無しではいられないように、イディアもドグマ無しの生活など今更考えさえもしないのだから。
『君のために楽園を創ろう』
ドグマは有言実行してみせた。
柄でもない教祖という役を演じて、慣れない敬語を身につけてまで。
今までの仕事とやらで得てきた魔道具や魔石を惜しみなく使って、二人のための楽園を作り上げた。
だからイディアはドグマのことを大切に思っている。
図体は大きいが、従順な子犬のような彼を放って置けないのだ。
イディアは知っている。ドグマが実の両親を殺したことも。
イディアは知っている。今よりも幼いイディアを見た彼が、衝動のままに連れ去ったことも。
それら全てにイディアは知らないふりをして、ドグマの側に居続けた。
自分を見ない両親なんていうものより、自分だけを見てくれるドグマの方がずっと良い存在だった。
(さっきは少しイヤな態度とっちゃったな。贄を連れてきたら、たくさん褒めてあげないと)
少しばかり溜飲が下がったイディアは、椅子に深く座り直した。
「連れてきたぞ」
扉が開くと、ローザとキュリオを連れたドグマが入ってきた。
「お疲れ様。そっちの赤いのは?」
「一人目の贄を逃した犯人だ」
「キュリオは?」
「今まで贄達に警告を出していた可能性があると他の神父から告げられてな。この際だ、丁度いいだろう?」
イディアは椅子から降りると、更に奥の部屋へと歩き出した。
「二人? ま、いっかぁ。よく頑張ったね、ドグマ。えらいえらい」
イディアが手を伸ばすと、ドグマは頭を下げて近づいた。
白く小さな手が、ドグマの髪を撫でる。
「さあ、連れてきて」
「ああ……! ほら、歩きなさい。天使様の贄となれることを誇りに思いなさい!」
破顔したドグマは穏やかに、しかし強い口調でローザとキュリオに告げる。
二人は後ろ手に縛られたまま、一歩ずつ足を進めた。
階段を降り、真っ直ぐに最奥の部屋までたどり着く。
その部屋は鉄の香りが充満していた。
跪かされた二人は部屋を見渡す。
ローザとキュリオにはどう使うのかも分からないような物々しい器具がいくつも並べられている。ただ分かるのは、中央に立てられた木の板に縛り付けられて悲惨な目に遭わされるのだろうということだけだった。
「さて始めようか。あ、そうだ。涙はもう止めておいて」
「ああ、分かった」
部屋の隅に置かれた大型の魔道具から魔石を抜く。
これだけで一帯の雨は止む。本当に今まで見たこともない効率の魔道具だと、動作させる度にドグマは思う。
「天使様、どうか私からにしてください」
頭を下げたローザが震える声で言った。
「ふうん……どうして?」
「私は……ただ、母に会いたいんです……」
首を傾げるイディアに、ドグマが口を寄せる。
「以前贄を逃した女の娘だ」
「ああ……なるほどね」
イディアはローザの顔を上げさせ、にっこりと笑った。
「いいよ。たっぷり時間をかけて、送ってあげる」
「……ありがとうございます、天使様」
呆然とローザを見つめるキュリオに、彼女はこっそり笑ってみせた。
キュリオは唇を震わせ、引き結ぶ。
ローザはドグマによって、木の板に手足を縛り付けられた。
イディアは器具の中から細いノコギリを手に取り、彼女に近づく。
「さあ……」
楽しもう。そう続けようとした言葉は、鳴らされたベルの音によって掻き消された。
「……何?」
楽しみを邪魔されたイディアは、不機嫌そうにドグマを見る。
壁に取り付けられた魔道具に触れたドグマは、眉間に皺を寄せた。
「信者共が大勢でこちらに向かっているらしい……」
「えーっ、もう? 待つってことを知らないのかなあ。涙を止めるの早すぎたかも」
鋸を投げ捨てたイディアは、ドグマに手を伸ばす。
ドグマはイディアを抱え上げて部屋を出た。
「さっさと捧げ物貰って帰ろうね、ドグマ」
「ああ」
ドグマの足音が遠のく。
閉められた扉を見たキュリオはすぐさま立ち上がり、ノコギリに近づくと手を縛る縄を刃に擦り付けた。
何度か繰り返すと、ぶちりと縄が切れる。その勢いのまま手の甲を切ったキュリオは、歯を食いしばった。
右の手の甲から血を流しながらノコギリを拾い上げた彼は、急いでローザの足を縛る縄も切り始める。
「キュリオ様、手が……」
「俺の手のことはいい。それよりも……すまない」
「どうして貴方が謝るの?」
「君に……先にいかせようとした」
足の縄を切ったキュリオは、両腕の縄に取り掛かる。
「私が先に言い出したことなのに」
「それでも。俺は何も言えなかった」
「本当に、優しい人。だから私は……」
両腕の縄も切り終えたキュリオは、よろけたローザを腕で支えた。
「逃げよう。早く」
「ええ」
頷いたローザと共に、キュリオは薄く扉を開ける。
外に誰もいないことを確認すると、外に出た。
階段を上がり、物陰に隠れながらひっそりと部屋を移動する。
誰もいない部屋は、不自然なほど静かだ。
ホールにたどり着いた二人は、再び薄く玄関の扉を開けた。
何やら外が騒がしい。
覗き見たキュリオは、目を見開いた。
「やめろ……!」
ドグマの叫びが聞こえる。
庭にはボロいフードを被った信者達が集まっていた。
全住民がここに集まっていると言ってもいい。他の神父達は赤く染まり地面に伏し、ドグマは住民達の前で磔にされていた。
口の端からは血が垂れ、その足元では炎が踊っている。
「悪魔の使いめ!」
「よくも散々搾取してくれたな!」
元信者達の怒号が響く。
斧や鉈を持つ信者達の足元には、両腕を引かれ地面に頭を押し付けられたイディアが泣き声を上げていた。
「痛いっ……やめて、やめてよぉ……ッ!」
「その子に手を出すな!」
炎に炙られながらも、ドグマは噛みつき続けていた。
その目にはイディアしか映っていない。
「悪魔を殺せ!」
「悪魔を殺せ!」
「悪魔を殺せ!」
元信者達が一斉に声を上げる。
その先頭には旗を掲げ持つハイリがいた。
「聖女様、どうしますか」
「そうですね……」
ハイリはちらりと庭の隅を見た。
その先では役目を待つ焼却炉がパチパチと音を立てている。
彼が燃やす本来の目標は、少なくともイディアではないはずだった。
「燃やしてしまいなさい」
元信者達がイディアの体を押さえつける。
「やだっ! やめてって言ってるでしょ……! ボクは、ボクは天使なのに……っ!」
「うるせえ、黙れ悪魔!」
「ぶち込め!」
迫る火に汗を垂らすドグマが身を捩る。
「やめろ! 汚い手でイディアに触るな……ッ!」
暴れるイディアの体を押さえ込んだ男が、そのまま焼却炉の方へと運ぶ。
「やめろ!! やめてくれっ!!」
ドグマの叫びも虚しく、元信者によって開かれた口へと小さく折り畳まれた体が詰め込まれた。
「熱いッ! 出して、出してぇッ!!」
閉じられた扉が内側から叩かれる。
「助けて、ドグマ! ドグ……マ……」
「イディア! イディアァッ!!」
身を捩ったドグマの焦げた縄が切れる。
炎の中に落ちた彼は、必死に手を伸ばした。
焼却炉の中の声はもう聞こえない。
「あ、あぁ……イディア……」
炎の中。ドグマは一粒の涙を流し、その手を地面に落とした。
火の粉が上がる音だけが辺りを満たす。
少しの後、元信者達の歓声が上がった。
ハイリは旗を突き上げ、声を張る。
「我々の勝利です!!」
「おおおおおおおおっ!!」
その様子を見ていたローザとキュリオは顔を見合わせた。
扉を掴んでいた汗ばむ手が震える。
「私達……助かった、のでしょうか」
「……おそらくは」
扉を開け、外に出る。
こちらを見た元信者達が顔を明るくする中で、ハイリだけは旗を振り下ろした。
「残党がいましたか。さあ、最後の一人です!」
けれども、誰もその声に応じない。
ハイリは困惑した様子で元信者達を見渡した。
「どうしましたか? さあ、早く! 彼もまた、貴方達の心を惑わすための存在です!」
「何を言ってるんだ? キュリオ様がアイツらと同類なわけないだろ」
「騙されているのです! 目を覚ましなさい!」
ハイリは声を上げるが、賛同の声は上がらないばかりか非難の目を向ける元信者達。
彼女は体を震わせ、旗をキュリオに突き出した。
「貴方達が出来ないというのなら、私がこの悪魔を――」
しかし、その言葉の続きは出なかった。
傍らに立っていた元信者が、彼女を殴り飛ばしたのだ。
「キュリオ様が悪魔だって? ふざけたことを言うんじゃねえ!」
「そうよ! キュリオ様は誰よりも私達に寄り添ってくれたわ!」
地面に倒れ込んだハイリは、信じられないとばかりに目を見開く。
殴られた頬を押さえ、唇を震わせた。
「何を、言っているのです……? 私が、私こそ聖女……正義の側にあるというのに……」
「何が聖女だ! お前こそ悪魔の使いなんじゃないのか!」
「そうだそうだ!」
元信者達が群がる。
バキリと、イヤな音が響いた。
耳を塞いだキュリオは、怯えた顔でその光景から目を逸らす。
一方で、ローザは当然とばかりに鼻をならした。
「当然の報いですね。さあ、キュリオ様。貴方こそが私達の長に相応しい」
微笑んだローザはキュリオに手を差し伸べる。
(ああ。もう後には戻れないのか)
物言わぬ肉塊となったハイリに目もくれず、こちらへ笑顔を向ける新たな信者達にキュリオは引き攣った笑顔で応えた。
信者達は腕を突き上げ、キュリオの名を叫ぶ。
「キュリオ様!」
「キュリオ様!」
「キュリオ様!」
ローザはキュリオの背に手を当て、微笑んだ。
「キュリオ様。お言葉を」
「あ、ああ……」
急激な口の渇きを感じながら、キュリオは目を泳がせる。
信者達は皆キュリオを見つめて言葉を待っていた。
先ほどまで付き従っていたはずのハイリを、平気で殺せてしまう信者達。
その手綱を握らなければならない。その責任がキュリオの肩に重たくのしかかった。
「苦しみに満ちた時は過ぎ去った。これからは……」
信者達の目がきらめく。一瞬息を詰まらせたキュリオは、軽く拳を握りしめた。
「これからは……平穏な時間を、共に築いていこう……」
途切れ途切れの言葉だったが、それでも充分だったらしい。
信者達の目には、キュリオこそが救いの光として映っていた。
(これからは、俺が……正しい道を、示していかなければ)
正しく人を救い、導く。
あるべき宗教の形を見つけなければならない。
かつて、あの天使……信者達の言葉で言い表すならば、悪魔が現れるまでのキュリオが考えていたような、あるべき宗教を。
(俺はやってみせる……だから、君もそこで見ていてほしい)
晴れ渡った天を仰ぐ。
かつて、キュリオの思想を笑い飛ばした友人。
思い浮かんだのは、時折見せていた笑顔でもなく、喧嘩した時の怒った顔でもなく、贄にされると知った時の絶望に満ちた表情だった。
誰にも相手にされなかったキュリオの思想に笑いながらも付き合ってくれた彼は、もういない。
(始めは笑顔がなかったこの集落に、天使という存在は一時とはいえ笑顔を生み出していた。俺が考えていた通り、信仰というもの自体は間違っていないはずだ……)
目を閉じたキュリオは唇を一文字に結び、深く呼吸する。
次に目を開いた時……その目には確かな光が宿っていた。
「約束しよう。俺が新たな信仰の形を……誰もが幸せになれる、理想の形を見つけることを」
キュリオの言葉に皆が拳を突き上げる。
もう後には戻れないなら、このまま歩き続けよう。
そう誓ったキュリオは、胸の前で指を組んだ。
まずは……今まで贄になってきた人々。彼らに、彼女達に、祈りを捧げよう。
彼らの最期は最後ではない。ここから始まるんだ。
「さあ、今まで潰えてしまった命に哀悼を捧げよう……」
信者達が胸の前で指を組み、目を閉じる。
誰もが哀悼する中で一人、離れた場所に立つ信者が背を向けた。
誰にも気づかれぬまま遠ざかった彼は一度振り向き、深い笑みを浮かべる。
フードの中で、毛先がカラフルに染め上げられた白髪が揺れた。
強い風が吹いた次の瞬間には、その姿はどこにも見当たらない。
ただ緩やかな風が、雨上がりの匂いを運ぶだけだった。
「随分な騒動だったじゃないか。かなり楽しめたようだな?」
洞窟の中、水鏡を見ていたラーナスが口を開く。
パタパタとボロボロの黒い片翼を羽ばたかせたクレスティアが振り返ると、顔を明るくした。
「セイム、おかえり! クレスティアも見てたよ。愛が潰えちゃったのは悲しいけど……でも、セイムが楽しめたならそれでいいかなって、思う」
脱いだフードを片手に持ち、指を鳴らす。
それだけで火がついた布は、あっという間に灰となって消えた。
手を振って微かについていた灰を払ったセイムは、ふふっと笑みをこぼす。
赤いスーツに身を包み、濡れた髪をくるりと指先で弄んだ。
「まあまあの暇潰しにはなったよ」
もしも一つ願うなら 庭村ヤヒロ @niwamura_yahiro
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